片山神社〈鈴鹿権現〉(亀山市関町坂下)〈延喜式内社 片山神社の論社〉

片山神社(かたやまじんじゃ)は 元は三つ子山(鈴鹿嶽・武名嶽・高幡嶽)に三宮が鎮座し その後 火災により奉遷を繰り返します やがて鈴鹿社〈祭神 倭姫命〉を合せて1社となり 坂上田村麻呂以下5柱が加わり 永仁2年(1294)現在の多津加美坂の地へと遷座しました 平成11年(1999)放火により本殿を焼失しています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

片山神社Katayama shrine

通称名(Common name)

鈴鹿権現(すずかごんげん)

【鎮座地 (Location) 

三重県亀山市関町坂下636

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》倭比売命(やまとひめのみこと)

《配》瀬織津比売神,氣吹戸主神,速佐須良比賣神,坂上田村麿,天照大神,速須佐之男命,市杵島姫命,大山津見神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・雨乞い等

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

 延喜式内社に列せられている神社でもとは三つ子山に鎮座ましましたが、度々水火の難にみまわれたので、永仁五年(一二九七)現花地へ奉遷し、鈴鹿神社をも合祀した。
鈴鹿神社もまた水害に逢うこと一再ではなかったからである。かくして、奉斎した神社の位置が、名にし負う鈴鹿越えの難所であったので、東海道上り下りの旅人から『鈴鹿権現』として広く崇敬されるところとなり、往来する士民の安全祈願所となった。
殊に、早天の年には雨乞いに訪れる集落が四百を越したという。古くは国司の造営もあり、神領も多かったが、戦国の世となってからは横領せられることもしばしばで、亀山城主と信楽代官とが御供米を献ずるのみとなって廃藩の時を迎えたのであった。
明治元年(一八六八)九月、明治天皇御東遷の砌、社前に玉輿を留めさせられ、勅使植松権少将をして奉幣せしめられた記録がある。明治四〇年地域内の神祠を合祀して今の姿となった。県下神社の範として、戌申詔書の謄本を下付されたこともあった。

三重県神社庁・皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63888

【由  (History)】

『三重管内博物誌』〈明治13年(1880)〉に記される伝承

【抜粋意訳】

巻之五 鈴鹿郡八十九ヶ村縮圖 鈴鹿嶺望之圖

〇鈴鹿神社

本殿は 天照太神荒魂 瀬織津姫命 氣吹戸主尊 速佐須良姫尊 相殿にて座す
後に 倭姫命を合せ祭りて 別号を 片山神社とも 縣主と申傳ふ

【原文参照】

鎌井松石 著『三重管内博物誌』巻5,鎌井松石,明治13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/987638

東海道歴史文化回廊 坂下宿(さかしたじゅく)~鈴鹿峠(すずかとうげ)

坂下宿

 坂下宿 は、東海道を近江国(滋賀県)から鈴鹿峠を越えて伊勢国(三重県)に入った最初の宿場である。

 大永四年(一五二四)、連歌師宗長 は「その夜は坂の下の旅宿」(『宗長手記』)とし、弘治三年(一五五七)四月と八月には山科言継が大竹屋孫太郎宿に泊っていること(『言継卿記』)などから、少なくとも室町時代には宿として機能していたとみられる。

 このあたりは「古町」と呼ばれ、慶安三年(一六五〇)九月の大洪水で宿場が壊滅するまで坂下宿のあった所である。洪水後、坂下宿は約一キロメートル東へ移転し、宿場集落として繁栄した。なお、洪水以前の寛永十四年(一六三七)に実施された『勢州鈴鹿郡坂下村検地帳』によれば、坂下村全体で寺社のほかに百十一軒の人家があったとされる。

 今も所どころに石垣が残り、往時の面影が偲ばれる。

片山神社

 片山神社は、延喜式内社で、元は三子山に祭祀されていたが、火災により永仁二年(一二九四)に現在の場所に移された(『片山神社縁起』)とされる。明治以前は「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」等と呼ばれ、『室町殿伊勢参宮記』(応永三十一、一四二四)にも「鈴鹿姫と申す小社の前に」と記されている。

 東海道は、このあたりから「鈴鹿坂八丁二十七曲り」の急坂が始まり、「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」と言われた街道の難所、鈴鹿峠へと続く。

