王子神社(おうじじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「穂都佐氣命神社(Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)」の論社です 御祭神の別名は「満寧子(manneiko)」or「酒王子(Shuoji)」と呼ばれます 神社名称の「王子(おうじ)神社」とは ここから来ているのだと思われます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
王子神社(Oji Shrine)
(おうじじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡南伊豆町大瀬587
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》穂都佐和気命(Hotsusake no mikoto)
別名を「満寧子(manneiko)」or「酒王子(Shuoji)」
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
※社伝には 仁和3年(887年)
【由 緒 (history)】
不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・隣接して 八幡神社
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 穂都佐氣命神社
[ふ り が な ](ほつさけのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆國(izu no kuni)賀茂郡(kamo no kori)
穂都佐氣命神社(Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)の論社
各々の神社の記事をご覧ください
・両神社(Ryo Shrine)
・王子神社(南伊豆町)〈当社〉御祭神の分祠としています
・三島神社(南伊豆町入間)
御祭神「穂都佐氣命(Hotsusake no mikoto)」について
御祭神「穂都佐氣命(Hotsusake no mikoto)」は
三島大明神の第16王子 母神は伊古奈比咩神(ikonahime no mikoto)
別名を「満寧子(manneiko)」or「酒王子(Shuoji)」と呼ばれます
満寧子(manneiko)「まんねいこ」の満寧とは 安らかさに満ちていることの意味です
式内社の調査の一説では 元々は 島嶼(伊豆七島)に祀られていたと推測されています
しかし 該当する神社は見あたらず 御祭神を分祀した社伝を持つ当社「王子神社(南伊豆町)」が有力視されて論社となっています
三宅島には 御祭神を祀る
「飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)」があります 記事をご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅から石廊崎方面へ R136号経由南下 約16km 車30分程度
県道16号から石廊崎への分岐の500m程手前「走雲峡ライン入口」に鎮座しています
右手には 本瀬浜があります
王子神社(Oji Shrine)に参着
本瀬浜に向かって 2つの鳥居と参道と社殿が 並列して建っています
珍しい並び方で
『豆州志稿(zushu shiko)』には
「大瀬村 本瀬 王子明神(オウジミョウジン)」
「長鶴村 本瀬 若宮(ワカミヤ)を配祀」と記されているので この 2つの神社は 大瀬村と長鶴村の境界線に建っていると推測します
向かって
左側の鳥居の扁額には「王子神社」
右側の鳥居の扁額には「八幡神社」
一礼をして王子神社(Oji Shrine)の鳥居をくぐります
手入れの行き届いた綺麗な参道の先の階段を上がると社殿が建っています
拝殿にすすみます 向拝には 龍神の彫刻があり 睨みを利かせています
木花の彫刻は 狛犬の頭のようにも見えます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
続いて
八幡神社(Hachiman Shrine)の鳥居を一礼してくぐります
こちらの参道からは
2つの社殿が良くわかります
左が王子神社(Oji Shrine) 右が八幡神社(Hachiman Shrine)
大木を回り込むように 拝殿にすすみます
