杉山神社(横浜市緑区西八朔町)

杉山神社すぎやまじんじゃは 武蔵国の総社 大国魂神社の六とされ 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)有力な論社とされます 但し 都筑郡(横浜市北部)と周辺には70社程の゛杉山神社(杉山社 椙山神社)゛があり その数多い式内社 論社所在についても 諸説があり  しかも いずれも證(あかし)はなく 未だに比定がなされていません

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

目次

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

 【神社名(Shrine name

杉山神社Sugiyama shrine

 通称名(Common name)

 【鎮座地 (Location) 

神奈川県横浜市緑区西八朔町208

  (Google Map)

 【御祭神 (God's name to pray)】

 《主》五十猛命(いたけるのみこと)

《配》素盞嗚命(すさののみこと)
   大日孁命(おひるめむちのみこと)
   大田命(おおたのみこと)

Please do not reproduce without prior permission.

 【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

     
武蔵総社六之宮 杉山神社

 大國魂神社宮司 猿渡盛文 拝書

 一、祭神 五十猛命配祀 大日霊 素盞嗚命 太田命

 一、由緒
 当神社は武蔵国の総社、大国魂神社の六宮である。続日本後紀 承和年(八三八月庚戌のに武蔵国都筑郡 杉山神社 預之官幣 以霊験也。とあるさらに同書承和十五年(八四八月庚辰のにも 奉授武蔵国无位 杉山名神 従五位下とある

 六所宮武蔵国の総社、大国魂神社の成立は人皇十二代景行天皇四十一年、都筑郡杉山神社は六の宮として西殿に祭られた。

「武蔵総社誌」上巻に六所宮東西の御殿に鎮座す六所大神等は東御殿に一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川大神、以上三所鎮座す。西御殿に四の宮秩父大神、五の宮金佐奈ノ大神、六の宮杉山ノ大神以上三所鎮座す。件の六所を総称して六所宮と称す。
この六ノ宮に該当する神社が西八朔鎮座の杉山神社である。「風土記稿」に「慶安年中社領の御朱印を賜う。其の文左にのす」
武蔵国都筑郡西八朔村、極楽寺杉山明神社領、同村之内、五石六斗事、任先規寄附之訖全可収納、並境内山林竹木諸役等、免除如有来永不可有相違者也
 慶安年(一六四九二十四 御朱印。以上の事実によって当神社こそ式内社の由緒深きものである。

 一、社格
明治十二月 被列郷社との辞令 神奈川県庁より御下附あり。
大正十日 神奈川県告示第三六二号を以て 神饌幣帛料供進すべき旨 同県知事より指定あり。
昭和二十八年八 神奈川県指令第三九九〇号を以って 宗教法人 杉山神社として同県知事より認証された。

 一、社殿・境内地
昭和五十七十一日改築 遷宮祭執行。境内地千四百六十三坪
昭和五拾七年拾壱月吉日 杉山神社宮司 志村文雄 撰文謹書

現地石碑文より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

 由緒

 杉山神社の史籍に於ける初見は、延喜式巻九神祇九に、「都筑郡一座杉山名神」と見えているのであって、之に依って都筑郡唯一の式内社であること明である。
而てこの神社は地方民のみならず一般の人々の信仰の対象となったものの如くで、続日本後記巻七承和五年二月庚戌ノ条に、「武蔵国都筑郡杉山名神預之官幣以霊験也」と見えている。このように霊験あらたかなことによってか、同書巻十八喜祥元年5月庚辰の条に、「奉授武蔵国無位杉山名神従五位下」と記され、時の朝廷より贈位の恩命にさえ接している。
 然しこの記事を最後として史籍には何等見えていないのであるが、杉山神社に残る古き棟札及び別当極楽寺の墓碑の年号により推して、延宝年間に現在の場所に移され武蔵風土記に記された如く、慶安2年8月には徳川幕府より朱印状を下賜されている。
 以上の事実によって杉山神社こそ式内社の由緒深きもので、後世、明治43年、無格社神明社外四社合併。大正9年9月、神奈川県告示第362号を以て供進神社に指定せられたり。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照項目あり

