西照神社(にしてるじんじゃ)は 厄除の総本宮とされていて・「夜を統べる月神さま」月読尊(tsukiyomi no mikoto)を祀ります・平安時代の若き僧「弘法大師(空海)」も修行に励んだ霊峰とされ 香川県(讃岐国)と徳島県(阿波国)の県境にある大滝山(946m)に鎮座します
目次
ご紹介(Introduction)
【神社名】(shrine name)
西照神社
にしてる じんじゃ nishiteru shrine
【通称名】(Common name)
大滝西照神社 ohotaki nishiteru shrine
月神の宮 tsukigami no miya
【鎮座地】(location)
徳島県美馬市脇町西大谷672
【地 図】(Google Map)
【延喜式神名帳】 「旧国名 郡 ・ 神社名」
(927年12月完成) The shrine record was completed in December 927 AD.
【engishiki jimmeicho】「old region name・shrine name」
(論社)阿波國 美馬郡 田寸神社
awa no kuni mima gun tawa no kaminoyashiro
【御祭神】(God's name to pray)
《主》 月読尊 (tsukiyomi no mikoto)・(tsukuyomi no mikoto)
《配》 市杵島姫命(ichikishimahime no mikoto)
田寸津姫命(tagitsuhime no mikoto)
田心姫命 (tagorihime no mikoto)
【御神格】(God's great power)
・厄除け総本宮 Prayer of important age in life. The original shrine where that prayer was considered.
・厄除け Prayer at an age considered a milestone in life
・安産祈願 Healthy childbirth
・縁結び Deepen connections and intimacy with people
・海上安全 Maritime safety
・等 etc
【格式】(Rules of dignity)
延喜式内社(engishikinaisha)
【創建】(Beginning of history)
創建は不詳
Shrines are very old, from the age when the gods flourished
And the faith is still going on
【由緒】(history)
西照神社由緒書
祭神 月読尊
宗像三女神(田心姫命・田寸津姫命・市杵島姫命)大滝山 阿讃国境に位し標高九四六米 七尾七谷の源をなす 嶺峰にして古代「大嶽山」と稱せられる。
由緒、古伝の存す所を案ずるに 上代神世の昔、伊邪那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波狭原に降り 禊祓まして心身清淨なる身を以って 山川草木各々の主管者を任命し 終りに天照大神を高天原へ。
祖国並に大八州国を統治し 次に月読尊は 夜の食国(筑紫の国即ち九州全域 尚 湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し 東大和 紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は 航海の神、田寸津姫命 即ち宗像の三神の部族を率いて伊豫から阿波の国に移り 大嶽山の頂、展望のきく所に櫓を設け 瀬戸内海 難波及び大和の動向を監視せしめ、天津神の詔を体し 九州四国を統括し、
蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し 海上安全を守護されしと降って、
平安朝の初期 桓武天皇の御代 僧空海 二十四才の項 三教指針(神道濡教佛教)の一佛教を選び 厳修体得せんと大嶽山に登り、北面の崖の中腹に山篭すること三年。教理に初光を見出し、続いて土佐の国 室戸に至って三年余を経て都に赴く。偶に遣唐使の渡航舟団に加はるに及んで、大嶽山の航海の神に安全を祈願して出航す。途中台風に遭ひ遣唐使の三隻は 行衛不明になるも空海は遥か南方唐の赤岸鎮に漂着。陸路長安に至り、青竜寺 恵果和尚に教を乞ふ。和尚之れを優遇し密教の奥義を伝授。
さる帰国に及んで大嶽山の三神に厚く感謝せし。後門弟をして別当寺を建て奉仕せしむ。続いて本地垂迹の説を唱え布教に之れ努め社号に権現号を贈り、西照大権現と改稱し、神祇官に代り祭祇を司り明治六年に至る。
中世 稲田氏 国守となるに及び崇敬社として山麗の九石八斗の村落を寄進し、諸役を定住させ奉仕せしむ。明治六年、神佛習合分離の太政官布告に基き、社格郷社「西照神社」と旧に服し、神官をして祭祇することとなり今日に至る。
月神の宮 宮司 都 築 誠
境内 案内板より
撰 佐々木 雅行
【境内社】(Other deities within the precincts)
