葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)〈延喜式内社 名神大社〉

葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)は 延喜式神名帳927 AD.所載 大和國 忍海郡 葛木坐火雷神社二座(並名神大月次相嘗新嘗)(かつらきにます ほのいかつち かみのやしろ ふたくらです 創建は 神代とも神武天皇の御代とも云われ 二座の内 笛吹神社は 上古以来 朝廷大事をめられる時 波波迦木を進献していたと伝わります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

葛木坐火雷神社(Katsurakinimasu honoikatsuchi shrine

通称名(Common name)

笛吹神社(ふえふきじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

奈良県葛城市笛吹448

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

葛木坐火雷神社
《主》宮中大膳職坐神 火雷大神(ほのいかづちのおかみ)

笛吹神社
《主》笛吹連御祖神 天香山命(あめのかぐやまのみこと)

《配》大日霊貴尊(おほひるめのむちのみこと)
   高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
   天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
   伊古比都幣命(いこひつべのみこと)
元為志神社 祭神を合祀

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

葛木坐火雷神社 御由緒略記

南葛城郡忍海村笛吹字神山鎮座

.祭 神 火雷神及笛吹連の祖天香山命の二座なり

.配祀神 高皇産霊尊 大日霊貴尊 瓊瓊杵尊 伊古比都幣命

神社は元火雷神社と笛吹神社の二社なりしを 延喜帝以前に合祀せられたり 上古以来 朝廷大事をと定せらる 毎に笛吹神社より波波迦木を進献するを例とせり

火雷神は 火産霊神とも火之迦具土神とも奉申り 火を主宰し給う神にして 此大神は宮中大膳職及伊勢神宮斎宮の菓餅所にて奉斉せらる御同神にして菓祖の大御神なり
天香山命は 石凝姥命とも奉申り 天照皇大神 天岩屋戸に籠り坐せる時 天香山の波波迦木  竹を功り取り笛を造り吹鳴し 亦金を掘り八咫鏡を鋳造し 皇祖に奉り大御心を慰め奉りし神に坐して 音楽及鉄工業の祖神にして 此の御鏡を伊勢神宮の御神体と御仰るものなり
高皇産霊神 大日霊貴尊 瓊瓊杵尊は 皆皇祖の大神に坐し
伊古比都幣命は 御食都神にて 所謂衣食住の神なり

御鎮座は 神代とも云い 神武天皇の御代と謂と雖も詳ならず 社家持田家の家譜に 崇神天皇の御代の 建埴安彦兵を挙げて帝都を襲わんとす仍て 大彦命は笛吹連樫子等を率い奈良山に於て安彦の軍と戦いて 和邇川の南に於て樫子の射放ちたる矢は 安彦の胸を射貫き之を斃す 故に賊軍降て平定す 依て樫子の戦功を賞して 天磐笛及笛吹連姓を給う 其の夜 天皇御夢に此の磐笛を以て 瓊瓊杵尊の神霊を祭れば国家安寧ならんことにより 当社の相殿に奉祀せられたると有れば 崇神天皇御宇以前の古社にして 地誌其の他の古書に笛吹神社とあるは所謂是也。

皇室の尊崇 最も厚かりし官幣大社にして 延喜式に名神大月次相嘗新嘗と載せられ 毎年数度の案上 官幣に預り給いし神社にて 卜事に用うる波波迦木を奉る等 皇室との関係も亦深かりし事を拝察し奉り得るなり

祈年祭 二月十一日 御例祭 十月二十五日 新嘗祭 十二月六日
鎮花祭 四月十九日 夏越祭 七月十七日  鎮火祭 十一月十五日

大正年拾月 奈良

現地案内板より

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『大和志料』下巻奈良県教育会,大正3〉に記される内容

【抜粋意訳】

葛木坐火雷(カツラキニマス ホノイカツチノ神社

大字笛吹にあり、延喜式神名帳葛木坐火雷神社二座(並名神大月次相嘗新嘗)と見ゆ、今郷社たり、祭神明かなり、但創立の年代及び配祀ノ神名詳かならず

笛吹(フエフキ)神社

頓阿の神名帳に笛吹大明神袖中抄肩拔鹿(かたすくしか)をば大和國笛吹明神の社よ朱櫻の木を切て奉らして卜する」とへるは、當社なり、火雷社の相殿らる、祭神詳かならず、姓氏錄に笛吹連火明命之後也と見ゆ、尚くは吹工の組を祭れるものならんか、後考を俟つ。

