出雲國風土記神名帳
-
林神社 & 神園神社(出雲市大社町宇龍)〈日御碕神社の境外攝社〉
林神社(はやしじんじゃ)は 日御碕神社(出雲市大社町)の境外攝社で 同じく境外攝社の神園神社を合祀して 宇龍浦の高台に鎮座しています 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「同御埼社(おなじきみさき)のやしろ」の論社とされています
-
御碕神社( 出雲市斐川町)
御碕神社(みさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「御前社(みさき)のやしろ」の論社 社伝によると「元の社は 漆沼郷(しつぬのさと)東南部(上庄原西北端)にあったが 延宝2年(1674)の洪水により社殿浮流して 上庄原村神田(じんでん)に鎮座の今宮神社境内に漂着した」と伝わります
-
『出雲國風土記』大原郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社
『出雲國風土記』大原郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社は 写本の順番で並んでいます
-
『出雲國風土記』大原郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】13社
『出雲國風土記』大原郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】13社は 写本の順番で並んでいます
-
『出雲國風土記』大原郡(ohara no kori)条 所載の神社 29社
『出雲國風土記』大原郡(ohara no kori)条 所載の神社の数は「29社」です
「13社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「16社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
-
『出雲國風土記』仁多郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】2社
『出雲國風土記』仁多郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】2社は 写本の順番で並んでいます
-
『出雲國風土記』仁多郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】8社
『出雲國風土記』仁多郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】8社は 写本の順番で並んでいます
-
『出雲國風土記』仁多郡(nita no kori)条 所載の神社 10社
『出雲國風土記』仁多郡(nita no kori)条 所載の神社の数は「10社」です
「 2社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「 8社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
-
『出雲國風土記』飯石郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社
『出雲國風土記』飯石郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社は 写本の順番で並んでいます
-
『出雲國風土記』飯石郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】5社
『出雲國風土記』飯石郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】5社は 写本の順番で並んでいます
-
『出雲國風土記』飯石郡(iishi no kori)条 所載の神社 21社
『出雲國風土記』飯石郡(iishi no kori)条 所載の神社の数は「21社」です
「 5社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「16社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
-
埼田神社(出雲市園町)
埼田神社(さきたじんじゃ)は 県の無形文化財の指定を受ける奉納神事としての「青獅子舞(あおししまい)」が有名です 『出雲國風土記733 AD.』に所載の楯縫郡 不在神祇官社「埼田社(さきた)のやしろ」の論社です
-
宿努神社(出雲市多久谷町)
宿努神社(すくねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』で御祭神 天御梶姫命(あめのみかじひめのみこと)が 多伎都彦命(たきつひこのみこと)をお産みになられたとする盾縫郡の神名樋山(かんなびやま) そこから流れ下る「虹が滝」をご神体とすると伝わり 楯縫郡 不在神祇官社「宿努社(すくぬ)のやしろ」とされています
-
山口神社(出雲市鹿園寺町)
山口神社(やまぐちじんじゃ)は かつて毎年 四人の頭人を定め 毎月晦日に坂浦より潮を汲みて捧げ 祭日に十二番の相撲神事が行われていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「高守社(たかもり)のやしろ」「又高守社(またたかもり)のやしろ」「山口社(やまぐち)のやしろ」の論社です
-
石上神社(出雲市塩津町)
石上神社(いしがみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」とされています 本来の御祭神は「海童(カイドウ)=和田津見命(ワタツミノミコト)」とされ ご神体の「石」から「いしがみさま」と呼ばれていました
-
宇美神社(出雲市平田町)
宇美神社(うみじんじゃ)は 熊野社に天正十六年(1588)に諸社を合祀し熊野権現社となり 合祀社の一つに式内社の論社〈廻大明神〉があって『雲陽志1835AD.』には 布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祀る所の迫大明神(さこだいみょうじん)「風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり」と記されます
-
三社神社(出雲市小伊津町)
三社神社(さんしゃじんじゃ)は 『雲陽志(unyo shi)1835AD.』楯縫郡 古井津(koizu)では「或る人曰く 風土記に載る「水社(みず)のやしろ」これなり」とあり『風土記鈔』には「古井津浦(こいづうら)の三社大明神〈現 三社神社(出雲市小伊津町)〉なり」と記されています
-
水神社(出雲市本庄町)
水神社(みずじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「水社(みず)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』所載の楯縫郡「水神社(みずのかみのやしろ)」の論社とされ 雨乞の祈祷に霊験著しいと崇敬を集めています
-
狗賓神社〈御津神社の 古社地〉(出雲市三津町)
狗賓神社(ぐひんじんじゃ)は 三津浦を見下ろす丘陵にあり『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」の阯とされます 岩山の岩窟を祀り「上松権現」と呼ばれていました 御津神社(出雲市三津町)の当所古社地であったとされます
-
御津神社(出雲市三津町)
御津神社(みつじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」とされています 現在は海岸から離れた内陸に鎮座していますが かつては「御津」に相応しく「三津浦」に鎮座していたとされます