兵庫県

西宮神社(西宮市社家町)〈えべっさん〉

西宮神社(にしのみやじんじゃ)は 全国の゛ゑびす様゛の総本社で 海上守護神 商賣繁盛の神として崇敬されています 平安時代末期には既に高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族神祇伯の参拝が著しく社勢は極めて盛大でした 延喜式内社 摂津國 莵原郡 大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社でもあります

浅間神社(養父市八鹿町浅間)

淺間神社(せんげんじんじゃ)は 6~8世紀の創立とされ 鎮座地の浅間(あさま)には 須留岐山の浅間寺〈天平年間(729~749)行基により開山〉もあります 『延喜式神名帳927 AD.』所載 但馬國 養父郡 淺間神社(あさまのかみのやしろ)とされます 同じく式内社の但馬國 養父郡 葛神社(くつの かみのやしろ)or(かつらの かみのやしろ)を合祀しています

國常神社〈妙見宮〉(朝来市生野町円山)

國常神社(くにのとこじんじや)は 北辰信仰の妙見宮(みょうけんぐう)とも呼ばれ 国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ります この地は 式内社 倭文神社〈鮭の宮〉(ここから500m程の 円山川の下流)の旧鎮座地 円山字鹽谷であると伝わります

倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)

倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅5年(712年)の創建とされ 延喜式内社 但馬國 朝來郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)と伝わります 正徳3年(1713年)遷宮の時 偶然下流から鮭が遡上し 村人達は めでたい前兆として喜び〈鮭の宮〉と呼ぶようになったとされます

住吉神社(加東市下久米)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『播磨鑑』に白雉2年(651)の創立と記されているが 甚だ疑わしく猶それ以前に勧請せられたものと推測されています 續左丞抄住吉神領年紀によると 久米庄(当地方)が神功皇后(201~220)の御代 既に摂津 住吉大社の神領地であったとあり 式内社 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社でもあります

八雲社(三木市久留美)

八雲社(やくものやしろ)は 創立年月は詳らかではありませんが 今から約千五百年前 億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際 久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています 境内社の垣田大神(住吉社)が 式内社 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社となっています

國玉稲荷神社〈神ノ木の宮跡〉 (小野市小田町)

国玉稲荷神社(くにたまいなりじんじゃ)は 大同2年(807)〈約1200年前〉に遷座した 現 垣田神社(小野市小田町)の旧鎮座地〈元宮〉とされ 神ノ木の宮跡と呼ばれます 神社の創建は弥生時代初期か あるいは縄文時代後期あたりまでさかのぼるのではなかろうかといわれています

垣田神社(小野市小田町)

垣田神社(かきたじんじゃ)は 大同2年(807)に垣田神社の元宮〈國玉稲荷神社〉から遷座しました 昌泰2年(899)勅使 藤原公方を御差遣になり奉幣の儀がおこなわれて 垣田大神の勅号を贈られたと云われます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です

住吉神社〈恒田大明神〉(加東市秋津)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 神功皇后の勅願社の伝承が残り 摂津 住吉大社の別宮であったと考えられ 創始は古墳時代後期とされています 奈良時代後期に現在の鎮座地・秋津字清水に遷座し 水田に由来して恒田明神と称され今日に至るので 二つの式内社〈住吉神社・垣田神社〉の論社となっています

小野住吉神社(小野市垂井町)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 社伝には 人皇10代の時とも養老6年(722)とも云われ もと河内山田に鎮座していたが 市場村喜多島に奉遷鎮座し 後に現在の地に奉遷したと伝わります 式内社 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社です

上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 創立は不詳ですが 厳格な宮座制度を脈々と守り続け 約700年間受け継がれてきた神事舞〈国指定 重要無形民俗文化財 住吉神社神事舞〉が有名です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社です

淡路国 式内社 13座(大2座・小11座)について

淡路国(あわじのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 淡路国 13座(大2座・小11座)の神社です 『古事記』『日本書紀』の記紀神話”国産み神話”によれば 日本列島で最初に生まれた島とされます

丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について

丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について

播磨国(はりまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 播磨国 50座(大7座・小43座)の神社です 播磨国は 和銅6年(713) の詔によって『播磨国風土記』が編纂されていますので 7世紀には成立したとされています

出石神社(豊岡市出石町)〈式内社 伊豆志坐神社 八座(並名神大)・但馬國一之宮〉

出石神社(いずしじんじゃ)は 祭神は出石八前大神〈天之日矛が将来し 出石神社に安置した八種の神宝の神格化〉・天日槍命(あめのひぼこのみこと)です 社伝には 天日槍命が日本に渡来後 泥水が充満する当時の但馬の有様を御覧になり 円山川河口の岩石を切り開き泥水を日本海へと流し 現在の肥沃な平野を造られたとの伝承があります

真浦神社(姫路市家島町)

真浦神社(まうらじんじゃ)は 家島本島真浦の中心に位置して 家島神社の摂社として祀られてきました 以前は 荒神社と呼ばれていましたが 明治になって真浦神社と改称されました

宮浦神社(姫路市家島町)

宮浦神社(みやうらじんじゃ)は 以前は 家島白髭大明神を称していたが 明治になって宮浦神社と改称されました 社伝によれば 比叡山実相院の覚円僧都が門徒と共に坊勢島に渡海し 或る夜霊夢によって故郷の琵琶湖に準え白髭大明神を勧請したことによります

家島神社(姫路市家島町)

家島神社(いえしまじんじゃ)は 国生み神話の伝承地ともされる播磨灘の中央に浮かぶ家島諸島に鎮座します 社伝によれば 神武天皇が東征途中 当地に御寄港になられ 港内が大変穏やかで「あたかも家の中にいるようで静かだ」として 家島と名付けられた 又 神功皇后 三韓御門出の時 天神を祀り給ふに山中ゆりければ ゆるの山と古歌にもよまれと伝わります

安志姫神社(姫路市)伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を拒んだ姫神を祀ります

安志姫神社は 『播磨国風土記』に「安師里」の里名の起源と記される 安師比売神(アナシヒメノカミ)を祭る神社です 神話の内容は 伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を 安師姫神(アナシヒメノカミ)が 断ったので 大神が大変怒り 川の上流に石を置いて 3方向の里へと水を分配したので この川〈安志川(林田川)〉は 水量が少なくなってしまいましたと記されています

〈播磨國一之宮〉伊和神社(宍粟市一宮町須行名)

伊和神社(いわじんじゃ)は《社伝によれば》伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり 一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っていた そこに社殿を造営したのが 成務天皇 甲申歳2月11日丁卯(144年) 或いは 欽明天皇25年甲申歳(564年)と伝えており『延喜式』名神祭の大社で 播磨国一之宮でもあり 由緒ある古社です

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