木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)

木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)〈蚕の社は 京都市内最古の神社の一つと云われます 境内にある「元糺(モトタダス)の池」には「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」と呼ばれる正三角形に柱を組んだ鳥居があり その正三角形の中心点には円錐形に小石を組みあげた神座が座して御幣が依代として立てられています 「秦氏(はたうじ)」の祭祀に深く関わる神社とされています

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
Konoshimanimasu amaterumitama Shrine)(Kaiko no yashiro)
このしまにますあまてるみたまじんじゃ)(かいこのやしろ)

 [通称名(Common name)]

木嶋神社Konoshima Shrine)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市右京区太秦森ケ東町50

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

※社伝には
《主》天之御中主神Ameno minakanushi no kami)
   大国魂神Okunitama no kami)
   穂々出見命Hohodemi no mikoto)
   鵜茅葺不合命Ugayafukiaezu no mikoto)
   瓊々杵尊Ninigi no mikoto)

※『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)には
「社伝に 天之御中主尊 又 天照大神を祀るなど云うは 甚(ハナハダ)しい誤りなれば取らず〈採用せず〉
この社の祭神は 天照國照天火明尊なること決し(決まっている)」としています

《主》天照國照天火明命(amaterukuniteru ameno hoakari no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社 名神大

【創  (Beginning of history)】

創建は不詳

【由  (history)】

坐天照御魂(このしまにます あまてるみたま)神社

(蚕の社)(かいこのやしろ) 境内

この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)・大国魂(おおくにたま)神・穂々出見(ほほでみ)命・鵜茅葺不合(うがやふきあえず)命を祀っている。

『続日本紀(しょくにほんぎ)』大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養(こかい)神社(東本殿)があり「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。

この神社は、古くより祈雨(きう)の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた『日本三代実録』や『梁塵秘抄(りょうじんびしょう)』などの文献からうかがい知ることができる。

社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元糺(もとただす)の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。

例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏期土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果してきた秦氏との関連を含め、大へん貴重なものとして昭和60年6月1日に京都市の史跡に指定された。 推定面積11.131㎡
京都市

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

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東本殿(本殿の向かって右手)

蚕養神社Kokai Shrine)(蚕の社)

合祀殿に祀られる社(本殿の向かって左手)

・稜道神社(ryodo Shrine)《主》板野右馬頭
・魂鎭神社(tamajizume Shrine)《主》三浦判官平胤義
・顯名神社(akina Shrine)《主》三井高安(三井家遠祖)
・八坂神社(yasaka Shrine)
・食國神社(wosukuni Shrine)《主》宇摩志麻遅命(umashimachi no mikoto)
・天満神社(temman Shrine)
・三拾八所神社(sanjuhachisho Shrine)
橋姫神社(hashihime Shrine)
・椿丘神社(tsubakioka Shrine)

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境内西南隅に4祠

・稲荷神社Inari Shrine)
稻荷神社Inari Shrine)
・白清神社(shirakiyo Shrine)
・白徳神社(shiratoku Shrine)《主》建稲穂命(tateinaho no mikoto)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…
        大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城国 122座大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛野郡 20座(大14座・小6座)

[名神大 大 小] 式内名神大

[旧 神社 名称 ] 木島坐天照御魂神社(名神大 月次相嘗新嘗)
[ふ り が な ](このしまにますあまてるみたまの かみのやしろ)
         (みょうじんだい つきなみ あいなめ にいなめ)
[Old Shrine name]Konoshimanimasuamaterumitamano kaminoyashiro)
Myojindai Tsukinami Ainame N
iiname)

【原文参照】

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「神紋(shin mon)について

神紋(shin mon)とは 各家の家紋(ka mon)と同じようにそれぞれの神社にも紋章が用いられていて これを神紋(shin mon)と称しています

日本における紋章の起源は 平安時代に公家社会において用いられた紋章に遡ることができますので 神紋(shin mon)も同様の起源と考えられています

花付き双葉葵(futaba aoi)」の 神紋(shin mon)について

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
(Konoshimanimasu amaterumitama Shrine)(Kaiko no yashiro)の「神紋(shin mon)」は「花付き双葉 葵(futaba aoi)」です