スポンサーリンク

 神社の境内 (Precincts of the shrine)】

寶生権現社〈社殿の向かって右〉

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・八幡社〈社殿の向かって左〉

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・力石

 延喜式内社
西八朔杉山神社
(武蔵之国總社 大國魂神社六之宮)

 力石の由来

此の力石は江戸時代中頃より明治にかけて当神社氏子の若者が境内で担ぎ力を競い合ったと伝えられている

その風習は関東のみならず西国にもあり石を担ぐことにより力を競うのみならず神の霊験をも占った

当神社に伝わる此の石は明記されていないが相模の国大山阿夫利神社へ五穀豊穣の祈願に詣でた折に相模川の河原より担いで奉納されたものと伝えられている

此の石に滲み込んだ往時の若者の心意気を茲に碑を建て顕彰する

重量二十五貫目(九三・七五キログラム)

平成十九年一月吉日 奉納者 小島幸康

現地石碑文より

Please do not reproduce without prior permission.

・地神塔〈社頭〉

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

 この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

 『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

 枌山(スキヤマノ)神社or゛杦(スキヤマノ)名神゛として
承和五年(八三八)官社に預かった事 承和十五年(八四八)神階の奉授 が記されています

 【抜粋意訳】

第七 承和五年(八三八)二月庚戌廿二〉の条

 ○庚戌
武藏國 都筑(ツツキノ) 枌山(スキヤマノ)神社 らむ官幣てなり靈驗あるを

 十八 承和十五年(八四八・嘉祥元年)五月庚辰廿二〉の条

 庚辰
上幸冷泉院を  地震せり 奉授 武藏國 无位 杦山名神從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

 延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

 [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)都筑郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 杉山神社
[ふ り が な ](すきやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Sukiyama no kamino yashiro)

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

 延喜式内社 武蔵国 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社について

 式内社 杉山神社〈武蔵国 都筑郡 唯一の式内社〉の所在については 諸説がありますが いずれも確証はなく 未だに比定はされていません
しかも その論社の数は非常に多く〈杉山神社(杉山社 椙山神社)と号する神社は 都筑郡(横浜市北部)と周辺に70社程〉存在しました

 現在でも旧跡も含めて40社以上あり この中から 式内社 杉山神社の有力な論社を挙げます

式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)

杉山神社横浜市緑区西八朔町

大棚・中川 杉山神社横浜市都筑区中川

・杉山神社(横浜市港北区新吉田町

・杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央

戸部杉山神社横浜市西区中央

星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川

・杉山神社(横浜市港北区新羽町

勝田杉山神社横浜市都筑区勝田町

・鶴見神社杉山大明神横浜市鶴見区鶴見中央

川島 杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)

その他の主な〈杉山神社(杉山社・椙山神社)について

都筑郡(横浜市北部)と周辺
杉山神社 (鶴見区岸谷)《主》日本武尊
杉山神社 (神奈川区片倉)《主》大物主命
杉山大神 (神奈川区六角橋)
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山神社 (南区南太田) - 横濱水天宮《主》日本武尊,《配》天照皇大神,大物主神,崇徳天皇,豊受比売神,菅原道真《合》大山咋神,木花咲耶姫命,天照皇大神,稲倉魂命,宇気母智命
杉山神社 (南区宮元町)《主》市杵島姫命,《配》木花開耶姫命《合》天照皇大神,宇賀御魂命
杉山神社 (保土ケ谷区和田)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区仏向町)《主》五十猛命
杉山社 (保土ケ谷区上星川)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区西久保町)《主》五十猛命
杉山神社 (保土ケ谷区坂本町)
杉山神社 (港北区岸根町)《主》五十猛命,大山祇命
杉山神社 (港北区新羽町)《主》大己貴命
杉山神社 (港北区樽町四丁目)《主》日本武尊《合》素盞嗚命
杉山神社 (緑区中山町)《主》五十猛命
杉山神社 (緑区青砥町)《主》五十猛命,《配》日本武尊,応神天皇,大日霊貴命,面足尊
杉山神社 (緑区鴨居)《主》日本武尊《合》天照大神
杉山神社 (緑区三保町)《主》日本武尊
杉山神社 (緑区寺山町)《主》五十猛命
千草台杉山神社 (青葉区千草台)《主》五十猛命《合》素盞嗚命,大日霊命,豊受姫命,大己貴命,保食神
市ヶ尾杉山神社 (青葉区市ケ尾町)《主》五十猛命
みたけ台杉山神社 (青葉区みたけ台)《主》五十猛命,《配》誉田別命
上恩田杉山神社 (青葉区あかね台)《主》日本武尊
鐵神社 (青葉区鉄町) - 旧社名:青木明神・杉山明神合社
杉山神社 (都筑区大熊町)《主》日本武尊《合》天御中主命,伊弉諾命,伊弉冉命,面足命,稲田姫命,天照皇大神
杉山神社 (都筑区佐江戸町)《主》五十猛命
杉山神社 (都筑区池辺町)《主》五十猛命

