大祓とは?夏越・年越の意味と大祓詞、茅の輪、人形を解説

SHD-0322|用語:大祓(夏越の大祓・年越の大祓)|読み:おおはらえ|Edition 1 Official Master完成版

大祓(おおはらえ)は、六月と十二月の晦日を基本として、人々や社会に生じた罪や穢れを祓い清める祭祀です。古代には国家的な制度として行われ、現在は夏越の大祓・年越の大祓として多くの神社に受け継がれています。本記事では、その意味、大祓詞、歴史、人形や茅の輪の作法を一次史料から解説します。

大祓の基本情報

用語大祓
読み方おおはらえ
別表記大解除(おおはらえ)・大祓式・夏越の大祓・年越の大祓・夏越の祓・年越の祓
英語表記Great Purification Rite / Ōharae
意味六月と十二月を基本として、人々や社会に生じた罪・穢れを祓い清める祭祀
分類神社祭祀・祓の祭祀・恒例祭祀
対概念特になし
関連概念祓・禊・大祓詞・祓戸四神・人形・形代・茅の輪・夏越祭・除夜祭

大祓の基本情報

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第1章 大祓とは

1-1 半年ごとに罪や穢れを祓い清める祭祀

大祓(おおはらえ)とは、人々が日々の生活の中で知らず知らずのうちに犯した罪や過ち、心身に生じた穢れを祓い清める祭祀です。古代の律令制度では、六月と十二月の晦日(みそか)に行うことが定められました。

六月の大祓では一年の前半、十二月の大祓では一年の後半に積み重なった罪や穢れを祓います。現在も多くの神社において、六月の大祓は「夏越の大祓」または「夏越の祓」、十二月の大祓は「年越の大祓」または「年越の祓」と呼ばれています。

大祓は、個人の願いだけを対象とする祭祀ではありません。古代には、朝廷に仕える官人をはじめ、広く国家や社会に生じた罪を祓い、祭祀と社会の秩序を整える公的な儀礼として行われました。そのため、大祓は一人ひとりの清浄を願う祓であると同時に、朝廷社会や、現代では氏子・崇敬者など広い範囲を対象とする性格を持っています。

大祓が半年ごとに行われることは、一年を前半と後半の二つの節目に分け、それぞれの終わりに生活を振り返り、清浄な状態へ立ち返る仕組みとして理解できます。ただし、これだけを根拠として「古代の一年は六か月だった」と断定することはできません。この問題については、第7章で一年二歳論・二倍年暦説との関係を含めて詳しく取り上げます。

1-2 夏越の大祓と年越の大祓

夏越の大祓(なごしのおおはらえ)は、六月の晦日を基本として行われる大祓です。一年の前半に生じた罪や穢れを祓い、暑さの厳しい夏と残る半年を無事に過ごせるよう願います。

夏越の大祓では、神職による大祓詞(おおはらえことば)の奏上や、人形(ひとがた)を用いた祓いに加え、茅(ちがや)や藁などで作られた茅の輪(ちのわ)をくぐる行事が広く知られています。ただし、茅の輪の設置、くぐる回数や進み方、唱える言葉などは、すべての神社で同じではありません。

年越の大祓(としこしのおおはらえ)は、十二月の晦日を基本として行われます。一年の後半に生じた罪や穢れを祓い、清浄な心身で新年を迎えるための祭祀です。

夏越と年越では季節上の意味が異なりますが、一定の期間に積み重なった罪や穢れを祓い、次の生活の節目を新たな状態で迎えるという基本的な目的は共通しています。

1-3 大祓でいう「罪」と「穢れ」

大祓で祓う「罪」は、現代の法律に違反する犯罪だけを意味するものではありません。古代の大祓詞には、田の畔を壊すことや水路を埋めることをはじめ、農耕や祭祀、家族関係や社会の秩序を乱すさまざまな行為が挙げられています。

これらは「天つ罪(あまつつみ)」と「国つ罪(くにつつみ)」に分けて列挙されています。そこには、古代の人々が社会と自然の秩序をどのように捉えていたのかが反映されています。

一方の「穢れ」は、死や病、災厄などと関係して生じる、祭祀上の清浄を損なった状態を表します。ただし、穢れを現代的な意味での「汚さ」や「悪」と単純に理解することは適切ではありません。大祓では、生活の中で生じた好ましくない状態を祓い清め、神々に向き合うことのできる清浄な状態へ戻すことが重視されています。

罪と穢れは厳密には異なる概念ですが、大祓においては、人や社会の秩序と祭祀上の清浄を損なうものとして、ともに祓いの対象とされてきました。

1-4 個人の祓と公的な大祓の違い

祓には、個人の身に付いた罪や穢れを祓うものと、国家や一定の社会的範囲を対象として行われる公的なものがあります。大祓は、後者に位置づけられる大規模な祓の祭祀です。

古代の律令国家では、大祓は国家祭祀の制度に組み込まれ、官人をはじめとする一定の範囲を対象として執行されました。ただし、当時のすべての人々が一か所に集まり、一斉に祓を受けたという意味ではありません。国家の秩序に関わる罪や穢れを取り除く公的な祭祀として制度化されていた点に特徴があります。

現代の神社における大祓では、氏子・崇敬者や地域の人々が人形に罪や穢れを託し、半年間を無事に過ごしたことに感謝するとともに、次の半年の平穏を祈ります。このように、大祓の対象や執行方法は時代によって変化していますが、個人だけに限定されない広い範囲の祓として行われる点に、大祓の重要な特徴があります。

第2章 「大祓」の読み方・語義・名称

2-1 「大祓」は「おおはらえ」と読む

大祓の基本的な読み方は「おおはらえ」です。「祓え」は、動詞「祓う」の名詞形として、罪や穢れを取り除く行為や、そのために行われる祭祀を表します。

現代では「おおはらい」と読まれることもありますが、古典祭祀・神社祭祀の名称としては「おおはらえ」が広く用いられています。神社によっては、祭典名を「大祓式(おおはらえしき)」と表記します。

古代史料には「大解除」と書かれる例もあります。「解除」は現在では「かいじょ」と読みますが、古代の祭祀に関する文脈では「はらえ」と読まれ、罪や災いを解き除く意味を表します。

2-2 「大」が表す公的な祓の性格

大祓の「大」は、特定の一人だけを対象とする祓ではなく、多数の人々や広い範囲に関わる公的な祓であることを示すものと考えられます。古代の大祓は、律令国家の祭祀制度に組み込まれ、朝廷の官人を対象とする国家的な儀礼として執行されました。

『令義解』などによれば、六月と十二月の晦日に行われる大祓では、親王以下の百官が祓の場に集い、中臣(なかとみ)が大祓詞を読み上げ、卜部(うらべ)が祓物を受け取ることが定められていました。中臣は朝廷の祭祀に奉仕し、祝詞を宣読する役割を担いました。卜部は占いや祓に関わる祭祀実務を担当し、大祓では官人から差し出された祓物を受け取りました。

このように、古代の大祓は、中臣による大祓詞の宣読と、卜部による祓物の受け取りを組み合わせ、国家の制度として執行された公的な祓でした。ただし、当時のすべての人々が一か所に集まり、直接祓を受けたという意味ではありません。大祓が国家祭祀として制度化されていたことと、実際に参列した人々の範囲は区別して理解する必要があります。

現代の神社における大祓では、氏子・崇敬者や参拝者が人形(ひとがた)などに罪や穢れを託し、神社の祭祀を通じて祓い清めを願います。対象や執行方法は古代から変化していますが、一人だけの私的な祓に限定されず、多くの人々を対象として行われる点に、大祓の公的な性格が表れています。

2-3 「祓」と「祓え」の表記

「祓」は、罪や穢れを除いて清浄な状態に戻す行為を表す文字です。「祓え」はその行為や祭祀を表す日本語であり、古典では「はらへ」と表記されます。

現在の文章では、「祓」は祓いという行為や概念を広く指し、「大祓」は六月と十二月を基本として行われる恒例の祭祀名として用いられます。また、神社の祭典名には「大祓式」「夏越大祓式」「年越大祓式」などの表記も見られます。

本記事では、祭祀全体の正式な用語として「大祓」、一般的な行為を指す場合には「祓」または「祓い」と表記します。史料名や神社の公式祭典名を紹介する場合は、それぞれの原表記を尊重します。

2-4 夏越・水無月・年越などの呼称

六月に行われる大祓は、「夏越の大祓」「夏越の祓」「水無月祓」「六月祓」などと呼ばれます。「夏越」は、罪や穢れを祓い、暑い夏を無事に越すという意味と結びつけて理解されています。

十二月に行われる大祓は、「年越の大祓」「年越の祓」「歳越の大祓」「師走の大祓」などと呼ばれます。旧年に積み重なった罪穢れを祓い、新しい年を清浄な状態で迎えるための祭祀です。

