川勾神社(中郡二宮町山西)相模国二之宮〈『延喜式』川勾神社〉

川勾神社(かわわじんじゃは 社伝に「縁起書によれば 第十一代垂仁天皇の朝 磯長国(しながのくに)の国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため創祀せらる」とあり 日本武尊東征の時 源義家東下りの時 奉幣祈願があったと伝わる 延喜式内社 相模國 餘綾郡 川匂神社(かはいいの かみのやしろ)です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

川勾神社(Kawawa shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

神奈川県中郡二宮町山西2122

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大名貴命(おなむじのみこと)
   大物忌命(おほものいみのみこと)
   級津彦命(しなつひこのみこと)
   級津姫命(しなつひめのみこと)

   衣通姫命(そとほりひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 相模国二之宮

【創  (Beginning of history)】

川勾(かわわ)神社
御祭神

 大名貴命・大物忌命・級津彦命・級津姫命・衣通姫命

由緒

 当社は相模国の二宮で 古くから二宮大明神と称し 延喜式所載の名社である十一代垂仁天皇の朝 当国を磯長国(しながのくに)と称せし頃 その国造 阿屋葉造(あや みやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のため崇招せり 日本武尊東征の時 源義家 東下りの時 奉幣祈願ありしを始め、武将の崇敬深し。
 人皇十九代允恭天皇の皇妃 衣通姫命(そとりひめのみこと)皇子御誕生安穏のため奉幣祈願あらせらる 一条天皇の御宇 永延元年 粟田中納言次男 次郎藤原景平 当社の初代神官となり 爾来 今日に及ぶ 建久三年 源頼朝夫人 平産のため神馬を奉納せらる 建長四年 宗尊親王 鎌倉に下向ありし時 将軍 事始の儀として奉幣神馬を納めらる。
北条相模守 小田原北条、小田原大久保等 皆累世崇敬深く造営奉幣の寄進少なからず。
徳川の朝に至り家康公 九州名護屋出陣の際 祈祷札を献上殊の外喜ばれ 御朱印地五十石を寄せらる 爾来 徳川累代将軍に及ぶ 正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申上げ御祓札を献ずるのが例となり幕末まで続行せり。 明治六年郷社に列せられ、昭和七年県社昇格の御内示を受け現在に及ぶ。

御祭儀
例大祭 十月十日特殊祭月次祭 一日 十五日
祈年祭 二月十七日筒粥祭 一月十五日 
新嘗祭 十一月二十三日国府祭 五月五日大祓式 六月三十日 十二月二十日

  

境内案内板より

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

神奈川縣 相換國 中郡吾妻村大字山西

郷社 川匂(サカハノ)神社

祭神 大名牟遅(オホナムチノ)
相殿 衣通姫(ソトホリヒメノ)命 志那都昆古(シナツビコノ)

創立年代詳ならず、延喜の制式内小社に列せられ、国十三座の一なり、又當國二ノ宮たり、故に後 二宮河匂大明神とも、二ノ宮明神社ともせり、一天皇 永廷元年粟田中納言 次男景平 神官たり、建久年間 源頼朝 社領若干を寄す、同五日、又神馬を奉る、後小松天皇 應永年間、兵焚に罹り、神殿神悉く焼し、僅に随神を存せしのみと、現時の社殿、其建設の年を詳にせず、小田原北條氏より鬼門守護として五十貫文の地を寄せられ、天正十九年徳川家康先規に依つて社領五十石を寄す、明治維新に至り諸社と共に上地す、三十日、社格制定にり、郷社に列せらる、建物は本殿、拝殿、神輿殿、境内地は八十五坪(官有地第一種)あり。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

【由  (History)】

御祭神

 大名貴命 日本の国土を御開拓なされた神様です。
 大物忌命 殖産興業に御功績のあった神様です。
 級津彦命・級津姫命 相模国が昔相武と磯長の二国であった頃磯長の国を御開拓なされた神様です。
 衣通姫命 安産守護に霊験あらたかな神様です。

