延喜式神名帳

櫛田神社(桑名市島田)〈『延喜式』櫛田神社〉

櫛田神社(くしだじんじゃ)は 『勢陽雑記拾遺(1656)』等の記録に「現在地の南方の丘の下に鎮座していた蔵王権現・天白天明神」とあり 後に現在地に遷座 明治42年(1909)平群神社(志知)に合祀の後 昭和27年(1952)分祀され現在に至ります 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 櫛田神社(くしたの かみのやしろ)の論社です

古代豪族「平群氏」の興亡と信仰 ― 古代大和王権における平群氏の歴史と式内社

平群氏(へぐりうじ)は 「大和王朝を牽引した葛城氏の没落後を継ぎ 大伴・物部氏に先立って朝廷の実権を握った中央実務豪族」 その栄枯盛衰〔平群眞鳥の専横とその滅亡〕は「古代豪族と王権の力関係」を示す典型例「王権を凌駕する豪族は必ず排除される」という歴史的教訓を残し 古代大和王権の権力交代史を理解する上で欠かせない氏族です

平群神社(桑名市志知)〈『延喜式』平群神社〉

平群神社(へぐりじんじゃ)は 平群氏族の祖神 平群木兎宿禰(へぐりつくのすくね)を祭神とする 延喜式内社 伊勢國 員辨郡 平群神社(へくりの かみのやしろ)です 背後の平群山は古代神奈備の遺跡で 境内奥には日本武尊の足洗池の跡と伝えられる平群池があり 古代からの息吹を感ずる場所に鎮座します

平群神社(生駒郡平群町西宮)〈『延喜式』平群神社五座〔並大月次新嘗〕〉

平群神社(へぐりじんじゃ)は 『興福寺官務牒疏(1441年)』に「平群大明神」と記載以来 延喜式内社 大和國 平群郡 平群神社 五座〔並大月次新嘗〕(へくりの かみのやしろ いつくら)の論社とされ 五座については 平群木菟宿禰の裔に平群臣・佐和良臣・馬御樴連・韓海部首・味酒首等があり この祖神を祀ったとする説があります

長柄神社(御所市名柄)〈『日本書紀』長柄杜『延喜式』長柄神社(鍬靫)〉

長柄神社(ながらじんじゃ)は 御祭神の下照姫命を葛木一言主神社や高鴨神社の姫宮と考え 別名「姫の宮」と云う 又 鎮座地は『日本書紀』天武天皇 即位九年の条に「長柄杜(ながらのもり)で゛馬的を射させ゛」と流鏑馬をご覧になった記述があり 延喜式内社 大和國 葛上郡 長柄神社(鍬靫)(なからの かみのやしろ)の由緒を持ちます

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