【原文参照】

奈良県 編『大和志料』下巻,奈良県教育会,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950814

【由  (History)】

『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋

  • 北葛城郡 1、新庄町
葛木坐火雷神社 二座 並名神大月次相嘗新嘗

笛吹字神山四四八

 笛吹集落の西方、葛城山東の尾根の端に鎮座の社を、式内名神大社にあてられている。主神に火雷大神と天香山命の二座を、相殿に大日霊貴命・伊古比都幣命(元為志神社祭神)・瓊々杵尊・高皇産霊神を祀る。

『三代実録』貞観元年(859)正月二十七日、正三位勲二等から従二位に昇叙されている。『延喜式』神名帳では、忍海郡三座中名神大社二座として登載され、二座とも祈年祭の外、名神祭・月次祭・新嘗祭にも官幣に預る古代の名社であった。ところが以後記録も全く絶えて衰微したことは大和志に、笛吹村笛吹神祠の傍にありとあることでもわかる。明治年火雷社を笛吹社へ合祀、葛木坐火雷神社と改称、郷社となった。

 火雷日本書紀にあるように、黄泉国で伊邪那美命の形骸が腐欄して蛆虫がたかっていた時、その胸にいた神で八雷神の一である。天香山命を当社に祀るのは、『姓氏禄』河内国神別に、笛吹連は火明神の後で、その一族吹田連は火明命の子天香山命の後裔とあることに関連するのでなかろうか。

 神社の後方に古墳があり、笛吹古墳群が続いている。これを古代笛吹氏の墓とし、鎮魂・卜巫に関与したと考えられる笛吹氏が、自らの租の社として当社を創始したとの説もある。社務所の位置に、神宮寺上の坊があったが、『大和志』に、「僧舎在り、名は上之坊、大般若経あり、跋に曰正応元年八月願主僧実胤」とある。社名を葛木坐火雷神社と改称した。

 『大和志』に「祝司持田氏家蔵永禄五年(1562)ノ神幸日記ヲ有ニ僧舎 名ハ上ノ坊有ニ大般若経跋曰正応元年(1288)八月願主僧実胤」とあるように神仏習合の姿を示している。

 南花内・薑・新町の笛吹若宮神社は、当社の分霊を勧請して奉斎した社である。

笛吹神社

(新庄笛吹字神山四四八

 笛吹集落の西、葛城山東麓に伸びる標高約一五〇メートルの尾根の端に鎮座する旧郷社。『延喜式』登載の名神大社葛木坐火雷神社と同位置同祠に鎮座するが、火雷社と笛吹社が本来同一の社であったか並存していたか、あるいは笛吹社の前身が火雷であるか否かも明らかでない。

当社のすぐ後方に笛吹神社古墳があり、付近はかって火雷大神・天香山命の後裔笛吹連の本貫地と称されて、その租を祀ったのが当社というが、古墳と神社の関係を考えさせる好事例といえる。中世以後式内社の所在を失ったが、『大和志』は「在笛吹村の笛吹の祠の傍」と記し、式外笛吹祠として「笛吹村十四村民家相共祭典」と記している。式内社は全く衰微して笛吹社の末社となるに至った江戸中期ごろの様相が知られる。

 明治年神主持田篤延はその取調書て小祠となった式内社を確認二社同所といっている。その後明治年、火雷社を笛吹社へ合祀。

由緒

 当神社の御創建は 神代とも神武天皇の御代とも伝えられていますが詳かでありません。
然しながら神社に伝わる旧記によれば、第十代崇神天皇の10年に四道将軍を置かれ大彦命を北陸に御差遣され給うた時に笛吹連の祖櫂子(かじこ)この軍にしたがって都をたって寧楽山(奈良山)にお着きになった時、建埴安彦が兵を挙げて都を襲撃しょうと企てている事を聞いて直ぐに京に引き返されて天皇にこのことを報告し、建埴安彦を討ち果たす事を奏上せられた。このことを知った建埴安彦の妻吾田姫は一軍を率いて忍坂から都に攻め入ろうとしたので五十挟芹彦命を遣わされてこれを討滅された。一方大彦命は奈良山で安彦の本陣と戦いこれを追って和韓川(わからがわ、木津川の上流)の南で川を挟んで対陣して居た時、櫂子の射放つた矢は安彦の胸を貫いてこれを倒したので賊軍は終に降伏して平定した。天皇は大いに櫂子の戦効を嘉賞し給うて天盤笛(あめのいわふえ)と笛吹連の姓を賜る。この夜天皇のおん夢にこの天盤笛もつて瓊瓊杵命を奉斎すれば国家安泰ならんとの御告げによつて、瓊瓊杵命を当社にお祭りになったと伝えられています。
当社を笛吹神社と申すのは元は火雷神社と天香山命を祭った笛吹神社と二社あったのが合祀されたものと考えられる。