八幡神社(Hachiman Shrine)の拝殿は 王子神社(Oji Shrine)の拝殿より少し低い位置にあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
八幡神社の拝殿は 王子神社よりも少し低い位置でしたが 本殿は 八幡神社が 更に高い位置にあります
参道を戻り始めると 鳥居の先に県道があり その先には本瀬浜が見えています
2つの鳥居が浜に向かって建っていることが良くわかります
鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
現在の「王子神社(Oji Shrine)」は
「大瀬村 本瀬 王子明神(オウジミョウジン)」と呼ばれていて 安土桃山時代の慶長18年(1613)の棟札があると記されています
「長鶴村 本瀬 若宮(ワカミヤ)を配祀」と記されているのが 現在 並列して建っている八幡神社でしょう
この2神社は 大瀬村と長鶴村の境界線に建っています
意訳
王子明神(オウジミョウジン)
大瀬村 本瀬にあり 古社なり
両の扉なれば 三島の神と2神か伊豆峯記に云うには 本瀬浜の三島明神 大瀬村の氏神なり
慶長18年(1613)の棟札に大瀬郷 長鶴村とあり 大瀬長鶴村の時 総鎮守なり
若宮(ワカミヤ)
長鶴村にあり本瀬 林の中に正八幡を配祀す
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
『三宅記(miyakeki)』に記される御祭神「満寧子(manneiko)」の伝承
三島大明神が 島々に后を1人づつ置かれた際に
三宅島に置かれた后を「天地今宮后」と呼び
その御子が 御祭神の「安寧子(anneiko)」・「満寧子(manneiko)」の2神と記されています
意訳
又 三宅島に置かれた后を「天地今宮后」と申されました その御腹にも王子が2人おられました
1人を「あんねいこ」
1人を「まんねいこ」と申されました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
『三宅記(miyakeki)』に記される「大蛇退治」の伝承
三島大明神が 箱根の湖辺に住む老翁媼の娘3人を大蛇(龍神)から救い そして娘3人を后として三宅島に迎える話が記されます
「二つの大穴を掘り 一つの穴には飯を盛って「あんねいこ」にお預けください これを飯の王子といたします
もう一つの穴には 酒を満たして「まんねいこ」にお預けください これを酒の王子といたします
御祭神の活躍が記されています
意訳
ここに一つの不思議があります
箱根の湖のほとりに 翁と姥がおりました 夫婦は370歳になっておりましたが 三人の娘がいました明け暮れと湖で釣りをして暮していましたが あるとき 一日中釣りをしていたが 一匹も魚がなかった
舟の舳先に伏してお願いをしました
「この湖に主(ヌシ)が居られるならば あわれな この舟を魚でいっぱいにして頂けないでしょうか お礼に3人娘の中から 誰でもお気に召すまま 一人をお与えいたしましょう」と言い 居眠りをしてしまいましたすると16..7程の男が何処から現われて
「先程の話は聞き届けました」と言いかき消すように失せました
そして その通りに 小さな魚たちが舟に飛び込み 舟は魚でいっぱいになってしまいました翁は 恐ろしくなって帰ろうとすると 水底より声がありました
「2,3日で約束の通りに迎えに行くつもりです 三女を貰おう」と言うものです翁は帰って いつもとは違い 消沈していましたので 姥や子供たちが見ておられ「何を悩んでおられますか」と聞かれましたら
「言わなくとも 叶うわけではないのに・・・今日に限っては魚を一匹も釣ることが出来ないので あまりの事だったので「あわれな この舟を魚でいっぱいにして頂けないでしょうか お礼に子供の中から 誰でもお気に召すまま 一人をお与えいたしましょう」と言ったところ たちまち舟に魚が沢山飛入りまして その後で 水底から声があって 三女をください 迎えに参上しますと言ったことがあり 嘆かわしくて この様に悩んでおります」と事の次第を語りました娘三人は「それは たやすいことです 私たちのはかりごとに任せてください」
と言われて翁も落着き「さて どうしようか」とおしゃりました
「約束の人が来たら 3人ともに後ろの家に居るとお答えください」と言って後ろに家を構えて待ちました
3日目の亥の刻に 男が迎えに来ました
「約束に従いお迎えに参りました」と声があり
翁は出迎えて「後ろの家に居ります」と答えられたので そのまま後ろの家に行きました
そこで三女が出迎えると「我々は ここの者ではなく 富士の頂に住む者ですので そちらへ尋ねてきてください」といって鳩となって飛び立っていきました
