御酒殿神(みさかどののかみ)は 古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所・由貴御倉(ゆきのみくら)は 古くは御饌祭(みけさい)の御贄(みにへ)時菓(ときじく)〈果物〉などを納めておく倉 どちらも皇大神宮(内宮)所管社です 忌火屋殿(いみびやでん)は忌火〈清浄な火〉神饌を調理する殿です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
・御酒殿神(Misakadononokami)
・由貴御倉(Yukinomikura)
・忌火屋殿(Imibiyaden)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市宇治館町1(内宮境内)
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
御酒殿神〈皇大神宮(内宮)所管社〉
《主》御酒殿神(みさかどののかみ)
由貴御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉
《主》由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
(御酒殿神)・御酒殿の守護神
(由貴御倉)・由貴御倉の守護神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・〈皇大神宮(内宮)所管社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮綜覧』〈1915年〉に記される内容
【抜粋意訳】
十七、御酒殿(ミサカドノ)
神樂殿の東、五丈殿の北、由貴御倉と相幷び立てり。前に蕃塀を設く。本殿は、供進の神酒と釀造する殿舎なり。古は御酒殿の一院中に、務所廳(マツリゴトドコロ)、其の外殿舎數棟ありたれど、今はその御倉の一なる由貴御倉(ユキノミクラ)と此の殿舎とを存するのみ。中世以後中絶せしを、慶安年中再興ありて、現形の如くなれり。
〇御酒殿神(ミサカドノノカミ) 壹座 御酒殿の守護神として、奉齋せる神霊なるを以て、別に神殿を構へずして、御酒殿に鎭祭す。
十八、由貴御倉(ユキノミクラ)
神樂殿の東、五丈殿の北に、御酒殿と幷び立てり。瑞垣・御門・蕃塀を設く。此御倉は、古は御酒殿院の内なる御倉の一にして、由貴の大御饌に供進すべき御料の御贄(みにへ)時菓(ときじく)等を納むる所なれば、又 由貴御饌調備御倉(ユキノミケ トトノヘ ソナフルミクラ)、又單に 由貴殿(ユキドノ)とも云へり。その構造、古は全く倉庫の古式なる井樓組(せいろうぐみ)なりしを御倉の守護神として、由貴御倉神を祭れるにり、寬永六年の御遷宮に方りて、神社の形式に改造し、瑞垣・御門等を加へて、今日に及べり。
〇由貴御倉神 壹座 由貴御倉に鎭座す。卽ちこの御倉の守護神に座す。
〇櫻宮石壇(サクラノミヤノイシダン)趾 由貴殿の巽にあり。建久年中行事に、櫻宮とも櫻御前とも見えたり。小朝熊神社の神事を行ひし所なり。
十九、四至神(ミヤノメグリノカミ)
・・・・
・・・・二十、忌火屋殿(イミビヤデン)
五丈殿の東、四至神の東北にあり、瑞垣・蕃塀を設く。本殿は、諸祭典の時、御饌物を調備する殿舎なり。畧して忌屋殿(イミヤデン)とも云ふ。古は御膳宿(ミカシハデノヤドリ)一院とて、其の中に殿二宇ありき。大御神に奉る御饌の御稻は、大物忌の子等、〔荒木田氏の女〕、此の殿にて舂づき炊ぎ奉り、相殿の神幷に荒祭宮の御稻は、主神司殿にて舂き奉りて後、此處にて炊ぎ奉れり。而して此の殿は、正殿御炎上の節、暫時の假殿に充て奉りしこともあれば、外院の殿舎中にて、最も重きを置かるる殿舎なりと知るべし。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年〉に記される内容
【抜粋意訳】
御酒殿神(みさかどののかみ)
五丈殿の奥(北)に二宇の殿舎がある。向って左を御酒殿(みさかどの)といひ、右を由貴御倉(ゆきのみくら)といってゐる。御酒殿といふのは、皇大神宮及び諸神に供する神酒を醸(かも)す所の殿舎である。もと、ここの一劃を御酒殿院(みさかどのいん)といひ、酒殿(さかどの)、務所廳(まつりびとどころ)、倉(くら)、盛殿(もりどの)・大炊屋(おほゐや)等の建物が建ち並んでゐたものてあるが、現存するものは御酒殿ー宇だけである。
御酒殿神(みさかどののかみ)は、この御酒殿の守護神として、御酒殿の内に齋き祭られ、皇大神宮の所管社になってゐる御酒は米より作られる所から、御酒殿神といふのは、豊宇氣比賣神(とようけひのかみ)であるともいはれてゐる。