・祖霊社《主》氏子の祖霊
・稲荷神社《主》宇迦之御魂命
・熊野神社《主》熊野権現 伊邪那岐命 伊邪那美命
・八大龍王神社《主》難陀・跋難陀・娑伽羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅
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【この神社の予備知識】(Preliminary knowledge of this shrine)
「西照神社由緒書」によれば起源は
「西照神社(nishiteru shrine)」の起源は
神話の時代に「月読尊 (tsukiyomi no mikoto)」が 瀬戸内海や難波の監視動向を 宗像三女神の「田寸津姫命(tagitsuhime no mikoto)」に命じて 大滝山に遣わしたのがはじまりとされていて
宗像三女神は 航海の神であり 瀬戸内海の海上安全を守護する役割も伝えています
古くから 大滝山(otaki san)は 神が坐ます聖地とされていて 今でも「西照神社(nishiteru shrine)」と「大瀧寺(otaki ji)」の寺と神社があります
中世には 神仏習合の祈願所として 寺社は互いに深く結ばれ一体化していたのですが 明治時代の神仏分離により 今は 神社と寺院(大瀧寺)にわかれています
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
「弘法大師・空海(kobo daishi・kukai)」の伝えとして
古より 神が坐ます聖地「大滝山(otaki san)」にある「大瀧寺(otaki ji)」は 案内に次のように書かれています
本 尊 西照大権現
略縁起
奈良時代(神亀三年)(726年)行基菩薩が、塩江より御登山になり、阿讃山脈秀峰に一寺を建立し、阿弥三尊を安置されました。平安時代の初期、延暦十年(西暦788)弘法大師も、「三教指帰」と云う大師の著書にはっきりと記されています様に「求聞持修法」をされ、
大瀧寺 案内
弘仁六年(807年)弘法大師四十二才、二度目の登山のときに、現世の男女厄難消除、万民安楽の為に、西照大権現の御尊像を安置し、法華経を一石毎に書き、男女厄流しの秘法を修されました。
延暦十年(788年)24歳の若き日の「弘法大師・空海(kobo daishi・kukai)」が 大滝山(otaki san)に籠り 求聞持修法の修行を行って 教理に初光を見出し 続いて土佐の国 室戸に至って三年余を経て都に赴いたとあり
その後 遣唐使一行と唐に渡る際には 航海の安全を神に祈祷したと伝わります
弘仁6年(807年)唐から無事に帰国した「弘法大師・空海(kobo daishi・kukai)」は 西照大権現(nishiteru daigongen)の御尊像を安置し 男女厄流しの秘法(厄除け祈願)を修し 別当寺を建させ奉仕したとされています
これにより 神仏混淆の山岳道場のごとく 以降 神祇官に代わり祭祇を司る神仏習合の形で 明治時代に至るまで「西照権現(nishiteru gongen)」と称していたと伝わっています
又
延喜式内社(engishikinaisha)の論社とされて
(論社)阿波國 美馬郡 田寸神社
awa no kuni mima gun tawa no kaminoyashiro
現在 田寸神社(tawa no kaminoyashiro)の論社は 6神社あり 当社はその内の一つです
・(論)田寸神社 徳島県三好郡東みよし町加茂
・(論)西照神社 徳島県美馬市脇町西大谷
・(論)武大神社 徳島県三好市井川町井内西
・(論)鴨神社に(合祀) 徳島県三好郡東みよし町加茂
・(論)八幡神社に(合祀) 徳島県三好郡東みよし町三庄
・(論)太田神社(田寸神社) 徳島県美馬郡つるぎ町貞光太田東
徳島県の吉野川流域は 豊かな土壌に恵まれていて そのために古代から争いの絶えない地域でしたので 戦禍などにより 祀られた御祭神が遷座するケースが多々あり 論社が多くなっているのであろうと思われます
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像転用
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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
「大滝山(otaki san)」は 山頂(946m)を起点にして 香川県(讃岐国)と徳島県(阿波国)の県境が 尾根に沿いに 伸びています
「開祖(726年)行基(gyoki)僧は 塩江より御登山」とありましたので 同じルートで登山しようと洒落込んで
高松空港からレンタカー 国道193号を北へ 塩江で県道7号を右折 山頂に鎮座する「西照神社(nishiteru shrine)」を目指します
冬場だったら 登坂は 大変かもしれないような山道を走り 高松空港から30km弱
「西照神社(nishiteru shrine)」に到着
山頂付近に「西照神社」の看板があります 裏参道があります 車道の入口にもなっているようで 境内に設置された駐車場まで 車で入ることができますが
