大麻止乃豆乃天神社(おおまとのずのてんじんじゃ/おおまとのつのあまつかみのやしろ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつの あまつかみのやしろ)の論社です 江戸時代には 丸宮明神(まるみやみょうじん)と称されていましたが これは 式内社の「麻止乃宮(まとのみや)」が訛り生じたという説になっています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大麻止乃豆乃天神社(Omatonotsuno amatsukaminoyashiro Shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
東京都稲城市大丸847
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》櫛眞智命(くしまちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんじゃ)
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)所載の武蔵国(むさしのくに)多摩郡(たまぐん)大麻止乃豆乃天神社とある祭神(さいじん)は、櫛真知命(くしまちのみこと)であり、境内には津島神社(つしまじんじゃ)、白山神社(はくさんじんじゃ)、神明神社(しんいじんじゃ)、稲荷神社(いなりじんじゃ)、秋葉神社(あきばじんじゃ)を祀っている。
祭礼は、天王様(てんのうさま)祭礼が7月中旬、風祭り(かざまつり)が9月1日、秋の祭礼が10月初旬に行われる。江戸期の資料には「丸宮社(まるみやしゃ)」という記載がみえる。
社頭の稲城市案内板より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社 殿
〈三社合殿〉と〈朱色の鳥居〉稲荷社《主》宇賀魂神
〈三社合殿〉向かって左から
・白山社《主》菊理姫命
・神明社《主》天照大御神
・稲荷社《主》倉稲魂命
・津島神社《主》素盞嗚神
・秋葉神社
・神明神社《主》天照大御神〈背後の丘〉
・社頭
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵國 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大麻止乃豆乃天神社
[ふ り が な ](おほまとのつのあまつかみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohomatonotsuno Amatsu kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
大麻止乃豆乃天神社の御祭神 櫛眞智命(くしまちのみこと)について
『延喜式神名帳』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛眞命神社の注記に「元名 大麻等乃智神」とあるので おそらく同じ祭神であろうと考えられています
江戸時代には 丸宮明神(まるみやみょうじん)と称されていましたが これは 式内社の「麻止乃宮(まとのみや)」が訛り生じたという説になっています
延喜式内社 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)(あまのかこやまにいます くしまちのみことの かみのやしろ)の論社について
・天香山神社(橿原市南浦町)〈本社〉
・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつのあまつかみのやしろ)の論社について
・大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)
・武藏御嶽神社(青梅市御岳山)
・北野天満社(八王子市北野町)
・大国魂神社(東京・府中市宮町)
・天神社(府中市宮町)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR南武線 南多摩駅から東南方向へ約850m 車3分程度 徒歩10分で社頭です
大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)に参着
゛大麻止乃豆乃天神社゛の幟旗の立ち並ぶ 石段を上がります
石段の途中に 扁額に゛大麻止乃豆乃天神社゛と刻まれた 鳥居が建ち
一礼をして 更に石段を上がります
石段を上がると ちょっとした踊り場があり 石段が二手に分かれています
正面の石段を上がり
拝殿にすすみます
賽銭箱には 御神紋゛左三つ巴紋(ひだりみつどもえもん)゛
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 拝殿と本殿の覆殿が一体となっています
都会の喧騒を忘れるような 静かで神々しい社叢の中
境内社も祀られていますので お参りをします
社殿に一礼をして 参道石段を下ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『武蔵演路(むさしえんろ)』〈編著者 大橋方長他 安永9(1780)年起稿〉に記される伝承
『式内社調査報告』に゛武蔵演路゛が引用されているが 式内社の比定は難しいとの所載あり
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 北野村の天神宮〈現 天満社(八王子市北野町)〉と記し 今 菅原道真公を祀る゛天満宮゛としているのは 誤りで 天神である とも記しています
