佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
目次
【現在の神社】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
佐太神社(さたじんじゃ)
(sata shrine)
【通称名】(Common name)
神在社(kamiari no yashiro)
【鎮座地】(location)
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
【地 図】(Google Map)
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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
松江駅から R431号と県道264号経由 北西約10km 車20分程度
広い駐車場が完備されています
佐太神社(sata shrine)に到着
駐車場の入り口に 昔の社号標「佐陀大社」と「鳥居」が建ちます
神名火山(三笠山)の麓の社殿に向かって 真っ直ぐに石畳の参道が続きます
一礼して鳥居をくぐります
参道の左手 売店の横に「宇多紀社 跡地」があります
左手に案内看板があり ひとしきり読み耽ります
ご神橋を渡ると狛犬が座し その左手に「手水舎」清めます
隋神門をくぐると 玉垣が巡る拝所が3か所 垣内に 御本殿が見えます
祭りの舞台を設営中
大社造りの本殿が3つ並んでいる「三殿並立」という珍しい建築様式で国の重要文化財となっています
以前にご参拝の時
中央に正中殿・向かって右が北殿・向かって左が南殿という配置です
正中殿から北殿・南殿の順に拝処に向かいます
拝処にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御本殿が 正殿・北殿・南殿の3殿に分かれ 御祭神十二柱を祀っています
それぞれの御神紋が違います 龍蛇神と関連しているらしい
正中殿 《主》佐太御子大神(sada no miko no okami)
(五柱) 《配》伊弉諾尊(izanagi no mikoto)
伊弉冉尊(izanami no mikoto)
事解男命(kotosaka no wo no mikoto)
速玉男命(hayatama no wo no mikoto)
正中殿の神紋は「扇」 龍蛇神の尻尾の斑紋を表しているそうです
北 殿 《配》天照大神(amaterasu okami)
(二柱) 瓊瓊杵尊(ninigi no mikoto)
北 殿の神紋は「輪違」龍蛇神の全身に纏うウロコを表しているそうです
南殿 《配》素盞嗚尊(susanowo no mikoto)
(五柱) 秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
南 殿の神紋は「亀甲」ですが やはり龍蛇神のウロコを表しているそうです
拝処のすぐ下には「潮草(shio kusa)」があります
案内の板には
藻汐祓
家に悪穢(あくあい)があった時
青竹で汐筒を作り海に行き 汐を汲み ジンバ草を採り 身を清め
当社にお詣りして 祓をするのが 古くからの習俗であります
案内板より
どうやら 海で禊をする この地方の習俗にちなむものらしく
とくにケガレなどがあった時に 海藻・海水で禊した後に 家屋敷などを祓って そののち佐太神社にお詣りをするようです
境内の右手に直会殿があり「神札授与所」となっています 「龍蛇神」のお札を頂戴します
御本殿 向かって右手より 北殿を仰ぎながら
境内社にお詣りです
(北末社)
・山王社 《主》大己貴命
・宇智社 《主》天児屋根命
・玉御前社《主》玉屋命
・竹生島社《主》倉稲魂命
御本殿 向かって左手より 南殿を仰ぎながら
この本殿三社はいずれも大社造りですが 正殿を軸として 南北の両殿が対照的に建築してあり 南殿は 通常の大社造りの構造とは逆に作られていて 他に類例を見ないそうです 確かに 入口も浜縁・段木も 通常の右側と反対側の左に造ってあります
境内社にお詣りです
(南末社)
・戸立社《主》手力雄命
・振鉾社《主》天鈿女命
・天神社《主》菅神
・垂水社《主》垂水神・・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )
垂水社(tarumi no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社
垂水神社(tarumi no kamino yashiro)
南末社の裏手に境内社 お詣りです
「社日の神《主》天照皇大神・大巳貴命・倉稲魂命・建埴安神・少彦名命」
裏手の階段より 神名火山(三笠山)へ お詣りです
・萩人基社 《主》伊弉冉尊(izanami no mikoto)
(hagi no hitomoto no yashiro)
※比婆山の御神陵を遷し祀った社と伝えられています
参道を戻り 鳥居をくぐり振り返り一礼
北殿の摂社 田中神社に向かいます
(北殿の摂社)・・・・・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)
田仲社(tanaka no) yashiro
・田中東社《主》磐長媛命
・田中西社《主》木花開耶姫命
別記事・・田中神社(佐太神社・北殿摂社)「縁切り」と「縁結び」の神が背を向けて祀られます・・もご覧ください
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田中神社(佐太神社・北殿摂社)
田中神社(佐太神社・北殿摂社)は 全国的にも珍しい“縁結び”と“縁切り”の社です 「姉妹の女神」を祀る社が 背中合わせに建っている不思議な神社です 男女の縁や悪い癖など断ち切りたい縁は切れて その後で 素晴らしい縁結びが 同時に叶います
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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
佐太大神は加賀の潜戸(かかのくけど)の洞窟で生まれたという神話があり佐太大神誕生の地・加賀の潜戸とは、出雲風土記・島根郡条
それぞれの文献では 次のように伝承しています
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)意宇郡 条 に記される「国引き神話」伝承について