提灯には「花付き双葉葵(futaba aoi)の神紋(shin mon)」が描かれています

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この神紋(shin mon)は 同じく京都にある「秦氏(Hata uji)」ゆかりの神社「松尾大社(Matsuo no taisha)」と同じものです

松尾大社の記事をご覧ください

上賀茂神社・下鴨神社双葉葵(futaba aoi)神紋(shin mon)

「双葉葵(futaba aoi)の神紋(shin mon)」と云えば 京都三大祭のひとつ「葵祭(aoi matsuri)」でも有名な「上賀茂・下鴨神社」の両神社があり どちらも賀茂氏(kamo uji)が奉斎しています

一般には 古代の「賀茂氏(kamo uji)」の一族「賀茂県主(kamo no agatanushi)」は 元来 山城国 葛野郡・愛宕郡を支配していましたが その後 同じ山城国を本拠とした渡来人の「秦氏(Hata uji)」との関係が深くなっていったとされます

しかし「秦氏(Hata uji)」一族の京都盆地に定着した時期の前後関係が逆だと捉えられるような場合もあります

すこし回りくどい説明になりますが「賀茂氏(kamo uji)」と「秦氏(Hata uji)」のそれぞれの氏神は 次のような姻戚 親子関係になっていきます

「賀茂県主(kamo no agatanushi)」の祖神は 下鴨神社の御祭神「賀茂建角身命(Kamotaketsunumi no mikoto)」とされています
「秦氏(Hata uji)」の奉斎する「松尾大社(Matsuo no taisha)」の御祭神は「大山咋神(oyamakui no kami)」〈『古事記(kojiki)』に「鳴鏑神(narikabura no kami)」〉です

『山城風土記(yamashironofudoki)』には「大山咋神(oyamakui no kami)が石川の瀬見の小川に定まられた ある時 石川の瀬見の小川の川下で 川遊びをしていた玉依比売命(tamayori hime)もとへ丹塗矢〈鳴鏑神(narikabura no kami)〉と化して流れ下って 玉依比売命(tamayori hime)は孕(はら)みて男子(をのこ)を生み 賀茂建角身命(Kamotaketsunumi no mikoto)を生み奉った」と記されています

この神が「賀茂建角身命(Kamotaketsunumi no mikoto)=別雷神(wake ikatsuchi no kami)」です
その父神は「大山咋神(oyamakui no kami)=火雷神(hono ikatsuchi no kami)」とされています

すなわち「秦氏(Hata uji)」の氏神を父神として 京都盆地に定着した「賀茂県主(kamo no agatanushi)」の祖神が生まれているという伝承になっています

親子神であるならば「双葉葵(futaba aoi)の神紋(shin mon)」が同じであっても 良いのではないかといった感覚にさせてしまう謎多き不思議な神紋です

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の記事をご覧ください

賀茂御祖神社(下鴨神社)の記事をご覧ください

三柱鳥居(mihashira no torii)」について

境内にある「元糺(モトタダス)の池」には「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」と呼ばれる正三角形に柱を組んだ鳥居があり その正三角形の中心点には円錐形に小石を組みあげている神座が座して御幣が依代として立てられています

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「元糺(モトタダス)の池」と呼ばれる訳

木嶋神社(Konoshima Shrine)の由緒書によれば

境内に「元糺の池」と称する神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う。糺は「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で、此の神池は身滌(みそぎ 身に罪又は穢のある時に心身を浄める)の行場である。夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬという俗信仰がある

第52代〈在位809~823〉嵯峨天皇(saga tenno)〈桓武天皇の第2皇子〉の時代に心身を浄める神池「糺の池」を賀茂御祖神社(下鴨神社)に移したと記されています
これはおそらく 賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内社「井上社(御手洗社)」で行われている神事と同じだと想われます

(御手洗祭) 土用の丑の日にこの池の清水に足をつけると疫病や脚気にかからないとか、今日ではガン封じなど無病息災を祈ってお祓いをうける足つけ神事

ここでも「双葉葵(futaba aoi)の神紋(shin mon)」と同様に「賀茂氏(kamo uji)」の奉斎する賀茂御祖神社(下鴨神社)と「秦氏(Hata uji)」の関係が出てきています

