鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)とされます 鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鏡作麻氣神社(Kagamitsukuri make shrine)
【通称名(Common name)】
江戸時代には「子安社」「春日社」と称していた
【鎮座地 (Location) 】
奈良県磯城郡田原本町小阪字里中244
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天麻比止都禰命(あまのひとつねのみこと)〈別名 天目一箇命〉
※祭神について別説あり
天糠戸命(あまのぬかとのみこと)
『記紀』神話 天岩戸の段で鏡を作った神 又は 鏡を作った「石凝姥命」の親神とも云う
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
田原本歴史遺産 神々を訪ねて
延喜式内社 旧 城下郡 小阪 鏡作麻気神社
祭神 麻比止都称命
祭神の麻比止都称命は、日本書紀に「作金者」と記される「天目一箇神」であり、鍛冶に関わる神とされる。この事は、弥生時代、唐古・鍵遺跡で、銅鐸など、金属鋳造技術集団が、古墳時代になり、鏡作部に継承され、この鏡作郷の地で、金属鋳造が行われてきたのであろう。 現在、大阪府の東大阪を中心とした小阪・今里・八尾で、金属加工業界が多いが、この金属加工の人々の先祖は、大和の田原本付近だと伝えられ、田原本町にこれら小阪・今里・八尾の地名が共通することと関係するかもしれない。
鏡作麻気神社の建築について
元「子安大明神」であったが、神仏分離後の明治2年(1869)社名を変更したと伝えられる。1間社 隅木入り春日造 銅板葺、千木・勝男木付の社である。
基壇上に建ち、土台を廻し、身舎丸柱、柱上部粽付、大斗、三ツ斗組、向拝、柱方柱面取り、柱天端大斗、連三ツ斗組、虹梁、象鼻、中備蟇股、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。軒廻り1軒繁垂木、三方に縁を設け、背面に脇障子、跳高欄、昇高欄、宝珠柱付、木階9級、正面中央には、格子戸両開きの建具を用い、他面は板壁である。拝殿奥の一段高い所に建築されているが、隅木入り社殿は珍しく、全体に成の高い社殿で、明治頃の建設かも知れない。
文 田原本町文化財 保護審議委員会 会長 林 清三郎
左 鏡作麻気神社 社殿
右 鏡作麻気神社取調書上帳 小坂村・繪圖(明治3年・1870)平成21年度 No.2 田観52 田原本町観光協会
現地案内板より

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【由 緒 (History)】
『奈良県史』第5巻 神社〈平成元年(1989)発行 奈良県史編集委員会編集〉 に記される伝承
【抜粋意訳】
鏡作麻気神社 (小坂字里中 二四四)
近鉄田原本駅の東北方一.五キロメートルに鎮座する。『和名抄』に城下郡鏡作郷とあり、鏡作坐天照御魂神社に近い。
祭神の天麻比止都禰命は、天目一筒命のことで太玉命に隷属した神。天疎降臨の節、金工として従ったが、金工には片目を閉じて一つ目で面や曲や直を調べるのでこの名がある。倭鍛冶等の租神である。『延喜式』神名帳登載の式内社に比定されているが、その頭注に「鏡作麻気神ハ天糠戸命」とある。石凝姥命の親神である。『文徳実録』の仁寿元年(八五一)正月の詔で正六位上に叙せられたとみられる。創建年代は明らかでないがこの地方に住んだ鏡作部が祀った社と考えられる。
例祭は十月二十五日。境内の北方に神宮寺であったらしい観音堂がある。
【原文】

