新屋坐天照御魂神社(西福井)

新屋坐天照御魂神社(にいやにます あまてるみたまじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈推定在位 BC97~BC30年〉が 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)に命じ 天照御魂大神(あまてるみたまのおほかみ)を奉祀とあり 亦名を 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテル クニテルヒコ アメノホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト)と云い 神武天皇即位前に大和国を治められていた尊い神であるとされます 創建から2100余年の長い歴史と高い社格を誇る延喜式内名神大社です(西福井)(宿久庄)(西河原)に3社の論社があり その中で中心的な存在が 一般に当神社(西福井)です

目次

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

新屋坐天照御魂神社Niiyanimasu amaterumitama Shrine)
(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

新屋神社Niiya Shrine)

【鎮座地 (Location) 

大阪府茨木市西福井3丁目36-1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照御魂大神Amaterumitama no okami)

(亦名)天照国照天彦火明大神
   Amateru kuniteru ameno hikohoakari no okami)
(亦名)饒速日大神Nigihayahi no okami)

相殿神
》天照皇御魂大神(Amaterasusumemitama no okami
天饒石国饒石天津彦火瓊々杵大神
   (amanigishiku ninigishi amatsuhikohononinigi no okami)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・鎮魂 Requiescats
・病気平癒 Pray to God to cure illness
・農耕の神 God of Agriculture

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社 名神大

【創  (Beginning of history)】

第10代崇神天皇の御宇〈2100年程前頃〉

新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)

鎮 座 茨木市西福井3-36-1

御祭神 天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)
(亦名)
天照国照天彦火明大神(あまてるくにてるあめのひこほあかりのおおかみ)
饒速日大神(にぎはやひのおおかみ)

御祭儀 歳旦祭・1月1日  祈年祭・4月29日  献灯祭・8月16日
    秋季大祭・10月祝日の前日  新嘗祭・11月23日

御由緒
当社は 摂津国屈指の歴史と社格を有する神社で、第10代崇神天皇の御宇、天照御魂大神がこの福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同7年9月、物部氏の祖・伊香色雄命(いかがしこおのみこと)を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に2100年の歴史を有している。

第14代 仲哀天皇の御宇、神功皇后には 三韓を征せられるに当たり 新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀られた。(上河原社・西河原社)

貞観元年(859)には従四位下、
天慶3年(940)には正四位上の神位を授かり

更に、延喜年中には延喜式内名神大社として
四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かった。

又、当社は創建時より朝廷との結びつき殊の外つよく
第26代 継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第90代亀山天皇の御宇まで実に219回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊熟を祈願してきた。

この間、皇極3年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭大いなる隆盛を誇ったが

鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも
武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、

室町時代末期の大永7年2月(1527)細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰した。

天正12年(1584)中川清秀が社殿を再建し現在の基礎を構築されたが、この清秀は当社の氏子中河原の人で後、功により茨木城主となった。

明治5年郷社に列す。御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社二社と六社神社など九社の末社を境内に祀る。

平成21年巳丑年3月 吉辰 新屋坐天照御魂神社 顕彰会謹書

境内案内板より

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【由  (history)】

御由緒

新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。

第十四代仲衰天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました。(上河原社・西河原社)

貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。

また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊穣を祈願してきました。

この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)、細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰しました。

そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し、現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり後、その功によって、茨木城主になったと言われています。

その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。

新屋坐天照御魂神社(新屋神社) 公式HPよりhttp://niiyajinja.jp/index.php?%E5%BE%A1%E7%94%B1%E7%B7%92

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

須賀神社(suga Shrine)《主》素佐之男命(susanowo no mikoto)

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出雲社(izumo Shrine)《主》大国主命(okuninushi no mikoto)

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【 六社神社(rokusha Shrine)合殿 】①~⑥

田畑神社(tabata Shrine)《主》大歳神(otose shin)
➁尾上神社(onoe Shrine)《主》倭姫命(yamatohime no mikoto)    
③構八幡神社(kohachiman Shrine)《主》応神天皇(ojintenno)
④宇奈多理神社(unatari Shrine)《主》高皇産霊神(takamimusubi no kami)
➄立川原神社(tatekawara Shrine)《主》手力雄命(tajikarao no mikoto)
⑥つとの御前神社(tsutonogozen Shrine)《主》市杵嶋姫命(ichikishimahime no mikoto)