平成二十四年三月 亀山市

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

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・境内

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境内社 愛宕社〈鈴鹿山の山頂 田村祠を合祀したもの〉

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・参道石段

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・焼失した本殿を石造りにて再建〈平成二十七年〉

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・神門

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・社頭

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・石碑゛鈴鹿流薙刀術発生之地゛

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・旧東海道

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)鈴鹿郡 19座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 片山神社
[ふ り が な ]かたやまの かみのやしろ ふたくら
[Old Shrine name]Wohoi no kaminoyashiro Futakura

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

伊勢國 鈴鹿郡 片山神社(かたやまの かみのやしろ)の論社

・片山神社(亀山市関町)
平成11年(1999)放火により焼失(神楽殿を残して本殿瓦解)境内は跡地のようになっています

・関神社(亀山市関町)
明治42年(1909)関神社に合祀された八王子祠 (亀山市関町古厩

鈴鹿御前(すずかごぜん)の伝承について

鈴鹿山が神格化された〈山岳信仰〉女神とされています 時代の経過とともに倭姫命(やまとひめのみこと)とも同一視されて祀られました

鈴鹿山に住んでいたという伝承上の女神・鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女とも称されています

 後世には 鈴鹿山の盗賊 立烏帽子(たてえぼし)とも同一視されて・女盗賊・鬼・天の魔焰(第六天魔王もしくは第四天魔王の娘)とも記されています
 室町時代以降の伝承では ほとんどが鈴鹿峠で 坂上田村麻呂公と一対の夫婦神として信仰されています

亀山のむかしばなし 立烏帽子(たてえぼし)

 鈴鹿山(すずかやま)にあらわれたという女(おんな)の山賊(さんぞく)で、大変(たいへん)美(うつく)しい人(ひと)であったといわれます。
「鈴鹿御前(すずかごぜん)」ともよばれ、鈴鹿山(すずかやま)の山賊(さんぞく)のかしらである悪路王(あくろおう)の妻(つま)でした。天皇(てんのう)の命令(めいれい)で立烏帽子(たてえぼし)を退治(たいじ)にきた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)のことが好(す)きになり、田村麻呂(たむらまろ)が悪路王(あくろおう)をうちとるときに手(て)を貸(か)したと言(い)います。もとの話(はなし)は、『御伽草子(おとぎぞうし)』という本(ほん)にのせられていますが、いろいろな形(かたち)の話(はなし)があり、数多(かずおお)くの演劇(えんげき)や小説(しょうせつ)などにとりあげられています。

亀山市歴史博物館HPより
https://kameyamarekihaku.jp/kodomo/w_e_b/hanashi/mukashi/touzoku/page002.html

鈴鹿峠に鎮座する゛鈴鹿社゛と゛田村社゛について

鈴鹿山には 鈴鹿御前と坂上田村麻呂公を祀る神社が鎮座します

鈴鹿峠には 片山神社〈鈴鹿大明神〉亀山市関町坂下田村神社旧跡〈田村祠・田村明神〉(現 片山神社の境内 愛宕社)が鎮座します

・鈴鹿山の鏡岩 (鏡石・鏡肌)

〈鈴鹿山の山頂にある巨岩 三重県指定天然記念物〉

・田村神社旧跡〈田村祠・田村明神〉 (現 片山神社の境内 愛宕社

〈坂上田村麻呂公が 弓箭を納めたところに文室綿麻呂が祠を建てたと云う〉

鈴鹿山西麓には ゛坂上田村麻呂公゛が祀られる田村神社が鎮座します

又 鈴鹿山西麓(滋賀県甲賀市土山町北土山)旧東海道〈京都方面からの鈴鹿峠の上り口〉には 田村神社(甲賀市土山町北土山)が鎮座しています

・田村神社(甲賀市土山町北土山)

 

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR関西本線 関駅からR1号線を鈴鹿峠に向かいます

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旧東海道の鈴鹿峠越え このあたりから「鈴鹿坂八丁二十七曲り」の急坂が始まり「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」と言われた街道の難所手前です