「三柱鳥居(mihashira no torii)」については

木嶋神社(Konoshima Shrine)の由緒書によれば

全国唯一の鳥居である。上段神池にあり、鳥居を三つ組み合わせた形体である。中央の組石は本殿御祭神の神座であり、宇宙の中心を表わし、四方より拝することが出来るよう建立されている。創立年月は不詳であるが、現在の鳥居は亨保年間(約300年前)に修復されたものである。一説には、景教(キリスト教の一派ネストル教、約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと云われている。

「四方より拝することが出来るよう建立されている」と謎めいたことが書かれています 三方向は理解できますが もう一方向は 天空に坐す「天照御魂神(amaterumitama no kami)」の事なのでしょうか

秦氏Hata uji)」の「養蚕に因む地名」と「太陽祭祀の信仰」

「秦氏(Hata uji)」の本拠地である京都の太秦(ウズマサ)の 機織(ハタオリ)に欠かせない養蚕を守る「養蚕の社(カイコノヤシ)」が  《東本殿》本殿の東横に鎮座しています
《本殿》の正式名称は木嶋坐天照御魂神社(コノシマニマスアマテルミタマジンジャ)といい その名の通り「天照御魂(アマテルミタマ)」とあって 太陽祭祀に関わる神社と捉えることが出来ます

木嶋坐天照御魂神社の記事をご覧ください

「秦氏(Hata uji)」の所縁の神社を境内にある「元糺(モトタダス)の池」と「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」を中心として 夏至と冬至の太陽の運航を地図上にプロットするとが一直線上に並びます

・比叡山の坂本口に鎮座する 山王総本宮 日吉大社の磐座
・賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内社「井上社(御手洗社)」
・木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)の「元糺(モトタダス)の池」
・松尾大社の 磐座

参考までに グーグルマップを作製しました

https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&mid=1ejxbI2C5jkvYScZoZT8veGMnbcXjzz4t&ll=35.052713862538056%2C135.75192154443553&z=13

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『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「〇〇坐天照御魂神社」について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には「〇〇坐天照御魂神社」がいくつかありますが いずれも太陽祭祀に関わりがありそうです

大和国(奈良県)
(大和國城下郡 鏡作坐天照御魂神社 大)

(大和國城上郡 他田坐天照御魂神社 大)

の2つの神社は 辰巳の方角には 三輪山があり 冬至に三輪山から昇る太陽を遥拝したのであろうと云われています

摂津国(大阪府)
(攝津國嶋下郡 新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大)

すぐ傍に「秦氏(Hata uji)」の氏社(攝津國嶋上郡 神服神社)(カムハトリジンジャ)があります

いずれも古代の「日知りの地」に鎮座すると云われていて 日知りとは「日読み」のこと 太陽の動き(軌道)で 冬至・夏至など季節の節目を読むこととされています

「秦氏(Hata uji)」「服織(hatori)木枯森(kogarashi no mori)」について

現在の静岡市には「秦氏(Hata uji)」に所縁の神社が数多くあります
かつて駿河国に移住した「秦氏(Hata uji)」が 祖神を祀ったとされる賤機山(Shizuhata yama)には「静岡浅間神社(Shizuokasengen Shrine)」が鎮座しています

静岡浅間神社(静岡市)の記事をご覧ください

「秦氏(Hata uji)」の氏寺とされる「建穂寺(Takyo ji)」があり
1「建穂神社(Takyo Shrine)」は かつて隣村の「服織(hatori)(現 静岡市葵区羽鳥(hatori)」の「木枯森(コガラシノモリ)」の辺りに 境内を構えていたとされます
この羽鳥(ハトリ)の地名は 機織(ハタオリ)の秦氏(ハタ ウジ)が開拓した地域から発祥しています

建穂神社(静岡市葵区建穂)の記事をご覧ください

木枯森(コガラシノモリ)は 建穂神社(Takyo Shrine)の前から参道をまっすぐ南下した所にあります
さらに
「秦氏(Hata uji)」の本拠地である 現在の京都市右京区太秦(ウズマサ)に かつて(平安期までは)あった森も「木枯森(コガラシノモリ)」とよばれていたらしく 清少納言(セイショウナゴン)が『枕草子(マクラノソウシ)』の中で「森はこがらしの森」とたたえている地については 静岡・羽鳥説や京都・太秦説など諸説あるようです