ただし、これらの名称や斎行日は全国で完全に統一されているわけではありません。旧暦や月遅れの習慣、地域祭礼との関係により、七月などに夏越の祓を行う神社もあります。また、「夏越祭」「水無月祭」など、地域の祭礼と一体化した名称が用いられる場合もあります。

第3章 一次史料にみる大祓

3-1 『神祇令』に定められた六月・十二月の大祓

大祓が国家祭祀として制度化されていたことは、律令の神祇祭祀に関する規定である『神祇令』によって確認できます。『神祇令』第18「大祓条」では、大祓を六月と十二月の晦日に行うことが規定されています。

その概要は、中臣が御祓麻(おおぬさ)を奉り、東西の文部(ふひとべ)が祓刀(はらえのたち)を奉るというものです。その後、百官の男女が祓所へ集まり、中臣が祓詞を宣読し、卜部が祓いを行うこととされました。

ここから、大祓が神職だけで完結する祭祀ではなく、朝廷に仕える多くの官人を対象とする公的な祓であったことが分かります。また、『神祇令』第19「諸国条」には、諸国で大祓を行う際の祓物に関する規定があり、大祓が中央だけでなく、地方を含む国家的な制度として構想されていたことが示されています。

『神祇令』にみる大祓の基本構成

項目内容
祭期六月・十二月の晦日
主な対象親王以下の百官の男女をはじめとする朝廷社会
中臣の役割祓詞を宣読する
卜部の役割祓いを執行する
祭祀の性格国家・官人に関わる罪を定期的に祓う公的祭祀

3-2 『令義解』にみる律令祭祀としての大祓

『令義解(りょうのぎげ)』は、天長10年(833)に完成した律令の公的注釈書です。『神祇令』の条文だけでは分かりにくい語句や祭式上の意味を確認するうえで重要な史料です。

『令義解』によれば、大祓では百官の男女が祓所へ集まり、中臣が祓詞を述べ、卜部が祓い清めるという役割分担が示されています。中臣氏は朝廷の神祇祭祀において祝詞の宣読を担い、卜部氏は卜占や祓の実務を担う氏族でした。

この役割分担から、大祓は単に祓詞を唱えるだけの儀礼ではなく、祓詞によって祓うべき罪を言葉として示し、さらに祓物や所作を通して罪を解除する祭祀であったことが分かります。

また、大祓の対象となる「百官の男女」には、朝廷に仕える男性官人だけでなく、女性官人も含まれます。大祓は、朝廷社会を構成する広い範囲の人々を対象とした儀礼でした。

ただし、古代の大祓のすべてが同じ形式で途切れることなく行われたと断定することはできません。律令の規定は制度上の原則を示すものであり、各時代における実際の斎行状況については、『続日本紀』などの記録と照合して検討する必要があります。

3-3 『延喜式』巻一「大祓条」と巻八「六月晦大祓」

平安時代の大祓の制度と詞章を伝える重要な史料が、『延喜式』です。『延喜式』は延長5年(927)に完成・撰進され、康保4年(967)に施行された全50巻の律令施行細則です。

大祓については、主に二つの箇所を区別する必要があります。

第一は、巻一「四時祭式上」第29「大祓条」です。ここには、大祓に用いる祓物と祭儀の進行が規定されています。六月と十二月の晦日には、申の時以前に親王以下の百官が朱雀門へ集まり、卜部が祝詞を読むことなどが定められています。

第二は、巻八「祝詞式」第12「六月晦大祓」です。ここには、大祓の際に宣読された祝詞の詞章が収められています。表題は六月晦の大祓ですが、十二月の大祓もこれに準じて行われたことが付記されています。

『神祗令』および『令義解』では中臣が祓詞を宣読するとされていますが、『延喜式』巻一「大祓条」では卜部が祝詞を読むと規定されています。この相違については、卜部が中臣の職掌を代行するようになったとする説や、祭祀を担う氏族間の関係を反映したものとする説などがあります。したがって、古代を通じて中臣と卜部の役割が常に同一だったとみなすことはできません。

したがって、『延喜式』巻一は大祓の祭式・祓物・参集方法を知る史料、巻八は大祓で宣読された言葉と祓いの思想を知る史料として位置づけられます。

『延喜式』における大祓関係条文

収録箇所条文・祝詞名主な内容
巻一「四時祭式上」第29「大祓条」祓物、斎行時刻、参集者、祭場など、大祓の祭式を規定する
巻八「祝詞式」第12「六月晦大祓」大祓で宣読される祝詞を収録し、罪の種類と祓われる過程を示す

國學院大學「延喜式祭祀関連条文対応データベース」では、大祓に関する規定が、四時祭式・祝詞式だけでなく、斎宮式・太政官式・中務式・内蔵式など多数の巻に及ぶことが整理されています。これは、大祓が複数の官司と広範な官人に関係する国家的な祭祀であったことを示しています。

3-4 大祓詞に列挙される天つ罪・国つ罪

『延喜式』巻八「六月晦大祓」の中心部分には、人々が犯したとされる罪の列挙があります。大祓詞では、これらを「天つ罪」と「国つ罪」に分けています。詞章の内容を史料に即して確認できるよう、以下に該当部分を抜粋します。

大祓詞の原文抜粋

天つ罪と 畔放ち 溝埋め 樋放ち 頻蒔き 串刺し 生剝ぎ 逆剝ぎ 屎戸 許許太久の罪を 天つ罪と法別けて

国つ罪と 生膚断ち 死膚断ち 白人 胡久美 己が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 畜犯せる罪 昆虫の災 高つ神の災 高つ鳥の災 畜仆し 蠱物せる罪 許許太久の罪出でむ

底本・表記参照:虎尾俊哉編『訳注日本史料 延喜式 上』(集英社、2000年)および國學院大學「大祓詞」。読みやすさを考慮して句読点・表記の一部を整えました。

天つ罪には、田の畔を壊す「畔放ち」、水路を埋める「溝埋め」、灌漑設備を損なう「樋放ち」、重ねて種を蓔く「頻蓔き」など、稲作の秩序を乱す行為が含まれます。また、「生剥ぎ」「逆剥ぎ」「屎戸」など、『古事記』『日本書紀』の須佐之男命の神話と関係する行為も列挙されています。

国つ罪には、人の身体を傷つける行為、病気や災い、親族関係に関わる禁忌、動物との関係、まじないによって災いをもたらす行為などが列挙されています。ここでいう「罪」は、現代法の犯罪だけでなく、社会秩序を乱す行為、病気、災害、禁忌への抵触などを含む古代祭祀上の広い概念です。

なお、原文には、現代の人権意識や医学的理解から見れば不適切と受け取られる可能性のある病気・身体・性に関する歴史的表現が含まれます。これらは古代の社会観念と祭祀制度を伝える史料上の語句であり、現代の価値判断や疾病理解を示すものではありません。

3-5 罪や穢れが祓い去られる過程

大祓詞では、罪を列挙するだけでなく、それらがどのように祓われ、最終的に失われるのかが壮大な自然の動きとして描かれています。

まず、天津神(あまつかみ)が天の磐門(あめのいわと)を開き、幾重にも重なる雲をかき分けるようにして、神の命令が地上へ伝えられます。そして、大中臣(おおなかとみ)が天つ金木(かなぎ)を打ち切り、祓詞を宣読することで、罪が祓われると述べられます。

祓われた罪は、高い山や低い山から流れ落ちる水の勢いによって大河へ運ばれ、瀬織津比賣(せおりつひめ)が海へ持ち出すとされます。海では、速開都比賣(はやあきつひめ)が罪を呑み込みます。

さらに、気吹戸主(いぶきどぬし)が罪を根の国・底の国へ吹き放ち、最後に速佐須良比賣(はやさすらひめ)がそれを失わせると語られます。

この詞章では、罪や穢れは単に目の前から取り除かれるのではありません。川の流れ、海の潮流、風の力、根国・底国という異界へと続く動きの中で、段階的に遠くへ運ばれ、最終的に失われるものとして表現されています。

後世には、この過程を担う神々が祓戸四神(はらえどのししん)として信仰されるようになりました。ただし、「祓戸四神」というまとまりや神名の表記については、時代や神社による違いがあります。

3-6 原文・読み下し・現代語による趣旨の区別

大祓詞を紹介する場合は、原文、読み下し、現代語訳、内容の要約を区別する必要があります。古代の祝詞には、現在では用いられない語句や、研究者によって解釈が分かれる表現が含まれているためです。