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片山神社亀山市関町坂下に参着

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社頭には 手水舎があり 清めます

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社頭の社号標には゛延喜式内 片山神社゛と刻字がなされています
一礼をしてから 鳥居をくぐり 参道の石段を上がると すぐに神門があり 神門をくぐり抜けると 左手に石の祠が祀られています

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少し長い石段を明かる事となります

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石段を上がると 踊場のような場所があり 参道石段が二手に分かれています

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右手の奥には 境内社 愛宕社〈鈴鹿山の山頂 田村祠を合祀したもの〉があり お詣りをします

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上の境内には どちらの階段を上がっても行けそうです

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境内は 放火によって焼失したので 跡地のようになっています

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拝殿にすすみます
鉄の釜がありますが 湯立神事にでも使用していた釜でしょうか

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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上から見ると 参道の石段は 急な勾配でした

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神門の先に 社頭の鳥居があり そのすぐ先に山へ上がって行く遊歩道があるのですが これが鈴鹿峠旧の東海道です

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この旧東海道を 鈴鹿峠から下ってくると 片山神社の社頭があり 多くの人々が参拝していたであろうことが 容易に想像できます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 片山神社について 所在は゛鈴鹿山に在す、今 鈴鹿御前と称す、゛〈現 片山神社(亀山市関町)〉と記しています

【抜粋意訳】

片山神社

片山は加多夜萬と訓べし

○祭神四座、瀬織津姫命、倭姫命、氣吹戸主命、速佐須良姫命
、一説 大比古命、〔社傳〕

〇鈴鹿山に在す、今 鈴鹿御前と称す、〔俚諺〕

○弘仁元年 勅使記云、鈴鹿姫坐ニ路頭之北邊、

類社
尾張國 春日井郡、同国 山田郡 片山神社、各一座
近江國 淺井郡 片山神社二座、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 片山神社について 所在は゛今 古厩村にあり、八王子と云う゛〈現 明治42年(1909)関神社に合祀された八王子祠 (亀山市関町古厩)〉と記しています

【抜粋意訳】

片山(カタヤマノ)神社

今 古厩村にあり、八王子と云う、〔本村検地帳、式内社検録、 〇按 社南 小山二嶽ありて、片山と唱へ、社火橿の田畠道も片山と字する 田畝あるもの証とすべし〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 片山神社について 所在は゛古厩村字片山(鈴鹿郡關町大字古厩 現在同郡同町大字木崎村社 關神社に合併)゛〈現 明治42年(1909)関神社に合祀された八王子祠 (亀山市関町古厩)〉と記しています

所在の考証を記していて ゛鈴鹿山ノ鈴鹿姫ハ坐ニ路頭之北邊ニ也゛〈現 片山神社(亀山市関町)〉は 當今の東海道は 弘治年問の新墾であり 今の鈴鹿権現ではないと記しています

【抜粋意訳】

片山神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 古厩村字片山
(鈴鹿郡關町大字古厩 現在同郡同町大字木崎村社 關神社に合併)

今按るに傍注に今 鈴鹿姫社此乎とあるは 弘安元年公卿勅使記に鈴鹿山ノ鈴鹿姫ハ坐ニ路頭之北邊ニ也と注せる鈴鹿姫を 今の坂の下なる鈴鹿権現に混して註するなるへし 弘安頃の鈴鹿山路は 近江國 山女(アケビ)原より 伊勢國安樂村に越え到れるなれは 鈴鹿姫は其 路傍の北に在たるにて 今の鈴鹿権現にはあらす 當今の東海道は 弘治年問の新墾なれは 鈴鹿の坂路も其時の盤通ならむ さる新開の路頭に在る祠を延喜の式社に牽合するは 從難きを考證以下 是に雷同して 鈴鹿権現を本社に配せり 獨再考に 筆捨山の麓なる熊野祠に填たれと同し新街道の社なれは 振古のものに非る事決せり
 是を以て探索するに古厩村の南の小山を占山と稱し 其麓にある産神社の兆域を田としたる地は 悉く片山と字する事 六段八畝二十二步載て 當村の検地帳にあり されは其 八王子と俗稱する産神 本社片山神の遺存井なる事 瞭然たり 社域今は偏小になりぬれと 古色あり以て 是に判定すへし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

片山神社亀山市関町坂下 (hai)」(90度のお辞儀)

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