宮前霹靂神社(みやさきかんとけじんじゃ)は 社号゛靂霹゛は 一般に「へきれき」と読みますが 当社の祝詞では「かんとけ」です また 井上内親王が 当社に御祈願され荒坂で御子を産まれた地と伝えられ゛おびや峯明神゛と俗称されます 『延喜式神名帳(927 AD.)』には 大和國 宇智郡 宮前霹靂神社(みやさきのかんとけの かみのやしろ)と所載される式内社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
宮前霹靂神社(Miyasakikantoke shrine)
【通称名(Common name)】
・産屋峯明神(おびやみねみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
奈良県五條市西久留米町416
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宮前靂霹神(みやさきかんとけのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
宮前霹靂神社(みやさきかんとけじんじゃ)
<通称>産屋明神(うぶやみょあじん)
御祭神 宮前霹靂神
鎮座地 奈良県五條市西久留野町四一六
(旧 大和國宇智郡北宇智村大字西久留野小字産屋峯)創祀・由緒 不詳
社格 旧村社例祭日 旧来十月十六日であったが、改めて十月二十三日になった 現在は、毎年十月第三日曜日に行っている
当社は、金剛山東山麓の産屋峯頂上に鎮座し、『延喜式』神名帳(醍醐天皇の命によって延喜五年(九〇五)八月に編纂を開始し、二十二年後の延長五年(九二七)に完成奏上された。その内の九巻十巻に当時の神名帳が掲載されている。)に登載されていた式内社である。また、井上内親王が当社に御祈願され荒坂で御子を産まれたと伝えられ、土俗に産屋明神と称し、安産の神として信仰され、祈願する参詣がある。
「霹靂」とは、「かみなり・いかずち・雷鳴」を意味し、「神解け」(かみとけ・かむとけ)とも表記される。読み方について、緒誌では、カントケの他カミトケ・ナルカミ・サクイカヅチ・ヒャクラク・ヘキレキなどと訓んでいるが、いわゆる雷神のことである。
霊安寺町御霊神社の『霊安寺御霊大名神略縁起』に「雷神ハ井上ノ皇后、宝亀三年六月二十三日ニ、宇智ノ郡へ御流サレアリシトキ、御懐妊アリシカバ、宇智ノ郷ニテ御産アリキ。ソノ在所ハ大岡、内ニ小山アリ。ソノ山ノ峯ニテ御産アリキ。ソレヨリノチソノ所ヲ産屋ガ峯と云ナリ」とある。井上内親王がお産になられた御子が雷神になられていることから、混同されるが、当社では本来、自然神としての雷神を祀ったものと考えられる。
例祭日には、御神前にショウガ酒を献じ、直会で飲む風習がある。(現在も行われている)また、当日渡御還ってくるとのろしを上げ、これを合図に御山村では火雷神社の渡御が行われたという。
問い合せ先 住所 奈良県五條市近内町一〇八三 電話 0747(23)5336
御霊神社 社務所
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋
9五条市 2、北宇智地区
宮前霹靂神社
(西久留野町字産屋峯四一六)
金剛山東山麓の高所の産屋峯丘陵頂上に鎮座の社を、式内宮前霹靂神社にあてられている。霹靂を当社の祝詞では、「かんとけ」とよみ、地元では一般に「へきれき」神社・おびや峯明神とも呼んでいる。
祭神は『広辞苑』に、急激な雷鳴とあるが、『大和志』には雷神と称すとある。本来ここの祭神は自然神としての雷神であったとみられるが、後世この地方一円を風靡した御霊信仰から、井上内親王の御子を雷神にあて、当社地付近を内親王産屋峯との伝説をも産むことになったのでないか。
長禄二年 (一四五八 )の霊安寺町御霊神社の「霊安寺御霊大明神略縁起」に「雷神ハ井上ノ皇后、宝亀三年 (七七二)六月二十三日ニ、宇智ノ郡ヘ御流サレアリシトキ、御懐妊アリシカバ、宇智ノ郡ニテ御座アリキ。ソノ在所ハ大岡、内ニ小山アリ。ソノ山ノ峯ニテ御産アリキ。ソレヨリノチソノ所ヲ産屋ガ峯卜云ナリ」とある。明治の「明細帳」などでは、祭神霹靂大神と届けている。例祭は十月二十三日。宮座講では、九月三十日に本当屋の庭に竹矢来の上方四隅に注連縄を張り、全体を杉葉で幣って王壇をしつらえ、中央に番傘をさしかけたお仮屋を建て、中へ十月一日榊の依代に神迎えして宮講を営む。二十三日の渡御式には、本当屋が依代を捧持して神社に到着、祭典が行われる。
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・春日神社《主》春日大神〈本殿向かって右横の境内社〉
・拝殿
・櫻木神社〈拝殿向かって右前 北側の境内社〉
・鳥居・狛犬
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇智郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 宮前霹靂神社
