出雲國風土記神名帳
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神魂伊能知奴志神社(出雲市)【後編】
神魂伊能知奴志神社かみむすび いのちぬし の かみのやしろ)は 『記紀神話』の「天地開闢(tenchi kaibyaku)」の時 もともとは混沌として一つであった天と地が 初めて分かれました その時 高天原(takamagahara)に 生まれた神「神皇産霊神(kami musubi no kami)」を祀る古社です
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十九社(東)(西)(出雲大社 境内)
十九社(東)(西)(じゅうくしゃ)は 神在月・旧暦10月に神議(kami hakari)のために全国から 出雲大社に集われる「八百萬神(yaoyorozu no kami)」の宿舎となると伝わります
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素鵞社(出雲大社 境内)【後編】
素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです 御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています
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素鵞社(出雲市)【前編】
素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです 御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています
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神魂伊能知比売神社(出雲大社 境内)【後編】
神魂伊能知比売神社(かみむすび いのちひめの かみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(天前社 amasaki no yashiro)と呼ばれます 大國主大神が お若い頃に多くの試練をお受けになられた時 大火傷を負われました この時 祖神の御令により 大神の治療看護に当たられた貝の女神を祀ります
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神魂伊能知比売神社(出雲大社 境内 天前社)【前編】
神魂伊能知比売神社(かみむすび いのちひめの かみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(天前社 amasaki no yashiro)と呼ばれます 大國主大神が お若い頃に多くの試練をお受けになられた時 大火傷を負われました この時 祖神の御令により 大神の治療看護に当たられた貝の女神を祀ります
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神魂御子神社(出雲市)【後編】
神魂御子神社(かみむすびみこ の かみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(筑紫社 tsukushi no yashiro)と呼ばれます 御祭神は 宗像大社の御祭神でもあります「多紀理毘売命(takirihime no mikoto)」を祀ります 大国主神の后様です
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神魂御子神社(出雲大社 境内)【前編】
神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(筑紫社 tsukushi no yashiro)と呼ばれます 御祭神は 宗像大社の御祭神でもあります「多紀理毘売命(takirihime no mikoto)」を祀ります 大国主神の后様です
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大神大后神社(出雲大社 境内 御向社)
大神大后神社(おおかみ おおきさきの かみのやしろ)は その名の通り 御祭神は「大国主神(おほくにぬしのかみ)」の正后様として「須勢理毘売命(すせりびひめのみこと)」を祀ります 素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御娘神で 素戔嗚尊が大国主大神に与えられた数々の試練をお助けになられました
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出雲大社(出雲市)【後編】
出雲大社(いずものおおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(okuninushi no okami)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(amatsu kami)」が 天日隅宮(amenohisumi no miya)を献上されたことに始まるとされています
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出雲大社(出雲市)【前編】
出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています
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経島 百枝穂神社(出雲日御碕)
百枝穂神社(ももえすきじんじゃ)は 日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)から 西方約100m沖の海上にある「経島(ふみしま)」に鎮座します 「日御碕神社」下の本社 = 日沈の宮(ひしずみのみや)の元宮で 天照大御神(あまてらすおほみかみ)の御神託を受け神殿を創立したと伝わります
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神蹟 隠岳神社(出雲日御碕)
隠岳神社(かくれだけじんじゃ)は 神蹟 隠ヶ丘に鎮座しています 「日御碕神社(hinomisaki shrine)」上の本社 = 神の宮(kamu no miya)の元宮とされています 素盞嗚尊(susanowo no mikoto)の神魂か鎮ります処です
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日御碕神社(出雲市大社町)
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は ゛日の本の夜を司る神゛「素盞嗚尊(すさのをのみこと)」を祀る「神の宮」 ゛沈みゆく夕日の神゛「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」を祀る「日沈宮」というように 「神の宮」「日沈宮」と いづれも神代から鎮座する由緒がある 一つの神社に2つの本宮を持ちます
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須佐神社(佐田町須佐)
須佐神社(すさじんじや)は はじまりは神代と伝わり 須佐之男命(susanoo no mikoto)の「御終焉の地」「御魂鎮めの霊地」と云われ『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)須佐郷の条』にも「この国は 小さいけれども 良い国どころだ だから私の名前は 木や石にはつけず 土地に付ける」と仰せになり命の御魂(mi tama)を ここに鎮め置かれ 給われた と記されています 間違いなく 日本でも由緒ある神社です
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立虫神社(出雲市)
立虫神社(たちむしじんじゃ)は 木材・植林・建築などを司り 耕地の開発に霊験あらたかな神「五十猛命(itakeru no mikoto)」を祀ります 同じ境内には「万九千神社」があります
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万九千神社(出雲市)
万九千神社(まんくせのやしろ)は 出雲には神在月・旧暦10月に全国から「八百萬神(yaoyorozu no kami)」が集われます この社はそれぞれが帰路につかれる宮処(miyadokoro)と呼ばれます
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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
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神魂伊能知奴志神社(出雲市)【前編】
神魂伊能知奴志神社(かみむすび いのちぬし の かみのやしろ)は 『記紀神話』の「天地開闢(てんちかいびゃく)」の時 もともとは混沌として一つであった天と地が 初めて分かれました その時 高天原に 生まれた神「神皇産霊神(kami musubi no kami)」を祀る古社です