延喜式神名帳
-

何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〈『延喜式』出石鹿いそ部神社〉
何鹿神社(いつしかじんじゃ)は 創祀は白鳳十二年(672)と伝えられ 大寶二年(702)から出石鹿部神社と號して 延喜式内社 丹波國 舩井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかの いそへの かみのやしろ)とされます 正和四年(1315)から何鹿神社と称したと云うことです
-

荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〈『三代實録』荒井神『延喜式』嶋物部神社〉
荒井神社(あらいじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが『三代實録』元慶6年(882)丹波國 荒井神に従五位を授けると記され 又 この付近には延喜式内社 丹波國 船井郡 嶋物部神社(しまもののへの かみのやしろ)があったとされるが その所在は不明となっていて 荒井神社は嶋物部神社の有力候補と云われます
-

石部神社(四日市市朝明町)〈『延喜式』石部神社二座・(合祀)太神社〉
石部神社(いそべじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)の論社です 明治末期の神社合祀令により 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)を大正5年(1916)合祀しています 太神社は昭和22年(1947)石部神社から(北野山の現在地)に分祀されています
-

大神社(いなべ市大安町片樋)〈『延喜式』太神社(おほみわのやしろ)〉
大神社(おおみわのやしろ)は 祭神 大物主命を祀る 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)です 永禄年間(1558~70)織田信長が北勢乱入の時 当社並に神宮寺を焼討し 元亀 2年(1571)社領・寺領も没収され廃したと云う 文禄3年(1594)藩主御検地のとき神田 1反6畝11歩を賜った記録があります
-

太神社(四日市市大鐘町)〈『延喜式』太神社〉
太神社(おおのじんじゃ)は 東西大鐘2村の産土神として字大坪に鎮座した「諏訪大明神」で 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)と伝わります 東大鐘の山神社・西大鐘の天一目連神社・山神社を大正2年に合祀の上 大正5年(1916)石部神社に合祀をされた後 昭和22年(1947)現在地に分祀されたものです