由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)
御酒殿の向つて右に富る社殿を由貴御倉(ゆきのみくら)といひ、その中に、御倉の守護神として斎祭られてゐるのが、由貴御倉神である。皇大神宮の所管社である。由貴(ゆき)といふのは清淨な神に供へる食物のことで、この御倉は、皇大神宮の由貴(ゆき)の大御饌(おほみけ)に供進すべき御料の御贄(みにへ)、果實などを御納めして置く所である。明治維新までは、そうした用に供されてるたが、現今は御倉を神社形成に改め、御倉の神を御祭り申し上げる神殿だけになってゐる。由貴御倉神といふのは、神拜次第秘抄によると、御饌津神(みけつかみ)であるといはれてゐる。
四至神(みやのめぐりのかみ)
・・・・
・・・・忌火屋殿(いみびやでん)
四至神のある石畳の前の御殿を忌火屋殿といってゐる。忌火(いみび)といふのは不淨を忌んだ清淨な火のことである。その清淨な火で ,皇大神宮の祭典のときの御饌(みけ)、御贄(みにへ)を調理するのが忌火屋殿である。神宮の忌火は今でもマッチなどを用ひず、昔ながらの火鑽杵(ひきりぎね)で檜を磨り合せて火を出しこれを附木(つけぎ)に移して、御飯を蒸すのである。儀式帳には、御膳宿院(みかしはでやどりいん)といひ ,その中に御炊屋(みかしぎや)と御臼殿(みうすでん)との二殿があつたと見えてゐる。御臼殿で、稻を舂(つ)き、御炊屋で、これを炊(かし)いだものである。鎌倉時代になって、これを忌屋殿(いみやでん)といひ、今はー殿だけになってゐる。
忌火屋殿の前庭の石壺のある中庭を、祓所(はらいど)といってゐる。諸祭典の節、忌火屋殿に於て調理した御饌御贄を祓ひ清める所である。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
御酒殿神・由貴御倉は 皇大神宮(内宮)の所管社てす
・皇大神宮(内宮)
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』(こうたいじんぐうぎしきちょう)と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉の「太宮壹院」に記される内容
゛幣殿一院゛とは
ここに載る゛幣殿一院゛とは
現在の外幣殿(げへいでん)〈かつて天皇以外のものから奉られた幣帛も納めた殿〉に相当するものと考えられます
゛幣殿一院
殿一宇 長一丈五尺 弘一丈二尺 高八尺
玉垣一重 廻長丗八丈゛
゛御倉一院゛とは
ここに載る゛御倉一院 倉四宇゛とは
板垣外の西方に古代より建てられていた4棟1組の御倉「調御倉(つきのみくら)・御塩御倉(みしをのみくら)・鋪設御倉(しつらいのみくら)・御稲御倉(みしねのみくら)」と考えられている
・調御倉(つきのみくら)は 味噌の御倉
・御塩御倉(みしをのみくら)は 鹽の御倉
・鋪設御倉(しつらいのみくら)は 調度の品の御倉
・御稲御倉(みしねのみくら)は 稲穂の御倉
であろうとされています
御稲御倉(みしねのみくら)は〈現 皇大神宮(内宮)所管社〉です
御塩御倉(みしをのみくら)は 現在の御塩殿神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉で造られた鹽の御倉です
゛御倉一院
倉四宇 長各一丈八尺 弘各一丈五尺 高一丈
臥堅魚木 各四枚
玉垣 廻長丗八丈゛
゛御酒殿一院゛とは
ここに載る゛御酒殿一院゛とは
現在は 五丈殿の奥に鎮座する・御酒殿(みさかどの)・由貴御倉(ゆきのみくら)と考えられます
・御酒殿(みさかどの)は 古くはここで神酒を醸造していました
・由貴御倉(ゆきのみくら)は 古くは お供えものや果物などを納めた御倉
であろうとされています どちらも〈現 皇大神宮(内宮)所管社〉です
゛御酒殿一院
酒殿一間 長四丈 弘一丈七尺 高八尺 庇一面
務取廰一間 長三丈 弘一丈 高一丈
倉二宇 長各一丈八尺 弘各一丈五尺 高一丈盛殿一間 長五丈 廣一丈七尺 高八尺
大炊屋一間 長二丈 弘一丈 高七尺
防往籬一重 長丗四丈゛
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
皇大神宮(内宮)に参詣
・皇大神宮(内宮)
四至神(みやのめぐりのかみ)に参着
・四至神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)
四至神の奥にある建物が 忌火屋殿(いみびやでん)〈内宮境内〉