稲荷社(inari Shrine) 伏見大社の奥社の丸山稲荷を勧請

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天満宮(temmangu) 菅原道真公(sugawara no michizane ko)

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石神(iwa no kami)(大海神) 

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道祖神(sae no kami) 石標

遙拝所 出雲大社拝所太神宮拝所住吉大社拝所神武天皇拝所歴代天皇・今上天皇拝所

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 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座 大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)島下郡 17座(大5座・小12座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 新屋坐天照御魂神社 三座
(並名神大 月次新嘗・就中 天照御魂神一座預 相嘗祭)

[ふ り が な ]
(にひやのます あまてるみたまの かみのやしろ さんざ
(ならびみょうじんだい つきなめ にいなめ 
・なかんづく あまてるみたまのかみ いちざあずかる あいなめのまつり)
[Old Shrine name]
Nihiyanomasu Amaterumitama no kamino yashiro sanza
Narabimyojindai Tsukiname Niiname
Nakanzuku Amaterumitamanokami Ichiza Azukaru Ainame no matsuri) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

太陽祭祀の神社
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
「摂津国 島下郡 新屋坐天照御魂神社三座」の3つの論社について

新屋坐 天照御魂(アマテルミタマノ)神社」が 3つあり その名の通り
いずれも太陽祭祀に関わりがありそうです

鎮座する位置の関係では
・東(西河原)
中心点(西福井)
西(宿久庄)
となります

中心点の(西福井)は
御祭神「饒速日大神(Nigihayahi no okami)」が 天降りされた「日降丘(ヒフリノオカ)」と呼ばれる小高い丘に鎮座しています

「日降丘(ヒフリノオカ)」に立つ石碑には

第十代 崇神天皇 七年秋九月
伊香色雄命 天照御魂大神
亦名 火明大神 を此の丘に奉斎る

と刻まれていて 第10代 崇神天皇(スジンテンノウ)〈在位 BC97~BC30年頃〉が 伊香色雄命(イカガシコオノミコト)に 天照御魂大神(アマテルミタマノオオカミ)を祀らせたとあります

この「日降丘(ヒフリノオカ)」がある「中心点(西福井)」の位置からの見ると

冬至の日
日の出は「(西河原)」から太陽が昇り
日の入り「西(宿久庄)」へと太陽が沈む

の位置にあると云われています

参考までに地図(グーグルマップ)を作成しました
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1tSmNw-IiPD_3XbJXvo1swVzmmxpjUUwR&ll=34.84449392806914%2C135.54928608779775&z=15 

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「摂津国 島下郡 新屋坐天照御魂神社三座」の3つの論社 各々記事をご覧ください

新屋坐天照御魂神社(西福井)〈当社〉

・新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

・新屋坐天照御魂神社(西河原)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の 「〇〇坐天照御魂(アマテルミタマノ)神社」について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には 畿内に
「〇〇坐天照御魂(アマテルミタマノ)神社」が 当神社を入れて4つかありますが いずれも太陽祭祀に関わりがありそうです

大和国(奈良県)
(大和國城下郡 鏡作坐天照御魂神社 大)

(大和國城上郡 他田坐天照御魂神社 大)

この2つの神社は 辰巳の方角には 三輪山があり 冬至に三輪山から昇る太陽を遥拝したのであろうと云われています

山城国(京都府)
山城国 葛野郡 木島坐天照御魂神社(名神大 月次相嘗新嘗)

摂津国(大阪府)〈当社〉
(攝津國嶋下郡 新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR京都線 茨木駅から府道14号 117号 110号経由 北へ約4.2km 車15分程度
佐保川にかかる宮橋を渡り 一の鳥居をくぐり抜けて 御祭神「饒速日大神(Nigihayahi no okami)」が 天降りされた日降ヶ丘と呼ばれる小高い丘がある鎮守の杜に向かいます

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新屋坐天照御魂神社Niiyanimasu amaterumitama Shrine)に参着

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鳥居の扁額には「名神大社 新屋坐天照御魂神社」と浮彫の金文字が記されます
一礼をして 鳥居をくぐり 階段を上がります