神奈川県(横浜市以外)
杉山大神 (川崎市幸区小倉)
杉山神社 (川崎市高津区末長) 《主》五十猛命
杉山社 (川崎市多摩区西生田)《主》日本武尊
杉山神社(三浦郡葉山町上山口)《主》大物主命,豊佐賀男命,伊邪冉命,早玉命,向津日売命

 東京都
江島杉山神社 (墨田区千歳) - 江戸時代の杉山検校(杉山和一)を祀る
杉山神社 (稲城市平尾)《主》日本武尊,《配》弟橘姫命《合》須佐之男命,猿田彦命
椙山神社 (町田市三輪町)
杉山神社 (町田市成瀬)《主》日本武尊,《配》天照大神,熊野大神
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市つくし野)
杉山神社 (町田市能ヶ谷) - つくし野出張社務所《主》日本武尊,事代主命,大山咋命

スポンサーリンク

 【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

 JR横浜線 十日市場駅から北東方向へ約1.1km 徒歩17分程度

 県道140号沿いに社号標が建ち 参道の先 岡の麓に鳥居が建っています

Please do not reproduce without prior permission.

社頭の参道石段の下に手水舎 木製の両部鳥居が建ちます

杉山神社横浜市緑区西八朔町に参着

Please do not reproduce without prior permission.

 一礼をして 鳥居をくぐります

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がり
拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の扁額には゛延喜式内社 武蔵總社六之宮 杉山神社 大國魂神社宮司 猿渡盛文拝書゛と刻まれています

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

 神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

 『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

 式内社 杉山神社について 小六天神(古呂玖宮 ころくみや)〈現 港区赤坂の氷川神社の旧鎮座地(古呂故が岡 ころこがおか)or氷川神社の境内社 四合稲荷に合祀された古呂故天神社境内に鎮座していた呂故稲荷(ころこいなり)〉ではないかと記しています
その他に゛小机庄の内 小机村にあり杉山明神゛゛吉田村゛とも記しています

 【抜粋意訳】

都築郡一座 杉山(スギヤマ)神社

 續日本後記
承和月庚戌、武蔵國 都筑郡 杉山神 之官幣以霊験也、同十五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下

 ゛春村云 古呂玖天神をここに つけたるは 小六と称ちかき故るいみなり 強ことなり 杦山とす橘樹郡宿見村にあり 往古は此地 都築郡ならん為へしこの神社の参あらひに杦の字の事なり附考巻一にたはしく出つしみるべし

 惣風
荏原郡赤坂庄 小六天神 或 古呂故 圭田三十五束三毛田 天武天皇三年甲戌十一月始行神札有神戸巫戸所祭 大己貴命 少彦名韓神也 号小六者以古呂故 岡名之故也

 地考
古呂玖宮 江府赤坂にあり氷川明神と称す
〇或いは曰 都築郡の内 小机庄の内 小机村にあり杉山明神と称す
〇或いは曰 吉田村にあり
〇信友云  對馬嶋上縣郡 胡禄神社 又 胡禄御子神社あり 古呂玖宮と同神也
又云 (スギ)は杉の古書の例之 能登國鳳至郡 神神社あり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承

 杉山神社横浜市緑区西八朔町ついて 元々は西八朔村北八朔村の両村の鎮守であった 例祭日が゛八月朔日゛なのは 村の名前から来ている
御神体は゛不動の立像にて長一尺許゛と記しています