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈境内社〉白山社・的場社

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・観音堂〈元々の神宮寺「観音寺の仏堂」〉

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田原本御佛(みほとけ)三十三ヶ所巡礼(やすらぎと歴史遺産を訪ねて)
第十一番 小阪・旧観音寺・観音堂 本尊「十一面観音菩薩立像」
旧観音寺は 鏡作麻気神社(麻比止都称命)の神宮寺で観音寺・本地堂(観音堂)の本尊十一面観音菩薩立像は像高65.4cm、檜材の一木造りで平安時代後期12世紀前半の藤原佛で処々に漆を盛っている。
本尊台座は榧材で元禄元年(1688)作、本尊厨子は扉に「和州城下郡小坂邑観音寺 元禄二乙午歳八月吉祥日」とあり、この時期に本尊が修復されたらしい。
観音堂にはこの他に鎌倉時代の地蔵菩薩立像、室町時代の如来立像2体、地蔵菩薩立像1体、誕生釈迦如来立像1体などがあり、観音寺の歴史の永さを伺うことが出来る。なお、この観音堂十一面観音菩薩立像は、江戸時代より大和三十三ヶ所の第三十一番札所で御詠歌に「ちりの世を小坂にはろふ松風はねがふみ国のしらべとぞ聞く」と詠われている。
左 鏡作麻気神社取調書上帳小坂邑(明治3年)に「一 本地堂二間四方 但 十一面観音安置」「一 薬師堂間口奥行丈間 但 薬師如来安置」とあり、明治3年頃、鏡作麻気神社の境内に神宮寺が南面して西に本地堂(現 観音堂)、その東に薬師堂がありそれぞれ、十一面観音菩薩立像、薬師如来像が安置されていた。
写真 龍見日出登 写真 文・編 中西秀和
歴史案内板 平成18年度 No.3 田観29 田原本町観光協会
現地案内板より

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城下郡 17座(大3座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 鏡作麻気神社
[ふ り が な ](かかみつくり まけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kakamitsukuri make no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
古代 大和國の「鏡作郷」に鎮座したと思われる式内社の論社について
鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社・鏡作麻氣神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます
延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作坐天照御魂神社(大 月次 新嘗)(かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)
・鏡作坐天照御魂神社(田原本町)
・鏡作神社(三宅町石見)
延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)
・鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)
・鏡作伊多神社(磯城郡田原本町宮古)
延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)
・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)
『延喜式神名帳』に記載される「まけのかみのやしろ」の社号をもつ式内社の類社について
延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)
・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)
延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)
・山神社(高島市マキノ町牧野)
延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社
・麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)
・麻氣神社(丹生郡越前町真木)
・酒列神社(越前市牧町)
延喜式内社 越前國 足羽郡 麻氣神社(まけ かみのやしろ)〈廃絶〉
・廃絶とされる 所在など不明
延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)
・摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〈延喜式内社 名神大社〉
延喜式内社 隠岐國 知夫郡 眞氣命神社(貞)(まけのみことの かみのやしろ)
・眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄橿原線 田原本駅から北方向へ約1.6km 徒歩での所要時間は22~25分程度
大和川の支流 寺川の右岸〈東岸〉に 鏡作麻氣神社は 鎮座しています
大和川の支流 寺川の左岸〈西岸〉に 鏡作坐天照御魂神社が鎮座する 古代の鏡作りの聖地であったと推測されています
社殿の正面は東を向いていて R 24号に面した畑の畦道から入れますが わかり難い
境内の北側からは路地のような参道が付けられ 西側の小坂公民館からも金網柵が開いていて入れます
東を向く鳥居が建ち 社号標には゛式内 鏡作麻氣大神社゛と刻字されています 鳥居の手前左側には鏡池〈この池の水を使って鏡を製作したとも云う〉があります
鏡作麻氣神社(田原本町小阪)に参着

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境内は それほど広くありません
向って右手に〈境内社〉白山社・的場社や観音堂〈元々の神宮寺「観音寺の仏堂」〉が祀られています

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拝殿にすすみます
拝殿向って左 竹藪の手前側に石碑「金毘羅大権現」や石灯籠があります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 鏡作麻氣神社について 所在は゛小坂村に在す、今 春日と称す、゛〈現 鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〉と記しています
【抜粋意訳】
鏡作麻氣神社
鏡作は前に同じ、麻氣は假字也、
○祭神詳ならず
〇小坂村に在す、今 春日と称す、〔大和志、同名所圖會〕
類社
越前國丹生郡、同國足羽郡、丹波國船井郡麻氣神社、〔各一座〕近江國高島郡麻希神社、隠岐國知夫郡眞氣命神社、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 鏡作麻氣神社について 所在は゛今 鏡作郷小坂村にあり、゛〈現 鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〉と記しています
【抜粋意訳】
鏡作麻氣(カガミツクリノマケノ)神社、
今 鏡作郷小坂村にあり、〔大和志、名所圖會、〕
天麻比止都禰命を祭る、〔社傳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 鏡作麻氣神社について 所在は゛小坂村〔宇寺垣内〕(磯城郡川東村大字小坂)゛〈現 鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〉と記しています
【抜粋意訳】
鏡作麻氣(カガミツクリマケノ)神社
祭神 麻比止都禰(マヒトツネノ)命
祭日 八月二十三日
社格 村社所在 小坂村〔宇寺垣内〕(磯城郡川東村大字小坂)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
鏡作麻氣神社(田原本町小阪)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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