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階段を上り切ると 再び鳥居が建ち 社殿の建つ境内となっていています

中央に拝殿 奥に本殿 両脇に境内社が建ちます
右手には出雲社(izumo Shrine)《主》大国主命(okuninushi no mikoto)
左手には須賀神社(suga Shrine)《主》素佐之男命(susanowo no mikoto)

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鳥居をくぐると 左右に狛犬が構え 左手の狛犬のちょうど後ろには
境内社の天満宮(temmangu) 菅原道真公(sugawara no michizane ko)

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右手の狛犬のちょうど後ろには手水舎があり 清めます

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拝殿にすすみます

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見ると本殿の拝所があり 拝殿を回り込むように本殿に向かいます

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途中で 気付きましたが 拝殿内部の壁面には「三十六歌仙の絵馬」〈元禄時代に平野屋五兵衛が寄進とあります〉が掲げられています

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拝殿後方の石垣の上に塀に囲まれて銅板葺・一間社流造の本殿が建っています

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿と本殿の位置関係を遠目で

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境内社にお詣りをします

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鳥居を抜けて 社殿に振り返り一礼をして 階段をおります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

「天照神(アマテルノカミ)」が 他の2座の神と共に神階授与記録が記されています
摂津国には 天照神(アマテルノカミ)を 称する神社は当神社だけですので 当神社の神階授与記録であろうとされています

この時の神階授与にまつわり

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「摂津国 島下郡 新屋坐天照御魂神社 3座」の3座について
他の2座の神
「伴馬立神(トモノマタチノカミ)・伴酒着神(トモノサカツキノカミ)」と併せて 3座とする説があります

但し
「伴馬立神(トモノマタチノカミ)・伴酒着神(トモノサカツキノカミ)」の2柱の神については 不詳とされています

意訳

嘉祥2年(849)12月甲午

奉授に 従5位下を
伴馬立(トモノ マタチ)
天照神(アマテルノカミ)
伴酒着神(トモノサカツキノカミ)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省

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『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』延喜元年(901年)成立に記される伝承

貞観元年(859)に 正月と5月に 年に2回の神階授与記録が記されています但し 神階に誤謬があるとも

意訳

貞観元年(859) 正月27日
従5位下 勲8等 新屋(ニイヤ)坐天照御魂神社 に 並び 従4位下を奉授

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同年(859)5月26日
辛巳 摂津国 従5位下 新屋坐(ニイヤニマス)天照御魂神社 伴酒着神(トモノサカツキノカミ) 並 正5位下を奉授

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

意訳

新屋(ニヒヤノ)坐天照御魂神社 三座
 並名神大 月次新嘗・就中 天照御魂神一座預 相嘗祭

和抄『和名類聚抄』 新屋坐此社

續後記『続日本後紀(shoku nihon koki)』
嘉祥2年12月甲午 奉授 伴馬立 天照神 伴酒着神 従5位下

三実『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』
貞観元年 正月27日 従5位下 勲8等 新屋坐天照御魂神社 従4位下

〇同年5月26日 辛未 摂津国 従5位下 新屋坐天照御魂神社 伴酒着神 並 正5位下 この位階考ヘシ

〇今日に酒満明神 炊自に三田 3里許巽なり

〇この3座
1座 西河原村に在り
1座 福井村に在り
1座 上河原村に在り

福井村 今称す 天王(テンノウ)
上河原村 今称す 天照大神(アマテラスオオカミ)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容

御祭神の由来について 伊勢の神と混同しないように注意喚起をしています
さらに
3社の論社(西福井)(宿久庄)(西河原)の中から 式内社を正しく定めるには 福井村(西福井)として良い と記しています

意訳

新屋坐天照御魂(ニヒヤニマスアマテルミタマノ)神社 三座
並名神大 月次新嘗・就中 天照御魂神一座預 相嘗祭

祭神 天照国照天彦火明命(アマテルクニテルアメノホアカリノミコト)

今按〈今考えるに〉
注進状に 祭神 天照御魂皇大御神天照国照彦火明大神天津彦火瓊瓊杵大神〈ニニギノ命〉とあって 天照大御神(アマテラスオオミカミ)を主としたるは 天照御魂(アマテルミタマ)と云うによって 大御神の御事〈アマテラスオオミカミ〉と思える誤(アヤマ)りなり