その時 男は大蛇になると大いに怒り 残りの二人の娘を取ろうとしましたので 二人も共に鳩になって飛び去っていきました
大蛇はいよいよ怒り 富士山に三女を探し求めようと追りました
三女は 富士の山頂の岩の中に隠れておりましたが たまたま三嶋大明神が富士の山頂に登られていて 大明神は三女を見て何処の人かと尋ねられました
三女は「私は 箱根の湖の「かきのおうち」と申す者の三女でございます 父は唐土(もろこし)においでになる時は 八大執金剛童子と申しましたが 地神五代の「あまつひこねににぎのみこ」の御時に あまりにも垂迹がすばらしいので この国に渡ってまいりました
地神の御遺言に従い「あめつちのみこと」と契りを結びもうけられたと聞いておりますまた 母は斯羅奈(しらない)國の王の三女です
父母ともに370歳でございます
この父 箱根の湖に出て釣りをされましたが 魚を一匹も釣ることが出来ませんでした あまりの事で何んとはなく「この湖の底に主が居れば魚を得させてください そのお礼に3人の娘の中で誰でも望みのままに与えましょう」と言うと 水神がこれを聞き「それならば」と魚を与え その後「約束である」と迎えに来られたので ここへ飛んで来たのですが きっとここへも来るでしょう どうすればいいでしょう」と打ちしおれておりました大明神は「私を頼りにして頂ければ 御隠し申し上げましょう」とおしゃりました「どのようにでも お計らいにお任せいたします」と答えられました
この時 大蛇はそのまま富士の山腹に登りかかっていました その時 2人連れだって大島に飛ばれると 大蛇もまた大島に追って来たので それから また2人で連れだって三宅島に飛ばれました
三女を御嶽へお隠しになられて 見目と若宮にむかって「どうしようか」と御言葉を掛けました
「それは容易いことです」といい
「二つの大穴を掘り 一つの穴には飯を盛って「あんねいこ」にお預けください これを飯の王子といたします
もう一つの穴には 酒を満たして「まんねいこ」にお預けください これを酒の王子といたしますこのようにお計りになられて 大蛇が来たならば 見目がお相手となり 飯と酒とを勧め 大蛇が酔ったところを「剣の御子」に切らせて差し上げましょう」と支度をされました
この一大事を見物しようと 島々の王子たち 后たちもおいでになりました
新島の大宮の王子も劍の御子を従えておいでになりました
残りの妃は 王子が親のかたきを打たれるのを見ようと「イガイ(いかゑ)」の浦の石の陰に隠れてご覧になりましたそうしているうちに大蛇が怒り 御嶽に登ろうとしているのを 見目が出向いて 様々になだめて「まずは 飯と酒を差し上げましょう」と申し上げると 大蛇もその穴に向かいました
あらかじめ用意していたことなので 待ち構えた飯の王子は飯を無理強いして 酒の王子は酒をさしあげると 大蛇はたちまち酔って 鱗を立てて眠りこんでしまいました
これを一番に「劍の御子(三島大明神の随神)」が斬り 二番に「大宮の王子(新島を拓いた神)」が斬り 三番に「ていさんの王子(大宮の王子の弟)」が斬りました
大蛇が斬られて 尻尾を振り回したので 岩陰から見ていた「みとくちの大后(新島の泊大后大明神)」の左の御目に当たり 打ちつぶされてしまいましたこうして大蛇はやすやすと討伐され 各島の王子・后もお帰りになられましたそこで大明神は 御嶽に登られて あの后を探されましたが姿が見えませんでした
大明神は怒って見目に探すようにお命じになると 見目はお引き受けして ツツジの花の中から捜し出されました
「どうして 隠れていたのですか」と尋ねると「小蛇がいたので 大蛇の眷属かと思い恐ろしくなって ツツジの中に立ち入れましたら 着物の紅梅色とつつじの花を見間違えられたので 逃げた訳ではございません」とおしゃりましたので
大明神は「これより この島の躑躅(つつじ)は花を咲かせないように 蛇は后を怖がらせ給う」とお言いつけになり
それから 蛇はこの島にいてはならんと追い出されました大明神は残る二人の娘も見目に探させ島に招き入れ、三人の娘を后とし、三宅島の各所に置かれた
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
王子神社(Oji Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
・両神社(Ryo Shrine)
・王子神社(南伊豆町)〈当社〉御祭神の分祠としています
・三島神社(南伊豆町入間)
三宅島には 御祭神を祀る
「飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)」があります 記事をご覧ください