原文抜粋

六月晦大祓。十二月准此。

読み下し

六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓。十二月(しはす)もこれに准(なぞら)え。

現代語による趣旨

六月の最終日に行う大祓について定めます。十二月の大祓も、これに準じて行います。

この短い付記から、巻八の祝詞が「六月晦大祓」と題されていても、大祓詞の基本的な詞章は六月だけに限定されたものではなく、十二月の大祓にも準用されたことが分かります。

なお、現代の神社で奏上される大祓詞は、『延喜式』所収の「六月晦大祓」を基礎としながら、表現や読み方の一部が整えられています。そのため、古代の原文と現代の奏上文を完全に同一のものとして扱わず、それぞれの成立時期と用途を区別する必要があります。

第4章 大祓の歴史

4-1 律令国家成立以前の禊祓との関係

大祓の歴史を考えるうえで、その神話的背景として挙げられるのが、『古事記』『日本書紀』に記された伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらえ)です。

伊邪那岐命は、亡くなった伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉国(よみのくに)へ赴きます。しかし、その地の穢れに触れたため、地上へ戻った後、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはら)で身を清めたと語られています。

この場面では、身に着けていた物を脱ぎ捨て、水に入って身体を清めることによって、黄泉国で負った穢れを取り除いています。そのため、伊邪那岐命の禊は、後世において祓や清浄の由来を説明する重要な神話として受け継がれました。

ただし、水によって身体を清める「禊」と、祓物を差し出し、祓詞を宣読して罪を解除する古代の「祓」は、本来まったく同じ行為ではなかったとする研究があります。両者は歴史の中で次第に接近し、現在では「禊祓」という言葉で一体的に捉えられることも多くなっています。

したがって、伊邪那岐命の禊を大祓の神話的背景として紹介することはできますが、律令制に定められた国家祭祀としての大祓が、この神話からそのまま成立したと断定することはできません。神話上の禊と制度上の大祓は、それぞれの性格を区別して考える必要があります。

4-2 飛鳥・奈良時代の国家祭祀

国家的な大祓の成立過程を知る史料として、『日本書紀』天武天皇5年(676)8月条に記された「大解除(おおはらえ)」があります。このとき、諸国に命じて祓物を差し出させ、広い範囲を対象とした大規模な祓が行われました。

その後、天武天皇10年(681)7月、朱鳥元年(686)7月にも諸国を対象とする大解除の記事が見られます。これらは六月と十二月の恒例祭祀として行われたものではありませんが、国内の罪や災いを広く祓い、国家の秩序を整えようとする大祓の前段階として位置づけられます。

大宝元年(701)に大宝律令が成立すると、大祓は律令国家の神祇祭祀として制度化されました。『神祇令』では、六月と十二月の晦日に大祓を行い、中臣が祓詞を述べ、卜部が祓いを執行することが規定されています。

大宝2年(702)12月30日には、持統太上天皇の崩御によって大祓が中止されたことが『続日本紀』に記されています。これは、十二月晦日の恒例大祓が当時すでに制度として認識されていたことを示す早い事例です。

律令制下の大祓は、十二か月を一年とする暦の中で、六月と十二月という半年ごとの節目に行われました。そのため、年二回の大祓が定められていたことを、そのまま「当時の一年は六か月だった」ことの証拠とすることはできません。史料上確認できるのは、一年を前半と後半に分け、それぞれの終わりに国家的な祓を行う制度が成立していたことです。

古代における大祓制度の成立過程

時期史料・制度大祓に関する内容
天武天皇5年(676)『日本書紀』諸国に祓物を差し出させ、四方を対象とする大解除を実施
天武天皇10年(681)『日本書紀』大解除を行い、国造らに祓物を差し出させる
朱鳥元年(686)『日本書紀』諸国に大解除の実施を命じる
大宝元年(701)大宝律令大祓を律令国家の恒例祭祀として制度化
大宝2年(702)『続日本紀』持統太上天皇の崩御により十二月晦日の大祓を中止

4-3 平安時代の宮中大祓

平安時代の大祓については、『延喜式』巻一「四時祭式上」や巻八「祝詞式」をはじめ、太政官式・中務式・式部式・民部式・宮内式など、多数の規定からその様子を知ることができます。

恒例の大祓は、六月と十二月の晦日に行われました。『延喜式』巻一「大祓条」では、晦日の申の時以前に、親王以下の百官が朱雀門へ参集することが定められています。

朱雀門は、平安京大内裏の南正面に位置する門です。大祓がこの門の前で行われたことは、宮城内部だけの私的な祭祀ではなく、朝廷社会を広く対象とする公的な儀礼であったことを象徴しています。

『延喜式』巻一「大祓条」の祭儀では、祓物が用意され、卜部が祝詞を読むと定められています。一方、『神祗令』や『令義解』では中臣が祓詞を宣読し、卜部が祓の実務を担うとされており、史料によって役割の記述が異なります。参加する官人の確認や祓物の準備には複数の官司が関わっており、大祓は朝廷の組織によって執行される国家祭祀でした。

また、六月と十二月の恒例大祓だけでなく、大嘗祭、斎王の卜定や群行、疫病、災害、異変などに際して、臨時の大祓が行われることもありました。大祓は、一定期間の罪を定期的に祓うだけでなく、国家に重大な変化や不安が生じた際に秩序を立て直す役割も担っていました。

一方、天皇自身に対しては、御贖(みあがもの)や節折(よおり)など、百官を対象とする大祓とは別の祓も行われました。大祓とこれらの祓は密接に関係しますが、対象や祭式が異なるため、同一の儀礼として扱うことはできません。

4-4 中世における大祓の変化

律令国家の制度が変化すると、朱雀門前に百官が参集する古代以来の大祓は、次第に本来の規模では行われなくなりました。応仁の乱後には、朝廷における恒例大祓が中断したとされています。

しかし、大祓詞や祓の思想そのものが失われたわけではありません。中世には、大祓詞に関係する「中臣祓(なかとみのはらえ)」または「中臣祭文(なかとみのさいもん)」が、神職だけでなく、陰陽師や僧侶などの宗教者にも用いられました。

中臣祓は、祓の詞として唱えられるだけでなく、その意味を説明する注釈や解釈も数多く作られました。神道・仏教・陰陽道などの知識が交わる中で、祓の作法や思想は多様に展開していきました。

この時期には、国家の公的儀礼としての大祓が衰える一方で、祓が個人の病気平癒、災厄除け、罪障消滅などの願いと結びつき、人々の生活へ広がっていきました。大祓の詞章と思想は、古代の制度から離れた後も、さまざまな宗教者によって受け継がれたのです。

一方、六月に行われる夏越の祓や水無月祓では、茅の輪をくぐる、水辺で身を清める、人形を流すといった行事が各地で伝えられました。古代朝廷の大祓と地域の夏越行事は、成立や伝承の過程を必ずしも同じくしませんが、時代が下るにつれて相互に結びつき、現在の「夏越の大祓」へとつながっていきました。

4-5 近世の神社・地域社会における定着

近世には、神道家や国学者による大祓詞の研究が盛んになりました。祓がどのような神々の働きによって行われるのか、罪穢れがどのように消えていくのかについて、多くの注釈書が作られました。

元禄4年(1691)には、朝廷において大祓が復興されました。ただし、古代のように朱雀門前へ百官が参集する大規模な儀礼ではなく、内侍所の清祓として限られた形で行われたとされています。

各地の神社や地域社会では、六月の夏越の祓が年中行事として続けられました。茅の輪くぐり、人形による祓、水辺での禊、川や海への形代流しなど、地域の生活や自然環境に応じた方法が見られます。

茅の輪による疫病除けの信仰は、『備後国風土記』逸文に伝えられる蘇民将来(そみんしょうらい)の説話と結びつけて説明されます。説話では、武塔神(むとうのかみ)が蘇民将来の家族に茅の輪を身に着けさせ、疫病から免れる方法を示したと語られています。

ただし、『備後国風土記』逸文に登場する茅の輪は、現在のように人がくぐる大きな輪ではなく、腰に着ける小さな輪です。そのため、この説話を現在の茅の輪くぐりの作法がそのまま成立した直接的な記録として扱うことはできません。茅の疫病除け信仰と後世の夏越行事が結びつき、現在の形へ展開したものとして理解する必要があります。

4-6 近代以降の大祓と神社祭祀

明治4年(1871)6月、朝廷における大祓の儀式が復興されました。翌明治5年(1872)には、その式次第が制定され、各地へ示されました。

さらに明治8年(1875)の式部寮達「神社祭式」によって、大祓は神社祭祀の一つとして明確に位置づけられました。近代の大祓は、古代朝廷の大祓を意識しながら、中世・近世を通して各地で受け継がれてきた祓の方法や信仰も取り入れて形成されました。

大正3年(1914)には、官国幣社以下の神社祭式における大祓が改めて整備されました。こうした近代の祭式制度が、現在、多くの神社で行われている六月と十二月の大祓式の基礎となっています。

