佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
目次
- 1 【約1300年前】About 1300 years ago
- 2 【約1100年前】About 1100 years ago
- 3 【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
- 4 【御祭神】(God’s name to pray)
- 5 【由緒】(history)
- 6 【境内社】(Other deities within the precincts)
- 6.1 ※境内社には 出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社の論社が 6社あります
- 6.2 ※境内社には 延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社の論社が 4社あります
- 6.3 各境内社
- 6.4 ・萩人基社 《主》伊弉冉尊(izanami no mikoto) (hagi no hitomoto no yashiro)
- 6.5 ・岡見八幡宮《主》朝山綱忠公・橘稲荷神社《主》稲荷神・南隨神社 《主》大久米命・西外隨神社《主》随神・社日の神《主》天照皇大神・大巳貴命・倉稲魂命・建埴安神・少彦名命
- 6.6 (北殿の摂社)・田中東社《主》磐長媛命 ・田中西社《主》木花開耶姫命
- 6.7 (北末社)・山王社 《主》大己貴命・宇智社 《主》天児屋根命・玉御前社《主》玉屋命・竹生島社《主》倉稲魂命
- 6.8 (南末社)・戸立社《主》手力雄命・振鉾社《主》天鈿女命・天神社《主》菅神
- 6.9 ・垂水社《主》垂水神
- 6.10 ・宇多紀社《主》下照姫命
- 6.11 ・日田社 《主》日田神
- 6.12 ・御井社 《主》御井神
- 6.13 ・勝間社 《主》思金神
- 7 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 8 佐太神社 記事 後編に続きます
- 9 『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
- 10 『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
佐太神社(sata shrine)
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )【社名】 佐太御子社
【読み】(さだのみこ の)やしろ
【How to read】(sada no miko no) yashiro
合祀 宇多紀神社(utaki shrine)
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )【社名】 宇多賀貴社
【読み】(うたがき の)やしろ
【How to read】(utagaki no) yashiro
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【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
佐太神社(sata shrine)
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori)【社名】 佐陁神社
【読み】(さたのかみのやしろ)
【How to read】(sata no kamino yashiro)
合祀 宇多紀神社(utaki shrine)《主》下照比売命
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )【社名】 宇多紀神社
【読み】(うたきのかみのやしろ)
【How to read】(utaki no kamino yashiro)
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【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
佐太神社(sata shrine)
(さたじんじゃ)
【通称名】(Common name)
神在社(kamiari no yashiro)
【鎮座地】(location)
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
【地 図】(Google Map)
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【御祭神】(God’s name to pray)
御本殿が 正殿・北殿・南殿の3殿に分かれ 御祭神十二柱を祀る
正中殿 《主》佐太御子大神(sada no miko no okami)
(五柱) 《配》伊弉諾尊(izanagi no mikoto)
伊弉冉尊(izanami no mikoto)
事解男命(kotosaka no wo no mikoto)
速玉男命(hayatama no wo no mikoto)
北 殿 《配》天照大神(amaterasu okami)
(二柱) 瓊瓊杵尊(ninigi no mikoto)
南殿 《配》素盞嗚尊(susanowo no mikoto)
(五柱) 秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
秘説神(hisetsu no kami)
【御神格】(God’s great power)
・除災 Prevent disaster
・招福 Bring happiness
・長寿 Wish of longevity
・海陸交通守護 Maritime and land traffic safety
・地鎮 Calm the ground
・など etc
【格式】(Rules of dignity)
延喜式内社(engishikinaisha)
別表神社
【創建】(Beginning of history)
遠く神代
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【由緒】(history)
