修理若御子社(すりわかみこしゃ)は 御祭神の修理若御子命(Suriwakamiko no mikoto)について 尾張大国霊神(国府宮の御祭神)の国内修理をお助けになった神で 天香山命の御子「天村雲命(あめのむらくものみこと)」だと伝えます 『尾張国地名考』著者の津田正生は『延喜式神名帳』の大御霊神社(おほみたまの かみのやしろ)であるとしています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
修理若御子社(Suriwakamiko Shrine)
(すりわかみこしゃ)
[通称名(Common name)]
天神さま(Tenjinsama)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県稲沢市松下2-22-3
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》修理若御子命(Suriwakamiko no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社〈論社〉
【創 建 (Beginning of history)】
【由 緒 (history)】
修理若御子(すりわかみこ)神社 由来
御祭神 修理若御子命(墨染天神)
御祭神の修理若御子命は、尾張大国霊神(国府宮の御祭神)の国内修理をお助けになった神で、天香山命の御子、天村雲命であると伝えられる。ここ松下は、大江匡衛の妻、赤染衛門ゆかりの「衣掛けの松」に由来する国衛の地であり、この地に鎮座するこの神社も「本国神名帳」(江戸時代前期)ほか地誌類などにその名が見える古社である。
合 祀 境内末社
神 明 社 天照大御神 東
津 島 社 須佐男命富士浅間社 木花佐久夜姫命 西
境内 由来石碑より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
本殿の東
・神 明 社(shimmei sha)
《主》天照大御神(amaterasu omikami)
・津 島 社(tsushima sha)
《主》須佐男命(susanowo no mikoto)
本殿の西
・富士浅間社(fujisengen sha)
《主》木花佐久夜姫命(konohanasakuyahime no mikoto)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張国 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)中島郡 30座(大3座・小27座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 大御霊神社(貞)
[ふ り が な ](おほみたまの かみのやしろ)
[How to read ](Ohomitama no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・国府宮(Ko no miya)には【別宮】として 2つの神社があります
どちらも 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』の所載論社です
尾張大國霊神社(Owari okunitama Shrine)と合わせて「国府宮三社」と呼ばれます
尾張大國霊神社(Owari okunitama Shrine)の記事をご覧ください
(尾張國中嶋郡 大御靈神社)の論社
【別宮】
・大御霊神社(Omitama Shrine)境内南西に鎮座
《主》大歳神之御子(otoshigami no miko)
大御霊神社の記事をご覧ください
もうひとつの大御靈神社の論社
修理若御子社の記事もご覧ください〈当社〉
(尾張國中嶋郡 宗形神社)の論社
【別宮】
・宗形神社(Munakata Shrine)境内北東に鎮座
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)
宗形神社の記事をご覧ください
もうひとつの宗形神社の論社
天神社 (治郎丸天神)の記事もご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
名鉄名古屋本線 国府宮駅から 西に約800m 徒歩11分程度
修理若御子社(Suriwakamiko Shrine)に参着
社号標には「村社 修理若御子社」と刻まれています
一礼して 鳥居をくぐり 両脇に石灯篭が立つ石畳の参道を進みます
参道の左手に手水舎に続く石畳みがあります
愛知の神社では かがり火を焚くようです(参道の右手)必ずと言っていいほど見かけます
拝殿にすすみます 天神と呼ばれた関係か 天満宮の牛像が参道に構えます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内社にお詣りをします
境内の南西には 塚のような小山があり その上に祠が立ち いくつもの「〇〇行者」と刻まれた石碑が建てられています
お詣りをします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『尾張国地名考(owarinokuni chimeiko)』に記される伝承
著者の津田正生(つだ まさなり)は
安永5年(1776年)4月 - 嘉永5年10月21日(1852年12月2日)
本書の中で 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の尾張国 中島郡「大御霊神社(Ohomitama no kamino yashiro)」は 松下村の「墨染天神(現 修理若御子社(Suriwakamiko Shrine))」としています
国立国会図書館デジタルコレクション『尾張国地名考』著者 津田正生 著 出版者 愛知県海部郡教育会 出版年月日 大正5
『尾張名所図会(Owari meisho zue)』に記される伝承
意訳
修理若御子社(すりわかみこのやしろ)
田村にありて 今 墨染(すみそめ)天神とあり
本国帳に 従三位 修理若御子天神とある古社なり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『尾張名所図会』選者:岡田啓/選者:野口道直/画家:小田切春江 [書誌事項]刊本 ,明治13年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
修理若御子社(Suriwakamiko Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)