賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂)〈『延喜式』神部神社〉

賀茂春日神社(かもかすがじんじゃ) 賀茂社〈欽明天皇の御代540春日社〈文武天皇698)〉がんで祭祀されていたが 天正十年社殿が兵火に罹り神古文書等焼失 天正十四年1517洪水で両社共に流失し 相殿として合併されたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

賀茂春日神社(KamoKasuga shrine

通称名(Common name)

春日さん(かすがさん)
加茂春日神社(かもかすがじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

山梨県笛吹市春日居町賀茂字319

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

〈賀茂社〉
《主》玉依姫命(たまよりひめのみこと)
   別雷命(わけいかづちのみこと)
   神武天皇(じんむてんのう)

〈春日社〉
《主》屋根命(あめのこやねのみこと)
   経津主命(ふちぬしのみこと)
   武甕槌命(たけみかづちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

賀茂春日神社由来

 当社は延喜式神明帳に記載された神社であって、賀茂・春日両社の合社であり、古くは二社が並び建っていた。賀茂社は欽明天皇の御代(五四〇)に、春日社は文武天皇(六九八)に祭祀された。

古来より多くの崇敬者あり、特に武神として国守、武将の信仰が厚かった。

康平年中(一〇六一)に八幡太郎義家東夷征伐の折、武運を祈願し御幣を奉納された。

永正一四年(一五一七)武田信虎の時、子酉川(ねとりがわ)(今の笛吹川)が氾濫し大洪水により社殿、社地流出し、再建後 両社を一棟の社殿に造営された。また、義家の弟である源義綱は当社殿にて元服して賀茂次郎と改名した。
その後天正一〇年(一五八二)中牧合戦の折兵火にあい社殿消失する。天正一一年(一五八三)徳川家康入国の際、貫文及御朱印を奉る。

現在の本殿は元禄一四年(一七〇一)甲斐国城代 三枝摂津守が建立したものであり、拝殿は文久二年(一八六三)田安殿代官磯部寛五郎の指図により立て替えられた。
旧社地は実に三六三二坪であった。

祭神は玉依姫命、別雷命、神武天皇、天児屋根命、経津主命、武甕槌命の六神である。

 武田晴信(信玄)奉納の和歌

君を祈る賀茂の社(やしろ)のゆう襷(たすき)かけて幾世か我もつかえん 信玄

 初秋の頃賀茂御社の水に身をしたしてよめる

たちかえりまたも汲みみん涼しさは賀茂の宮居のみたらしの水  永鷹

 賀茂大明神の御社に詣ではべりて

引きはへし賀茂の宮居のみしめ縄すぐなる道を神ぞ守らむ  永憾

千早振る賀茂の社の姫小松幾千代までも栄えぬるさむ  読み人知らず

 某がしとか云える花下の好士奉寄詞に都の北おほみ
 社より此くぬちにうつし奉る賀茂御神の御前にぬかつきて

ゆう涼み日枝より不二ぞ甲斐の賀茂   読み人知らず

昭和四十七年四月 建立

現地案内板より

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【由  (History)】

『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容

【抜粋意訳】

第二 延喜式内社 山梨郡九座

加茂
春日神社 郷社

東山梨郡春日居村加茂組字榎丁鎭座

祭神

 玉依 武甕槌命
 天兒屋根命 別雷命
 経津主命 姫大神

本縣明細帳に天津彦火邇邇芸命・神日本磐余彦命・天兒屋根命の三神を登載せり。 

社記云神社也。御朱印社領三十石五斗餘。欽明天皇朝 勧請と云。
十一月松明の神事あり神名帳考に「百木云、神部は ミワベと調べきにや、三代實録に 美和神とあるこれならん、巨麻郡にも同名神社あり。」とあ。此地 古の加美郷にして、加美は神部より出でるにや。

【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

賀茂春日神社 本殿・〈境内社〉貴船明神

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春日居町指定文化財

賀茂春日(かもかずが)神社本殿

平成11年6月7日指定

 賀茂春日神社本殿は元禄十四 (一七〇一)年に再建された。正面三間、側面二間の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、屋根は建築当初は檜皮葺(ひわだぶき)であったが、昭和九 (ー九三四)年に銅板に葺替えられた。

 広い境内に建つこの本殿は三間社流造の本格的建築で規模も大きく、良く整っている。

山梨県内に数少ない三間社流造の建築として貴重な遺構である。

平成十二年五月 春日居町教育委員会

現地案内板より

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賀茂春日神社 拝殿

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・廿三夜社《主》月読尊

・靖国社《主》護国の英霊

・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神部神社
[ふ り が な ]かむへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuhe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式』に所載されている神部神社(かむへの かみのやしろ)について

 『延喜式』には 駿河國に一か所 甲斐國二ヶ所が 所載されています

延喜式内社 駿河國 安倍郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・静岡浅間神社(静岡市)

延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・神部神社(甲州市塩山)

・神部神社(山梨市上神内川)

・賀茂春日神社(笛吹市春日居町)

・神明神社(笛吹市石和町窪中島)