京都・太秦(ウズマサ)には『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社「大酒神社(Osake Shrine)」が鎮座していて 本殿に「木枯神社(Kogarashi Shrine)(木枯明神)」(元は広隆寺境内に鎮座)が合祀されています
「大酒神社(Osake Shrine)」とは「秦氏(Hata uji)」の祖神とされる「・秦始皇帝・弓月王・秦酒公」を祀っていて「秦氏(Hata uji)」の総鎮守であったと伝われます

大酒神社Osake Shrine)の記事をご覧ください

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京福嵐山本線 蚕ノ社駅から 府道112号を北上 約300m 徒歩5分程度
嵐電を降りて徒歩

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参道には 一の鳥居が立ちます

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鳥居すぐ横の大きな石灯篭には「蠶養神社」と刻まれています

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参道を250m程進むと 境内の入口には 木製の鳥居が建っています

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
Konoshimanimasu amaterumitama Shrine)(Kaiko no yashiro)に参着

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社号標は2つあり 小さいほうが蠶神社大きい方には「式内 郷社 木嶋座天照御魂神社と刻まれています

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一礼をして 木製の鳥居をくぐります

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神橋を渡り 石畳みの参道が真っ直ぐに延びています 参道の両側から柵が置かれていて 参道の真ん中(正中)を歩くようになります おそらく奥には 段差があり事なきとなっていると想われます

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参道の正面には「拝殿」その奥 一段高い所に「拝所」さらに「本殿」と立ち並んでいます
向かって 左手には 鬱蒼とした森の前に木製の鳥居が建っています

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拝殿の向かって左側の木製の鳥居は 境内にある「元糺(モトタダス)の池」と「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」への入口となっていました 中央には拝所が建っています

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一礼をして 鳥居をくぐると 池と小川の跡(水は流れていません)があり 竹垣に紙垂が掛かっています

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かつての川底には 飛び石が置かれていて 紙垂の掛かる竹垣の中が見えます
ここが「元糺(モトタダス)の池」の中央辺りに「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」と呼ばれる正三角形に柱を組んだ鳥居が建っています

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三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」の正三角形の中心点には 円錐形に小石を組みあげている神座が座して 御幣が依代として立てられています

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賽銭をおさめ この場からお祈りをします

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拝所へとすすみます 

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拝所前の石垣には『西陣 縮縮緬仲間』と刻んだ石柱が埋め込まれています
機織(ハトリ)の神ならでは 繊維業に携わる人々の信仰が伝わります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝所の提灯には「花付き双葉葵(futaba aoi)の神紋(shin mon)」が描かれています 提灯の後ろ 本殿向かって左に鎮座するのが境内社の合祀殿に祀られる社

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拝所には 壁はなく 柱と屋根の構造です
本殿の向かって右手に鎮座するのが蚕養神社Kokai Shrine)(蚕の社)です

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振り返ると 参道は「拝殿」を抜けて 真っ直ぐに入口鳥居に向かっているのがわかります

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境内西側には 保育園があり その横に鎮座する境内社にお詣りをして 参道を戻ります

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参道横には「かいこのやしろ」と刻まれた手水桶がありました

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鳥居をぐり抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(nihon shoki)』(720年)に記される伝承

第21代「雄略天皇(ユウリャクテンノウ)紀 15年条と16年条」に
秦氏(ハタウジ)を統率する秦酒公(ハタノサケノキミ)とその拠点となる太秦(ウズマサ)の由来が記されています

意訳

15
秦氏(ハタウジ)の率いていた民は 臣連(オミムラジ)に分散し 各々の欲のままに使われていて

秦氏(ハタウジ)を本来 統率するはずの秦造(ハタノミヤツコ)である秦酒公(ハタノサケノキミ)に任せられなかったので 公は 大変 憂いて天皇に仕えていました

しかし、天皇は寵愛され 詔して 秦(ハタ)の民を集められて 秦酒公(ハタノサケノキミ)に賜った

公は それで各種多数の村主(スグリ)を率いるようになり 租税としてつくられた絹 縑(カトリ〈上質の絹〉)を献って 朝廷に沢山積み上げました
これにより姓を賜り 兎豆麻佐(ウツマサ)〈うずたかく積んだ様子〉と言った

