倭文神社(しとりじんじゃ)は 倭文(しとり/しづり)」とも読み「しづ織り」という絹織物のことを指し 機織り(はたおり)を業(なりわい)とする倭文部の民がこの地に居住し 祖神「倭文神・建葉槌命(たけはづちのみこと)」を奉斎したと伝わる 延喜式内社 因幡國 高草郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
倭文神社(Shitori shrine)
【通称名(Common name)】
江戸時代には「七躰大明神(ななたいだいみょうじん)」と呼ばれていた
※御祭神の大己貴命〔大国主命の別名〕が七つの名を持っていた為
【鎮座地 (Location) 】
鳥取県鳥取市倭文字家ノ上548-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》経津主命(ふつぬしのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
《配》武葉槌命(たけはづちのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
倭文(しとり)神社
- 倭文(しとり)神社の縁起 -
【祭神】
大己貴命(おおなむちのみこと)、武葉槌命(たけはづちのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)、建御雷神(たけみかつちのかみ)
【由緒】
創建は不明。延喜式神名帳(えんぎしきしんみょうちょう:927年)記載の式内社。倭人村の氏神で因幡志や社伝によると江戸時代には「七躰大明神」と呼ばれた。(大己貴命に7つの名前があったため)明治元年に再び倭人神社となり、明治4年に村社となる。
神話「稲羽の素兎」の大国主命がこの地から八上姫に恋文(ラブレター)を書いたと伝えられる。(当時は歌を詠んだのだと思われる。)
倭文とは「しづり」とも読み、日本の絹織物のことをさします。3世紀後半から5世紀の新羅系渡来人で、機織物の最新の技術集団の倭文部と呼ばれた人達が住み着いた場所で、このような場所には倭文神社が祀られていました。
大国主命の恋文も「文」の文字や、絹織物の巻物から連想されたのかもしれません。
現地案内文より
【由 緒 (History)】
倭文神社の歴史
旧国郡名:因幡国高草郡
旧社格:郷社
社紋:五三の桐
倭文集落に西接の山の中腹に鎮座。勧請年月は不明だが、倭文部がその祖神を祀ったものと伝えられる。延喜式神名帳に載る高草郡七座の一つで、中世以降は御祭神の一柱・大己貴命(おおなむぢのみこと=大国主命)が七つの名を持つことから、七躰大明神と称して産土神とされた。
天正年間(1573年~1592年)に玉津城主・武田高信が三尺社を建立、慶長年間(1598年~1615年)に鹿野城主・亀井?矩(これのり)が宝刀を奉納(右写真)、さらに寛永9年(1632年)に藩主・池田光仲が社領一石三斗一升七合を寄進するなど、鳥取城南西(坤)の方位の守護神として崇敬された。
2016 倭文神社HPより
https://shitori-jinjya.main.jp/%E3%81%94%E7%94%B1%E7%B7%92/#%E5%80%AD%E6%96%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・倭文神社 社殿
・倭文神社 拝殿
・手水舎〈倭文ノ宿禰水(しとりのすくねみず)〉
神社が 鎮座する山の中腹に湧く「倭文ノ宿禰水(しとりのすくねみず)」
昔は 女性の血の道の霊薬と伝えられていたが 現在はその井泉は飲用には使用されず 手水舎の水として曳かれている
・狛犬
・倭文神社 社頭・倭文祖霊社《主》氏子の祖霊
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)因幡國 50座(大1座・小49座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高草郡 7座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ](しとりの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shitori no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の13社「倭文神社」と論社について
倭文氏の祖神「天羽雷命(アマハイカヅチノミコト)=建葉槌命」を祀る式内社とされ 各国に13社が記されています それぞれの現在の論社もご紹介します
1.畿内 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社 大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県葛城市)
・博西神社(奈良県葛城市)
2.東海道 伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉
3.駿河國 富士郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(静岡県富士宮市)
4.伊豆國 田方郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(伊豆市大野)
・鍬戸神社(三島市長伏)
・小坂神社(伊豆の国市小坂)に合祀
・聖神社(伊豆市月ヶ瀬)
5.甲斐國 巨麻郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社本宮(山梨県韮崎市)
・倭文神社降宮明神(山梨県韮崎市)
・諏訪大神社(山梨県甲斐市)
6.常陸國 久慈郡 靜神社 名神大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・靜神社(茨城県那珂市)
7.東山道 上野國 那波郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(群馬県伊勢崎市)
8.山陰道 丹後國 加佐郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(京都府舞鶴市)
9.丹後國 與謝郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(京都府与謝郡与謝野町)
10.但馬國 朝來郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社〈鮭の宮〉(兵庫県朝来市)
・妙見宮〈国常神社〉(兵庫県朝来市)
〈倭文神社〈鮭の宮〉の旧鎮座地 円山字鹽谷に鎮座〉
11.因幡國 高草郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県鳥取市)
12.伯耆國 川村郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県湯梨浜町) 伯耆 一之宮
13.伯耆國 久米郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県倉吉市) 伯耆 三之宮
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 鳥取駅から南へ約8.5km 車で17分程度
境内社 倭文祖霊社が右手 中央に車道 左手に参道の石段があります
倭文神社(鳥取市倭文)に参着
石段を上がると 注連柱があり 右手には手水舎があり清めます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして境内を戻ります
長い参道石段を下ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 倭文神社について 所在は゛倭文郷倭文村に在す、今七體大明神と稱す、゛〈現 倭文神社(鳥取市倭文)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文神社
倭文は 志圖利と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕倭文、〔之土利〕
〇祭神
〇倭文郷倭文村に在す、今七體大明神と稱す、〔因幡志〕
因幡志云、社傳曰、祭神 大己貴命、按 此神七名を稱す、〔大国主命云々〕 神號の七體は此故ならん、
類社 (缺く)
社領 高一石三斗一升七合
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 倭文神社について 所在は゛今 倭文郷倭文村の山上に在り、゛〈現 倭文神社(鳥取市倭文)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文(シトリ)神社
今 倭文郷倭文村の山上に在り、〔因幡民談、因幡志〕
盖 倭文造の祖 天羽槌雄神を祀る、〔参酌舊事本紀、古語拾遺、延喜式〕
凡 九月九日 祭を行ふ、〔明細帳〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 倭文神社について 所在は゛倭文村〔字宮谷〕(氣高郡大和村大字倭文)゛〈現 倭文神社(鳥取市倭文)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文神社
祭神
武葉槌命
武甕槌命祭日 九月九日
社格 村社所在 倭文村〔字宮谷〕(氣高郡大和村大字倭文)
【原文参照】