入らずにそのまま 県道を下り 表参道を探しますと「大瀧寺(otaki ji)」の前に出て すぐ横に 神社の表参道の入り口に鳥居がありました
正面の参道階段は「男42段・女33段の厄段」として 親しまれているらしく 石標が建っていました
鳥居に一礼 くぐりましたが しかし お寺の前の道路には お遍路さんや バスが止まっていて この辺りには長い時間の駐車スペースが無く 山頂の境内スペースに車で戻ることにしました
ちょうど朝の9時頃でしたが 白露のような朝霧に包まれた境内に ちょうど日が差し込み とても幻想的な雰囲気のなか ここから お詣りです
先程の下からの階段を上がった先が ここの境内の入り口となっていて 表参道の鳥居につづく急な上り階段を 上から見下ろすことになります 本当は歩いて上りたかった
ここから一礼して 境内に入ります
とすぐに 結界に囲われて「阿形・吽形の狛犬」があり「大滝山 西照神社の狛犬」との説明板には なかなか面白い伝承が書かれていますので 後程お伝えします
狛犬は 天保14年(1843年)に奉納されたとあり 170年が経過「神と称えられている」そうなので 小揖(shoyu)いたしました
右側にある「手水舎」で清め 参道をすすむ
境内は 誰もおらず 静寂が漂い 空に届けと語っているような「杉の大木」が何本もあります
朝霧に濡れた木々は 眩しい朝陽に輝き ポタリポタリと雫を落としている 雫を受けながら参道を歩くと すべては息づき 夜から朝への鼓動を響かせていて なんとも心地よい
拝殿が近づきます
拝殿本殿の前の階段を上がると 古く苔むした石鳥居があり 一礼 くぐり抜けて 拝殿へと進みます
御祭神は 伊弉諾尊(izanaginomikoto)から生まれた諸神の中で 最も貴いとされる三貴子(mihashira no uzu no miko)の一柱
禊(misogi)から
洗われて生まれた三貴子(mihashira no uzu no miko)
左目を洗い生まれた 天照大御神(amaterasu omikami) (太陽神)
右目を洗い生まれた 月読尊(tsukiyomi no mikoto) (夜を統べる月神)
鼻を洗い生まれた 須佐之男尊 ( susanonoo no mikoto)(海原の神)
賽銭をおさめ お祈りです
本殿に鎮まる御祭神「夜を統べる月神 月読尊(tsukiyomi no mikoto)」
相殿に鎮まる御祭神「宗像三女神」を畏れ敬い
ご神威に添い給うよう願い届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ 祈ります
拝殿向かって右手に廻ると 本殿が見え 境内社があります
それぞれをお詣りです
「祖霊社」 では 氏子の祖霊に感謝
「稲荷神社」の御祭神「宇迦之御魂命」 は 五穀・食物を司る稲の精霊を神格化した神とされていて 本社ご祭神の月夜大神とは 食物起源神話に繋がるご縁の深い神様とされています
「熊野神社」の御祭神は「熊野権現 伊邪那岐命 伊邪那美命」で 大滝山の奥之院に祀られていた大権現を当神社へ昭和初年お移しした社だとのこと
「八大龍王神社」は 宇宙根源の神々の使いとして 人々の諸願成就ためお働きくださる水の神 必勝の神様だとのこと 物凄く輝いていました
さらに 聖地のような結界の中に「願い石」があります
拝殿の脇には 「月神の石」の授与が出来ます
再び 階段の上の表参道階段上まで戻り 振り返り一礼
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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
伊弉諾尊(izanaginomikoto)から生まれた諸神の中で 最も貴いとされる「三貴子(mihashira no uzu no miko)」ですが
日本中の神社を見渡すと「須佐之男尊 ( susanonoo no mikoto)」と「天照大御神(amaterasu omikami)」をお祀りする神社は 数多くあります
しかし「月読尊(tsukiyomi no mikoto)- 右目を洗い生まれた(夜を統べる月神)男神」をお祀りする神社は 他の二柱に比べれば 劇的に少数となります
さらに「月読尊(tsukiyomi no mikoto)」を祀る神社の中でも 当社は 他とは違う伝承を持っていますのでご紹介します
「西照神社(nishiteru shrine)」に伝わる「月読尊(tsukiyomi no mikoto)」について
由緒書の看板に書かれている内容は『秀真伝(hotsuma tsutae)』での月読神話と公式HPには書かれています
月読尊(tsukiyomi no mikoto)の呼び方ですが 他の文献では「ツクヨミ」・「秀真伝(hotsuma tsutae)」では「ツキヨミ」となります
