宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)〈『延喜式』神野神社〉

宮川神社(みやがわじんじゃ)は 第42代文武天皇 大宝年間(701~708)京都下賀茂神社の祭神 玉依姫命の母神゛伊賀古夜姫命゛を祭神として神野山の山上に鎭めたのが起源〈現在も下賀茂神社との関係は深く葵祭の行列に毎年宮川神社の氏子が参列奉仕します〉延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)とされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

宮川神社(Miyagawa shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府亀岡市宮前町宮川神尾山二番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊賀古夜姫命(いかこやひめのみこと)
   譽田別命(ほむだわけのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

宮川神社(延喜式内社)宮前町宮川

祭神に伊賀古夜姫命、誉田別命の二神を祀る。

当社の創建は文武天皇 大宝年間(七〇一~七〇八)山上に伊賀古夜姫命をめたのが起源とされ 古くは神野山と称し 延喜式にいう神野神社に比定される。また、誉田別命 (八幡大神)は欽明天皇三十二年(五七一)に宇佐八幡宮より神野山山中に遷し祀られたと伝えられ 今に社地を八幡平という。
天正五年(一五七七)明智光秀と波多野秀治の合戦の際両社とも焼失し、その後 落雷不作が続いたので、正保四年(一六四七)山麓の現在地に社殿を移し二神をあわせ祀り。名称も宮川神社と改めたと伝えられる。
伊賀古夜姫命は京都下賀茂神社の祭神 玉依姫命の母神であり、下賀茂神社と関係深く葵祭の行列に氏子青年が奉仕に参加している。

現地案内板より

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【由  (History)】

『南桑田郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第四章 神社 第十二節 宮前村

宮川神社

字宮川にあり、伊賀古夜姫命、譽田別命を肥る。もと神野神社と云ひ、延喜式内社なりしと傳ふ。
社傳に因れば ,天正五年明徊光秀の兵燹に罹り、社地を現今の位置に移したと云ふ。江戸時代に入り正保四年、享祿二年等に造營の事あり、明治六年村社に列す。

【原文参照】

京都府教育会南桑田郡部会 編『南桑田郡誌』,京都府教育会南桑田郡部会,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978749

宮川神社

古社名 神野神社(かむのじんじゃ)

宮川神社の創建はきわめて古く、大宝年間と伝えられ、桑田郡(亀岡市と北桑田)に十九座ある延喜式内社の一つです。

 「山城国風土記」によると、今の亀岡あたりに拠点を持っていた出雲族と京都盆地に入ってきた天孫族の一つである賀茂族が勢力争いで戦闘になりましたが、やがて和議を結び、その印として出雲族の長の娘「伊可古夜日売(いかこやひめ)」が賀茂族の長「賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)」の妻となり「玉依比古(たまよりひこ)」と「玉依日売(たまよりひめ)」を産みました。
この「玉依日売(たまよりひめ)」が「火雷神(ほのいかづちのかみ)」と交わって産んだ子が「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」で、今の下賀茂・上賀茂両社の創建縁起になっています。宮川神社は「伊賀古夜姫命(いがこやひめのみこと)」を、下賀茂神社は「賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)」と「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」を、また上賀茂神社は「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」を祭神として祀っています。
この神縁によって、葵祭りには毎年宮川神社の氏子二十三名が参列奉仕しています。

宮前町自治会のホームページ より抜粋
https://miyazakichojichikai.jimdofree.com/%E7%94%BA%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E5%8C%BA/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

宮川神社 覆い屋の中に本殿・本殿の後ろの巨岩(神籬石?

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宮川神社 覆い屋の中に本殿

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宮川神社 覆い屋の正面 拝所

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宮川神社 拝殿

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宮川神社 社殿全景

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・〈境内社〉玉依姫命

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・〈境内社〉貴船大神

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・鳥居

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・社頭・社号標

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・参道入口

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神野神社
[ふ り が な ]かむのの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuno no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社について

・宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)

・玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)

・道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)

・住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)

延喜式内社 丹波國 氷上郡 神野神社(かむの かみのやしろ)の論社について

・円通寺(丹波市氷上町御油字マガリ)〈神野神社の南300m 古社地〉

・神野神社(丹波市氷上町御油字マガリ)

