小牧宿禰神社(対馬 三根)

小牧宿禰神社(おひらすくねじんじゃは 現在の御祭神を天菩比命(アメノホヒノミコト)の御子神「建比良鳥(タケヒラトリノミコト)」であるとしています  一方 社号とされている神号「小牧宿禰(ヲヒラスクネノミコト)」は 六国史『日本三代実録 901年成立』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)」とあり『延喜式神名帳(927年12月編纂)には「小枚宿祢命神社(をひらすくねのみことの かみのやしろ)」と所載されています こちらが本来の神であろうとされています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

小牧宿禰神社Ohirasukune Shrine)
おひらすくねじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市峰町三根959

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》建比良鳥命Takehiratori no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

・不詳

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)901年』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)」と記されますのでそれ以前にはあったとおもわれます

【由  (History)】

・不詳

【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿の両脇に1祠づつ鎮座

本殿向かって右・田口村神社

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

本殿向かって左・軍殿神社

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿向かって左・十一面観音

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

社殿の裏山に鎮座・天神社(Tenjinsha)

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
対馬島 上県郡 天神多久頭多麻命神社」の論社です
・未参拝

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 小枚宿祢命神社
[ふ り が な ]をひらすくねのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Wohirasukune no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社の社号となっている「小枚宿祢命Wohirasukune no mikoto」について

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載「対馬島 上県郡 小枚宿祢命神社」の論社は 当 小牧宿禰神社Ohirasukune Shrine)が比定社となっています

現在の 御祭神は 天菩比命(アメノホヒノミコト)の御子神「建比良鳥(タケヒラトリノミコト)」です
これは『古事記(Kojiki)712年』に記されている
天菩比命(アメノホヒノミコト)の子 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)を祖(オヤ)として生まれた 津島縣直(ツシマノアカタノアタエ)との伝承によるものと云われます

一方 社号は「小牧宿禰命(ヲヒラスクネノミコト)」となっていて
この神社の神として
六国史『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)901年』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条には 「小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)」と記され

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)には 「小枚宿祢命(ワヒラスクネノミコトノ)神社」と所載されています

これらを考慮して
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)1876年』では 御祭神は「小牧宿禰命(ヲヒラスクネノミコト)」であり 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)では断じてあり得ないと記しています

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港からR382号を北上 約35km 車45分程度
三根湾にそそぐ 三根川沿いに道を折れて進みます 三根川沿いの道に面して鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

小牧宿禰神社Ohirasukune Shrine)に参着
鳥居は3基建っています
一の鳥居には扁額があり「小牧宿禰神社」と彫られています

一礼をして 水路に架かる橋を渡り境内に進みます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

新しい狛犬が座している二の鳥居をくぐると 右手には「天長地久」と刻まれた石碑が立ち 木製の三の鳥居が建っていて その後ろに 社殿が2つ建ち並びます 

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

木製の三の鳥居をくぐり 正面の拝殿にすすみます 古い狛犬が構えています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の扉を開くと 畳敷きの拝所が整えられていて 賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

「新改築落慶記念 昭和62年11月吉日 小牧宿禰神社」と印刷された手拭がありますので昭和62年(1987)に改築をしたのだとわかりました

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の奥には本殿が建ち その両脇には 各々境内社があり 賽銭を納めお祈りをします 境内の砂利の上に カエル 種類はわからず

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿と同じ大きさで 向かって左側に並列に立てられている建屋へ向かいます
入口には注連縄が掛かります 扉を開くと 拝所があり 進みますと どうやら三根の「十一面観音」で 真言の唱え詞「おんまか きやろに きやそわか」を三回唱えるように張り紙がありました その通りにお唱えをします

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

同じ敷地に並列に建つ神仏 神仏習合の名残りが強く残っていることを実感します 対馬のお天道さま信仰なのかもしれません
参道を戻ります 一の鳥居の先には三根川が流れています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居を抜けて振り返り一礼をします
境内の左手の道は 裏山に通じていますが ロープが張られていて 一般車両は立入が出来ませんでした 危険な香りも漂いますので「社殿の裏山に鎮座・天神社(Tenjinsha)」には参拝していません

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古事記(Kojiki)』和銅5年(712)編纂 に記される伝承

御祭神の建比良鳥命Takehiratori no mikoto)について

天照大御神(アマテラスオオミカミ)と須佐之男命(スサノヲノミコト)の誓約(ウケイ)段で 3女神〈宗像の3女神〉と5柱の男神〈その次男が 天菩比命(アメノホヒノミコト)〉が誕生します
この8柱の御子神の子孫が語られ 天菩比命(アメノホヒノミコト)の子 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)の系譜から生まれた国造〈クニノミヤツコ〉として 津島縣直(ツシマノアカタノアタエ)の祖(オヤ)と記されています

意訳

このあとから生まれた五柱の男神のうちの 
天菩比命(アメノホヒノミコト)の子 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)これは
・出雲国造(イズモノクニノミヤツコ)
・無耶志国造(ムザシノクニノミヤツコ)〈武蔵国造〉
・上菟上国造(カミツウナカミノクニノミヤツコ)〈上総国造〉
・下菟上国(シモツウナカミノクニノミヤツコ)〈下総国造〉
・伊自牟国造(イシムノクニノミヤツコ)
・津島縣直(ツシマノアカタノアタエ)〈對馬国造と同意〉
・遠江国造(トホツアフミノクニノミヤツコ)
らの祖(オヤ)である

次に、天津日子根命(アマツヒコネノミコト)は
・凡川内国造・額田部湯坐連・茨木国造・倭田中直・山代国造・馬来田国造・国造・周芳国造・倭淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造らの祖(オヤ)である

【原文参照】『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)と記されます

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上 
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

式内社の所在を「櫛村(クシムラ)に在す」としています 櫛村は 藩政時代迄は 三根郷10ヶ村「・志多賀佐賀三根津柳青海木坂狩尾吉田賀佐」の中です
現在の櫛の山中にあるとされる祭祀跡「小枚繁(ヲヒラノシゲ)」
をこれとしています

意訳

小枚(ヲヒラ)宿祢神社

神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・・従5位上

古事記 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト) 津島縣直(ツシマノアカタノアタエ)之祖(オヤ)

〇今 櫛村(クシムラ)に在す 小枚繁(ヲヒラノシゲ)と俗に云う その中に社あり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

式内社の所在を現在の小牧宿禰神社Ohirasukune Shrine)としています
社号を座王権現(ザオウゴンゲン)と称すと記します

意訳

小牧宿禰命神社

小牧宿禰は 乎比良乃須久尼(オヒラノスクネ)と訓ずべし

〇祭神明らかなり
〇三根郷三根村に在す 今 座王権現(ザオウゴンゲン)と称す 玉勝間

神位 三大実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・・従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015.『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

式内社の所在を現在の小牧宿禰神社Ohirasukune Shrine)としています
但し 御祭神は「小牧宿禰命(ヲヒラスクネノミコト)」であり 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)では断じてあり得ないと記しています

意訳

小牧宿禰命神社

祭神
今 按〈考えるに〉
長崎県 式内社記に祭神 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)とあるは 古事記に 天菩比(アメノホヒノミコト)の子 建比良鳥命云々 津島縣直云々 之祖(オヤ)なり とみえたるによりて 云える説と聞こえれど
小牧宿禰命(ヲヒラスクネノミコト)と云う神名がある上は 建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)にあらざる事明らか 故 今 式文によりて記せり

神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・・従5位上

祭日 6月1日
社格 村社
所在 三根村 字 天良濃宇知

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

小牧宿禰神社Ohirasukune Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.