現代も宮中では、6月30日と12月31日に大祓が行われています。宮内庁は、神嘉殿の前で皇族をはじめ国民のために行われる祓の行事として、大祓を主要祭儀の一つに挙げています。また、天皇のためには、これとは別に節折が行われます。

全国の神社でも、夏越の大祓と年越の大祓が恒例祭祀として斎行されています。ただし、現在の大祓は古代の祭式をそのまま再現したものではありません。古代の国家祭祀、中世・近世の祓の伝承、地域の夏越行事、近代に整備された神社祭式が重なり合って、現在の形に受け継がれています。

第5章 大祓詞の内容と祓いの思想

5-1 大祓詞とは

大祓詞(おおはらえことば)は、大祓において罪や穢れを祓い清めるために宣読される祝詞です。その古い形は、『延喜式』巻八「祝詞式」第12「六月晦大祓」に収められています。

後世には、『延喜式』の大祓詞と概ね同じ詞章を持つ「中臣祓」が成立し、私的な祈祷やさまざまな祓にも用いられました。ただし、「六月晦大祓」と中臣祓は、成立時期、用途、詞章の構成が完全に同一ではありません。

大祓詞は、単に罪を許すよう願う文章ではありません。天上の神々の命令によって国土と社会の秩序が定められ、その中で生じた罪が言葉によって明らかにされ、川・海・風などの自然の働きと神々の力によって失われるまでを語る構成になっています。

現在、神社で奏上される大祓詞は、『延喜式』所収の祝詞を基礎としながら、古代の語句の一部を省き、読み方や表現を整えたものです。そのため、古代の「六月晦大祓」と現代の奏上文には共通する部分が多い一方、完全に同一の本文ではありません。

5-2 高天原から始まる詞章の構成

大祓詞は、高天原(たかまのはら)に鎮まる神々の命令から始まります。皇祖神をはじめとする神々が集まり、神議(かむはかり)によって皇孫が豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)を治めることが定められたと語られます。

続いて、国土が平定され、天皇の宮殿が築かれ、国内が安定していく過程が述べられます。その一方で、天皇の支配する国の中にさまざまな罪が生じることが示されます。

そして、天つ罪・国つ罪を列挙した後、大中臣が祓詞を宣読することにより、罪が祓われると述べられます。祓われた罪は川から海へ運ばれ、さらに神々の働きによって次々と受け渡され、最後には失われると語られます。

大祓詞の基本的な構成

段階詞章の内容祓いにおける意味
第一段階高天原の神々による神議国土と祭祀秩序の根拠を示す
第二段階国土の平定と宮殿の成立天皇を中心とする秩序の成立を語る
第三段階天つ罪・国つ罪の列挙祓うべき行為や状態を言葉として明らかにする
第四段階祓詞の宣読罪が祓われることを宣言する
第五段階川・海・風を経る罪の移動祓われた罪が遠くへ運ばれる過程を示す
第六段階根国・底国で失われる過程罪が最終的に失われ、清浄が回復する

5-3 天つ罪・国つ罪とは何か

大祓詞に列挙される天つ罪は、田の畔や水路を壊す行為、重ねて種を蒔く行為、串を立てて土地を占有する行為、馬の皮を不当に剥ぐ行為、神聖な場所を汚す行為などから構成されています。

これらは、稲作に必要な土地と水の秩序、祭祀に奉仕する動物、神聖な場所の清浄を損なう行為です。『古事記』『日本書紀』で須佐之男命が高天原において行った乱行と重なることから、天つ罪は神話と祭祀の両方に関係する罪として理解されてきました。

国つ罪には、生きた人の身体を傷つける行為、死者に関わること、病気、家族関係や性に関わる禁忌、動物や自然物による災いなど、多様な事柄が含まれています。

ここで注意しなければならないのは、大祓詞における「罪」が、行為者の意思や責任だけによって分類されていないことです。現代では犯罪とされない病気や身体の状態、自然によって生じる災いも、祭祀上の秩序を損なうものとして罪の一覧に含まれています。

そのため、大祓詞の罪を現代の法律や倫理によって直接評価するのではなく、古代の人々が社会・生命・身体・自然・祭祀の秩序をどのように理解していたのかを示す史料として読むことが大切です。

5-4 祓戸四神によって罪穢れが失われる過程

大祓詞の後半では、祓われた罪を受け取り、運び、最終的に失われるものとする神々が語られます。後世、この働きを担う神々は祓戸四神と呼ばれるようになりました。

祓戸四神と大祓詞における働き

神名鎮まる場所・自然の働き大祓詞における役割
瀬織津比賣(せおりつひめ)川の早瀬祓われた罪を大海原へ持ち出す
速開都比賣(はやあきつひめ)多くの潮流が集まる海海へ運ばれた罪を呑み込む
気吹戸主(いぶきどぬし)風が吹き起こる所呑み込まれた罪を根の国・底の国へ吹き放つ
速佐須良比賣(はやさすらひめ)根の国・底の国運ばれてきた罪をさすらわせ、失わせる

大祓詞では、罪が一柱の神によって瞬時に消されるのではなく、川、海、風、根の国・底の国という複数の領域を経て、神々の間で順に受け渡されます。

この構成は、川が地上のものを海へ運び、海がそれを呑み込み、風が遠くへ吹き去るという自然の動きを、祓いの働きとして表現したものと理解できます。

なお、神名の漢字表記や読み方には、史料・神社・研究書による違いがあります。本記事では、大祓詞と現代の神社で広く用いられる表記を踏まえて記載します。

5-5 祓戸の神々によって罪穢れが失われるまで

『延喜式』巻八「六月晦大祓」では、祓い清められた罪が、川から海へ運ばれ、さらに風によって吹き放たれ、最後には失われるまでの過程が語られています。この詞章は、後世に「中臣祓」と呼ばれた大祓詞の中でも、祓いの思想を象徴する部分です。

『延喜式』巻八「六月晦大祓」原文抜粋

高山の末、短山の末より、佐久那太理に落ち多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神、大海原に持ち出でなむ。

かく持ち出で往なば、荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と云ふ神、持ち加加呑みてむ。

かく加加呑みてば、気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神、根国・底国に気吹き放ちてむ。

かく気吹き放ちてば、根国・底国に坐す速佐須良比売と云ふ神、持ち佐須良ひ失ひてむ。

底本・表記参照:虎尾俊哉編『訳注日本史料 延喜式 上』(集英社、2000年)および國學院大學「大祓詞」。読みやすさを考慮して句読点・表記の一部を整えました。

瀬織津比売(せおりつひめ)は罪穢れを速川から大海原へ運び、速開都比売(はやあきつひめ)は海でそれを呑み込みます。気吹戸主(いぶきどぬし)は根国・底国へ吹き放ち、速佐須良比売(はやさすらひめ)はそれをさすらわせ、失わせると語られます。

この一連の詞章では、罪穢れが単にその場から取り除かれるだけではなく、川、海、風などの働きを経て、段階的に失われていく構造が示されています。ただし、これは自然現象を科学的に説明したものではなく、祓いの過程を祭祀的な言葉によって表したものです。

ここでは、祓いが単に過去の過ちを忘れることとして表現されているのではありません。乱れた状態を正し、罪穢れを人々の生活領域から外へ送り出し、清浄な秩序を回復する一連の過程として描かれています。

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5-6 現代における大祓詞の奏上

現在の神社では、六月と十二月の大祓式をはじめ、日常の祓、各種祈願、祭典前の清祓などで大祓詞が奏上されることがあります。神職だけが奏上する場合のほか、参列者に詞章を配り、全員で唱える神社もあります。

現代の大祓詞は、『延喜式』の「六月晦大祓」を基礎としていますが、古代の罪の列挙など一部の詞章が省かれ、読み方も整えられています。そのため、現在の大祓詞を『延喜式』の原文そのものとして引用することは適切ではありません。

大祓詞を奏上する意味は、古代の言葉をそのまま再現することだけにあるのではありません。人々が自らの生活を振り返り、罪や穢れを祓い、清らかな心で次の節目へ進むことを願う詞として、現代の神社祭祀に受け継がれています。

第6章 大祓はどのように行われるのか

6-1 現代の大祓式の基本的な流れ

現代の大祓式は、神社本庁の祭式や各神社の伝統に基づいて行われます。祭儀の順序、用いる祓具、参列者の動きなどは神社によって異なりますが、一般には、大祓詞の奏上、人形や祓具による祓い、茅の輪くぐりなどによって構成されます。

参列者は、指定された時刻までに受付を済ませ、神職の案内に従って祭場へ進みます。事前に人形が配られている場合は、氏名や年齢などを書き、身体を撫で、息を吹きかけたうえで神社へ納めます。