延喜式神名帳あるいは特選神名帳〓三代実録等の古い記録あります。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・境内案内図

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・本殿

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・拝殿

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・笛吹神社古墳

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県指定史跡 笛吹神社古墳(ふえふきじんじゃこふん)

Historic Site Designated by Nara Prefecture : the Fuefukijinja Burial Mound

葛城山系から東へ派生した低い丘陵上に総数約80基からなる笛吹古墳群があり、笛吹神社古墳はその古墳群の東端に築かれた円墳である。墳丘規模は、東西約25m、南北約20m、高さ約4mである。埋葬施設は南に開口する横穴式石室であり、玄室の中央に石棺が1基ある。石室は全長約12.5mであり、玄室は長さ約6.0m・幅約2.4m、羨道は長さ約6.5m・幅約1.7mを測る。玄室の壁には1.0~1.5mの花崗岩を3~4段積み上げ、5枚の天井石が架けられている。石棺は凝灰岩製の刳抜式家形石棺であり、蓋の長辺にそれぞれ2箇所の突起がある。石棺蓋は長さ約2.1m、幅約1.25m、高さ0.6mを測る。6世紀に築造された笛吹神社古墳は、大形の石室に家形石棺をおく葛城地域屈指の後期古墳である。

指定年月日:平成10年3月20日 平成30年3月 奈良県教育委員会

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・社殿地へ上がる石段と石垣

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・〈境内西側の境内社4宇

向かって右から(・梅室神社・空室神社・浅間神社・森本神社)

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・ロシア製の大砲

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・百度石・石段

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・手水舎

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・〈境内社3宇

向かって右から(・春日神社稲荷神社熊野神社

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

貞観元年正月二十七日 諸国の二百六十七社に神階の奉授が記され
大和國 
正三位勲二等 葛木火雷神に 從二位 を奉授

【抜粋意訳】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申

京畿七道諸神に (くらいを)及新つ 二百六十七社なり

奉授
淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品。

神祇官 无位神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産日神。足産日神並從一位。 无位生井神。福井神。綱長井神。波比祇神。阿須波神。櫛石窓神。豐石窓神。生嶋神。足 嶋神並從四位上。
宮内省 從三位園神。韓神並正三位。
大膳職 正四位下御食津神從三位
左京職 從五位上太祝詞神。久慈眞智神 並正五位下
大膳職 從五位下火雷神 大炊寮從五位下大八嶋竈神八前 齋火武主比命神 内膳司從五位下庭火皇神 造酒司從五位下大戸自神等 並從五位上
无位酒殿神從五位下。

・・・
・・・

大和國
從一位大己貴神正一位
正二位葛木御歳神 從二位勳八等高鴨阿治須岐宅比古尼神 從二位高市御縣鴨 八重事代主神 從二位勳二等大神大物主神 從二位勳三等大和大國魂神 正三 位勳六等石上神 正三位高鴨神 並從一位
正三位勳二等葛木一言主神 高天彦神 葛木火雷神 並從二位
從三位廣瀬神 龍田神 從三位勳八等多坐彌志理都比古神 金峰神 並正三位

正四位下丹生川上雨師神從三位
從五位下賀夜奈流美神正四位下
從五位下勳八等穴師兵主神 片岡神 夜岐布山口神並正五位上
從五位下都祁水分神 都祁山口神 石寸山口神 耳成山口神 飛鳥山口神 畝火山口神 長谷山口神 忍坂山口神 宇陀水分神 吉野水分神 吉野山口神 巨勢山口神 葛木水分神 鴨山口神 當麻山口神 大坂山口神 伊古麻山口神並正五位下
從五位下和爾赤坂彦神 山邊御縣神 村屋禰富都比賣神 池坐朝霧黄幡比賣神 鏡作天照御魂神 十市御縣神 目原高御魂神 畝尾建土安神 子部神 天香山大麻等野知神 宗我都比古神 甘樫神 稔代神 牟佐坐神 高市御縣神 輕樹村神 天高市神 太玉命神 櫛玉命神 川俣神 波多���井神 坐日向神 卷向若御魂神 他田天照御魂神 志貴御懸神 忍坂生根神 葛木倭文天羽雷命神  長尾神 石園多久豆玉神 調田一事尼古神 金村神葛木御縣神 火幡神 往馬伊古麻都比古神 平群石床神 矢田久志玉比古神 添御縣神 伊射奈岐神 葛木二上神並從五位上
无位水越神從五位下