 【抜粋意訳】

 新編武蔵風土記稿 巻之八十三  都築郡之三 神奈川領 西八朔村

 杉山社

  村の東方にあり 上屋三間四方 内に小祠を置南向なり 社前に鳥居を立 昔は西北兩村の鎮守なりしが 今は當村のみなりと云 北八朔村の小名に鳥居など云所あり 元此社の一の鳥居 其所にありしといへば 西北一村なることは自ら知べし 村内にて五石六斗の社領を附せらる
例祭 年々八月朔日 此日を用るは 村名によれりなど云 さもあるべし
神體は 不動の立像にて長一尺許

 別當極楽寺
 新義真言宗 王禅寺村王禅寺末 顯弘山蓮花院と號す 中興開山元海天文二年に寂す 客殿九間に七間南向なり 本尊大日は坐像にて 長一尺許 慶安年中社領の御朱印を賜ふ 其文左にのす

武蔵國都筑郡西八朔村 極楽寺杉山明神社領同村之内五石六斗事 任先規寄附之訖 全可収納 幵境内山林竹木諸役等 免除如有相違者也
慶安二年八月廿四日御朱印あり

末社 八幡社 本社に向て左の方に祠を立

寶生権現社 本社に向て右の方にあり  神體いかなるものを祭りしや詳なることをしらず

観音堂 向て左にあり 三間四方 十一面観音 木像にして長二尺ばかり
鐘樓 門を入て左の方にあり 明和五年の銘あり 後證に益なければ略す
神明社 除地 林四畝 村の南にあり 僅なる祠を立南向なり 西光寺持 以下三祠も同寺の持なり

熊野社 除地 四畝 村之東の方北八朔村さかひにあり 社は南向に立り
社宮神社 除地 七畝二十四歩 村の西の方にあり 巽向なり 石神の社にや
稲荷社 除地 一畝七歩 小名いなこ原にあり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

 式内社 杉山神社の所在について「分明ならず」として いくつかの説を挙げています
吉田村字杉山〈現 杉山神社(新吉田町)
小机郷小机村〈現 ?
茅ケ崎村〈現 茅ケ崎杉山神社(都筑区茅ケ崎中央)

 【抜粋意訳】

杉山神社

 杉山は須岐夜萬と訓べし

〇祭神 五十猛命、地名記
○在所分明ならず、
地名記云、吉田村字杉山、
式社考云、小机郷小机村、
参考云、茅ケ崎村、孰れかしらず、

 神位 官社
日本後紀、承和月庚戌、武蔵國 都筑郡 山神 之官幣以霊験也、同十五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

 『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

 式内社 杉山神社の所在について 朔村 六宮椙山大明神〈現 杉山神社横浜市緑区西八朔町〉sと記しています

 【抜粋意訳】

都築(ツヅキノ)郡一座 杉山(スギヤマノ)神社

 〇按 本書一本、及 續日本後紀、杉をに作る、蓋二字互いに通用ふ、

今 八朔村にあり、六宮椙山大明神と云ふ、神道集、松屋外集、

仁明天皇 承和月庚戌、此の神 霊験あるを以て、官幣に預らしめ、十五年五月庚辰、無位より從五位下く、續日本後紀

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

 式内社 杉山神社の所在について 論社が多く いずれも明証がなく選ぶことができない と記し 様々な諸説を挙げています

・橘樹郡下星川村字大明神前
・橘樹郡鶴見郡
・都築郡茅ケ崎村字宮谷山
・吉田村字杉山
・大棚村字宮脇山
・西八朔村字宮山
谷本
・佐江戸
小机庄

 【抜粋意訳】

都築郡一座 杉山神社

祭神

神位
仁明天皇 承和月庚戌 武蔵國 都筑郡 山神 之官幣以霊験也、同十五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下