16年 秋7月
詔して
桑(クワ)の栽培に適した国(クニ)・県(アガタ)を選んで 桑(クワ)を植えられた
秦(ハタ)の民を移住させて そこから庸調(ツクリモノ)〈律令制下での租税〉が上がるようにされました

原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省

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『続日本紀(shoku nihongi)』延暦16年(797年)に記される伝承

大宝元年(701)4月3日の条に「神稲〈神に備える稲を作る田〉について
今後は 中臣氏〈京都市山科区中臣町付近を拠点〉に給付せよ」と勅(ミコトノリ)が発せられた神社名が記されています

意訳

夏4月 日食があり

4月3日に勅す
山背国(京都府)
葛野郡 月神(山城國葛野郡 葛野坐月讀神社 名神大)
樺井神   (山城國綴喜郡 樺井月神社 大)
木嶋神   (山城國葛野郡 木嶋坐天照御魂神社 名神大)
波都賀志神 (山城國乙訓郡 羽束師坐高御産日神社 大)
等の神稲について 今後は 中臣氏に給付せよ

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』』延暦16年(797年)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫

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『都名所図会(Miyako meisho zue)』1780年(安永9年)に記される伝承

江戸時代の境内の様子を知ることが出来ます

境内にある「元糺(モトタダス)の池」には「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」が建っていますが 湧水が流々としている様が描かれています

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『都名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 11冊 [書誌事項]刊本 ,安永09年 ~  刊本 ,天明07年[旧蔵者]内務省

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容

意訳

木嶋坐天照御魂(コノシマニマスアマテルミタマノ)神社

名神大 月次相嘗新嘗

祭神 天照國照天火明命(アマテルクニテルアメノホアカリノミコト)

今 按(考えるに)
この社の祭神は 天照國照天火明尊なること決し(決まっている)

それは 姓氏録〈新撰姓氏録(シンセンショウジロク)〉山城国 天孫に
水主直火明命(ミヌシノアタヘホアカリノミコト)の後なりとあり

天孫本記〈先代旧事本紀(センダイクジホンギ)〉に
同命(水主直火明命)9世孫 玉勝山代根古命(タマカツヤマシロネコノミコト)は 山城の水主 雀部(ササキベ)の祖(オヤ)とみえ

神名式〈延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)〉に
同国(山城国)久世郡 水主神社(ミヌシノカミノヤシロ)10座の中に水主坐天照御魂神(ミヌシニマスアマテルミタマノカミ)ますは
すなわち水主直の祖神 火明命(ホアカリノミコト)にして 神号は天照国照の称号を取れるものなること著しく

国造本記〈先代旧事本紀(センダイクジホンギ)〉に
丹波国造 志賀高穴穂朝〈第13代 成務天皇(セイムテンノウ〉の御代
尾張の同じ祖(オヤ)建稲種命(タケイナダネノミコト)の4世孫 大倉岐命(オオクラキノミコト)定め賜う国造と云う
丹波国造も火明命(ホアカリノミコト)の神裔なるに

式〈延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)〉同国〈丹波国〉天田郡 天照玉命(アマテルタマノ)神社があるのは その祖神(オヤガミ)なること著しく明らかなり

かくて本社 又
大和国城上郡に 他田坐(ヲサタニマス)天照御魂神社
攝津國嶋下郡に 新屋坐(ニイヤイマス)天照御魂神社 も その御裔の氏人の住むより祀り来ること准(ナラ)へて悟るべし

然るを〈そうであるのに〉
社伝に 天之御中主尊 又 天照大神を祀るなど云うは 甚(ハナハダ)しい誤りなれば取らず〈採用せず〉

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂
『特選神名牒』1 『特選神名牒』2

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
Konoshimanimasu amaterumitama Shrine)(Kaiko no yashiro)
(hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る 

松尾大社の記事をご覧ください

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の記事をご覧ください

賀茂御祖神社(下鴨神社)の記事をご覧ください

大和国(奈良県)
(大和國城下郡 鏡作坐天照御魂神社 大)

(大和國城上郡 他田坐天照御魂神社 大)

摂津国(大阪府)
(攝津國嶋下郡 新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大)

(攝津國嶋上郡 神服神社)(カムハトリジンジャ)

 

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2

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『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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