眞氣命神社(まけのみことじんじゃ)は 隠岐 西ノ島の物井地区に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされます 江戸時代には所在不明とされていましたが 明治初期の式内社調査で比定されています 祭神の眞氣命については おそらく地主神であろうとされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
眞氣命神社(Make no mikoto Shrine)
(まけのみことじんじゃ)
[通称名(Common name)]
・素気雄大明神(すぎをだいみょうじん)
・杉尾さん(すぎおさん)
【鎮座地 (Location) 】
島根県隠岐郡西ノ島町宇賀402
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》眞氣命(Make no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・家内安全
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代は不詳
【由 緒 (History)】
神社由緒
物井区の氏神として鎮座
延喜式内社
特殊神事 4年に1度神輿渡御が執行される皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=30606
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)知夫郡 7座(大1座・小6座)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 真氣命神社(貞)
[ふ り が な ](まけのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Make no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
眞氣命神社の社殿の向き
御祭神の眞氣命については おそらく地主神であろうとされています 中には、素盞鳴尊が変身した神との説もあり 謎の神です
社殿の向きは 真南ではなく 多少ですが 東南に触れています
その指し示す延長線上範囲は 最も南寄りで島根半島の最西の美保岬〈美保神社〉 最も東寄りで中国地方で最高峰の伯耆大山〈大神神社奥社〉となります
社殿の方向の先には 知夫里島〈知夫村〉と中ノ島〈海士町〉の間〈隠岐カルデラの入口〉があって 本土から沖への入口にあたります その先の日本海を渡ると出雲の地で 美保岬を向いているならば 石器時代から黒曜石の文明を持つ 隠岐の文化が本土と交わることを見ているようでもあります
中国地方で最高峰の伯耆大山〈成層火山〉へと向いているならば 島の火山と陸の火山の関係のような感じもします
参考マップ
隠岐の式内社〈16座〉について
隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西ノ島に到着して 当日は大雨 翌日は晴天でした
とても御神威を感じた神社でしたので 両日とも参拝を致しました
全く違う表情を示された 両日の写真をUPします
西ノ島 別府港フェリーターミナルから 県道319号〈海岸線〉を東へ約2km程進むと物井地区になります 海からの参道の入口に鳥居が建っています 扁額には「真氣命神社」と刻まれています
鳥居をくぐると 山に向かって細い道が参道となって続いています
300m程進んでいくと 笹竹に覆われた参道の先に 銅製の二ノ鳥居が建っています
眞氣命神社(Make no mikoto Shrine)に参着
一礼をして 銅製の二ノ鳥居をくぐります
急な石段の途中に 狛犬が座します
おそらく前日は無かったと思うのですが 右手の「阿の狛犬」の口元との上下にセミの抜け殻が付いています
昨晩に羽化したのでしょうか セミの抜け殻は縁起物とも云われますので 再度 お詣りに来れて良かった
抜け殻と狛犬に会釈して 階段を上がると瓦屋根の拝殿が建っています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内は 社殿向かって左側は開けていて 拝殿の奥 幣殿と本殿が良くわかります
社殿向かって右側は それ程は開けていませんが 脇に建屋があります 同じような建屋が左側にもあり 何なのかはわかりませんが もしかすると 境内社の覆い屋なのかなとも思ってみたり
境内には あまり見たことのない茶色の綺麗なカエル〈準絶滅危惧 隠岐固有のオキタゴガエルかどうかは 分かりません〉が呑気に草の中を歩いていて 蛇に食べられないか心配になってしまいました
参道の階段を戻ります
鳥居を抜け 振り返り一礼をしてから 細いさんどうを戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)付の太政官符の命により編纂〉に記される伝承
真氣明神として記されています
【意訳】
知夫郡
従3位 真氣明神(マケミョウジン)
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
書き込みは 神社名を記しているのみです
【意訳】
真氣命(マケノミコトノ)神社
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
鎮座地は 良くわからないと記しています
【意訳】
眞氣命神社
眞氣は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
貞観5年(863)付の太政官符の命により編纂された国内神名帳〈隠州神名帳〉に 眞氣明神と載せられている神社であると記しています
【意訳】
眞氣命神社
祭神 眞氣命
今按〈考えるに〉
本国神名帳に 従3位 眞氣明神とあり
祭日 6月15日 9月19日
社格 村社
所在 宇賀村(知夫郡黒木村 大字宇賀)
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
眞氣命神社(Make no mikoto Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)