中山神社(なかやまじんじゃ)〈氷川簸王子神社〉は 大宮氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)とともに 3神社で一体の氷川神社を形成していたという説があります ちょうど3社の中間に鎮座するので かつては別称として中氷川神社とも呼ばれました
目次
江戸時代には 氷川簸王子神社(Hikawa hioji Shrine)
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
中山神社(Nakayama Shrine)
(なかやまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
・氷川簸王子神社(Hikawa hioji Shrine)
・中氷川神社(Nakahikawa Shrine)
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県さいたま市見沼区中川143
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)
素盞嗚命(susanowo no mikoto)
稲田姫命(inadahime no mikoto)
《合》・菅原道真・誉田別命・倉稲魂命・建御名方命・下照姫命・市杵島姫命・湍津姫命・田霧姫命・大日孁貴命・天照大御神・大山祇命・国常立命・天御中主命・菊理姫命
【御神格 (God's great power)】
・縁結び Deepen connections and intimacy with people
・夫婦和合 Married people swear to God-they want good relationships with each other
・子授け Children will be born as desired
・金運招福 Happy gold luck rise
・商売繁昌 Pray to God that the business will flourish
・病気平癒 Pray to God to cure illness
・災難除去 Eliminate disasters and hardships
・疫病除け Epidemic prevention
・厄除開運 Prayer at an age considered a milestone in life.Bring good luck and happiness.
・無病息災 Get rid of disease and hardship
・衣食住守護 Guardian deity of clothing, food and housing
・五穀豊穣 Pray for good harvest
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社〈参考として 社伝では〉
【創 建 (Beginning of history)】
社伝によれば 第10代崇神天皇2年(BC95)創建
中山神社(なかやまじんじゃ)
所在地 さいたま市中川143
中山神社は、かつて中氷川神社と呼ばれた中川の鎮守である。創建を人皇10代崇神天皇の御代2年と伝えられる古社である。
明治40年7月、神社合祀の際に社名を現在の中山神社に改められたが、今でも通称は「中氷川神社」で通っている。
「中氷川」の由来は一説には、見沼に面した高鼻・三室(浦和)・中川の地に氷川社があり、各々、男体宮、女体宮、簸(ひ)王子宮を祀り、当社が高鼻(男体)、三室(女体)の中間に位置したところから付けられたという。天正19年(1591)11月、徳川家康から社領15石の御朱印を賜った格式のある神社である。
当社の祭礼の中でも、毎年12月8日に行われた鎮火祭は特に有名で、焚き終った炭火の上を素足で渡り、無病息災 及び 火難がないよう祈願するものである。ただし、近年は事情によりこの行事は中断している。
現社殿の裏側に旧社殿が保存されているが、これは桃山様式をもつ市内最古の建造物として大宮市指定文化財となっている。昭和59年3月 さいたま市
(境内掲示板より)
【由 緒 (history)】
中山神社 御由緒
〈鎮座地〉埼玉県さいたま市見沼区中川143番地
〈御祭神〉大己貴命〈おおなむちのみこと〉(大国さま)
素盞嗚命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
〈御神徳〉縁結び・夫婦和合・子授け・金運招福・商売繁盛・災難除去・厄病除け・無病息災・厄除開運・衣食住守護・五穀豊穣〈歴 史〉
当社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座する「武蔵一宮氷川神社」と同市緑区宮本(三室)に鎮座する「氷川女体神社」を結ぶ線上のほぼ中間に位置することから、古くより関係の深い社として「中氷川神社」とも呼ばれていた中川の鎮守です。
この三社については、各社共に素盞嗚命(氷川女体神社では三穂津姫命を祀る)・稲田姫命・大己貴命の三座を主祭神に挙げながらも、それぞれ筆頭とする祭神を
高鼻の氷川神社は 素盞嗚命で男体社に、
宮本(三室)の氷川女体神社は 稲田姫命で女体社に、
