神垣神社(松阪市高木町)〈『延喜式』神垣神社・石田神社〉

神垣神社(こうがぎじんじゃ)は 元々は゛髙木村に座す彦神゛と云い 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀 昭和28年(1953)旧社地の現在地に分祀されました 延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神垣神社(かむかきの かみのやしろ)とされ 延喜式内社 多氣郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社でもあります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神垣神社(Kougaki shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県松阪市高木町 530-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神魂命(かみむすごのみこと)
   長天白羽命(あめのながしらはのみこと)
   猿田彦命(さるたひこのみこと)
   誉田別命(ほんだわけのみこと)
   宇受女命(うずめのみこと)
   屋船命(やぶねのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

式内神垣神社由来

祭神
 神魂命
 長天白羽命
 猿田彦命
 誉田別命
 宇受女命
 屋船命

 當社は西暦八八五 人皇第六十 醍醐天皇の御代 延喜式に基づき建立せられた由緒き神社であります 延喜式神祇九には飯野郡四座小並 神垣神社と記されております。

 延喜神名帳には飯野郡四座の一にして往昔よ式社として衆人の能く知る社であります

 伊勢式内案内記に安永年年 五十嵐久が著せりとある案内記には木村に座す神と云い麻緒神社上機殿神社より南を去る八町出屋敷にあると記載せられ 祭神はいづれも延喜式本郡四座の内なり と見え格式高く由緒のある神社であります

拝殿内の由緒書より

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【由  (History)】

『大神宮叢書』に記される内容

【抜粋意訳】

○區別帳、神垣神社、飯野郡高木村。津藩調書、神垣神社、飯野郡高木村。

○神垣(カムカキノ)神社。

此社名も地名なるへけれど、今詳にせず。神名帳傍注、考證等に、今 曰ふ苦木と村歟、とあり。ガキの二字に因て牽強す。仁柿は飯高郡にして飯野に隷する村邑に非ず。麁妄と謂へし。

又 考證のー本に、在い土田村に、或は作るに法田とあれど、法田村に本社ある憑據を見ず。恐くは彼村邑に紺掻を業とする者の多きを以て附會するか。
然るに案内記には、高木村にます産神と云ふ、と注し、徵古錄、俚諺、遺響等こりに從ヘり。按るに高木、今は タカキと訓すれど、舊くは カウガキと訓したる證跡を得て本社を配するか、不審し。其高木村の社は村北に在て、神殿四宇は南面、二宇は東西に向ヘり。此内に石田神社もあるべき事既に辨せり。舊來の社殿をや本殿に配すへからむ。

【原文参照】

神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 後篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239755

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・葉生田神社(松阪市法田町)

〈『特選神名牒』に 法田村 葉生田神社に合併とあり〉

神垣神社(松阪市高木町)は 現在は 葉生田神社(松阪市法田町)の飛地の境外社となっています

神垣神社(松阪市高木町)は 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀され 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました

 

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

神垣神社(松阪市高木町)は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 伊勢國 多氣郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[旧 神社 名称 ] 石田神社
[ふ り が な ]いはた かみのやしろ
[Old Shrine name]Ihata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

②延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神垣神社(かむかきの かみのやしろ)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)飯野郡 4座(並小)

[旧 神社 名称 ] 神垣神社
[ふ り が な ]かむかき かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamukaki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉

・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉

・神垣神社(松阪市高木町)

延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神垣神社(かむかきの かみのやしろ)の論社について

・神垣神社(松阪市高木町)

神垣神社(松阪市高木町)は 現在 葉生田神社(松阪市法田町)の飛地の境外社です

 

・葉生田神社(松阪市法田町)
『特選神名牒』に 法田村 葉生田神社に合併とあり

神垣神社(松阪市高木町)は 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀され 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました
現在は 葉生田神社(松阪市法田町)の飛地の境外社です

 

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄山田線 漕代駅から北方向へ約1.3km 車で3~5分程度

高木町の集落の北隅に鎮座しています

神垣神社(松阪市高木町)に参着

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社号標には゛式内 神垣神社゛と刻字されています

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 石田神社について 所在は゛養田村に在す゛〈現 石田神社 舊跡(明和町養川)〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉〉と記しています

【抜粋意訳】

石田神社

石田は伊波多と訓べし

〇祭神詳ならず

〇養田村に在す、俚諺

類社
 山城國久世郡石田神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 神垣神社について 所在は゛高木村に在す゛〈現 神垣神社(松阪市高木町)〉と記しています

【抜粋意訳】

神垣神社

神垣は加美賀岐と訓べし

〇祭神 葉山祇命俚諺

〇高木村に在す俚諺

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 石田神社について 所在は゛今 宇尒村の田地に字石田と云處あり、盖 舊址゛〈現 多気郡明和町有爾中〉と記しています

【抜粋意訳】

石田(イハタノ)神社

〔〇按 今 宇尒村の田地に字石田と云處あり、盖 舊址 附て考に備ふ、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 神垣神社について 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

神垣(カミカキノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 石田神社について 所在は゛(畠田神社に合併)養田村に在といへど證なし゛〈現 石田神社 舊跡(明和町養川)〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉〉とするが証拠がなく

゛飯野郡高木村の北なる産神の社内にあり゛〈現 神垣神社(松阪市高木町)〉とも記しています

【抜粋意訳】

石田神社

祭神
祭日
社格

所在(畠田神社に合併)

 今按るに 養田村に在といへど證なし 檢錄に飯野郡高木村の北なる産神の社内にあり 村西の地を石田と云ふ其處より遷しにとて 社殿六宇あり其内に當社もあるへきかと云へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 神垣神社について 所在は三説を挙げています

゛法田村゛〈現 葉生田神社(松阪市法田町)に合祀〉
゛苦木村゛
高木村゛〈現 神垣神社(松阪市高木町)

【抜粋意訳】

神垣神社

祭神
祭日
社格

所在 (同村 葉生田神社に合併)(覈録 髙木村とし 明細帳も高木村 神垣神社を以 式社とせり村社なり

 今按に 檢錄に法田村 苦木村 高木村の三處に配する説あれど 何れも明證なし 法田は紺掻を業とするもの多きを以てし 苦木は垣の音あろを以てし 高木は字音の通ふを以てせるなりと云り 姑附て考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神垣神社(松阪市高木町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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