これは 天照国照天火明命(アマテルクニテルアメノホアカリノミコト)を主として2神を配し祀りしなり
その2神は 今は 詳しく知りがたけれど〈詳細は不明だが〉
社説に従う時は その上に舉(アゲ)るが如し〈こぞって全てを調査し〉 猶(ナオ)よく考べし〈更に一考すべき〉

祭日 9月11日
社格 郷社
所在 新屋郷福井村 字 新屋神森

今按〈今考えるに〉
注進状に 同郡 宿久庄村の内に上河原と西川原村と2ヶ所にも 同名の神社あり
上河原は 天照大御神(アマテラスオオミカミ)
西川原村は 火明命(ホアカリノミコト)
を祀ると云えり

これは 全く本社より分社したるものなり とあるが
如くなるべし〈そうである〉
されど〈しかし〉 正しく式社を 定めたまわん〈定めるためには〉には 福井村と定めて 可ならん〈よろしい〉

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(meiji jinjashiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

3社の論社中で(西福井)を記しています

意訳

郷社 新屋坐天照御魂(ニヒヤニマスアマテルミタマノ)神社

祭神 天照皇大神(アマテラススメオオカミ)
   彦火明命(ヒコホアカリノミコト)
   火瓊瓊杵尊(ホノニニギノミコト)

祭神異説あり
『神社覈録(jinja kakuroku)』明治3年(1870年)には 天照御魂神(アマテルミタマノカミ)天照神(アマテルノカミ)伴酒看神(トモノサトクノカミ)とし
『神祇志料』には 天照国照天彦火明命(アマテルクニテルアメノホアカリノミコト)伴馬立天照神(トモマタツアマテルノカミ)伴酒看神(トモノサマクノカミ)とせり

創基は 社伝によれば
崇神天皇の7年9月 大御神降臨し給いしを 勅して
伊香色雄命(イカガシコオノミコト)をして 福井上に祭らしめ給いしに起こると云う


神功皇后 三韓征伐の時 新屋川原に於いて 身禊(ミゾギ)をなし 当社を祀り給い 御凱旋の後 大御神の幸御魂 荒御魂を西の川上と東の川下に祀らせ給う

平城天皇 大同元年 神封一戸を充奉り(新抄格勅符)
仁明天皇 嘉祥2年12月甲午 伴馬立天照神 伴酒看神に従5位下を授け奉り(續日本後記)

清和天皇 貞観元年(859)正月27日 天照御魂神社に従4位下を授け
同年5月26日 天照神 並びに 伴酒着神 に 正5位下を授け奉り
奉幣して雨風を祈り(三代実録)

醍醐天皇 延喜の制 3座並びに名神大社に列し 新年 月次 新嘗の案上官幣 及び祈雨の幣帛に預かり 就中 天照御魂神は相嘗祭に預かる(延喜式)

朱雀天皇 天慶2年正月6日 天下の諸神位一階を進め給うや 天照御魂神を正4位上に叙せられる といえど その所據(ヨリドコロ)を知らず(社記)

一条天皇 正歴5年4月 疫病火災によりて 中臣氏の人をして 奉幣を奉る(本朝世紀 日本紀略参取)

後鳥羽天皇 文治元年3月3日 位一階を進め給ひ 平家追討の祈りとして勅使を立て給う

中世 鎌倉幕府開設以来 島下郡の総社と崇められる

後柏原天皇 大永7年2月 事によりて 総社の号を止む

天正12年8月 領主 中川清秀 社殿を再建す

明治5年11月 郷社に列す
境内2360坪(官有地第一種)
社殿は 本殿 拝殿 その他 神供所 手洗所 燈明所等を備え 古木鬱蒼として頗(スコブ)る舊社(キュウシャ)の観を呈す

境内神社 素戔嗚(スサノヲノ)神社 六所(ロクショノ)神社
若宮八幡(ワカミヤハチマン)神社 稲生(イナフノ)神社
天満(テンマンノ)神社 石神(イハノカミノ)社

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

新屋坐天照御魂神社Niiyanimasu amaterumitama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る    

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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