そして当社は大己貴命で、先の二神の子孫に当たるとして氷(簸)王子社というように、この三社で「延喜式」神名帳・武蔵国足立郡四座の内の「名神大社氷川神社」であったとする説もあります。社伝によると、当社の創建は人皇10代崇神天皇の御代2年と伝えられています。
また天正19年(1591)11月に、徳川家康から社領15石の御朱印地を賜った格式のある神社です。
現在の社号は、明治40年(1907)7月に当地中川をはじめとする片柳村の西部に位置する南中野・新右衛門新田・上山田新田・南中丸の各大字に祀られていた神社が当社に合祀されたことにより、それまでの社号であった「氷川社」を鎮座地中川の「中」と江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを続けてきた上山口新田の「山」を合わせて中山神社と改称したものです。〈特殊祭事〉
12月8日に行われる鎮火祭は、古くから当社の重要な祭りとして位置付けられ、現在は御火塚前に薪を積み火渡り神事が行われます。素足で火渡りをすると火防・無病息災の神徳にあずかるといわれ、境内は氏子をはじめ多くの参拝者で賑わいますさいたま市指定文化財建造物「中山神社旧社殿」
旧社殿は、板張り床の外陣に至る階段を設け、祭神が鎮まる母屋前方の屋根を、角度を変えて軒先よりさらに長くして、反りを付した板葺の二間社ですまた、社殿側面の床板には脇障子や端の反り返った欄干がついていた痕跡が見受けられます。このような造りを「流造り」といい、一間社で社殿正面の階段や脇障子のないものを「見世棚造り」といい社殿のもとになる型です。この旧社殿は簡素な板葺の「見世棚造り」が二間社となり、階段などを装飾して「流造り」に発展していく過渡期の建造物といえます。桃山期のものと考えられ、県内に現存する社殿でも古い型式に入ります。市内では最古のものであるため、建築学上大変貴重な資料となっています(拝殿の配布紙より)
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・八社合祀殿
〈神明社 飯成社 淡嶋社 疱瘡守護社 磐社 石上社 竈神社 稲田宮主社〉
・稲荷神社(二の鳥居裏側)
・稲荷神社(二の鳥居左側)
・荒脛神社(arahabaki Shrine)
《主》荒脛巾神(arahabaki no kami)縄文の神
※境内社の
・荒脛神社は 大宮氷川神社と
・稲田宮主社は 氷川女体神社と 繋がっていると云われています
※因みに 大宮氷川神社の境内社「門客人神社」は
古くは 荒脛巾神社(arahabaki Shrine)と称して 地主神として祀られていました
当社では「荒脛(arahabaki)」の名のままで 今でも祀られています
江戸時代には 氷川簸王子神社(Hikawa hioji Shrine)とも「氷川荒脛神社(Hikawa arahabaki no kamino yashiro)」と呼ばれていたとしてご朱印もあります
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
※参考として
社伝によると 中山神社(氷川簸王子神社)は 大宮氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)の3社で「延喜式」神名帳・武蔵国足立郡四座の内の「名神大社氷川神社」であったとする説もありますので
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)足立郡 4座(大1座・小3座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社名 ] 氷川神社(名神大 月次新嘗)
[ふ り が な ](ひかはの かみのやしろ)(つきなみ にいなめ)
[How to read ](Hikawa no kamino yashiro)(tsukinami niiname)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
当社(女體社)と 大宮区高鼻町の大宮氷川神社(御祭神:須佐之男命・男体社)と 見沼区中川の中山神社(御祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて 武蔵国一之宮とする説があります
太古の社の本領発揮 完全に縄文時代まで遡るお話です
「荒脛巾神(arahabakinokami)」は そのずっと以前から 氷川神社の地に地主神として先住の神としていたのだとする説につながり これらを念頭に置いて
古代の想像図(東京湾の入り江)です
三点の赤い印は 3つの神社の現在地です
・左上 大宮氷川神社 (大宮区高鼻町)
・真中 中氷川神社 = 現 中山神社 (見沼区中川)
・右下 氷川女體神社 (緑区三室)
この3つの神社は いずれも かつての見沼の畔にあり かつ一直線に並んでいます
・左上 男体社(父神)
・真中 簸王子社(王子神)
・右下 女体社(母神)
(三社一体の如く) それぞれの役割を持ちながら 一つの氷川神社として 近世まで広大な神域を持って まつりごとの機能をしていたと言われています
大宮氷川神社 男体社(父神)
大宮氷川神社の記事をご覧ください