社格 

所在
今按 杉山神社と称ふる社 所々にありて何れか實跡ならん詳かならす
橘樹郡下星川村字大明神前と云に社ありて祭神 日木武尊なりと云ひ
又 同郡鶴見郡にも同名同神の社あり
都築郡茅ケ崎村字宮谷山に 高皇産霊神と天日和志命由布津主命を祭れる神社是なりと云ひ
吉田村字杉山には 祭神 五十猛命と云もを實跡とし
大棚村字宮脇山に 日本武尊を祭る社なりとも
西八朔村字宮山に鎮座の神なりとも云り
然るに 猿渡容盛云 父盛章の考に西八朔村に極樂寺と云る真言佛寺の境内にいと幽(カスカ)にて坐す社 かの茅ケ崎吉田などの社よりも中々に故あるべく覚ゆ
其は都筑郡村々には 大かた杉山大神を崇め祭られぬ里なく
市が尾 谷本(タニモト)西八朔(ハツサク)青砥 佐江戸 池邊 吉田 勝田 大棚 茅が崎 上星川 川島 恩田 久保 中山など云村々何れも此社あり なほ此外 橘樹郡久良郡のうちにもあまた所ありて すべて二十五六ヶ所に及ぶと云り

 容盛郡都筑郡中をあまねく尋ね索めつれど此を實跡と定むべき證もなし 茅ケ崎と吉田とは外より聊故づきて覚ゆれど證とすべき事なし 此二つにつぎては 谷本 佐江戸にます社も同じ程にて故ありけなれどすべて無微にして決しがだし西八朔村なるは未だ誰一人實跡と云る人もなけれど 余が考には中々に茅ケ崎 吉田などの社には勝りて故あるべく覚ゆと云れど 是亦明証あらねば如何に共しがたし
姑く附て後考を俟つ 武蔵演路には杉山神社 小机庄にあり 土俗杉山明神と云 茅ケ崎村とあり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

 杉山神社横浜市緑区西八朔町について 式内社 杉山神社の数多くある論社の中でも 有力候補であるが 確証はないと記しています

 【抜粋意訳】

神奈川縣 相模國都筑郡中里村大字西八朔

 郷社 杉山(スギヤマノ)神社

 祭神 五十猛(イソタケルノ)

 創立年月及由緒詳ならす、神祇志料、神道集。松屋外集に依れば、古来六宮椙山大明神と称すと、蓋し 武蔵國 総社六所の一なり、朱印状あり、其文に
 「武蔵國都筑郡西八朔村、極樂寺杉山明神社領同村之内五石六斗事、任先規寄附之詮全可収納并境内山林竹木諸役等免除如有来、永不可有相連者也、
慶安二十四日」

 明治年郷社に列す、社殿は一宇にして、境内地は四百六十八坪(官有地第一種)あり、

武蔵国郁筑郡杉山神社に關して一二の考説を附記すべし、続日本後紀 巻七に、
「承和五年〇仁明天皇 二月庚戎、武蔵國都筑郡 扮〇杉之古字一本作杉 山神社、預之官社、以霊験也、」

と見え、次いで「同十五月庚辰奉授武蔵國 無位 杉山名神 從五位下」とあり、延喜の制式内小社に列せらる、
然るに筑郡中数社あり、今現に郷社たるもの三、其何れなるかを知らず、或は茅が崎と称し、或は吉田 或は大棚と称す、黒川春村氏の如きは、杉山いま橘樹郡鶴見村にあり、往古は此地都筑郡なりしなるべしといへり、然れども何れも微薄弱にして決せず、文政年間、猿渡盛章、郡内を沿ねく経歴して調査する所あり、遂に西八朔なる当社を以て之に擬す、然れども盛章氏なほよく考ふべしといひ、容盛氏又後の考を待になむといふ、更に又 特選神名牒、猿渡氏の説を評して、是亦明証あらねば、如何にともしがだし、姑く附て後考を侯つと云ひしにも係はらず、小山田氏、注進三箇條には之を實跡と断定し、新編武藏風土紀稿  神祇志料 亦当社と断定せしかば、今は恰んど当社に確定せるものゝ如し、