祭儀が始まると、神職が大祓詞を奏上し、参列者や納められた人形を祓い清めます。その後、神社によっては参列者が茅の輪をくぐります。

ただし、茅の輪くぐりはすべての大祓で行われるものではありません。また、大祓詞の奏上、人形の使用、祓物を裂く所作の有無や順序にも違いがあります。

現代の大祓式に見られる一般的な流れ

順序主な行為内容
1受付・人形奉納人形に氏名などを書き、身体を撫で、息を吹きかけて納める
2参列・開式神職の案内に従い、祭場で大祓式に参列する
3大祓詞奏上神職が大祓詞を奏上し、罪穢れの祓いを願う
4祓物・切麻による祓い祓物を裂く、切麻を身体にかけるなどの方法で祓う
5人形の祓い参列者や事前に奉納された人形をまとめて祓い清める
6茅の輪くぐり神社の定める作法に従って茅の輪をくぐる

この表は一般的な構成を示したものであり、全国の神社に共通する固定された順序ではありません。実際の参列では、斎行神社の案内に従う必要があります。

6-2 大祓詞の奏上

大祓式の中心となるのが、大祓詞の奏上です。神職は、参列者や氏子・崇敬者、奉納された人形に託された罪穢れが祓われるよう願い、大祓詞を奏上します。

奏上中、参列者は静かに頭を下げて聞く場合もあれば、配布された大祓詞を神職とともに唱える場合もあります。どちらが正式ということではなく、神社の祭式や方針によって異なります。

大祓詞は、罪穢れが川・海・風を経て消えていく過程を語る長い祝詞です。参列者にとっては、単に言葉を聞くだけでなく、半年間の生活や行為を振り返り、心身を清浄な状態へ整える時間となります。

6-3 祓物を裂く所作

大祓式では、麻や木綿(ゆう)などの祓物を裂く所作が行われることがあります。古代史料では、『神祗令』・『令義解』と『延喜式』巻一とで、中臣と卜部の役割の記述が異なります。現代の所作を、どちらか一方の史料に記された役割の直接的な再現とみなすことは適切ではありません。

古代の祓では、罪を犯した者や祓いを受ける者が、馬・布・刀・皮・麻などの祓物を差し出しました。祓物には、罪をあがない、罪穢れを移して祓い去るための物実(ものざね)としての性格があったと考えられています。

現代の大祓式で見られる祓物を裂く所作は、こうした古代の祭式を背景としています。ただし、使用する物や所作の方法は神社によって異なり、すべての大祓式で行われるわけではありません。

6-4 人形・形代による祓い

人形(ひとがた)は、人の姿をかたどった紙などの形代(かたしろ)です。大祓では、人形に自分の氏名や年齢などを書き、身体を撫で、息を吹きかけることで、自らの罪や穢れを託すとされています。

一般には、頭、胸、腕、脚など、身体の気になる部分を人形で撫でます。その後、人形へ息を吹きかけ、神社へ納めます。ただし、記入する内容、撫でる回数、息の吹きかけ方は神社によって異なります。

人形は、本人の代わりとなる「身代わり人形」というよりも、祓うべき罪穢れを一時的に託す形代として理解するのが適切です。納められた人形は、大祓式において神職によって祓い清められます。

神社によっては、人形だけでなく、車をかたどった車形(くるまがた)を用意し、交通安全や車に関わる災いを祓う例もあります。また、家族や会社、団体単位で人形を納める場合もあります。

6-5 茅の輪くぐり

茅の輪くぐりは、夏越の大祓を代表する行事として広く知られています。茅や藁などを束ねて作った大きな輪を神社の参道や拝殿前に設け、参列者がこれをくぐることで、罪穢れを祓い、無病息災を願います。

一般には、茅の輪を左・右・左と八の字を描くように三回くぐった後、正面から神前へ進む方法が知られています。また、「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶというなり」などの唱え詞を口にしながらくぐる神社もあります。

ただし、茅の輪のくぐり方は全国で一律ではありません。一度だけ正面からくぐる神社、進行方向を定めている神社、異なる唱え詞を用いる神社、神職の先導に従って進む神社などがあります。

茅の輪の茅を勝手に抜いて持ち帰ることは、輪を傷め、後から参拝する人の妨げになります。小型の茅の輪守りを授与する神社もあるため、持ち帰りを希望する場合は、その神社の案内に従うことが大切です。

6-6 人形の流却・焼納などの地域差

人形や形代には、祓いを終えた後、川や海へ流す習俗があります。水の流れによって罪穢れを人里から遠ざけるという考え方は、大祓詞に描かれる、罪が川から海へ運ばれる構造とも通じています。

しかし、現在は河川や海の環境保全、安全管理などの理由から、実際に人形を水へ流さない神社も多くあります。神社で祓いを行った後に焼納する、所定の方法で納める、象徴的な流却だけを行うなど、その方法はさまざまです。

参列者が自分の判断で人形を川や海へ流すことは、環境汚染や不法投棄につながるおそれがあります。人形は必ず大祓を申し込んだ神社へ納め、その神社の方法に委ねる必要があります。

また、人形を郵送で受け付ける神社や、氏子区域の各家庭へ事前に配布して回収する神社もあります。こうした方法は、直接参列できない人も大祓に加わることのできる現代的な形として広がっています。

6-7 参列者が知っておきたい作法

大祓は、一般の参拝者が参列できる場合が多い祭祀です。ただし、事前申込みが必要な神社、氏子・崇敬者を中心に行う神社、祭場への参入人数を限る神社もあります。

服装について特別な指定がなければ、清潔で祭儀にふさわしい服装を心がけます。祭儀中は私語を控え、写真や動画の撮影は神社の許可や案内に従います。

人形の書き方、初穂料、受付期限、茅の輪のくぐり方、参列場所は神社ごとに異なります。インターネット上で紹介される一般的な作法だけを全国共通の決まりと考えず、斎行神社の公式案内や神職の指示を優先することが大切です。

また、茅の輪だけをくぐる場合でも、まず神前へ敬意を表し、ほかの参拝者の進行を妨げないようにします。大祓は作法を形式的にこなすだけの行事ではなく、半年間の生活を振り返り、心身を整えて次の節目を迎えるための祭祀です。

第7章 夏越の大祓と年越の大祓

7-1 夏越の大祓―六月晦日の祓い

夏越の大祓(なごしのおおはらえ)は、六月の晦日を基本として行われる大祓です。「夏越の祓」「水無月祓」「六月祓」などとも呼ばれます。

一年の前半に積み重なった罪や穢れを祓い、残る半年を清浄な心身で過ごすことを願います。旧暦六月は夏の盛りへ向かう時期にあたり、疫病や暑さによる体力の低下、風水害などへの警戒が必要な季節でもありました。そのため、夏越の祓は無病息災や夏の災厄除けを願う行事とも結びつきました。

現在の夏越の大祓では、神職による大祓詞の奏上、人形による祓い、茅の輪くぐりなどが行われます。ただし、これらのすべてが全国共通の祭式として必ず行われるわけではありません。

とくに茅の輪くぐりは夏越の大祓を象徴する行事として知られていますが、古代朝廷の大祓と地域社会に伝わった夏越の祓・茅の輪の行事は、成立過程を必ずしも同じくしません。現在の夏越の大祓は、国家祭祀としての大祓と地域の夏越行事が歴史の中で結びついたものとして理解する必要があります。

7-2 年越の大祓―十二月晦日の祓い

年越の大祓(としこしのおおはらえ)は、十二月の晦日を基本として行われる大祓です。「年越の祓」「歳越の大祓」「師走の大祓」などとも呼ばれます。

一年後半の生活の中で積み重なった罪や穢れを祓い、清浄な状態で新しい年を迎えることを目的とします。年末には大掃除や煤払いなど、住居や生活空間を整える行事も行われますが、年越の大祓では、氏子・崇敬者などの心身と社会に生じた罪穢れを祓うことが中心となります。

年越の大祓でも、大祓詞の奏上や人形による祓いが広く行われます。夏越の大祓と同様に茅の輪を設ける神社もありますが、茅の輪くぐりは六月の夏越行事でとくに広く見られます。

十二月三十一日には、年越の大祓に続いて除夜祭を行う神社もあります。ただし、年越の大祓と除夜祭は目的の異なる祭祀です。大祓で一年の罪穢れを祓い、その後、除夜祭で一年の終わりを神前に奉告して、神恩に感謝するという流れになります。

7-3 一年を二つの節目に分ける考え方

大祓が六月と十二月の晦日に行われることから、古代の人々が一年を前半と後半という二つの祭祀的な周期に区切り、それぞれの終わりに罪を祓っていたことが分かります。

六月の大祓では一年の前半を清算して後半へ進み、十二月の大祓では一年の後半を清算して新しい年を迎えます。大祓は、一年を終えるときだけでなく、半年ごとに生活と社会の秩序を整え直す仕組みとして制度化されていたのです。