中氷川神社(現 中山神社)簸王子社(王子神)
中氷川神社(現 中山神社)の記事をご覧ください〈当社〉
氷川女體神社 女体社(母神)
氷川女體神社の記事をご覧ください
それは縄文期の太陽信仰と重なり
驚くことに意図的な配置により 太陽の運行軌道は この3社の直線上に現れ
夏至の太陽は 西北西の大宮氷川神社に沈み
冬至の太陽は 東南東の氷川女體神社から昇る
太陽信仰と暦は 古代の人々にとって 最も重要な神事のひとつであった筈で
この太陽の軌道を龍神の如く 神の沼「見沼」が3社を縫い合わせています
御祭神には 龍神としてのご神徳もあるとされていますが
国学者の堤朝風(1765~1834)は「氷川大明神は龍の姿の神だという言い伝えがある」と述べています
氷川女體神社には まさしく見沼に住まう「龍神」の祭りとして御船祭りが江戸期までありました
今でも 社前には 僅かですが かつての「見沼」を彷彿とさせる雰囲気が残っています
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
さいたま新都心駅から東へ 約4.5km 車17分程度
第二産業道路の東側に鎮座します
一の鳥居は 第二産業道路の西側にあり 境内入り口にある 二の鳥居まで長い参道(270mぐらい)が続いています
参道の先に 二の鳥居が建ちます
中山神社(Nakayama Shrine)に参着
やはり鳥居の扁額には「氷川神社」とあります
一礼をして 二の鳥居をくぐり 境内へ
真っ直ぐに続く 細い石畳の参道の先には 拝殿が見えます
すぐ左手には 手水舎
右手には 境内社・八社合祀殿
〈神明社 飯成社 淡嶋社 疱瘡守護社 磐社 石上社 竈神社 稲田宮主社〉
参道を進むと 境内の広がる手前に ちょっと風変わりなヘアスタイルと眉を持つ 狛犬が構えます
参道の左手には
「御火塚(ohizuka)」と呼ばれて 毎年12月8日に「鎮火祭(特殊神事)」が斎行される神域として大切にされた一画があります
拝殿にすすみます 扁額には「中山神社」
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 御垣に囲まれて 本殿が建ちます
社殿の裏側には 覆屋の中に旧社殿が保存されていて 桃山様式をもつ市内最古の建造物としてさいたま市指定文化財
説明版には
大宮市指定文化財建造物
中山神社 旧社殿(なかやまじんじゃ きゅうしゃでん)
指 定 昭和45年8月11日
中山神社は、古くは氷川社と称し大己貴命(おおなむちのみこと)を祀(まつ)る旧中川村の鎮守で、大宮市高鼻町の氷川神社と浦和市三室の氷川神社の中間に位置するため、中氷川神社とも呼び慣わされてきました。
明治の終わりに山の山村神社などを合祀(ごうし)して現在の社名に改めました。
境内では12月8日に神事の「鎮火祭」が執り行われていましたが、現在は社殿前に建立された「御火塚と記された小さな石碑がその名残を留めているにすぎません。この鎮火祭の火によって「中氷川」の氷が溶けてしまし、この地を中川と呼ぶようになったともいわれています。
旧社殿は、板張り床の外陣(げじん)に至る階段を設け、祭神を安置する母屋(もや)前方の屋根を、角度を変えて軒先よりさらに長くして、反りを付した板葺の二間社です。
また、社殿側面の床板には脇障子や端の反り返った欄干がついていた痕跡が見受けられます。このような造りを「流造(ながれづく)り」といい、一間社で社殿正面の階段や脇障子のないものを「見世棚造(みせだなづく)り」といい社殿のもとになる型です。この旧社殿は簡素な板葺の「見世棚造り」が二間社となり、階段などを装飾して「流造り」に発展していく過渡期の建造物といえます。桃山期のものと考えられ、県内に現存する社殿でも古い型式に入り、市内では最古のものであり、建築学上大変貴重な資料です。
平成3年3月 大宮市教育委員会
境内社にお詣りをしながら 境内を後にします
鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼をします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』に記される伝承
「足立郡 南部領 中川村」に「氷川社」として神事の「鎮火祭」が記されます
意訳
氷川社
村の鎮守なり
社領15石の御朱印は 天正19年11月附せらる毎年12月2日かこみ3尺の松樹をきりて 4つに裂き 数10本を社前につみ同8日に至り 朝より夕まで焚終り
この松の炭を持ち来り 神前に供するを もって例祭となせりと云う素戔嗚尊 稲田姫命 合社 本社に向て後にあり 奥の院と云う
末社 荒脛社 第六天社
神主 小山泉 吉田家の配下なり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
中山神社(Nakayama Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
当社と 大宮区高鼻町の大宮氷川神社(御祭神:須佐之男命・男体社)と 緑区宮本の氷川女體社(御祭神:奇稲田姫命・女体社)の三社を合わせて
武蔵国一之宮とする説があります
大宮氷川神社の記事をご覧ください
氷川女體神社の記事をご覧ください