三島神社(みしまじんじゃ)は 『豆州志稿(ずしゅうしこう)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に 鎌倉時代末(1320年頃)修復の棟札がある と記されている古社です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の 伊豆国 賀茂郡 穂都佐氣命神社(ほつさけのみことの かみのやしろ)の論社ともされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
三島神社(Mishima Shrine)
(みしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡南伊豆町入間713
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》事代主命(Kotoshironushi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社〈論社〉
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・境内の右手 朱色の境内社《御祭神など不明》
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 穂都佐氣命神社
[ふ り が な ](ほつさけのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆國(izu no kuni)賀茂郡(kamo no kori)
穂都佐氣命神社(Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)の論社 各々の神社の記事をご覧ください
両神社(Ryo Shrine)
王子神社(南伊豆町)〈当社〉御祭神の分祠としています
三島神社(南伊豆町入間)
御祭神「穂都佐氣命(Hotsusake no mikoto)」について
御祭神「穂都佐氣命(Hotsusake no mikoto)」は
三島大明神の第16王子 母神は伊古奈比咩神(ikonahime no mikoto)
別名を「満寧子(manneiko)」or「酒王子(Shuoji)」と呼ばれます
満寧子(manneiko)「まんねいこ」の満寧とは 安らかさに満ちていることの意味です
式内社の調査の一説では 元々は 島嶼(伊豆七島)に祀られていたと推測されています
三宅島には 御祭神を祀る
「飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)」があります 記事をご覧ください
スポンサーリンク
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅から R136号を西南へ約18km 車30分程度
県道16号に入り南下して 入間漁港の入口を浜へ下ります
入間漁港は 神錆びた感のある港です
神社は この海を見下ろす斜面に鎮座しています
入間地区の防災マップ を見ると黄色の塗枠に「三島神社」とあります
三島神社(Mishima Shrine)に参着
階段を上がる途中に 鳥居が建っています 扁額には「三島神社」と刻まれています
一礼をして くぐります
境内の上段の石垣は 昔のまま 浜から運んだ丸石で組まれています
境内に上がると 石畳みの参道左手に「手水」 正面に拝殿が建ちます
拝殿にすすみます 正面の扉が少し開いていて 鈴尾を引くことが出来ます
正面の扉に手を掛けてみると なんと開くことが出来て 朱色の本殿がありました
拝殿と思っていたのは 本殿の覆屋でした
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
お詣りを済ませ 再び正面の扉を閉じ 拝礼します
境内の右手には 朱色の境内社があり お詣りをします
境内社の左手には 斜面に穴が掘られ まるで古墳の塚室の様です
小さな石祠のようなものも祀られているようですので 遠目から拝礼します
社殿をこちら側から 眺めると 古社の雰囲気が漂います
階段を下り始めると 眼下に入間漁港を見下ろすことができます
社に向かい一礼をします
再び 港に下り 太古にこの浜から 御祭神が上陸されたのだろうかと想いを馳せる程に美しい海岸でした
スポンサーリンク
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
現在の当社「三島神社(南伊豆町入間)」が「三島明神(ミシマミョウジン)入間村」とされ 鎌倉時代末の修復の棟札があると記されています
古社であることは間違いなさそうです
意訳
三島明神(ミシマミョウジン)
入間村応長13年
按ずるに(アンズルニ)
応長(1311~1312)は1年にて 正和と改元す 13年は正に 元享3年(1323)に当たるこの頃は暦日〇〇までは行わたらざる處あるを以て 改元ありと誰も知らないので 暦を用いしならん
重ね修理の上 梁文に願主 外岡圓書やいり
応長10年(1320) 応仁2年(1468)等みな 外岡氏願主たり
長享2年(1488)には 祢宜(ネギ) 藤原盛泰(フジワラノモリヤス)
永正3年(1506)には 大屋□□入道守吉
天文12年(1543)には 藤原憲清(フジワラノノリキヨ)とあり末社4 皆 天文中(1532~1555)の棟札在り
鑰取り 外岡氏 この家 42~43世 嫡子相続すと伝
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
『特選神名牒(tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容
文中に穂都佐氣命神社(Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)の論社であるが 比定する程の証拠はないと記しています
・・・・・・・・・
又 一説に入間村 三島明神あり 此の社なるべしと云いて 諸説まちまちなる故に ・・・・・・
入間村なるも古き棟札はあれど証なし・・・・・・・
・・・・・・・・・
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒(tokusen shimmyo cho)』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂
三島神社(Mishima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
両神社(Ryo Shrine)
王子神社(南伊豆町)〈当社〉御祭神の分祠としています
三島神社(南伊豆町入間)