[ふ り が な ](みやさきのかんとけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Miyasakino kanatoke no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
社号゛霹靂(かんとけ)゛の意味について
社号゛霹靂(かんとけ)゛は 一般的には゛霹靂(へきれき)゛と云う
〇一般的な意味としては
1 かみなり いかずち 雷鳴 「青天の—」
2 雷が激しく鳴ること 落雷すること また大きな音が響き渡ること
〇神道的には
「神解け」(かみとけ・かむとけ)とも表記され 読み方について 緒誌では カントケの他カミトケ・ナルカミ・サクイカヅチ・ヒャクラク・ヘキレキなどと訓んで いわゆる雷神のこと
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延喜式内社の内゛霹靂神社゛を社号としている社とその論社
延喜式内社 大和國 宇智郡
宮前霹靂神社(みやさきのかんとけの かみのやしろ)
・宮前霹靂神社(五條市西久留野町)
・火雷神社(五條市御山町)
延喜式内社 石見國 邇摩郡
霹靂神社(ひゃくらくの かみのやしろ)
・霹靂神社(大田市温泉津町湯里)
・国分寺霹靂神社〈神楽岡八幡宮 境内〉(大田市仁摩町仁万)
延喜式内社 石見國 邇摩郡
國分寺霹靂神社(くにわけてらの ひゃくらくの かみのやしろ)
・国分寺霹靂神社〈神楽岡八幡宮 境内〉(大田市仁摩町仁万)
・五十猛神社(大田市五十猛町)
〈五十猛神社に合祀 霹靂神社〉
・國分寺霹靂神社(浜田市国分町)
社号゛霹靂(かんとけ)゛に関わる式内社の論社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「對馬嶋 上縣郡 能理刀神社」の論社 霹靂(ヘキレキ)神社は 「青天の霹靂(セイテンノヘキレキ)」で使われる「雷が激しく鳴ること」を意味する「霹靂」を社号にしています 三韓征伐から凱旋した神功皇后と伴に 御祭神の雷大臣命〈中臣烏賊津(ナカトミノイカツ)〉が 帰還し 上陸したと伝わる地「浜久須」に鎮座してます
對馬嶋 上縣郡 能理刀神社(のりとの かみの やしろ)
・能理刀神社(対馬 西泊)
・霹靂神社(対馬 浜久須)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR和歌山線 北宇智駅から西へ約3.3km 車5分程度
゛市立五條文化博物館゛の駐車場から゛5万人の森公園゛を徒歩で抜けて行きます
5万人の森公園の案内図に゛ミヤサキカントケ神社゛が書かれていますので 地図に沿って進みます
神社の由緒案内板があり 石段があり 両部鳥居か建つ
宮前霹靂神社(五條市西久留野町)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり 石段を上がると 狛犬が座し 正面に社殿があります 向かって右手奥には境内社゛櫻木神社゛ 向かって左側には゛社務所゛
割拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
割拝殿の奥は 御垣に囲まれた中 正面に本殿 向かって右並びに境内社゛春日神社゛が祀られています
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 宮前霹靂神社について 所在は゛西久留野村に在す、今雷神と称す゛〈現 宮前霹靂神社(五條市西久留野町〉と記しています
【抜粋意訳】
宮前霹靂神社
宮前は美夜左岐と読り、霹靂は加美止介と訓べし、〔古點にはナルカミ、又サクイカツチとあり、〕和名鈔、〔鬼神部〕霹靂、〔加美於豆、一云、加美止介〕
○祭神 八雷神歟
○西久留野村に在す、今雷神と称す、〔大和志、同名所図会、〕
類社
石見國 邇摩郡 霹靂神社、同國同郡 國分寺霹靂神社、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 宮前霹靂神社について 所在は゛西久留野村にあり 雷神といふ゛〈現 宮前霹靂神社(五條市西久留野町〉と記しています
【抜粋意訳】
宮前霹靂神社
今 西久留野村にあり 雷神といふ
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 宮前霹靂神社について 所在は゛西久留野村 字産屋ヶ峰゛〈現 宮前霹靂神社(五條市西久留野町〉と記しています
【抜粋意訳】
宮前(ミヤサキ)ノ霹靂ノ神社
祭神 雷神
今按 社傳に光仁天皇皇后井上内親王を奉祀す皇后此地にて皇子を産玉へるより産屋峯など云は取に足らず 宮前は地名にして其地に霹靂神を祭れること著し 霹靂神とは和名抄に霹靂加美於一云加美止介云々所經皆破折也とみえ 大和志に雷神と唱ふる由しるせれば 雷神を祭れるなるべし故今定めて雷神と記せり
祭神 九月十六日
社格 村社所在 西久留野村 字産屋ヶ峰(字智郡北宇智村大字西久留野)
今按 神名帳考証に本社の所在を今在ニ御山村 若宮神稱ニ雷神とあり
一説に御山村の゛ミヤマ゛と゛ミヤマヘ゛と音近しと 然らば御山の方 當社にや猶よく考ふべし
【原文参照】