・鴨神社(丹波市市島町梶原字カモ)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 嵯峨野線 千代川駅から府道73号・452号経由で西方向へ約8.1km 車で15分程度

参道の入口です

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半国山ハイキングコースの案内板があります

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その案内板の脇に石灯籠が立ち 神社へ上がって行く参道があります
一方 下の沢へと下りていく 獣除けの扉がありますので そちらへ降りてみました

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獣除けの扉の中は 清流が流れています この清流に飛び石が置かれていて 中々の風情があります

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しかし こちらの道から宮川神社へと通じているかは判らず 雨も降っていましたのですぐに戻りました

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獣除けの扉を出ると すぐに参道の入口になります

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石段を上がると 正面には こちらにも山からの害獣除けの扉があり 左手に社号標に゛宮川神社゛と刻字があり 社頭の鳥居が建てられています

宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり 境内参道を進みます

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参道の両脇は 瓦屋根が施された漆喰の土塀が続いています
その先に 境内中央に拝殿 その一段上に本殿が覆い屋の中に祀られています

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拝所は 本殿の覆い屋の正面に設けられています

にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の全体を反対側から見ると

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石垣の上に本殿と覆い屋

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森の中に上がって行く参道があります

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進んでいくと〈境内社〉玉依姫命の祠がありました

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玉依姫命の祠から下を見ると 祠が見えていましたので 一旦境内に戻ります

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境内から森の中に下っていく参道らしきものがありますので これを進みます

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進んでいくと〈境内社〉貴船大神の祠がありました

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再び境内に戻ります

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雨も降っていましたが 境内には苔が密集していました

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瓦屋根が施された漆喰の土塀に囲まれた参道を社頭へと戻ります

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鳥居を抜けて 参道入口へと戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神野神社について 所在は゛宮傍村に在す゛〈現 道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

神野神社

神野は 加美乃と訓べし

〇祭神 伊可古夜日女命

〇宮傍村に在す〔啓蒙〕

〇頭注云、賀茂建角身命 錨伊賀古彌日賣命也、玉依彦玉依姫母也、玉依姫鴨御祖神也、玉依彦可茂縣主等遠祖也、

〇當國 氷上郡 神野神社もあり

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神野神社について 所在は゛ 観音村に在り、下鴨宮と云ふ、゛〈現 住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)〉と記しています

【抜粋意訳】

神野(カミヌノ)神社

 観音村に在り、下鴨宮と云ふ、〔三才圖會、國華万葉記、〕〔〇按 観音疑らくは、神野の轉音也、〕

賀茂建角身命の妃、神野神伊加古夜比賣命(カミノ カムイカコヤヒメノミコト)を祀る、〔参取袖中鈔引賀茂縁起、山代風土記、神名帳頭注、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神野神社について 所在は゛丹波國桑田郡宮脇村゛〈現 道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〉と記しています

又 宮川村神尾山金輪寺鎭守とする説もあるが 寺に言い伝えが無く
  宮川村の宮川神社は神尾山の麓に鎭座す
又 湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり との説も挙げています

【抜粋意訳】

神野(カムヌノ)神社

祭神 神伊加古夜日女(カムイカコヤヒメノ)命

 今按 山城風土記に賀茂建角身命 娶 丹波國 神野神伊可古夜日女 生子名 玉依日子 次曰 玉依日賣とみえたるを思ふに此神に神野の字を冠らせたるは其鎭座の地名なるべし

祭日
社格

所在
 今按 丹波式社啓蒙云 軽野社在 丹波國桑田郡宮脇村 按神野之轉乎とあり 今之を考るに宮脇村は氏子数十ヶ村にわたり 土人は木梨軽王子を祭ると云ふ 盖 神野の轉に非る也
 或云 同郡宮川村神尾山金輪寺鎭守かと云れど 同寺に其説を傳ふることなし 宮川村の宮川神社は神尾山の麓に鎭座す 此亦古社なり
 又 湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり樹木繁茂 眞に幽邃の古社なり 神前釣燈籠に承安元年辛卯源三位賴政奉之とあり 村老の説に山城加茂明神の分社也と 蓋此社 玉依彦か玉依姫か共に伊可古夜日女の子也 神野神社に所緣ありと云れど 古記の證とすべきものなければ今詳ならず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山 (hai)」(90度のお辞儀)

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丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

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