風土記の有名な「国引き神話(kunibiki shinwa)」の中に「狭田の国(sada no kuni)」あります 本社が鎮座する「佐陀(sada)」に相当するとされています
意訳
『 また、「北門(kita to)の佐伎の国(saki no kuni)を 国の余りが ありはしないかと見れば 国の余りがある」とおっしゃられて童女の胸のような鋤(そのぐらいの大きさの鉄製の鋤)を手に取られて 大魚(ofu wo)の鰓(era)を切り分けるように丘を鋤で切り裂き
穂振(ho furi)その旗がススキの穂のように なびくように 旗のように切り分けて三本を寄り合わせた強い綱を掛けて 霜が降りる頃の黒い色の葛を掛けて 来い来いと 河船を川上に網を引き寄せるように そろそろと手繰り寄せて
「国来 国来」と引いて来こられて 宇波折絶(unami no oritae)から縫へる国は 「狭田の国(sada no kuni)」が これです 』
『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲國風土記』
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)秋鹿郡 条 山 に記される伝承について
佐太神社(sata shrine)と宮山(三笠山)について記されています
意訳
『 神名火山(kamunabi yama)
郡家の東北九里四十歩の所にあります
高さは230丈 周りは14里ありますいわゆる 佐太大神(sada no okami)の社は すなわち その山の麓です
『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲國風土記』
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『雲陽志(unyo shi)』秋鹿郡 宮内 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
「佐太神社(sata shrine)」が「佐陀大社」として記されています
意訳
『 宮内 佐陀大社
佐陀とは 社の名なり 佐太とも また狭田とも云うなり昔 佐陀神領7000千石あり この分は神職224人あり 年中の祭礼も賑々しかったが 太閤 秀吉の世に 7000千石の神領を没収して 神職も75人になった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
風土記にいわく 神名火山(kamunabi yama)郡家の東北九里四十歩の所にあります いわゆる 佐太大神(sada no okami)の社は すなわち その山の麓ですとは
佐陀の宮山で またの名を三笠山とも不老山と云うなり ・・・・・正殿 ・・・・・伊弉諾尊(izanagi no mikoto)
伊弉冉尊(izanami no mikoto)
事解男命(kotosaka no wo no mikoto)
速玉男命(hayatama no wo no mikoto)
秘説神(hisetsu no kami) の5座の神を祀る
伊弉諾尊(izanagi no mikoto)は 垂仁天皇54年に合祭する北殿・・・・・天照大神(amaterasu okami)
月弓尊(tsukiyumi no mikoto) 2座の神を祀る南殿・・・・・素盞嗚尊(susanowo no mikoto)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)5座の神を祀る・・末社8社 玉垣の内 本社の左右にあり
・戸立社 《主》手力雄命
・山王社 《主》大己貴命
・振鉾社 《主》天鈿女命
・宇智社 《主》天児屋根命
・垂水社 《主》罔象女命
・竹生島社《主》倉稲魂命
・天神社 《主》菅神
・玉御前社《主》玉屋命
・門客人社《主》天忍日命 大久米命
・宇多紀社《主》下照姫命 馬場の傍に松の神木とする
・田中社 《主》磐長媛命《主》木花開耶姫命
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・ 』
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835] 『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』秋鹿郡 にある伝承
意訳
『 佐陁神社(sata no kamino yashiro)
風土記に佐太御子神社(sada no miko no) yashiroとあり・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宇多紀神社(utaki no kamino yashiro)
風土記に宇多賀貴社(utagaki no) yashiroとあり・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日田神社(hita no kamino yashiro)
風土記に比多社(hita no) yashiroとあり 佐田 宮内村の何処かであったと云う御井神社(mii no kamino yashiro)
風土記に同じ社址も 佐田の何処かであったと云う 御井神の神事は 出雲郡より下り・・・・・・・・垂水神社(tarumi no kamino yashiro)
風土記に同じ社址も 佐田の何処かであったと云う 内山真龍は 足日山に在るタルミ タルヒ同じことなり 稲田の水守りし神なり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 』
※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用
佐太御子大神(sada no miko no okami)を祀ります 秘説神(hisetsu no kami)を擁す 謎多き神在社(kamiari no yashiro)は「国引き神話(kunibiki shinwa)」の「狭田の国(sada no kuni)」坐ます
佐太神社(sata shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
佐太神社 記事 前編 もご覧ください
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佐太神社(松江市)【前編】
佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
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