これに関連して、古代日本では春から秋、秋から春という半年ほどの期間を、それぞれ一つの「年」または生活上の周期として数えた可能性があるとする説があります。一般に「一年二歳論」「二倍年暦説」「春秋二倍暦説」などと呼ばれる見解です。

この説では、農耕や季節の循環を背景として、春と秋、あるいは収穫期ごとに年を区切る古い時間意識が存在した可能性を考えます。大祓が年二回行われることも、半年ごとの生活周期を考える材料の一つとして挙げられることがあります。

ただし、一年二歳論は、古代日本の暦法として確定しているものではありません。大祓が六月と十二月の二回行われるという事実だけでは、「当時の一年は六か月だった」と証明することはできません。

少なくとも律令制下の大祓は、十二か月を一年とする暦の中で、六月と十二月の晦日に行う恒例祭祀として定められています。したがって、史料から確実にいえるのは、一年そのものを六か月としていたことではなく、十二か月の一年を二つの祭祀的な節目に分け、半年ごとに大祓を行っていたことです。

一年二歳論は、大祓の年二回という周期を直接説明する確定的な史実ではなく、さらに古い季節観や農耕生活の時間意識を考えるための補足的な学説として扱うのが適切です。

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7-4 時期・目的・行事内容の共通点と相違点

夏越の大祓と年越の大祓は、半年間の罪穢れを祓うという目的を共有していますが、季節上の意味や関連する行事には違いがあります。

夏越の大祓と年越の大祓の比較

比較項目夏越の大祓年越の大祓
基本となる祭日六月晦日・六月三十日十二月晦日・十二月三十一日
主な別称夏越の祓・水無月祓・六月祓年越の祓・歳越の大祓・師走の大祓
祓う期間原則として一年の前半原則として一年の後半
季節上の意味暑い夏を迎える前に心身を清め、残る半年の無事を願う一年を清浄な状態で締めくくり、新しい年を迎える
共通する行事大祓詞奏上、人形・形代による祓い大祓詞奏上、人形・形代による祓い
特徴的な行事茅の輪くぐりが広く行われる除夜祭など年末の祭祀に続く場合がある
次の時期への祈り無病息災と一年後半の平穏新年の平穏と清浄な再出発

この比較は一般的な傾向を整理したものです。神社によっては、夏越の大祓と年越の大祓でほぼ同じ祭式を行う場合や、十二月にも茅の輪を設ける場合があります。

7-5 夏越の祓と茅の輪くぐりの関係

現在、夏越の大祓と茅の輪くぐりは密接に結びついています。多くの神社では、六月三十日前後に参道や拝殿前へ大きな茅の輪を設け、参拝者がこれをくぐって無病息災を願います。

一方、古代朝廷の大祓を規定した『神祇令』『延喜式』には、現在のような大きな茅の輪を参列者がくぐる祭式は記されていません。国家の公事であった大祓と、各地に伝承された夏越の祓・茅の輪の行事は、もともと同一の祭式だったとは確認できません。

茅の輪による疫病除けの信仰は、『備後国風土記』逸文に記された蘇民将来の説話と結びつけて説明されます。武塔神は、蘇民将来の家族に茅の輪を腰へ着けさせ、疫病から免れる方法を示したと語られています。

この説話の茅の輪は腰に着ける小さな輪であり、現在のように人がくぐる大きな輪ではありません。後世、茅の疫病除け信仰、六月の夏越行事、神社の大祓が結びつく中で、現在広く見られる茅の輪くぐりへ展開したと考えられます。

したがって、茅の輪くぐりは現在の夏越の大祓を代表する行事ですが、古代律令祭祀の大祓に最初から含まれていたと断定しないことが大切です。

7-6 年越の大祓と除夜祭の違い

年越の大祓と除夜祭は、どちらも十二月三十一日に行われることが多いため、同じ祭祀と思われることがあります。しかし、両者の目的は異なります。

年越の大祓は、一年後半に生じた罪や穢れを祓い清める祭祀です。人形、大祓詞、祓具などを用いて、参列者や氏子・崇敬者の清浄を願います。

これに対して除夜祭は、一年を無事に過ごせたことを神々へ感謝し、旧年の終わりを奉告する祭典です。神社によっては、新年を迎える直前に行われ、続いて歳旦祭など正月の祭祀へ移ります。

年越の大祓で罪穢れを祓い、除夜祭で一年の終わりを神前へ奉告することにより、清浄な状態で新年を迎える流れが形づくられています。ただし、斎行時刻や祭典の順序は神社によって異なります。

第8章 大祓で知られる代表的な神社

8-1 綱越神社―夏越の祓を伝える「おんぱら祭」

綱越神社(つなこしじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪に鎮座する大神神社の境外摂社です。祓戸大神(はらえどのおおかみ)を祀り、『延喜式神名帳』に記載される式内社でもあります。

大神神社の公式説明によれば、綱越神社は古くから「夏越の社」ともいわれ、旧六月晦日の夏越の大祓が行われてきました。社名の「綱越」は、「夏越」が転訛したものと考えられ、現在も「御祓(おんぱら)さん」の名で親しまれています。

大神神社の重要な祭祀である大神祭では、奉仕に先立ち、神主以下の奉仕者が禊と綱越神社での祓を受けてから神事に携わったと伝えられています。綱越神社が大神神社の祭祀における祓の場として重視されてきたことが分かります。

現在、綱越神社例祭は「おんぱら祭」と呼ばれ、七月三十日の宵宮祭と三十一日の例祭を中心に行われます。神馬引き、人形による祓い、古歌を唱えながらの茅の輪くぐりなどが行われ、夏の無病息災と延命長寿が祈られます。

Shrine Heritagerでは、夏越の社として知られる綱越神社の由緒と「おんぱら祭」を詳しく紹介しています。

URL: https://shrineheritager.com/tsunakoshi-shrine/

夏越の祓を伝える綱越神社
綱越神社(桜井市三輪)〈『延喜式』綱越神社〉

綱越神社(つなこしじんじゃ)は 「夏越の社」とも言われ 旧六月晦日に大祓「夏越祓(なごしのはらえ)」が厳粛に行われる古社 かつて大神祭の奉仕に先立ち 大神神社の神主以下奉仕員が当社で祓の儀を受けてから本社の神事に携わりました 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の大和国 城上郡 綱越神社(つなこしの かみのやしろ)です

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8-2 住吉大社―大阪中を祓い清める夏越祓神事

住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区に鎮座する摂津国一之宮です。例祭を中心とする住吉祭は、大阪中を祓い清める「お清め」の意味を持ち、古くから「おはらい」とも呼ばれてきました。

住吉祭の夏越祓神事では、五月殿(さつきでん)で大祓式が行われた後、夏越女(なごしめ)や稚児、楽人などが列を整えて茅の輪をくぐります。その後、参詣者も行列に加わり、茅を手にして祓いながら茅の輪をくぐり、本宮へ参進します。

茅の輪をくぐる際には、「住吉の夏越の祓する人は千年の齢延ぶといふなり」という住吉大社に伝わる和歌が唱えられます。この夏越祓神事は、大阪府の無形民俗文化財に指定されています。

住吉大社の夏越祓神事は、大祓詞や茅の輪による祓いと、夏越女・稚児・楽人による行列が組み合わされた祭儀です。個人の無病息災だけでなく、都市全体を祓い清める住吉祭の性格を象徴しています。

Shrine Heritagerでは、住吉大社の歴史、祭神、社殿、住吉祭を含む祭祀について詳しく紹介しています。

URL: https://shrineheritager.com/sumiyoshi-taisha/

夏越祓神事を伝える住吉大社
住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

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8-3 丹生都比賣神社―夏越と年越の二度の大祓

丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野に鎮座する紀伊国一之宮です。弘法大師空海と高野山に関わる神社として知られ、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもあります。

丹生都比賣神社では、六月三十日に夏越の大祓式、十二月三十一日に年越の大祓が行われます。半年ごとに大祓を斎行することで、日々の暮らしの中で身についた罪穢れを祓い、清浄な心身へ立ち返ることが願われます。

夏越の大祓式では、大祓詞を奏上するとともに、蘇民将来の伝説にちなむ大茅の輪くぐりが行われます。神社の公式案内によれば、大茅の輪は六月中旬頃から設置され、郵送による参加も受け付けられています。