・・・
・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

【抜粋意訳】

巻2 神祇2 四時祭下 十一月祭
相嘗祭神(あひむへのまつりのかみ)七十一座

火雷社ほのいかつちのやしろ)二座

絹(キヌ)四疋、絲(イト)二絇、綿六屯、調布六端二丈、庸布二段二丈八尺、木綿二斤四両、鮑二斤四両、堅魚五斤四両、海藻四斤、凝海藻六斤、腊(きたい)〈干し肉〉八斤、塩二升、筥二合、瓼(サラケ)、缶(モタイ)、水瓫(ホトギ)、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、筥坏、小坏、陶臼各二口、酒稲百束、神税

已上十七箇社坐大和国

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

名神祭 二百八十五座

・・・
・・・

 春日神社四座 大和神社三座 石上神社一座 多坐神社二座〈或号大社、〉 飛鳥神社四座 高市御県神社一座 気吹雷神社二座 大神神社一座 太玉神社四座 穴師神社一座 高屋安倍神社三座 大名持御魂神社一座 丹生川上神社一座 金峯神社一座 鴨神社二座 葛木御歳神社一座 葛木一言主神社一座 高鴨神社四座 高天彦神社一座 葛木火雷神社二座 片岡神社一座 火幡神社一座 広瀬神社一座 龍田神社二座 平群坐紀氏神社一座〈已上大和国〉

・・・
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

葛木坐火雷神社(葛城市笛吹)は 二つの式内社〈①為志神社〈相殿に合祀〉葛木坐火雷神社二座〈本殿〉〉の論社です

①為志神社〈相殿に合祀 元為志神社 祭神 伊古比都幣命(いこひつべのみこと)〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)忍海郡 3座(大2座・小1座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 為志神社
[ふ り が な ]いしの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ishi no kaminoyashiro

葛木坐火雷神社二座〈本殿〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)忍海郡 3座(大2座・小1座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 葛木坐火雷神社二座(並名神大月次相嘗新嘗)
[ふ り が な ]かつらきにます ほのいかつち かみのやしろ ふたくら
[Old Shrine name]Katsurakinimasu honoikatsuchi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

火雷大神(ほのいかづちのおかみ)について

神名の示す通り゛雷神゛

別名を・火雷神(ほのいかづちのかみ)・雷神(いかづちのかみ)・八雷神(やくさいかづちのかみ)とされ

農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神で 雷に対する畏れ 稲妻と共にもたらされる雨の恵みをもたらす神と考えら 水神とも結びついています

『記紀神話』では 火雷大神(ほのいかづちのおかみ)とは

 伊邪那美命の体に生じた8柱の雷神それぞれが 雷が起こす現象を示す神として描かれています

・大雷神は強烈な雷の威力を
・火雷神は雷が起こす炎を
・黒雷神は雷が起こる時に天地が暗くなる事を
・咲雷神は雷が物を引き裂く姿を
・若雷神は雷の後での清々しい地上の姿を
・土雷神は雷が地上に戻る姿を
・鳴雷神は鳴り響く雷鳴を
・伏雷神は雲に潜伏して雷光を走らせる姿を

火雷神(ほのいかづちのかみ)は この8柱の雷神〈火雷大神〉の1柱です

『山城国風土記逸文』によれば 火雷大神のうちの1柱 火雷神(乙訓坐火雷神社の祭神)は のちに丹塗矢となって賀茂建角身命の子 玉依日賣のそばに流れ寄り 賀茂別雷命が生まれたと伝えます

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 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 火雷神社(ほのいかつちのかみのやしろ)と その論社について

律令時代には 宮中大膳式に祀られ 火の神としても信仰され 『延喜式』にも記載されています

宮中神36座
大膳職坐神 3座(並小)(おほかしわでのつかさにますかみ みくら)
御食津神社(貞)(みけつの かみのやしろ)火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)髙倍神社(たかへの かみのやしろ)

山城乙訓郡 乙訓坐 大(火)雷神社(名神大 月次 新嘗)(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)

・角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)

・〈向日神社に合祀の火雷神社〉向日神社(向日市向日町北山)

・菱妻神社(京都市南区久世築山町)

大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)

・穂雷神社(広陵町安部)

・〈相殿 穂雷神〉廣瀬大社(河合町川合)

大和國 忍海郡 葛木坐火雷神社二座 並名神(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ)

・葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)

大和國 宇智郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)

・火雷神社(五條市御山町)

和泉國 大鳥郡 火電神社(いなひかりの かみのやしろ)

愛宕神社(堺市中区福田)
火電神社の古社跡地

・陶荒田神社(堺市中区上之)
火電神社 現在の合祀先〉

上野國 那波郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ

・火雷神社(玉村町下之宮)〈上野國八之宮〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄御所駅から西北へ約3.1km 車7分程度