忌火屋殿(いみびやでん)に参着
元来の゛忌 (いみ)゛とは゛神聖な゛物や場所を゛清浄す゛との意と云う
従って゛忌火 (いみび)゛は〈清浄な火〉という意味になり
忌火屋殿(いみびやでん)は゛忌火〈清浄な火〉で神饌を調理する殿゛です
忌火屋殿(いみびやでん)〈内宮境内〉の東側には
御酒殿神(みさかどののかみ)・由貴御倉(ゆきのみくら)が並んで鎮座します
御酒殿神・由貴御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)に参着
向かって 右側の小さな殿が 由貴御倉(ゆきのみくら)
向かって 左側の大きな殿が 御酒殿神(みさかどののかみ)
殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神宮要綱』〈昭和3年〉に記される伝承
【抜粋意訳】
皇大神宮 宮域 殿舎 由貴御倉
瑞垣御門 猿頭門
瑞 垣 袖繰板打
蕃 塀 横板嵌
右神宮司廰造替本御倉は皇太神宮儀式帳に「御酒殿ー院〔〇中略〕倉二宇、〔長各一丈八尺、弘一丈五尺、高一丈〕」ざ見えたる御酒殿院の内なる御倉にして、其の性質としては由貴大御饌に供進すべき御料の御贄時菓等を收むる所なれば、帳に由貴御倉と云ひ、又兵範記にも由貴御饌調備御倉、建久年中行事には之を由貴殿と呼ぶに至れり。同年中行事等を見るも、六月十五日の御贄神事に方り御贄を本殿の東南方の耳に奉懸し、又神戸所進の神酒を奉納したり。又右の御贄奉懸のために造替遷宮の時、御倉の耳を一枚切り残す例なりと云ふ。こ御贄神事は神宮改正まで存績せしが、現今は由貴御倉神の神居の殿舎となれり。
而して當御倉は永正二年の燒亡以後 廃絶せしを寬永遷宮に再興せられ、現在の如く神社の形式に改造せらる。卽ち元祿勘文に「由貴殿〔南面在に本宮西ー殿北、御修覆〕殿一丈六寸、長六尺、廣四尺一寸、板葺博風四枚、鰹木四本、板垣長廻東西ー丈二尺、南北ー丈、高四尺五寸、同門高六尺八寸、廣四尺六寸」と見ゆるもの是れなり。所管社由貴卸倉神の條参照すべし。皇大神宮 宮域 殿舎 御酒殿
蕃塀 横板嵌
右神宮司廰造替本殿は皇太神宮儀式帳に「御酒殿ー院、酒殿一間、〔長四丈、弘一丈七尺、高八尺、庇一面〕」と載せたる殿舎にして、皇大神及び諸神に供進の神酒を釀造する所にして、卽ち御酒殿院の主殿なり。この外に務所廳一間・倉二宇・盛殿一間、大炊屋一間等附属したりき。又古は神官のみの直會はこの殿舎を用ゐらる。旦神戸の貢進物は宮司の手を經て、凡て此の院に收納せられたることあり。然るに中世以後久しく廃絶し、慶安年中現今の如く再興せらる。但し御用途変りて神居の殿舎となりしより、構造・丈尺等全く古と相違せり。所管社御酒殿神の條参照すべし。
皇大神宮 宮域 殿舎 忌火屋殿
瑞垣 袖繰板打
蕃塀 横板嵌
右神宮司廰造替大御僕を調備する殿舎なるが、皇太神宮儀式帳には「御膳宿ー院、殿二間〔長各二丈、弘一丈七尺、高八尺〕とありてもと二殿あり。一は御炊屋にして、一は御臼殿なるべし。建久年中行事によれば、正宮の大御饌はこの忌火屋殿にて御稻を舂き炊き奉りえるが、相殿神のは主神司殿にて奉舂したる後、本殿にて奉炊せり。又遷宮の際の装束裁縫にこの殿舎を用ゐられたること建久以下の遷宮記に見え、又仁安三年正殿災上の際には、暫時假殿に充てられしこともありき。儀式帳當時より周圍に御垣ありて、中世その入口に鳥居を附したることもありき。殿舎の丈尺明治以前は高一丈八尺・長二丈七尺・廣一丈五尺にして、御垣ははやく絶えたり。
【原文参照】
皇大神宮所管社 御酒殿神
鎭座地 皇大神宮神域御酒殿内
右造神宮使廳修繕
御酒殿神(ミサカドノノカミ)は本宮外院なる御酒殿の守護神として、御酒殿内に鎭座す。御酒殿とは、もと皇大神宮及び諸神に供進する所の神酒を醸造する所にして、時に神物實器の類をも安置收藏せしことありき。其の御神體は、大治御形記及び倭姫命世記によれば、天逆太刀・天逆鉾•金鈴等の實器なりと云ふ。御鎭座本緣には豊宇氣比賣神を祀ると爲し、古來拜祭の儀鄭重を極めたり。
皇大神宮所管社 由貴御倉神
鎭座地 皇大神宮神域由貴御倉内
右造神宮使廳修繕
由貴御倉神(ユキノミクラノカミ)は、由貴御倉の守護神として奉齊せられ、古來神殿を設けず、御倉内に鎭座す。由貴御倉は由貴大御饌に供進すべき御料の御贄時果等を納むる御倉なりしが、永正二年燒亡後久しく中絶したるを、寬永六年の正遷宮に再興せられ、明治四年の御改正前迄は、每年三節祭の由貴祭に先ちて採取したる御贄を納むる古儀のー班を存したりき。但し現今は御倉の建築を改めて、神社の形式に則れり。祭神は御饌津神に坐すこと、神拜次第祕抄に見えたり。
【原文参照】