御由緒

 当社は相模国の二の宮で、古くから二宮大明神 又は二宮明神社とも称し、『延喜式』所載の相模十三社の各社であります。
縁起書によれば其の創祀は十一代垂仁天皇の朝、当時余綾足柄両郡の東西海浜を磯長国と称せし頃、その国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため崇祀せらる。
磯長国造大鷲臣命・相模国造穂積忍山宿弥・同国造弟武彦命 崇敬ありしを始め日本武尊東征の時、源義家東下りの時、奉幣祈願あり。
人皇十九代允恭天皇の皇妃 衣通姫命 皇子御誕生安穏のため、奉幣祈願あらせられる。現宮司二見家の家系記によれば、六十五代一条天皇の御宇 永延元年、粟田中納言 次男 次郎藤原景 平当社の初代神官となり爾来今日まで相続き、現宮司に至り三十九代に及ぶ。
建久3年、源頼朝夫人 平産のため神馬を奉納せらる。建長4年宗尊親王鎌倉に下向ありし時、将軍事始の儀として奉幣神馬を納められる。
北条相模守、小田原北条、小田原大久保等皆累世崇敬深く造営奉幣の寄進少なからず、徳川の世に至り家康公 九州名護屋出陣の際 祈祷札を献上殊の他喜ばれ御朱印地50石を寄せらる。爾来 徳川累代将軍に及ぶ。正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申上げ御祓札を献ずるのが例となり幕末まで続行せり、
明治六年、郷社に列せられ、昭和7年4月、県社昇格の御内示を受け現在に及ぶ。

社殿

 社殿造営の沿革として記録に残っておるのは、建久年間、源頼朝、社領若干を寄附し社殿造営の事あり、時に川匂七郎政頼之を奉行せり。応永年間兵火に罹り社殿宝物等悉く焼失し、ただ随神の木像のみ存す。応永30年の頃、再建の事あり、後北条氏更に修覆を加う。永禄4年、上杉輝虎小田原を攻むる時、兵火亦社殿に及べり。よって元亀年間、北条氏之を改造せり。特に小田原城よりは当社が丑寅の方角に当れるを以て北条氏の鬼門守護神として格別崇敬が厚かりし、現社地附近に古大門と唱ふる所あるもその謂なり。安永9年、大風雨により社殿著しく破損あり。三十二代神主二見左門忠良、遠近に勧進して天明七年、之を再建せり。当時地勢に沿革ありしかば南面して社殿を建立せしという、以後昭和初年に及ぶ。現在の社殿は昭和7年、県社昇格の御内示を受け新築造営工事に着手せり、爾来大東亜戦争、終戦等幾多の困難変遷を経て、昭和26年、現宮司に至り完成せり。神域 境内地2000坪、4囲風致林5000有余坪、老杉雲表に聳え、閑静典雅にして荘厳なる霊地なり。県自然環境保全地区に指定さる。

宝物

 社蔵の宝物の主なるものを挙げると

器物の部
 網石(壱顆 高さ8寸径4尺 重量 12貫 網の如く目理ありて網石と名付く二見氏の先祖伊勢二見浦より携へ来りしものにして旱年には河中に入れ雨を祈るに霊験あり。
 木像 弍躯 豊磐間戸神・櫛磐間戸神 丈け 3尺5寸 衣冠を着したる状態にして何年頃何人の作なるや詳かならず、されど当社応永年間兵火に罹りし際幸に災を免れしものなり。随神門に奉祀す。
木像 4躯 丈 2尺1寸 これまた前者と同じく応永年間兵火を免れしものである。1000有余年以前の御神像であると考古学者は推定せり。

 田船(丸木船)(二宮町重要文化財)長さ 4尺8寸 巾 7寸8分 厚さ 1寸5分 大正4年旧神領地の水田より発掘されたものにして左半形をとどめて居る、原木をくりぬいたものであり奈良時代のものと推定さる。

古文書の部(二宮町重要文化財)
 川匂神社縁起書
 源頼朝の臣川匂七郎政頼の書状
 川匂七郎政頼の孫村隼人の書状
 一条殿御内保田遠江守の社号額字1枚及寄進状
 小田原北条氏の臣山角刑部左エ門の虎朱印判状参通及書状
 徳川家康公の書状
 徳川家康の近臣全阿弥の書状
 徳川家康公50石の寄進状の写
 宝暦8年正月寺社奉行より登城御許御達書
 寺社御役所より旧幕府御判物拾弍通の請求書
 明治6年郷社御達書
 国府祭古図
 二見家系図

天然記念物(二宮町重要文化財)