葛城の山裾に社頭はあります

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笛吹園地駐車場があります

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葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)に参着

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社頭には境内案内図と社号標には゛式内大社 葛木坐火雷神社゛と刻字があります

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一礼をして鳥居をくぐり境内に進むと 右手に境内社 石段の下に゛百度石゛

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左手に手水舎があり 清めて石段を上がります

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石段を上がると 広い境内に出ます
中央にはロシアの大砲が置かれています

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社殿は更に上にあり 高い石垣が城壁の様に組まれています
石垣の左手にある大木は 朝廷で 龜卜 に用いられたとする゛イチイガシの木゛です

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石垣に造られた石段を上がり

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿向かって左手奥には 笛吹神社古墳(ふえふきじんじゃこふん)があります

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一説には「古代笛吹氏の墓とし、鎮魂・卜巫に関与したと考えられる笛吹氏が、自らの租の社として当社を創始したとの説もあります

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拝殿の屋根の高さと同じ位置です

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社殿に一礼をして 参道石段を戻ります

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社頭に戻ると この鎮座地が大和平野と葛城山系が接する扇状地であることが良くわかります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 爲志神社は 祭神不祥 所在について゛林堂村に在す、今十二所権現と称す゛〈現 為志神社(葛城市林堂)〉と記しています

式内社 葛木坐火雷神社二座は 所在について゛笛吹村 笛吹明神の傍に在す゛〈現 葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)〉と記しています

【抜粋意訳】

爲志神社

爲志は假字也

〇祭神詳ならず

〇林堂村に在す、今十二所権現と称す、大和志、同名所図会、

葛木坐火雷神社二座 並名神大月次相嘗新嘗

葛木は加都良岐、」火雷は保乃伊加都知と訓べし、

○祭神明か也

○笛吹村 笛吹明神の傍に在す、大和志、同名所図会

類社
山城國乙訓郡 乙訓坐火雷神社の下見合すべし

神位
三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉授大和國正三位勲二等葛木火電神從二位、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 爲志神社は 祭神は記さず 所在について゛今 林堂村にあり 十二所権現と云ふ゛〈現 為志神社(葛城市林堂)〉と記しています

式内社 葛木坐火雷神社二座は 所在について゛今 笛吹村笛吹山にあり、火宮と云、所謂笛吹社是也゛〈現 葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)〉と記しています

【抜粋意訳】

爲志(ヰシノ)神社

今 林堂村にあり 十二所権現と云ふ、〔大和志、名所圖會

葛木坐火雷(カツラキニマス ホノイカツチノ神社二座

今 笛吹村笛吹山にあり、火宮と云、所謂笛吹社是也、〔大和志、奈良縣神社取調書〕〇按 中古 笛吹社と本社とを以て 別神とし、終に本社を笛欧社の末社とす、今之を改むと云り、

盖 一座は火雷神を祭り、〔日本書紀、古事記、延喜式〕
一座は笛吹連の祖天香山命を祀る、〔参取新撰姓氏録、舊事本紀〕
清和天皇 延喜の制、名神大社に列り、祈年月次相嘗新嘗の案上祭幣に預る、〔延喜式〕

凡 朝廷卜事ある毎に、笛吹社より 波波迦木を奉らしむ、即 本社也、
凡 其祭九月廿四日を用ふ、〔奈良縣神社取調書

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 爲志神社は 祭神は記さず 所在について゛林堂村字北堂゛〈現 為志神社(葛城市林堂)〉と記し 笛吹葛木坐火雷神社に合併としています

式内社 葛木坐火雷神社二座は 所在について゛(笛吹村)゛〈現 葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)〉と記しています

【抜粋意訳】

爲志(ヰシノ)神社

祭神
祭日 九月六日七日
社格 村社

所在 林堂村字北堂(南葛城郡忍海村大字笛吹葛木坐火雷神社に合併す)

葛木坐火雷(カツラキニマス ホノイカツチノ神社二座 並名神大月次相嘗新嘗

祭神 火雷ノ神
   植安姫(ハニヤスヒメノ)命

神位 清和天皇 貞観元年正月二十七日甲申、奉授大和國正三位勲二等葛木火電神從二位

祭日 九月二十四日
社格 郷社

所在 下牧村字大豆山(笛吹村)(南葛城郡忍海村大字笛吹)

當社は覈録に笛吹村とあり明細帳にも笛吹村とあり
下牧村字大豆山は葛木郡なり明細帳該村に此社なし誤爲と認む

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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