丹生都比賣神社の例は、六月と十二月の二度の大祓という基本的な祭祀周期と、夏越に特徴的な茅の輪くぐりの両方を理解するうえで適しています。

Shrine Heritagerでは、丹生都比賣神社の由緒、社殿、祭礼、紀伊国一之宮としての歴史を詳しく紹介しています。

URL: https://shrineheritager.com/niutsuhime-shrine/

夏越と年越の大祓を行う丹生都比賣神社
丹生都比賣神社(かつらぎ町上天野)紀伊国一之宮

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は 創建は古く 少なくとも今から千七百年前のことと伝えられます 神功皇后の三韓征伐の時 丹生都比売大神の託宣によって 衣服・武具・船に朱砂〈丹〉を塗り戦勝されたので 応神天皇が 社殿と広大な神領を寄進されたとする 式内社であり 紀伊国一之宮でもあります

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8-4 地域や神社によって異なる斎行日と祭式

大祓は六月三十日と十二月三十一日に行われるのが基本ですが、すべての神社が同じ日に斎行するわけではありません。地域の旧暦行事、月遅れ、例祭や夏祭との関係により、六月末以外の日に夏越の祓を行う例があります。

綱越神社の「おんぱら祭」は七月三十日・三十一日、住吉大社の夏越祓神事は七月三十一日に行われます。このように、旧六月晦日の季節感を受け継ぎながら、現在の暦では七月に斎行する神社もあります。

祭式にも違いがあります。人形による祓いを中心とする神社、茅の輪くぐりを重視する神社、神馬引きや行列を伴う神社、川や海に関係する祓いを行う神社など、それぞれの歴史と地域文化に応じた特徴が見られます。

したがって、大祓を理解する際には、全国に共通する基本的な意味と、個々の神社に受け継がれる固有の祭式を分けて見ることが大切です。

代表的な神社にみる大祓の特色

神社所在地主な斎行時期大祓・夏越行事の特色
綱越神社奈良県桜井市七月三十日・三十一日「おんぱら祭」として、神馬引き、人形、茅の輪くぐりを行う
住吉大社大阪府大阪市七月三十一日夏越女・稚児・楽人らの行列と茅の輪くぐりを伴う夏越祓神事
丹生都比賣神社和歌山県かつらぎ町六月三十日・十二月三十一日半年ごとの大祓を行い、夏越には大茅の輪を設ける

第9章 現代の大祓と地域的な広がり

9-1 多くの神社で続く恒例祭祀

大祓は、現在も宮中や全国の神社で行われています。宮中では六月三十日と十二月三十一日に、神嘉殿の前で皇族をはじめ国民のための大祓が行われます。

全国の神社でも、六月の夏越の大祓と十二月の年越の大祓が恒例祭祀として斎行されています。神職が大祓詞を奏上し、氏子・崇敬者から納められた人形を祓う形式が広く見られます。

大祓は、古代の国家祭祀をそのまま再現したものではありません。古代の律令祭祀、大祓詞の伝承、中世・近世の祓の思想、各地の夏越行事、近代に整備された神社祭式が重なり合いながら現代へ受け継がれています。

9-2 六月・十二月以外に行われる大祓

大祓は六月三十日と十二月三十一日を基本としますが、地域や神社によっては異なる日に行われます。六月末に近い土曜日・日曜日へ移す場合や、旧暦の季節感を受け継いで七月に夏越の祓を行う場合があります。

また、夏祭・例祭・疫病除けの祭りと一体となり、「夏越祭」「水無月祭」「おんぱら祭」などの名称で行われることもあります。

斎行日の違いは、基本的な意味が失われたことを表すものではありません。旧暦と新暦の違い、農作業の時期、地域祭礼の日程、参列者の生活などに合わせて、祭祀が受け継がれてきた結果です。

9-3 人形・車形・茅の輪の多様性

大祓で使用される形代には、人の形をした人形だけでなく、車形、二輪車形、ペットをかたどった形代など、現代の生活に応じた種類を用意する神社があります。

人形には氏名や年齢を書き、身体を撫で、息を吹きかけて罪穢れを託します。車形には車の登録番号や所有者の氏名などを書き、交通安全と車に関わる災いの祓いを願う例があります。

ただし、形代の種類、記入事項、祓い方は神社によって異なります。特定の神社の方法を全国共通の作法として扱わず、配布された説明書や神職の案内に従う必要があります。

茅の輪にも、茅だけで作るもの、藁などを併用するもの、鳥居や拝殿前に設置するものなどの違いがあります。小型の茅の輪守りを授与する神社もありますが、境内に設置された茅の輪から茅を抜いて持ち帰ることは避けなければなりません。

9-4 郵送による人形奉納と現代的な参加方法

現代では、大祓式へ直接参列できない人のために、人形を郵送で受け付ける神社があります。神社から人形を受け取り、自宅で氏名などを記入し、身体を撫でて息を吹きかけた後、郵送で納める方法です。

氏子区域の各家庭へ人形を配布し、総代などを通じて回収する地域もあります。また、会社や団体の構成員から人形を集め、まとめて神社へ奉納する例も見られます。

郵送や事前奉納で参加する場合、本人が祭場にいなくても、納められた人形は大祓式で祓われます。これは、遠方に住む崇敬者、高齢者、病気などで外出できない人も大祓に加わることのできる現代的な方法です。

一方、申込期限、初穂料、返送方法、送付できる形代の種類は神社によって異なります。必ず斎行神社の公式案内を確認する必要があります。

9-5 半年ごとに自らを振り返る祭祀

現代の大祓は、災いを一方的に取り除いてもらうためだけの祭祀ではありません。半年間の生活を振り返り、自分の言動や心のあり方を省み、清らかな状態で次の時期へ進むための節目でもあります。

六月には一年の前半を振り返り、残る半年の無事を願います。十二月には一年の後半を振り返り、新しい年を迎える準備を整えます。この半年ごとの周期によって、大祓は生活の中に定期的な区切りを設けています。

古代の大祓は、国家や官人の罪を祓い、社会秩序を立て直す公的祭祀でした。現代では、一人ひとりが人形に罪穢れを託しながら、多くの人々とともに祓いを受けます。そこには、個人の清浄と、多くの人々がともに平穏を願う公的な性格が受け継がれています。

大祓は、過去の罪や穢れを祓い去るだけでなく、自らを振り返り、次の半年をより良く生きるための再出発を促す祭祀として、現代社会にも意味を持っています。

第10章 よくある質問(FAQ)

Q1 大祓はいつ行われますか

大祓は、六月と十二月の晦日に行うのが基本です。現在の暦では、夏越の大祓が六月三十日、年越の大祓が十二月三十一日に行われる例が多く見られます。

ただし、すべての神社が同じ日に斎行するわけではありません。旧暦や月遅れの習慣、地域の夏祭や例祭との関係により、七月などに夏越の大祓を行う場合があります。参列を希望する場合は、神社の公式案内で日時を確認する必要があります。

Q2 夏越の大祓と年越の大祓は何が違いますか

夏越の大祓は、一年の前半に積み重なった罪穢れを祓い、暑い夏と残る半年の無病息災を願う祭祀です。茅の輪くぐりを伴う例が広く知られています。

年越の大祓は、一年後半の罪穢れを祓い、清浄な心身で新年を迎えるために行われます。時期と季節上の意味は異なりますが、半年ごとに罪穢れを祓い、次の節目を清らかな状態で迎えるという目的は共通しています。

Q3 古代日本では一年を6か月としていたのですか

古代日本では、半年ほどの期間を一つの「年」または生活上の周期として数えた可能性があるとする「一年二歳論」「二倍年暦説」「春秋二倍暦説」があります。しかし、これは確定した古代暦法ではありません。

大祓が六月と十二月の二回行われるという事実だけで、「当時の一年は六か月だった」と証明することはできません。律令制下の大祓は、十二か月を一年とする暦の中で、六月と十二月の晦日に行う恒例祭祀として定められています。

したがって、史料から確実にいえるのは、古代の一年が六か月だったことではなく、十二か月の一年を前半と後半の二つの節目に分け、半年ごとに大祓を行ったことです。

Q4 大祓には誰でも参加できますか

現在は、一般の参拝者が参列できる大祓式が多くあります。氏子や崇敬者でなくても参加できる神社もあります。

ただし、事前申込みが必要な場合、参列人数を制限する場合、氏子・崇敬者を中心として斎行する場合もあります。人形だけを事前に納め、祭儀への参列は行わない形式もあるため、斎行神社の公式案内を確認してください。

Q5 人形には何を書き、どのように使いますか

一般には、人形に氏名や年齢などを書き、自分の身体を撫でた後、息を吹きかけて神社へ納めます。身体を撫でることによって罪穢れを人形へ託し、息を吹きかけることによって自分の気配を移すと説明されます。

