奴奈川神社(ぬながわじんじゃ)は 社伝では 第13代 成務天皇の御代 市入命が越後国の国造となり当地に来て 奴奈川姫命の子 建沼河男命の裔 長比売命を娶り 奴奈川姫命の社を建て 神田神戸を寄附したと伝わります『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の越後国 頸城郡 奴奈川神社(ぬなかはの かみのやしろ)の論社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
奴奈川神社(Nunagawa shrine)
[通称名(Common name)]
※江戸時代は・宮津大権現・宮津葉神明宮
【鎮座地 (Location) 】
新潟県糸魚川市大字田伏609-1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》奴奈川比賣命(ぬなかわひめのみこと)
《配》大日孁命(おほひるめのみこと)
八千矛命(やちほこのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・豊漁祈願 等
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・大正8年 旧郷社指定
【創 建 (Beginning of history)】
社伝では 第13代 成務天皇の御代〈131~190 AD.〉市入命が越後国の国造となり当地に来て 奴奈川姫命の子 建沼河男命の裔 長比売命を娶り 奴奈川姫命の社を建て 神田神戸を寄附したのが創建と伝える
【由 緒 (History)】
奴奈川姫(ぬなかわひめ)の伝承地を巡る旅
奴奈川神社(ぬながわじんじゃ)
神社の西側に田伏玉作遺跡(たぶせたまつくりいせき)(現在は住宅地)がある奴奈川神社。
奴奈川姫がヒスイを用いて祭祀(さいし)を行っていたことと深い関わりがあるもしれません。
奴奈川神社は奴奈川姫(ぬなかわひめ)を主祭神とし、大国主命(おおくにぬしのみこと)も祀られている。縁結び・良縁・子宝のご利益があるとのこと。
場所 糸魚川市田伏569番地
車…北陸自動車道「糸魚川IC」から15分
電車…えちごトキめき鉄道「梶屋敷駅」から徒歩10分糸魚川市観光協会より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・天王社《主》建速須佐之男尊
・石祠〈天王社の奥に祀られる〉
・戌多社《主》伊弉那岐尊
・天満宮《主》菅原道真公
・十二社
・御祖神社《主》高皇産霊尊 意支都久辰為命 俾都久辰為命
・國造神社《主》国造市入命 大彦命 長比売命
〈古墳のような〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後国 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)頸城郡 13座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 奴奈川神社
[ふ り が な ](ぬなかはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nunakaha no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)所載
越後国 頸城郡 奴奈川神社(ぬなかはの かみのやしろ)の論社は三つ
・天津神社・奴奈川神社(糸魚川市一の宮)
・白山神社(糸魚川市能生)
・奴奈川神社(糸魚川市田伏)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン 梶屋敷駅から線路沿い西へ500m程 徒歩約10分
社頭は南側 鳥居の扁額 社号標には 奴奈川神社とあります
奴奈川神社(糸魚川市田伏)に参着
一礼をして 鳥居をくぐると 玉抱えの狛犬と燈籠の間を真っ直ぐに参道が伸びていて 正面に拝殿が建っています
右手には手水舎があり 清めます
左手には 宝物格納庫があります
拝殿にすすみます 扁額には 奴奈川神社とあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御神紋は 枝丸に何かの葉が九つ
拝殿内の奉納として 四季濃歌 海亀 奉献酒等が掲げられています
糸魚川信用組合のカレンダーには 奴奈川比売命(ぬなかわひめのみこと)が描かれていて 心安らぐ感がありました
拝殿から出ると 拝殿の奥 本殿は覆屋の中に鎮座
拝殿の目の前には 船の碇が祀られています
日本海もすぐ近く 地元の漁師たちは 早朝海に出る前に豊漁祈願に訪れたとされ その信仰の証でしょうか
社殿の向かって右横には 注連縄の結界があり 境内社が祀られています
