兵庫県

家島神社(姫路市家島町)

家島神社(いえしまじんじゃ)は 国生み神話の伝承地ともされる播磨灘の中央に浮かぶ家島諸島に鎮座します 社伝によれば 神武天皇が東征途中 当地に御寄港になられ 港内が大変穏やかで「あたかも家の中にいるようで静かだ」として 家島と名付けられた 又 神功皇后 三韓御門出の時 天神を祀り給ふに山中ゆりければ ゆるの山と古歌にもよまれと伝わります

安志姫神社(姫路市)伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を拒んだ姫神を祀ります

安志姫神社は 『播磨国風土記』に「安師里」の里名の起源と記される 安師比売神(アナシヒメノカミ)を祭る神社です 神話の内容は 伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を 安師姫神(アナシヒメノカミ)が 断ったので 大神が大変怒り 川の上流に石を置いて 3方向の里へと水を分配したので この川〈安志川(林田川)〉は 水量が少なくなってしまいましたと記されています

伊和神社(宍粟市)

伊和神社(いわじんじゃ)は《社伝によれば》伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり 一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っていた そこに社殿を造営したのが 成務天皇 甲申歳2月11日丁卯(144年) 或いは 欽明天皇25年甲申歳(564年)と伝えており『延喜式』名神祭の大社で 播磨国一之宮でもあり 由緒ある古社です

佐々伎神社(豊岡市但東町)

佐々伎神社(ささきじんじゃ)は 社伝によれば 第10代 崇神天皇11年(BC 87年頃)但馬国の開拓の祖神(オヤガミ)である少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀ったのが始めとしていて 一説には天平19年(747)3月 出石小領に任じられた佐々貴山君(ササキヤマノキミ)が 祖である大彦命(オオヒコノミコト)を佐々貴山に祀ったとあり 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の古社です

大避神社(赤穂市)

大避神社(おおさけじんじゃ)は 秦河勝公(はたのかわかつのきみ)を御祭神とします 公は中国より渡来した秦氏の子孫で 秦氏の長として 朝廷に仕え 特に聖徳太子に寵任されましたが 太子亡きあと蘇我入鹿の迫害を避けて 海路で坂越浦に漂着になられ この地の開拓を進めた後 大化3年(647)没した その御霊は神仙化し 地元の民が 朝廷に願い出て 祠を築き祀ったのが創建と伝えられています

祇園神社(神戸・平野)

祇園神社(ぎおんじんじゃ)は 貞観11年(869)京の都で疫病が蔓延した時に これを治める御神威があるとされた「姫路の廣峯神社(ひろみねじんじゃ)」の御祭神「牛頭天王(ごずてんのう)」=「素戔嗚尊(すさのをのみこと)」の御分霊を 京都の八坂神社の前身とされている京都北白川の東光寺「祇園感神院」に遷すことになり その途中で その神輿が神戸にある この地「平野」に一泊されたと云われています 以来 当地でも 御神霊を祀り続け 今日に至ります

廣峯神社(姫路市広嶺山)

廣峯神社(ひろみねじんじゃ)は 奈良時代 天平5年(733)に遣唐使として中国から帰国した「吉備真備 公」は 国家の為に 陰陽道(天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定める)を習得されていました 奈良へ帰途の折 広峯山系の白幣山に登臨して「牛頭天王の信託を感受」します この旨を第45代聖武天皇に奏上して 翌年に廣峯神社の大社殿が造営されました

粟鹿神社(但馬国一之宮)

粟鹿神社(あわがじんじゃ)は 社伝によれば 粟鹿の名の由来として 鹿が粟をくわえて 粟鹿山から現れて 人々に農耕を教えたと伝えます その鹿が祀られているとも伝わる但馬国随一の古社です 2000年以上の歴史とも云われます

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は 『記紀神話』の日本創成で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が 日本の国土開拓に着手された時 「天沼矛から滴るしずく」で 最初に造り上げた島「淡路島(awaji shima)」に鎮座します 御祭神は 「国生み神話の地」にふさわしい「伊弉諾尊と伊弉冉尊」で神代のロマンを感じます 

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