【抜粋意訳】
武蔵演路 第五 〇多摩
八王子宿 天神宮
北野村 八王子 六十宿
別当 大義寺或いは云う
式内 大麻止乃豆乃天神社之 祭神未考今 菅神とするは誤りなり
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 大和国 櫛真知命神社との関連を示唆し 所在地としては 府中六所大明神三殿の中央 大己貴命〈現 大国魂神社(東京・府中)〉もしくは 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉と記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃(オホマトノツノ)天神社
〇大和国 櫛真知命神社 元名 大麻呂井天和神
三実 作大麻等 野知神
惣風 大麻止乃智天神 圭田67束6毛田所祭 大己貴命也 安閑天皇乙卯年始尊官社 花時以花祭之 新稲之時以新稲祭之
〇当郡 布田村人 大八木範並云 当郡 府中六所大明神三殿の中央 大己貴命 景行天皇の世 祭り始むと云う 当社 春時 花を以って祭り 秋時 新稲を以って祭る式あり これこの大麻血乃知天神社ならんと云えり
式考 御岳山御岳大明神之 少彦名命
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)について 通称は 丸宮明神と呼ばれていて 本来は 式内社の麻止乃宮(まとのみや)と称するのだが
同じ郡の中に 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉の内にも 大麻止乃豆天神社があり そちらが由緒もしっかりとあり 式内社であろうと記しています
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 巻之95 多磨郡之7 府中領 大丸村の条
丸宮社
小名東方にありて 円照寺の持にて 社地は かの寺境内の南の山上なり
石階十二級を登りて 半腹に石の鳥居をたつ 又 五十九級を登りて 社前に至る社には 二間半に三間半の覆屋を設く 神體もなく祭神も詳ならず
ただ 丸宮明神と號するのみ 或は云 丸をまどかと訓す 下略するときは まとなり これ「神名帳」に載る八座の内 大麻止乃豆天神を略して 麻止乃宮と称するなるべしとされど 今 郡中 御嶽山の内に 大麻止乃豆天神社ありて 祭神までも詳につたへたれば 当社を式内の社なりといふは 信ずべからざるにや
末社 秋葉社 本社の右の方二十間ばかりへだててあり 石にて造れる小社なり
【原文参照】
『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉に記される伝承
大國魂神社(府中市宮町)について 式内社 大麻止乃豆乃天神社であると記しています
【抜粋意訳】
江戸名所圖會 三之巻
武蔵國(むさしのくに)総社(そうしゃ)六所明神(ろくしょみょうしん)社
府中驛路(ふちゅうのえきろ)の左側にあり 延喜式内(えんぎしきない)大麻止之豆之天神社(おおまとのつのてんしんのやしろ)是(これ)なり
後世(こうせい)に至(いた)りて 同じく式内(しきない)小野神社(おののじんじゃ)を合(あわ)せ祭(まつ)る 故(ゆえ)に今(いま)両社一社(りょうしゃいっしゃ)の称(しょう)あり
神主は 猿渡氏(さるわたりうじ)其餘(そのよ)社司社僧等 奉祀す本社祭神 大己貴命
相 殿 素戔嗚尊 伊弉諾尊 瓊瓊杵尊 大宮女大神 布留太神
以上 六神これを 俗に六所明神(ろくしょみょうじん)と称せり天下春命 瀬織津比賣命 稲倉魂大神
以上 三神これを客来(きゃくらい)といへり九神合わせて共 六所宮(ろくしょのみや)と称す
此の三神のいちは 一宮に小野神社との条下に詳(つまびらか)なり延喜式神名帳曰 武蔵國 多磨郡八座 大麻止之豆之天神社 云云
・・・・・
・・・・・【原文参照】
〈挿絵の注〉
府中六所宮(ふちゅうろくしょのみや)
小野宮(おののみや)と分倍(ふんばい)の境(さかい)府中(ふちゅう)より関土(せきど)へ行道(ゆくみち)は、往昔(むかし)奥州(おうしゅう)より鎌倉(かまくら)への通路(つうろ)にして、これを陣海道(じんかいどう)と称はえるは、元弘(げんこう)より永享(えいきょう)の間(あいだ)屡(しばしば)戦争(せんそう)の地(ち)にてありしかばかくは字(あざな)せるとなり
当社(とうしゃ)随神門(ずいしんもん)より外(そと)の列樹(れつじゅ)には、鵜(う)或(あるい)は鷺(さぎ)其余さまざまの水禽(みずとり)巣(す)を作(つく)り栖(すみか)す
日毎(ひごと)に品川(しながわ)等(とう)の海濱(かいひん)より其(その)巣(す)へ運び其雛(ひな)を育(いく)せり
然(しか)れども随神門(ずいしんもん)より内(うち)へは一羽(いちわ)といえども入(いる)事(こと)なきを当社(とうしゃ)七奇事(きじ)の一とす。又、寒中(かんちゅう)に至(いた)れば一羽も宿(やど)る事なく 翌(あく)る年(とし)の寒明(かんなけ)に至(いた)り又来(きた)ってねくらせり【原文参照】
〈挿絵の注〉
其二
【原文参照】
〈挿絵の注〉
其三
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『江戸名所図会』選者:斎藤長秋/画家:長谷川雪旦 20冊 刊本(後修)天保05年~刊本(後修),天保07年 旧蔵者 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002802&ID=M2017051812072139297&TYPE=&NO=
〈挿絵の注〉
六所宮田植(ろくしょのみやたうえ)