延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・〈旧 三輪神社の山宮〉八幡神社(南アルプス市上宮地)

・〈旧 三輪神社の里宮〉神部神社(南アルプス市下宮地)

・白山神社(明野町上神取)

・神部神社(須玉町小尾)

・熱那神社(北杜市高根町)

・南宮大神社(韮崎市大草町)

・神部社(南アルプス市寺部)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 春日居駅から県道314号を南下して約1km 車で3分程度

県道314号から西参道へ進みます

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賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂に参着

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こちらは 裏参道のようです
鳥居をくぐるとすぐに拝殿の脇に出ます

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手水舎で清めてから

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿は南を向いていて 表参道は南に延びています

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西参道へと戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 祭神 在所等は不明と記されています

又『甲斐名勝志』に゛加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)〉との説
萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉との説
゛『甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なり〈現 神部神社(甲州市塩山)を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社

神部は加牟倍と読り

○祭神 在所等詳ならず

○当國 巨摩郡 神部神社あり

 甲斐名勝志云、加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり、云々、延喜式所載 神部神社なり、
又云、萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、云々、相伝 延喜式所載 神部神社也、
神戸  ガウトと唱ふ、前に云 加茂神社も神部の説あれば、何れか是なる事を考分ちがたし、』
甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なりといへり、

類社
 駿河國 安倍郡 神部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神部神社について 所在は゛今 上荻原村にあり、岩間明神と云、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

【抜粋意訳】

神部(カンベノ)神社

今 上荻原村にあり、岩間明神と云、〔甲斐名勝志、甲斐國志、山梨縣取調書〕〔〇按 社の東方に神戸山あり、岩間奥御殿と云しとぞ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 所在は゛上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

又 別の説として
゛一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)
上神内川村山王社なり〈現 神部神社(山梨市上神内川)〉を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社 稱 岩間明神

祭神
 今按 社傳 祭神 神直日神 八十柱津日神に三柱筒男神 三柱少童神とあれど こは何れも後人の附會と聞ゆれば信がたし

祭日 三月二十九日
社格 村社

所在 上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)

 今按 一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ 又 上神内川村山王社なりと云へど 神部と云ふ證なし 唯 萩原村なるは往古 上中下萩原郷を神部庄と號すと云ひ 又 神戸神田等の地名あり 又 當社の東方に神部山と云ありと云ふもの證とするに足れり 故今定めて記しつ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂ついて 明治六年郷社に列す とあり

式内社 神部神社について考証をしています 

【抜粋意訳】

〇山梨縣 甲斐國 東山梨郡春日居村大字賀茂字

郷社 賀茂春日(カモカスガノ)神社


 天津彦火邇々藝(アマツヒコホノニニギノ)
 神日本磐彦余(カムヤマトイハレヒコノ)
 天兒屋根(アメノコヤネノ)

 創建は欽明天皇の御宇に在り、往古は社並び立ちしに、後 柏原天皇 天正十四年洪水の節 両社共に流失してより、相殿として合併せり ,天正壬午の社殿兵火に罹り古文書等焼失す、
翌年四月十九日 徳川氏よ社領三貫五百三十文の朱印を附せられ、梢舊規に復することと得たり、其 増加して慶中には三十石五斗五升となる後冷泉天皇 康中年中 義家征の時 當社に奉幣の事ありと云ひ傳ふ、(社記)又府中一寺所藏 貞治三年の寺領録に矢作郷内賀茂經五段増田逸寄進文和四年十月八日(北朝)と見え又暗信奉納の和歌とて傳ふるあり其の歌
 君と祈る賀茂のやしろのゆふたすきかけていく代か我もつかへん
とあり、(甲斐國志)又社領に付ては巡舊神祠記には朱印三十五石と記し、日本寺社領員数記には三十石と云へり、何れに従ふも大差なく、その大社なりし事想思見すべし、

さて本社と式内 神部神社に充てたるは、舊神祠記のみにして、他は皆疑を存せり、
即ち神社覈録に「神部神社祭神在所詳ならずと云ひて、甲斐名勝志を引き、當社と萩原郷神戸村 岩戸明神と何れか是なる上知らずと云ひ、更に甲斐業記に神部山は玉井の郷に在り、都留郡の境なりと云へりと云ひて、終りに駿河國安部郡神部神社の項と見合すべしと云はれたり、さて駿河なるは祭神 天照大神とも大己貴命とも両説あるが如し、而して當社現今の祭神は、前記の如くなれば、誠に其是非を定め難きなり、然れども本社の古社たる事は疑なければ、暫く其疑しきを闕く可きのみ、尚 甲斐國志の傳ふる處に據れば、元祿十四年三枝攝津守の造営ありたりと云ふ。

現在の社殿は、本殿殿、渡殿等にして境内坪千六百三十一坪 (官有地第一種 )有しの風色頗る靜雅なり明治四年社領上地し同六年郷社に列す

境内神社
 五社大神 貴船大神 子安大神 疱瘡大神
 蠶養大神 天神社 三神社 辨天社
 稲荷大神

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂 (hai)」(90度のお辞儀)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

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