月読尊は 夜の食国(筑紫の国即ち九州全域 尚 湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し 東大和 紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は 航海の神、田寸津姫命 即ち宗像の三神の部族を率いて 伊豫から阿波の国に移り 大嶽山の頂、展望のきく所に櫓を設け 瀬戸内海 難波及び大和の動向を監視せしめ、天津神の詔を体し 九州四国を統括し、
境内看板から抜粋
蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し 海上安全を守護されしと降って、・・・
この内容は 御祭神「月読尊(tsukiyomi no mikoto)」が 九州と四国を統括しておられ 東大和と紀伊の動向を看視するよう「伊弉諾尊(izanaginomikoto)」から命じられた時に 航海の神 宗像三女神の部族を率いて 愛媛から徳島へ移転した
この時期に大滝山の山頂から 瀬戸内海 大阪 奈良の動向を監視しながら九州四国を治めた
それ以来 蒼生人(aohitogusa)の九厄十悪を祓ひ退け 夜毎に白露をふらし 五穀草木を潤し海上安全を守護されたそうです
記紀神話には ない伝承で 非常に興味深いです
「大滝山 西照神社の狛犬」の伝承
天保14年(1843年)に奉納された狛犬があり
ある夏の夜 山道で狼に襲われた母子が ここの祠堂に逃げ込んだが 狼は襲いかかろうとした・・・詳しくは 案内看板から
大滝山西照神社の狛犬
汝いま神と崇められる我が威容を 静けく見てたもれ。阿讃の信者に大任を託されて 神域の清浄を守った我が姿を。
-或る夏の夜の出来事である。
物の怪を呼ぶかのように シーンと静まった此の境内に 不意に夜の静寂を破った狼の声。
やがて血を見た一匹の咆哮に 群れ集まった数十匹の狼は 猛り狂って 激しく格子にぶっかったり噛み砕いた。山道で狼に襲われて 生命からがら祠堂に逃げ込み 死の恐怖にさらされながら怯えている親子に取って 正に阿鼻叫喚。今や格子が破られんとした 其の時である。
間一髪!!わが境内を 血で汚されまいとしてか、この様子をじっと見つめていた 狛犬の目が突然異様に輝いた と見るや電光石火の如く 狼に襲いかかり 瞬く間に追っ払った。なまじ 神域を汚すものは 何物たりとも赦すまじと 其の決意と神通力を在り在りと 見せつけたのである。
此の狛犬は 天保十四年六月 心ある阿讃の信者によって 神域の鬼魅(変化)を避けることを託して奉献されたもので、其の狛犬 また善くぞ是に応えたものである。
人の無心の合掌を 拝する狛犬もまた神である。感侵されまいぞ。汝の行手を守る狛犬(理性)よ。其処に 巣くう鬼魅(邪心)なるものに。而して艱難辛苦、驥足を展ばし 大いに鵬翼をひろげられよ。此処阿讃の霊峰 大滝山の西照神社の狛犬は、汝が 飛躍への掛け橋となる 不二の神なるものぞ。-合掌。国見慶英撰文
厄除総本宮 西照神社
狛犬移転奉仕者 三宅照一・古川頼正 松尾 実・藤田 勝
境内看板から
有待安幸・藤中盛廣 三好政明・三好アサエ
中村守男
寄進・砂バラス一車 中村守男
特別奉仕 北岡組レッカー
昭和六十三年九月 吉日
「西照神社の灯明杉」の伝承について
境内の左手 灯明杉と呼ばれる大木の御神木(杉)の伝承
日清戦争が布告された夜に この杉の穂先に灯りがともり 講和の前日の夜にその灯りが消えたという 詳しくは案内看板を
西照神社の灯明杉
阿讃県境の高峰 大滝山の霊地に 天を突くように生えている杉の大木は 幹周 四.五米、樹高約50米の老木で通称、西照神社の千年杉と言われており、
其の名のように樹令は500年、山頂の厳しい風雪に よく耐えて根を張り枝を広げ かくも雄々しく育ってきた神木である。古来 数々の伝説を秘めてきた神木であるが 其の 神威に驚眼を開かせた左の出来事がある。
日清戦争が 布告された明治二十七年八月一日の夜、千年杉の穂先に 突然 点った灯りが 毎晩のように煌々と輝いて 四囲の村々を照らし続けたが 翌年四月十七日の晩は 其の灯りが 不意に消えて翌朝は 講和戦勝の報が入った。
次に 日露戦争の時にも 同じ現象が起ったのである。村人は「国家の一大事のニュースよりも 西照さんが先にしらせてくれる」と言って 其の霊験の灼かさに驚眼を開き 朝夕の信仰は 以前より深まった。
そして 近年にも 西照神社の灯明杉にまつわる伝説は 残っていたのである。
昭和60年頃のとある夕暮れ時、ふと西照神社の頂を見上げてみると 薄暗い夕闇の中から 一筋の青白い閃光が 上がっていたのである。その青白い光はしばらく光を放って消えたのです。神宿る此の大木は 神威恭々霊徳滲々 西照神社の御霊験と相まって 今も生き生きと この霊峰に威容を誇っているのである。
大滝山 西照神社
境内看板から
人々に畏れ敬われ 語り継がれる物語を持つ神社
神代 「伊弉諾尊(izanaginomikoto)」から生まれた諸神の中で 最も貴いとされる三貴子(mihashira no uzu no miko)の一柱
夜を統べる月神さま「月読尊(tsukiyomi no mikoto)」をお祀りする「西照神社(nishiteru shrine)」に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について に戻る