武蔵総社諸上巻に、
「此御社の實跡詳ならざるにて、いにし文政年の夏、先人みから都筑郡中を経歴して、探ね索められたる事ありて、其説に、此郡中の村々には、大かた杉山大神を崇め祭らぬ里なく、市が尾、谷本、西八朔、青砥、佐江戸、池邊、吉田、勝田、大棚、茅が崎、上星川、川島、恩田、久保、中山などいふ村々、何れも此社あり、なほ此外、橘樹郡、久良岐郡のうちにも、あまた所ありて。都ては二十五六箇所に及ぷと云、余都筑郡中は、あまねく回りて尋ね索めつれど、こゝを實跡と定むべきもなし、其中にかの武蔵演路、式社記などに、實跡と定めたる茅が崎なると、吉田なるとは、外よりは聊ものものしく故づきて覚ゆ、〇中略 すべて無徴にして決しがたし、武蔵演路、式社記などには、何をとしてに定めたるにかおぱつかなし、〇中略 ただ西八朔村なる社は、未だ誰一人、實跡と云る人もなけれど、余が考には、なかなかに茅が崎 吉田などの社にはまさり、故あるべぐ思ゆ、此社今は極楽寺といへる真言密寺の境内にありて、官社の廃せるものとは云がたけれ、問ひ尋るに、もとは今の社地より凡三町ばかり西北の方に鎮座す、其跡を今に大明山といふ、又二十町ばかり東の方の小山村の内に、鳥居土といふ小地名ありて、昔此社の一ノ鳥居ありし所なりと、里人語り伝へたりと、さて社領などは、いかにと問へば幕府の印に、高五石六斗杉山明神領とありと云り、棟札などの古きはなしやと問ふに、出して見せつれど、さまで古き物にもあらず、杉山明神は、八幡宮相殿に座すよし見えて、例の本地はこゝも不勤なりき、かくてかの大明神山を尋ね行くに、此山、裾の引延たる所二町余、高さ二十間ばかり、山の形容とりよろひおだやかにして、南の方の麓に、七八尺ばかりの切崖ありて、七八間ばかも平らかなる芝生残れり、今は次第に田に黎れて、かく縁になれるものにて、もとは此水田のあたりまで、すべて小高き平地なりけむおもかげ見ゆ、さて漸々水田に攣取たれば、かの切崖の如き形の残れるなり、かくする時は、後の方に山を負ひて、前なる小高き平地に、南に向て社は立たりけんとおぼし、さてこゝより二十町ばかり隔て、往昔一ノ鳥居ありし所を、今も鳥居土と唱へ来れるなど、實に官社の廃せるさまと云ふべき、又幕府の印は、豫て社領のあるにまかせて寄せ進らるゝものなれば、当時已に自余の社と、同等にはあらざりけむ、彼是を考合せて、余はなほ此社に心ひかれ侍べる、されど此は己が考の一に備へたるのみにして、必しも此処を實跡と定むるにはあらす、なほよく考ふべしと説れき、小山田翁の注進三箇條に、かの西八朔なる社を、實跡と定めて注されたるは、上に挙たる先人の説に依られたるにて、外に徴ありてのことにはあらす、余は姑く疑しきを聞きて、後の考を待つになむ。」

 【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

 杉山神社横浜市緑区西八朔町は 大國魂神社(東京・府中)の六之宮 と伝わります

 武蔵国の総社゛大國魂神社゛の祭神は 武蔵国の一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っています

 ※ここに祀る一之宮から六之宮は 大國魂神社が武蔵国の総社として 祀るものです〈一之宮を氷川神社 二之宮を金鑚神社とする別説もあります〉

 〈中殿〉

大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ)
御霊大神 (ごりょうおおかみ)

国内諸神

大國魂神社(東京・府中)

・大国魂神社(東京・府中)

 〈東殿〉

一之宮:小野大神 - 小野神社(東京都多摩市)

・小野神社(多摩市)

 二之宮:小河大神 - 二宮神社(東京都あきる野市)

・二宮神社(あきる野市二宮)

 三之宮:氷川大神 - 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)

・大宮氷川神社(さいたま市)

 〈西殿〉

四之宮:秩父大神 - 秩父神社(埼玉県秩父市番場町)

・秩父神社(秩父市)

 五之宮:金佐奈大神 - 金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)

・金鑚神社(神川町)

 六之宮:杉山大神 - 杉山神社(神奈川県横浜市緑区)

杉山神社(横浜市緑区西八朔町)

 杉山神社横浜市緑区西八朔町 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る       

 

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.