延喜式神名帳

神大穴持御子神社(出雲市)

大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)は 通称名「三歳社(mitose no yashiro)」と呼ばれます 正月3日には「福迎神事」があり 1年の厄を祓い除き招福を願う「福柴(fuku shiba)」を授かれます

神魂伊能知奴志神社(出雲市)【後編】

神魂伊能知奴志神社かみむすび いのちぬし の かみのやしろ)は 『記紀神話』の「天地開闢(tenchi kaibyaku)」の時 もともとは混沌として一つであった天と地が 初めて分かれました その時 高天原(takamagahara)に 生まれた神「神皇産霊神(kami musubi no kami)」を祀る古社です

素鵞社(出雲大社 境内)【後編】

素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです  御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています

素鵞社(出雲市)【前編】

素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです  御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています

神魂伊能知比売神社(出雲大社 境内)【後編】

神魂伊能知比売神社(かみむすび いのちひめの かみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(天前社 amasaki no yashiro)と呼ばれます 大國主大神が お若い頃に多くの試練をお受けになられた時 大火傷を負われました この時 祖神の御令により 大神の治療看護に当たられた貝の女神を祀ります

神魂伊能知比売神社(出雲大社 境内 天前社)【前編】

神魂伊能知比売神社(かみむすび いのちひめの かみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(天前社 amasaki no yashiro)と呼ばれます 大國主大神が お若い頃に多くの試練をお受けになられた時 大火傷を負われました この時 祖神の御令により 大神の治療看護に当たられた貝の女神を祀ります

神魂御子神社(出雲市)【後編】

神魂御子神社(かみむすびみこ の かみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(筑紫社 tsukushi no yashiro)と呼ばれます 御祭神は 宗像大社の御祭神でもあります「多紀理毘売命(takirihime no mikoto)」を祀ります 大国主神の后様です

神魂御子神社(出雲大社 境内)【前編】

神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 通称名(筑紫社 tsukushi no yashiro)と呼ばれます 御祭神は 宗像大社の御祭神でもあります「多紀理毘売命(takirihime no mikoto)」を祀ります 大国主神の后様です

大神大后神社(出雲大社 境内 御向社)

大神大后神社(おおかみ おおきさきの かみのやしろ)は その名の通り 御祭神は「大国主神(おほくにぬしのかみ)」の正后様として「須勢理毘売命(すせりびひめのみこと)」を祀ります 素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御娘神で 素戔嗚尊が大国主大神に与えられた数々の試練をお助けになられました

出雲大社(出雲市)【後編】

出雲大社(いずものおおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(okuninushi no okami)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(amatsu kami)」が 天日隅宮(amenohisumi no miya)を献上されたことに始まるとされています

出雲大社(出雲市)【前編】

出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています

神蹟 隠岳神社(出雲日御碕)

隠岳神社(かくれだけじんじゃ)は 神蹟 隠ヶ丘に鎮座しています 「日御碕神社(hinomisaki shrine)」上の本社 = 神の宮(kamu no miya)の元宮とされています 素盞嗚尊(susanowo no mikoto)の神魂か鎮ります処です

日御碕神社(出雲市大社町)

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は ゛日の本の夜を司る神゛「素盞嗚尊(すさのをのみこと)」を祀る「神の宮」 ゛沈みゆく夕日の神゛「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」を祀る「日沈宮」というように 「神の宮」「日沈宮」と いづれも神代から鎮座する由緒がある 一つの神社に2つの本宮を持ちます

須佐神社(佐田町須佐)

須佐神社(すさじんじや)は はじまりは神代と伝わり 須佐之男命(susanoo no mikoto)の「御終焉の地」「御魂鎮めの霊地」と云われ『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)須佐郷の条』にも「この国は 小さいけれども 良い国どころだ だから私の名前は 木や石にはつけず 土地に付ける」と仰せになり命の御魂(mi tama)を ここに鎮め置かれ 給われた と記されています 間違いなく 日本でも由緒ある神社です

立虫神社(出雲市)

立虫神社(たちむしじんじゃ)は 木材・植林・建築などを司り 耕地の開発に霊験あらたかな神「五十猛命(itakeru no mikoto)」を祀ります 同じ境内には「万九千神社」があります

万九千神社(出雲市)

万九千神社(まんくせのやしろ)は 出雲には神在月・旧暦10月に全国から「八百萬神(yaoyorozu no kami)」が集われます この社はそれぞれが帰路につかれる宮処(miyadokoro)と呼ばれます

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』について

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

中山神社(津山市一宮)〈延喜式内社 名神大社・美作國一之宮〉

中山神社(なかやまじんじゃ)は 古代の大和朝廷が「吉備国」を分割して 新たに「美作国(mimasaka no kuni)」を創設した際に「美作國 一之宮(ichi no miya)」となった格式と由緒を持ちます 多くの謎を残した太古の社でもあり 境内の奥には 今でも静かに「猿神(saru gami)」が坐ます

大瀧神社・岡太神社(越前市)

大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ)は “紙漉きの御魂”と呼ぶに相応しき「川上御前(kawakami gozen)」を祀ります 里人は いくつ時代を超えても 感謝を忘れることなく 今も“越前和紙”の「紙漉きの紙祖神(かみのおやがみ)」を語り継ぎ仰ぎます

伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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