宮崎県

東霧島神社(都城市高崎町)

東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)は 第5代孝昭(こうしょう)天皇の御世に創建されたと伝わり その後 霧島山の噴火などにより神殿などは焼失・埋没し荒廃したが 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(貞)(きりしまの かみのやしろ)の論社です 963年 天台宗の僧 性空上人が再興した ゛東霧島大権現宮゛と称される霧島六所権現の一つです 

霧島東神社(高原町祓川)

霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は ゛天之逆鉾゛〈高千穂峰の山頂の天孫降臨伝説の地〉を社宝とし 第10代崇神天皇の御代 霧島山を信仰する社として創建と伝わり 山頂は飛地境内となっています 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(貞)(きりしまの かみのやしろ)の論社で 天暦年間(947~957)には 性空上人が別当寺 錫杖院を建立し 霧島六社権現のひとつとなりました

霧島岑神社(小林市細野)

霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)は 社伝に 往古 高千穂峰(矛峰)と火常峰(御鉢)の間 脊門尾(セタオ)に鎮座と伝わり 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(貞)(きりしまの かみのやしろ)の論社です その後 韓国岳 大幡山 御鉢 新燃岳の噴火で相次いで神殿を焼失しては造営を繰り返し 明治6年(1872)夷守神社を霧島岑神社に合祀した上で 現在地〈夷守神社の社地〉に霧島岑神社が遷座されました

高千穂神社(高千穂町三田井字神殿)

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は 垂仁天皇の御世 創建と伝わり 高智保皇神(たかちほのすめかみ)として 六国史『続日本後記』『三代実録』に記述がある国史見在社ともされます 天慶年問(938~947年)豊後国の豪族 大神惟基の子・政次が 高知尾(高千穂)氏を興し 十社大明神を高千穂18郷(高千穂八十八社)の総社として崇め 広く郷民の信仰を集めたといいます

日向国 式内社 4座(並小)について

日向国(ひむかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 日向国 4座(並小)の神社です

三宅神社(西都市)日向国の一之宮とも総社であるとも云われます

三宅神社(みやけじんじゃ)は 創建年月は不詳ですが 西都原古墳群が広がる かつての日向国府(ヒュウガコクフ)跡の一帯に鎮座地し 日向国一之宮であるとも総社であるとも云われます 第12代 景行天皇〈在位71~130年頃〉即位17年の条 西征紀に見える「丹裳小野(ニモノオノ)」の伝承地が隣接し 「第50代 桓武天皇〈在位781~806年〉の勅額と伝わるものがある」由緒ある古社です

都農神社(日向国一之宮)

都農神社(つのじんじゃ)は 初代天皇「神武天皇」が 宮崎の宮を発して 東征に向かう際〈即位の6年前〉に 此の地に立ち寄り 国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し 御祭神を鎮祭したことに始まると伝わります 日向国一之宮として 格式高く 由緒ある神社です

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