 大銀杏 樹齢推定300年 国道より参道入口に位置す。

祭儀

当社の古式祭として元三祭、御的神事、牛王祭等相模風土記にも見えるが、現在行われている御祭儀の主なるものを挙げると。
・元旦祈祷祭 1月1日 午前零時願主氏子崇敬者に授与される護摩札を神前に献備して祭儀が厳修される。
・御筒粥祭 1月15日 早暁古式に倣い、その年の12種の穀物の豊凶を占う古式神事である。
・節分祭 2月節分の日 神前にて旧儀による追儺神事の後、鬼追神事が行われ続いて裃姿の多数の年男による小判入福豆が撒かれ、参拝者争ってこれを戴き盛観である。

祈年祭 2月17日 五穀豊穰と産業振興とを祈念し、大祭として祭事が厳修される。
国府祭 5月5日 相模国一宮寒川神社、二宮川匂神社、三宮比々多神社、四宮前鳥神社、平塚八幡神社、総社六所神社以上6社の神輿が祭場たる中郡大磯町国府の神集山に渡御になり合同祭典が執行される。端午祭、天下祭とも呼ばれ千有余年の伝統をもつ祭典として名高い。祭儀中の古式「座問答」は相模国の国造りの古事を伝え有名である。所謂「国府の市」と云って多数の参詣者で賑ふ。昭和41年、県無形民俗資料の指定を受ける。
・例大祭 10月10日 「みそぎ祭」とも云う。当日早朝祭典斎行の後神輿社頭を発御、須崎の浜にて神事あり。引続き氏子区域一円渡御相成り夕刻還幸さる。神社にては弓道奉射大会、舞踏等賑々しく催される。

新嘗祭 11月23日 勤労感謝の日 氏子より奉献された種々の新穀を神前に捧げ新穀感謝の大祭が厳修され、記念講演等催される。
大祓式 夏越大祓 (6月30日) 氏子崇敬者の大祓形代を神前に備え古式に倣い厳粛な代祓神事が執行される。
師走大祓 (12月29日)
・其の他 月次祭 (1日・15日)
 ・初宮詣・七五三詣・成人祭・結婚式・交通安全祈願・家内安全・商売繁昌・厄除・還暦算賀の奉告祭・各種祈願祭等恒例 臨時の祭儀が1年を通して賑々しく行われている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

川勾神社 社殿

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・〈社殿向かって右 境内社〉東五社

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・〈社殿向かって左 境内社〉西五社

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・茅の輪(ちのわ)

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・神輿殿

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古文書・田舟 川勾神社所蔵

 二宮町指定重要文化財 昭和四十九年六月五日指定

一 古文書

 小田原北条氏の臣山角刊部左衛門の書状

北条氏鬼門除守護神として信仰あつく元亀三年(西歴一五七二年)正月三嶋麻役銭など寄進のもの徳川家康公五十石の寄進状の写し
 天正十九年(西歴一五九一年)

徳川家康公の書状

 文禄の役 家康九州名護屋在陣のときの札状など十一点
 これら多くの古文書により当川勾神社が古くから幕府および有力な武家の深き信仰を受けていたことかわかる。

二 田舟

 長141.0cm 厚さ4.8cm 31.0cm

 全容の左半形のみで、原木をくりぬいて作られわが国古代奈良朝の頃まで田植えの苗運ぴに使用されたものと推定される。
 大正四年五月当神杜裏旧神領地より発堀されたものである。

 昭和五十年十二月五日 二宮町教育委員会

現地立札より

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・社務所にあった社蔵宝物「田舟」「国府祭神揃山祭場古地図」の写真

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・〈舞殿の横から〉富士山

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・隋神門

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・参道石段

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・社頭

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・鳥居の扁額

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伊藤博文揮毫「川勾神社」扁額

 伊達時(だてとき)は、嘉永二年(一八四九年)、父・豫(よ)と母・てるの長男として二宮村塩海で生まれた。
伊達氏は遠く藤原氏の出身で、敬神崇仏の念厚く、川勾神社の山門から本殿に至る敷石を敷くなど修繕に力を尽くした。

伊藤博文筆「川勾神社」の書を献納、明治三十年に伊藤博文を訪ね、「川勾神社」の文字を揮毫(きごう)(毛筆で言葉や文章を書くこと)していただく。
 伊藤博文は、明治二十九年に大磯に別荘を建て、翌三十年には本籍を大磯に移して住んでおり、揮毫(きごう)してもらう前から交流があった。