五月六日は御田植(みたうえ)の神事(しんじ)にて武蔵国(むさしのくに)の人民(じんみん)早苗(さなえ)を携(たずさ)え来(きた)りて 神田(しいでん)に是(これ)を挿(はさ)めり
郷童(きょうどう)白鷺(しらさぎ)の形(かた)の造(つく)り物(もの)ある葢鉾(かさほこ)をささげて せんはいこうしの傘(からかさ)と唄(うた)ひ詳は 又ありてものは これものく唄(うた)いて 今(いま)植並(うえなら)し田(た)の中に下(くだ)り立(たち)て 早苗(さなえ)を踏(ふみ)しだき こひぢ〈泥田〉にまみれて 踊舞(おどりまう) 故(ゆえ)に有(あり)しにも似(に)ず ひぢ〈泥田〉の中にしずみはえるが 一夜(いちや)のうちにいとめて度(たた)起立(おきたち)て葉末(はすえ)に露(つゆ)むすびなんとしてうるわしき事かぎりなし【原文参照】
六所宮御旅所・・・・・
御田・・・・【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 所在は 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉と記しています
祭神については 大和国 十市郡 天香具山坐 櫛真知命神社 元名 大麻止乃知神とある同名なので 本来は 櫛真知命が正しいのではないだろうか とも記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃天神社
大は 於保と訓べし、麻止乃豆乃は假字なり
〇祭神 日本武尊 大己貴命 少彦名命、地名記
〇御嶽山に在す、地名記
〇惣國風土記七十七残存云、大麻止乃智天神 圭田六十七束六毛田 所祭 大己貴命也 安閑天皇乙卯年始尊官社 花時以花祭之 新稲之時以新稲祭之連胤 按るに〈考えるに〉大和国 十市郡 天香具山坐 櫛真知命神社 元名 大麻止乃知神とある同名なれば 櫛真知命を祀れるにはあらざるか 尚考ふべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 所在は 大丸村に在り丸宮大明神〈現 大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)〉で 祭神は天櫛眞知命 と記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃天神社(オホマトノツノアマツカミノヤシロ)
今、大丸村に在り、丸宮大明神し云 蓋是也、
蓋 天櫛眞知命を祀る
凡 其祭 八月十五日之を行ふ
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 所在は 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉という説があるが 疑わしい 大丸村〈現 大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)〉が正しいとして 大丸村の村名は もと大麻止を大円など書いてオホマルと訛り 終いに大丸とも書くこととなったと記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃天神社
祭神 櫛真知命
祭日 八月十五日
社格 郷社
所在 大丸村 字大圓山(南多摩郡稲城村大字大丸)
今按〈今考えるに〉
御嶽山御嶽神社を大麻止乃豆乃天神社と云えれど明証なければ信じがたし擁書漫筆に 大丸村の丸宮大明神は 本社にその名かよいて聞ゆと云るに就て 黒河春村が この説よろしく聞ゆ
大丸村は 玉川の岸にあり 大麻止乃豆は大眞門の津にて 玉川の渡津に由あるが
大和国 櫛真知命神社 元名 大麻呂井天和神とあるを 古本には大麻等乃知神社とあるも同義にて 埴安池邉にます神かとおほし
とあるを合せ考ふるに
村名の大丸は もと大麻止を大圓など書るよりオホマルと訛り 終に大丸とも書くこととなりし なるべく社地の字を大圓山と云は 古名の遺れるものと思しく かたがた證ありて聞ゆれば之に従う
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
式内社 大麻止乃豆乃天神社は 御嶽山の社〈現 武藏御嶽神社〉を以ってそれと指定されているが 大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)を論社として 再考すべきと 記しています
【抜粋意訳】
〇東京府 武蔵國 南多摩郡 稲城村 大字 大丸村大字七號
郷社 大麻止乃豆乃天神社(オホマトノツノアマツカミノヤシロ)
祭神 櫛眞知命(クシマチノミコト)
勧請年月ならずと雖も
新編武蔵風土記稿に 丸宮明神と称す 蓋丸をマドカと訓ず 下略すればマトなり これ式の神名帳に載る当郡八座の一なる 大麻止乃豆乃天神社なる由の説を載せたり
該社は 神名帳考証には「大祝詞命歟 櫛眞命 卜庭神 云々」と見え
神祇志料に「今 大丸村に在り 丸宮大明神と云う 蓋これなり 天櫛眞知命を祀る 擁書漫筆 神社取調帳 大和國神名帳略解」とありされど 神社覈録は 式内の大麻止乃豆乃天神社は 祭神 日本武尊 大己貴命少彦名命を祀り 御嶽山に在す由を記し
新編武蔵風土記稿に「今 郡中 御嶽山の内に 大麻止乃豆天神社ありて 祭神までも詳に傳へたれば 當社 即ち末社 を式内の社なりといふは 信ずべからざるにや」とあり
斯くして式内は 御嶽山の社を以ってそれと指定せられたり 御嶽神社の條参酌されど 当社の方 多少の信憑あるに非ざるか 姑く記して後考を俟つ
明治六年十一月 郷社に列す 社殿は一宇 境内 四百五坪を有す
境内神社 稲荷神社
【原文参照】