御祭神 北殿 天照大神、瓊々杵尊 中殿 佐太大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、事解男命、速玉之男命 南殿 素盞鳴尊、秘説四座
御神徳・沿革 当社は出雲風土記に、佐太大神社あるいは佐太御子社とあり、三笠山を背に宏大な3殿が相並び、千木高く御鎮座になっているので 佐太3社とも称えられている御社である。
主祭神は 佐太大神、日本海に面する加賀の神碕潜戸にご誕生になり、古の狭田国開拓の祖神であり、出雲四大神の一柱として崇められ、家内安全、交通安全、五穀豊穣、地鎮、海上安全、厄除等の諸願成就の神として古来深く信仰されてきたのである。
くだって、延喜式では、佐陀大社と記され、出雲二宮として仰がれ、後宇多院御領目録によれば佐陀神領7百貫、鎌倉将軍家御教書によれば佐陀神主領2百80町歩とあり、出雲国内諸社の間に特殊の地位を占めてきたのである。
御社殿 御本殿三宇は各々通殿があり、通殿によって各中門に接続し、中門は翼廊によって互いに連結され、この翼廊より 本殿左右を囲む透塀は社後の三笠山に衝き当たってとどまる。
本殿は 三殿並立で、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿いずれも大社造りで、このような豪壮な三殿構えは平安末期に成立したようであり、他に類例を見ないもので、神社建築史上特筆すべきことである。現在の御社殿は 文化4年の造営であるが、その様式は元亀年間の造営を踏襲してきたもののようである。国の重要文化財に指定されている。
文化財 彩絵檜扇、龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱、色々威五十八間筋兜、色々威胴丸、色々威腹巻(以上重要文化財)蛭巻薙刀、野太刀、舞楽面、鰐口、線刻十一面千手観音鏡像、着彩阿弥陀来迎図鏡像、御供台(以上県文化財)
佐陀神能 御座替祭、例祭に執行する神事芸能で、その起こりは極めて古いものとされ、出雲流神楽の源流といわれている。
剣舞、散供、清目、御座、勧請、手草、八乙女の七座よりなる採物舞と、祝言としての式三番、そして大社(佐陀)、真切目、恵比須、八幡、武甕槌、日本武、磐戸、三韓、八重垣、荒神、住吉、厳島の12座よりなる当社を始め諸社の縁起を演舞する神事舞からなっている。国の重要無形文化財に指定されている。摂末社 田中神社 御本社北殿の摂社で、西社は木花開耶姫命を祀り縁結、安産。東社は磐長姫命を祀り縁切、長寿の信仰がある。
北四社末社 本殿北側に座す、山王社、宇智社、玉御前社、竹生島社。
南四社末社 本殿南側に座す、戸立社、振鉾社、垂水社、天神社。当社は 島根県八束郡鹿島町大字佐陀宮内に鎮座になり、出雲国風土記(天平5年=733)に、佐太御子社もしくは佐太大神社と記されている古い神社で、境内地1万参千余坪に本殿、直会殿、舞殿、神門および数宇の摂末社等の諸建造物を有し、本殿は、三殿並立の大社造り(国指定重要文化財)である。
祭神は、
正中殿に佐太大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、速玉之男命、事解男命、
北殿には天照大神、瓊々杵尊、
南殿には素盞鳴尊、秘説四座の神々が祀られている。主祭神 佐太大神は、世にいう猿田毘古大神で、出雲風土記によると加賀の神碕に御誕生になり、佐太地方一円の祖神であり、古来福神、導の神として、交通安全の守護神、船玉神、海上守護の神、寿守の神、地鎮の神として 世上の信仰深く、
清和天皇の貞観年間には 従四位下に叙され、後鳥羽院の頃には 神門に勅額を掲げられたと伝えられる。
また、後宇多院の時には 神領7千貫で、神職224人と定められていたという。延喜式(延長5年=927)には 佐陀大社と記され、また出雲二宮と仰がれて出雲国内諸社の間に特殊の地位を占めて来たのであります。
佐陀大社 御神事帳を始め、社記古縁起によれば、当社年中の祭祀は75度あったといわれるが、そのうちの主なものは次の諸祭祀である。
2月15日の管粥祭、これは、粥占の神事で、籾種を授与するので 一にお種祭ともいい、管に表れた小豆粥の詰り具合で五穀の豊凶を卜する。
5月3日の直会祭、この祭典は直会殿の神事を主とする所からこのように呼ばれ、やぶさめ神事、猿田三番舞、直会神事、獅子舞等を執行する。
5月20日より25日までの神在裏月祭、
7月15日のお田植祭、
9月24日の御座替神事、この神事は19日より斎戒沐浴日夜勤行の後、24日夕刻摂末社より次第に御座替式を奉仕して南殿、北殿、正中殿に及ぶもので、25日は弊帛を奉って祝賀のお祭りを行う。また、両日ともに夕刻より七座神事、能神事を催す。
これは剣舞、散供、勧請、手草、八乙女の七座よりなる採物舞である。そして能神事は当社を始め諸社の縁起を演舞する神事舞である。これに大社、真切目、恵比須、八幡、武甕槌、日本武、磐戸、三韓、八重垣、荒神、住吉、厳島の12段があり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。11月20日より25日までは神在祭である。これは10月を一般には神無月というが、出雲国だけは神在月と称している。現在11月の祭礼は旧暦10月を陽暦に改めたものである。
社伝によると、正中殿の御祭神 伊弉冉尊の神去りました旧暦10月に八百萬の神々が当社に参集されるので、幟も立てず、神楽もあげぬ 厳粛な物忌みがなされるところからお忌み祭とも云う。
この祭には 神迎え神事、注連口神事、神等去出神事、船出神事、止神送り神事、柴刺神事、宿借神事等があるので、古来当社を「神在りの社」とも云っている。また、この祭りに必ず 龍蛇の出現ということがある。
佐太の龍蛇といえば 広く人口に膾炙した奇瑞であって、火難、水難を始め一切の災厄を除去し、農作、商売、魚漁の福祉を守護する霊物として信仰されている。
これが年毎時を変えず神在の浜すなわち佐陀の浦辺に現れ当社に納められる。古歌に 出雲なる神在月のしるしとて龍蛇の上る江積津の浜
御宝物に、色々威胴丸、色々威腹巻、色々威五十八間筋兜、彩絵檜扇、龍胆瑞花鳥蝶文、彩絵扇箱、(以上重文)
蛭巻薙刀拵、野太刀、舞楽面(陵王)、鰐口、線刻十一面千手観音 鏡像、着彩阿弥陀来迎図鏡像、御供台、(以上県指定)等がある。なお、当社付近には、佐太講武貝塚(史跡)、佐太神社前弥生式遺跡、古浦弥生式遺跡、志谷奥銅剣、銅鐸出土地、古城跡、身澄池、神ノ目山、伊弉諾浜、苗松、神出島、加賀潜戸、お的山、佐陀奥院成相寺等々の当社ゆかりの地がある。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社】(Other deities within the precincts)
