延喜式神名帳

気多神社(沼津市内浦三津)〈『延喜式』阿米都瀬氣多知命神社・井田神社の論社〉

気多神社(きたじんじゃ)は 社記によれば 貞観元年(859)に当地に鎮座したと云い 祭神は意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)〈神功皇后〉とされます 二つの式内社〈阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)・井田神社(ゐたの かみのやしろ)〉の論社となっています

井田神社(沼津市井田)〈『延喜式』井田神社・『伊豆國神階帳』ゐたの明神〉

井田神社(いだじんじゃ)は その歴史は古く 慶長12年(1607)の上梁文には゛井田荘七箇村鎮守 井田明神゛とあり 『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』には゛従四位上 ゐたの明神゛ さらに『延喜式927 AD.』には 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)と所載される由緒を持ちます

井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〈延喜式内社〉

井田神社(いだじんじゃ)は 創建は不祥ですが 元々は倉稲魂命を祀っており 嘉祥元年(848)悪疫流行の際 山城国 石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)です 中世には下津谷伯耆守の居城〔伊福城〕があり 伊福部氏と関係があるのでしょうか

楯縫神社(豊岡市日高町鶴岡字保木)〈延喜式内社〉

楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 白鳳時代(645~710年)の往昔 出雲国から丹波国を経て当国〈但馬國〉で栄えた楯縫連(たてぬいのむらじ)が 遠祖 彦狭知命を楯屋丘 多田谷に祀ったのが始りと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)です 昭和22年(1947)現在地に遷座奉祀されました

齋神社 & 境内摂社 楯縫神社(養父市長野字東山)

齋神社(いつきじんじゃ)は 聖武天皇 天平二年(730)創立 境内摂社 楯縫神社と共に 延喜式内社 但馬國 養父郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)の論社です 伝説には 神代の昔 但馬は泥海だった 但馬五社の神様が養父明神を遣わし 斎神社に坐す彦狭知命に泥海を切り開くことを願い 豊かな大地が生まれたと伝わります

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