大國玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 社伝に 嵯峨天皇 弘仁二年(811)草創と伝わり 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉で 式内社 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)と比定されました それ以前は 田原天神(たいばるてんじん)と称されていました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大國玉神社(Ohokunitama shrine)
[通称名(Common name)]
・田原天神(たいばるてんじん)
【鎮座地 (Location) 】
長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触1125
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴神(おほなむちのかみ)
大后神(おほきさきのかみ)
事代主神(ことしろぬしのみか)
菅贈相国(かんぞうしょうこく)
吉祥女(きっしょうめ)
中将殿(ちゅうじょうどの)
宰将殿(さいじょうどの)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
社伝に 嵯峨天皇 弘仁二年(811)草創
【由 緒 (History)】
延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉以前は 田原天神(たいばるてんじん)と称していたが 大國玉神社 大己貴命 に神改めされた
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・本殿向かって左に 愛宕神社の鳥居〈複数の石祠〉が祀られています
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)石田郡 12座(大3座・小9座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大國玉神社
[ふ り が な ](おほくにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohokunitama no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)の論社について
・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)
・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
印通寺港からR382号を北東へ 車5.5km 10分程度
社殿は南南東向き 社殿の西側に社頭〈石燈籠〉があります
大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)に参着
参道を進むと 大きなシマヘビが うねりすすみます
参道は社殿の前で折れていて 南を向いて鳥居が建ちます
鳥居の扁額には 大國玉神社 と刻字されています
一礼をして 鳥居をくぐり
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 幣殿 本殿の覆い屋
社殿に一礼をして 参道を戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承
巻11 志原村之部 大國玉神社は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は 田原天神と称していたが 大國玉神社 大己貴命 に神改めされた と記しています
【抜粋意訳】
巻11 志原村之部 大國玉神社
在 鶴木 今の俗称 砥宮 例祭九月十一日
祭神 大己貴神 大后神 事代主神 菅贈相国 吉祥女 中将殿 宰将殿なり
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当社は 古来 田原天神と称し来まつりしを 延宝四年 式社の大國玉神社なりとに然しより官社と国民仰けり〇神名帳云 大國玉神社 大己貴命 に神改め以前は天神といふ 又 式外と云なり
〇神明品書云 紫原に東銘劔大明神 田原に天満大自在天神云々
古老説云 昔は繁盛の社にして 祭礼には大市ありて 諸邑より他村より当市の諸色高直なれば國分の市に出て調べ國分の市の諸邑高直なるは当市に来りて調べて譬は 宮嶋の市 鏡の市といふとし 今なお市場の名残あり 石鳥居を去ること八間の所なり 又 山際より一百六間東に注木といふ所あり 其所より九拾二間東に馬洗川といふ所あり 馬場の馬を洗ひしころの名なりを 又 昔時の 一の鳥居の建し所と 今に鳥居山といふ所もあり 亦 社辺に古鳥居の折あり 地基石左右ともに今の鳥居の傍にあり
・・・・
・・・・
・・・・
稲荷祠
矢保佐祠
石祠
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大國玉神社の所在は 志村村〈現 大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)〉と記しています
【抜粋意訳】
大國玉神社
大國玉は 於保久爾多麻と訓べし
〇祭神 明らかなり
〇志村村に在す 土俗天神と称す 式社考類社
伊勢国多氣郡 大國玉神社の條見合うべし
【原文参照】5
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大國玉神社の所在について 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は 大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)は 田原天神と称されて菅原道真公を祀っていたものである
川北邑の宗社 兵主神社〈現 兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)〉が 式内社 大國玉神社であると 記しています
【抜粋意訳】
大國玉神社
祭神
今按〈今考えるに〉
祭神 大己貴命とあれど 此神の亦名を大國魂神とも申すによりて云るにて 実は此国の国玉神にますなるべし 其の大國玉神と云を 後に日吉山王に付会し遂に大己貴神の如くなれるにはあらじ歟祭日 九月廿五日
所在
今按〈今考えるに〉明細帳 長崎縣式内社記 共に志原村とす 然るに神社考に志原邑田原天神を大原大明神とも書るを以て大國玉神社 祭神 大己貴命とせり 然れども田原天神は菅原道真公にて 川北邑は昔 石田郷の内也とみえ 式社沿革考に承慶の記に川北邑と記し 今 村の宗社 兵主神社と称せるは社号の混乱せしにて 延宝以前は 日吉山王と称し 古今 式内と称す 是即 大國主神社ならんとみえたれば志原村の神社にはあるべからず
【原文参照】
『壱岐国神社誌』(Ikinokuni jinjashi)〈昭和16年(1941)〉』に記される伝承
社伝に 嵯峨天皇 弘仁二年 草創 と記しています
【抜粋意訳】
志原村ノ部 村社 大國玉神社 (旧號 田原天神)
鎭座地 志原村大原
祭 神 大己貴神、大后神、事代主神、菅贈相國、吉祥女、中将殿、宰相殿例祭日 十月二十五日 神幸式、流鏑馬、大神樂奉奏
境内地 639坪〔由緒沿革〕
当社ハ延喜式所載 壱岐二十四座ノ小神ノ其ノ一ナリ。
一、当社者 嵯峨天皇 弘仁二年 草創ニシテ 文徳天皇 仁寿元年 詔シテ 正六位上ニ叙シ奉ラセ給ヒシヨリ 神階ヲ進メ奉ラルゝ事次ノ如シ。
一、陽成天皇 元慶元年 使中臣忌部両氏班幣依大嘗会供奉也。
一、同八年大中臣氏人参向依所行大嘗会也。
一、朱雀天皇 天慶三年所奉増一階。
一、白河天皇 永保元年 同
一、崇徳天皇 永治元年 同
一、高倉天皇 治承四年 同
一、後鳥羽天皇 元暦元年同増位 依平家追討之御祈祷也。
一、明治四年以前ハ 氏子大原触ノ一部五十戸ナリシヲ 同村々彌佐岐刀神社ノ氏子ヲ割キテ同村西触全部及平人触ノ一部ヲ合セテ百五十四戸ニ増加シ 追年社頭ノ降盛ヲ極ムルニ至レリ
一、延宝四年 国主ヨリ木鏡一面及石額ヲ献ゼラル。
一、文化二年九月神輿ヲ新調シ桑ノ元離宮所ニ行幸ノ儀ヲ始ム当時ノ制度トシテ恒例トシテハ神幸式ヲ許サズ依テ其年ヲ限リ神幸ヲ出願セリ故ニ城代ノ代参ナシ現今ハ例祭ニ行幸、流鏑馬、大神樂ヲ奏ス。
一、大正九年九月 神饌幣帛料供進神社ニ指定セラル。
【原文参照】
大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)