東へと伸びる参道〈裏参道〉があり 戻ってみます 途中 天満社が祀られています
一度 外に出てみると 一風変わった石灯篭があります 古めの石鳥居の扁額には 奴奈川神社と刻まれています
再び 社殿の前に戻り 一礼をしてから 表参道を戻ります
鳥居を出ると 境内の南面は 児童公園になって居て ちょうど藤棚が見事に咲いていました
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
八千矛神〈大国主神〉が 高志国(こしのくに)に 美しく賢い女性〈沼河比売(ぬなかはひめ)〉が居ると聞き 結婚しようと通いました そして 求婚し 結ばれるシーンが 優雅な恋歌〈妻問い〉によって描かれます
これは 当時 祭祀〈政治(まつりごと)〉を司る上で「玉(ぎょく・たま)」は 大変に貴重なもので 材料は 上質の翡翠(ヒスイ)原石であった 産出地の高志国〈王女 沼河比売〉は 重要な拠点とされていた これを 出雲〈八千矛神〉の勢力下へ併合する為に 婚姻関係を迫った時の 両国の駆け引きの様子が 〈王と王女の〉優雅な恋歌によって描かれたものとされます
【抜粋意訳】
八千矛神(やちほこのかみ)妻問い の段
この 八千矛神(やちほこのかみ)
高志国(こしのくに)沼河比売(ぬなかはひめ)と結婚しようと行かれた時沼河比売(ぬなかはひめ)の家に着き 歌を詠まれた
八千矛神(やちほこのかみ)のみことは 八島国(やしまのくに)で 好ましい妻を娶れず ついに 遠い遠い越国(こしのくに)に 賢い女が居ると聞き
美しい女性が居ると聞き 結婚しようと通いました
太刀緒(たちのお)も いまだ解かず 羽織ものも いまだ解きかねて
少女の寝ている家戸を揺さぶると 山のヌエ鳥が鳴き 野の雉(きじ)が鳴き 庭先でニワトリが鳴く 腹の立つ 鳴き声だ あの鳥どもを打ち 静かにしてくれる
下におります走り使をする者の 事の語り伝えは かようでございます
すると 沼河比売(ぬなかはひめ)は 戸を開けず中から歌いました
八千矛神(やちほこのかみ)のみこと
しおれた草のような女ですから 浦渚の水鳥のように 夫を慕います
今こそ わたしの鳥 でも後には あなたを慕う水鳥のようになりましょう
命ながく 生かし遊ばせ
下におります走り使をする者の 事の語り伝えは かようでございます山に太陽が隠れたら 暗い夜になるでしょう
朝日のように にこやかな顔で来られて
コウゾの網のような白い腕 泡雪のように若い胸を そっと叩き 手をとりかわし 玉のような手を枕にし 足を伸ばしてお休みなさいませ
ですから あまり わびしく されないでください
八千矛神(やちほこのかみ)のみこと
事の語り伝えは かようでございますそれで その夜は 会われず 翌夜 お会いになりました
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
奴奈川神社の論社として 一宮村の天津神社域内 奴奈川神社としています
【意訳】
奴奈川神社
奴奈川は 奴奈加波と読むべし 和名鈔 沼川
〇祭神 奴奈川彦命 奴奈川姫命 黒姫命 三座 号 柳形神
〇沼川庄一宮村に在す〇古事記 神代段
〈古事記の八千矛神(やちほこのかみ)妻問いの段が記されます〉
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 奴奈川神社の論社として 三つ挙げていて 天津神社域内 奴奈川神社を比定しています
①天津神社域内 奴奈川神社
➁田伏村 奴奈川神社
➂能生町 白山神社
【意訳】
奴奈川神社
祭神 沼川比賣命
今按〈今考えるに〉越後風土記節解によるに 祭神 地津神 奴奈川彦命 女奴奈川姫命 母黒髪媛命 三座とあれど
古事記に八千矛神 高志國の沼河比賣に娶ませる故事によりて 沼河比賣を祭るに附て その父母の神二座を合せ祭れるものなるべし附て後考をまつ社格 村社
所在 一宮村 天津神社域内(西頸城郡糸魚川村 大字一之宮 郷社 天津神社境内)今按〈今考えるに〉同郡 田伏村の社なりと云説ありて 縁起また延暦二十三年の鏡銘 延長三年の棟札あれど何れも後人の偽作 とるに足らず
一説に 能生町 白山神社とも云へど その社 山の巌石 いと神さびたり 能生驛の能生河は即 奴乃川の訛りならんなど云のみにて証なし
唯 糸魚川驛 鎮守 一宮村 天津社の域内 柳田神を地主神と称す この神は越後風土記節解に在 高志峰 亦 黒姫山 地津神 奴奈川彦命 女奴奈川姫命 母黒髪媛命 三座祭号 柳形神 元暦二年秋山崎有遷座 云々とあり 土人の説に黒姫山絶頂に黒媛山社に遷し その後 柳田と云に遷し その後 今地に遷せり 今も山崎に旧址あり 沼川の池あり 世俗集て沼川社と云もの証とすべし 故に今之に従ふ
【原文参照】
奴奈川神社(糸魚川市田伏)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)