※境内社には 出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社の論社が 6社あります
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
※境内社には 延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社の論社が 4社あります
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
各境内社
・萩人基社 《主》伊弉冉尊(izanami no mikoto)
(hagi no hitomoto no yashiro)
※比婆山の御神陵を遷し祀った社と伝えられています
・岡見八幡宮《主》朝山綱忠公
・橘稲荷神社《主》稲荷神
・南隨神社 《主》大久米命
・西外隨神社《主》随神
・社日の神《主》天照皇大神・大巳貴命・倉稲魂命・建埴安神・少彦名命
(北殿の摂社)・田中東社《主》磐長媛命
・田中西社《主》木花開耶姫命
・・・・・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)
田仲社(tanaka no) yashiro
別記事・・田中神社(佐太神社・北殿摂社)「縁切り」と「縁結び」の神が背を向けて祀られます・・もご覧ください
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田中神社(佐太神社・北殿摂社)
田中神社(佐太神社・北殿摂社)は 全国的にも珍しい“縁結び”と“縁切り”の社です 「姉妹の女神」を祀る社が 背中合わせに建っている不思議な神社です 男女の縁や悪い癖など断ち切りたい縁は切れて その後で 素晴らしい縁結びが 同時に叶います
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(北末社)
・山王社 《主》大己貴命
・宇智社 《主》天児屋根命
・玉御前社《主》玉屋命
・竹生島社《主》倉稲魂命
(南末社)
・戸立社《主》手力雄命
・振鉾社《主》天鈿女命
・天神社《主》菅神
・垂水社《主》垂水神
・・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )
垂水社(tarumi no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社
垂水神社(tarumi no kamino yashiro)
(参道の横に跡地あり)
・宇多紀社《主》下照姫命
・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )
宇多賀貴社(utagaki no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社
宇多紀神社(utaki no kamino yashiro)
(佐田 宮内村の何処かにあったと云う)
・日田社 《主》日田神
・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )
比多社(hita no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社
日田神社(hita no kamino yashiro)
(かつて境内にあったが 現在不詳)
・御井社 《主》御井神
・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
秋鹿郡(aika no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )
御井社(mii no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社
御井神社(mii no kamino yashiro)
(かつて境内にあったが 現在不詳)
・勝間社 《主》思金神
・・・出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社
島根郡(shimane no kori) 条
不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)
加津麻社(katsuma no) yashiro
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
佐太神社(sata shrine)の神在祭(11月20日~25日)「お忌さん」
旧暦10月は 出雲に八百万の神々が集うので 一般に神無月と呼ばれます 神々が集う出雲では 逆に神在月と呼ばれています
佐太神社(sata shrine)は 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と呼ばれています
神在祭(11月20日~25日)は「お忌さん」と呼ばれ 出雲國でも古式を遺していると伝わります
「お忌さん」の呼び方は 中世から近世にかけて 佐太神社(sata shrine)の主祭神は 伊弉冉尊(izanami no mikoto)でした 当社の神集いの主体は ここから名付けられています
当社の宮山(三笠山)には 比婆山の御神陵を遷し祀ったと伝えらる「萩人基社(hagi no hitomoto no yashiro)《主》伊弉冉尊(izanami no mikoto)」もあります
神産みの母神「伊弉冉尊(izanami no mikoto)」は 旧暦10月に出雲で崩御されたとされ すべての神の母神であり 旧暦10月の出雲に集われた神々は 各地に戻られる折に 佐太神社(sata shrine)に集い 崩御された母神に逢われるというものです
このように 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるという佐太神社(sata shrine)は 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です