 医師、教育者、政治家としての実績とともに、郷土の発展、二宮駅開設、秦野往還(県道)の整備にも尽力し、明治三十九年湘南馬車鉄道を設立。

【扁額裏書 伊達時扁額奉納の由来】

先考綾浦府君敬神之志最篤易簀之際諄諄遺言郷社扁額之事爾来二十有餘霜今玆明治三十年十月前総理大臣大勲位侯爵伊藤公在大磯別墅時上謁而乞焉公補袞之手直書川勾神社四大字以賜乃先考平昔之志遂而兒時承順之責亦塞為賜大矣因謹記其歳月於額背云三十一年一月八日
 孝子伊達時薫沐拝誌 西川元讓 印

 川勾神社に扁額を奉納することで、伊達時は、父の望みを叶えられたものであり、安堵した気持ちがこの扁額裏書から伝わってくる。
 伊藤博文が亡くなった後、追悼和歌集の作成に携わるなど、伊達時は、伊藤博文を深く敬愛していたことが伺える。

現地案内板より

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・社号標・案内看板

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

川勾神社旧鎮座地について

一説には
「古老の話などに 中世以前には現社地の北方500mほどの宮上というところに社地があった」と云う

その辺りは「神寶 田舟」〔大正四年五月当神杜裏旧神領地より発堀された〕その発掘場所であるとされています

場所の特定はできませんが グーグルマップに その辺りに神社を見つけている方がいましたので 参考まで載せておきます

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)相摸國 13座(大1座・小12座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)余綾郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 川勾神社
[ふ り が な ](かはいいの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kusanaki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮」について

相模國は 寒川神社と川勾神社の間で「一之宮争い」があったと伝わっています

この「相模國の一之宮争い」は 現在も国府祭(こくふさい/こうのまち)の神事 儀中の古式「座問答」で再現されています

詳細は 下記の記事を参照ください

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道本線 二宮駅から西方向へ約2.4km 車での所要時間は5~6分程度

小田原厚木道路・二宮ICから南1kmの辺りになります

川勾神社(中郡二宮町山西)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり 参道石段を上がります

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社殿 境内 参道は南向きです

石段の上には 茅葺の隋神門があります
その正面に拝殿が見えています

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参拝日は12/7でした 茅の輪が設けられていました

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内の西側からは富士山が見えると社務所で聞きましたので 見てみると

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社殿に一礼をして 戻ります

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二宮町と吾妻山の展望 のマップがあり すぐ近くに 日本武尊のゆかりの吾妻神社があるようなので向かってみました

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吾妻山公園に着きました

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しかし すぐ鳥居が建ち 祠があります

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吾妻山の麓 神明社でした

祠の右手の山道から上がるようですが 通行止めとなっていました
山頂までは 500m在るとの事で山頂は断念

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山頂には参りませんでしたので 麓より 日本武尊に感謝

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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吾妻山公園を出ます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 川勾神社について 所在は゛川勾村に在す、今 二宮とす、〈現 川勾神社(中郡二宮町山西)〉゛と記しています

【抜粋意訳】

川勾神社

川勾は加波和と訓べし

○祭神 衣通姫命、級長津彥命、大物忌命、地名記

〇川勾村に在す、同上 二宮とす、

例祭  日、

○東鑑十二云、建久日、早旦以後、御所御産氣、云云、相模國神社佛寺奉 神馬、云々、二宮、河匂大明神

社領
 当代御朱印高五十石

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 川勾神社について 所在は゛ 大住郡川勾村の隣邑 山西にあり、二宮明神と云ふ、゛〈現 川勾神社(中郡二宮町山西)〉と記しています

【抜粋意訳】

川勾神社、

 大住郡川勾村の隣邑 山西にあり、二宮明神と云ふ、〔巡拝舊祠記、足柄縣式社考証〕

後鳥羽天皇 建久三年八月己酉、将軍源頼朝使を遣して神馬を二宮河匂大明神に奉る、即是也、〔東鑑〕

凡 其祭七月三十一日を用ふ、〔足柄縣式社考証

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 川勾神社について 所在は゛山西村(中郡吾妻郡大字山西)゛〈現 川勾神社(中郡二宮町山西)〉と記しています

【抜粋意訳】

川勾神社

祭神 衣通姫命

祭日 七月三十一日
社格 郷社

所在 山西村(中郡吾妻郡大字山西)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

川勾神社(中郡二宮町山西) (hai)」(90度のお辞儀)

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相摸国 式内社 13座(大1座・小12座)について に戻る

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8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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