ただし、記入する内容、撫でる場所や回数、息の吹きかけ方は神社によって異なります。人形とともに配布される説明書や神職の案内に従うことが大切です。

Q6 茅の輪は必ず三回くぐるのですか

茅の輪を左・右・左と八の字を描くように三回くぐる方法が広く知られています。しかし、すべての神社に共通する作法ではありません。

正面から一度だけくぐる神社、神職の先導に従って進む神社、異なる進行方向や唱え詞を定める神社もあります。境内の説明板や神職の案内を確認し、その神社に伝わる作法に従います。

また、茅の輪に使われている茅を勝手に抜いて持ち帰ることは、輪を傷め、ほかの参拝者の妨げとなるため避ける必要があります。

Q7 大祓と厄祓いは同じですか

大祓と厄祓いは、どちらも祓の祭祀ですが、対象と斎行の契機が異なります。

大祓は、六月と十二月など定められた時期に、多くの人々を対象として行われる恒例祭祀です。これに対して厄祓いは、一般に厄年を迎えた個人や、特定の災厄を避けたい人のために行われる祈願です。

大祓では氏子・崇敬者から納められた人形をまとめて祓いますが、厄祓いでは本人が神前に進み、個別に祈願を受ける形が多く見られます。

Q8 大祓と禊はどのように違いますか

大祓は、祓詞、祓物、人形などを用いて、人々の罪穢れを祓い清める祭祀です。禊は、川や海などの水によって身体を清める行為を中心とします。

古代には、罪を祓物によってあがなう祓と、水によって穢れを洗い清める禊は、性格の異なる行為であったとする研究があります。その後、両者は次第に接近し、現在では「禊祓」と一体的に表現されることもあります。

Q9 大祓詞は一般の参列者も唱えますか

神職だけが大祓詞を奏上し、参列者が静かに拝聴する神社もあれば、詞章を参列者へ配り、神職とともに唱える神社もあります。

どちらか一方だけが全国共通の正式な方法というわけではありません。参列者が唱える場合も、神職の案内と祭儀の進行に従います。

Q10 喪中でも大祓に参加できますか

喪中と神社参拝の関係は、亡くなった方との続柄、死後の日数、地域や家庭の慣習、神社の服忌に関する考え方によって異なります。

「喪中であれば大祓へ参加できない」「大祓であれば必ず参加できる」と全国一律に判断することはできません。参列を希望する場合は、斎行する神社へ事前に事情を伝え、確認するのが適切です。

第11章 Shrine Heritager編集部考察

大祓は、罪や穢れを神秘的に取り除くことだけを目的とした祭祀ではありません。大祓詞によって社会の秩序を乱す罪を言葉として明らかにし、半年ごとに人々が自らの行為を振り返るところに、その重要な意味があります。

古代には、百官の男女が集まる国家的な祓として行われました。現代では、一人ひとりが人形に罪穢れを託し、神社の祭祀によって祓います。対象や祭式は変化しても、個人の清浄と、社会の秩序を整えようとする公的な性格は受け継がれています。

一年二歳論は、半年ごとの大祓を考えるうえで興味深い視点ですが、確定した古代暦法ではありません。大祓から確実に読み取れるのは、十二か月の一年に二つの節目を設け、過去を振り返りながら次の時期へ進む仕組みです。大祓は、清浄を一度得れば終わるものとせず、生活の中で繰り返し自らを整えるという考え方を今に伝えています。

第12章 関連項目(See also)・内部リンク

大祓と関係する神社、神々、祭祀については、次の記事も併せてご覧ください。

大祓に関連する項目とShrine Heritager記事

項目名URL大祓との関係
綱越神社https://shrineheritager.com/tsunakoshi-shrine/祓戸大神を祀り、夏越の祓を伝える「おんぱら祭」で知られる
住吉大社https://shrineheritager.com/sumiyoshi-taisha/大阪中を祓い清める住吉祭と夏越祓神事を伝える
丹生都比賣神社https://shrineheritager.com/niutsuhime-shrine/六月の夏越と十二月の年越に、半年ごとの大祓を行う
賣布神社https://shrineheritager.com/mefu-shrine/祓戸の神ともされる速秋津比賣神を祀り、河川と海の結節点に鎮座する
由貴神社https://shrineheritager.com/yuki-shrine/速秋津日子命・速秋津比賣命を祀り、大祓詞の水と祓いの構造に関係する

第13章 参考文献

本記事では、大祓の歴史、祭祀構造、大祓詞、夏越の大祓、年越の大祓について確認するため、次の史料・文献・公的情報を参照しました。

一次史料・古典史料

『古事記』

『日本書紀』

『続日本紀』

『神祇令』

『令義解』

『延喜式』巻八「祝詞」収載「六月晦大祓」

『延喜式』巻一・巻二などに収められた祭祀関係条文

古代史料に見られる「大祓」は、現代の神社で行われている大祓と完全に同一の形式ではありません。祭祀の担い手、対象、執行場所、祓物、社会的役割などは時代によって変化しています。そのため、本記事では、古代の制度と現代の神社祭祀を安易に同一視せず、歴史的な継承と変化の両面から説明しました。

校注本・研究文献

虎尾俊哉編『訳注日本史料 延喜式 上』集英社、2000年

『新訂増補 国史大系 第22巻 律・令義解』吉川弘文館、1966年

青木紀元『祝詞全評釈』右文書院、2000年

青木紀元「ミソギ・ハラヘ」『日本神話の基礎的研究』風間書房、1970年

倉野憲司校注『古事記』岩波文庫

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』岩波書店

青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸校注『続日本紀』岩波書店

『延喜式』に収められた大祓詞は、大祓の思想を考えるうえで重要な史料です。ただし、現在各地の神社で奏上される大祓詞には、表記、読み方、語句、奏上方法などに違いが見られる場合があります。本記事では、特定の神社や流派の本文だけを唯一の形とせず、古代史料に確認できる内容と現代の一般的な祭祀理解を区別しました。

公的機関・神社・研究機関の公開資料

神社本庁「大祓」

宮内庁「宮中祭祀 主要祭儀一覧」

國學院大學「おはらいの文化史」

國學院大學デジタル・ミュージアム「延喜式祭祀関連条文データベース」

国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」

大神神社「綱越神社」

住吉大社「特別な祭」

丹生都比賣神社「年間祭典」

神社における実際の大祓の日程、参列方法、初穂料、人形の受け付け、茅の輪の設置期間などは、神社ごとに異なります。参列を予定する場合は、各神社が公開する最新の案内を必ず確認してください。

第14章 外部リンク

大祓について、一次史料、公的情報、祭典の実施例をさらに確認したい場合は、次の公開資料を参照できます。

古典史料・祭祀制度を確認するための外部リンク

国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」『令義解』神祇令https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100231781/2?ln=ja古典籍の画像を通じて、『令義解』に記された神祇令関係の記述を確認するための資料です。

國學院大學デジタル・ミュージアム「延喜式祭祀関連条文データベース」https://d-museum.kokugakuin.ac.jp/esj/『延喜式』に収められた祭祀関係条文を調査するためのデータベースです。

國學院大學「おはらいの文化史 祓の歴史」https://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/oharai/t_01.html古代から近現代までの祓の歴史と、その文化的な展開を確認できます。

現代の大祓・宮中祭祀を確認するための外部リンク

神社本庁「大祓」https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/ooharae/現代の神社における大祓の意味、夏越の大祓と年越の大祓、人形などについて紹介されています。

宮内庁「宮中祭祀 主要祭儀一覧」https://www.kunaicho.go.jp/learn/gokomu-kyuchu/saishi/saishi01.html宮中で行われる主要な祭儀の日程と概要を確認できます。

各地の神社における大祓の実施例

大神神社「綱越神社」https://oomiwa.or.jp/keidaimap/25-tunakoshijinja/夏越の大祓と茅の輪に関係する綱越神社について、大神神社の公式情報を確認できます。

住吉大社「特別な祭」https://www.sumiyoshitaisha.net/events/special.html住吉大社で行われる夏越祓神事など、年間の特別な祭典について確認できます。

丹生都比賣神社「年間祭典」https://niutsuhime.or.jp/event/annual/夏越の大祓や年越の大祓を含む年間祭典の日程を確認できます。

外部サイトの掲載内容、URL、祭典日程は変更される場合があります。実際に神社へ参拝する場合や大祓への参列を希望する場合は、各神社の公式サイトで最新情報を確認してください。

第15章 記事更新履歴

大祓の記事更新履歴

更新日版制作状態更新内容制作規程
2026年8月10日Edition 1完成・最終監査済み指摘事項を全文に反映し、史料間の役割記述、大祓詞と中臣祓の区別、原文の出典、一年と半年の説明を明確化しました。内部・外部リンク、図版3点、表組み、文字数、Word全ページの表示を再監査しました。SHM-0002 Version 5.2 Edition 1 Official Master

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