玉若酢命神社(隠岐の島後 隠岐の島)

玉若酢命神社は 隠岐の開拓神とされている「玉若酢命 (tamawakasu no mikoto)」を祀る神社です 本殿は「隠岐造り」で 随神門 旧拝殿 ともに国指定重要文化財に指定されています 境内には「八百杉」と呼ぶ樹齢千数百年の杉の巨木が存在しています 隣接するのは社家である「億岐家住宅・宝物殿」には 国指定重要文化財の「駅鈴2個」と「億伎倉印1個」が保管されています

目次

 

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 玉若酢命神社(Tamawakasu no mikoto Shrine)
  (たまわかすみこと じんじゃ)

 [通称名(Common name)]

 総社(soja)

【鎮座地 (location) 】

島根県隠岐郡隠岐の島町下西701

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》玉若酢命 (tamawakasu no mikoto)

《配》大己貴命(onamuchi no mikoto)
   須佐之男命(susanowo no mikoto)
   稲田姫命(inadahime no mikoto)
   事代主命(kotoshironushi no mikoto)
   須世理毘売命(suseribime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・商売繁昌 Pray to God that the business will flourish
・五穀豊穣 Pray for good harvest
・良縁祈願 A desire to deepen connections and intimacy with good people
・起業成就 Start a business and achieve it
病気平癒 Heal illness
・家運隆昌 Home fortunes prospers greatly
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 隠岐国総社

【創 建 (Beginning of history)】

神社の由緒

王若酢命を主祭神とし大國主命、須佐之男命外二柱の姫神を配祀、勧請年代は詳でないが式内社に列せられだ古社である、氷若酢命と共に本島を開柘した隠岐の二祖神であると伝えられている。
又神社名を総社と俗に称している。かっての隠岐國府の所在地で、明治初年項まではこの地を総社村といった。これは王朝時代國司が当國の総社として祭紀を執行した由緒に由るものである。

本殿(隠岐造) 県指定文化財

外形の特徴。屋根は大社造に似て妻入だが平面形は神明造に似て横長の短形である。向拝は前面いっぱいに片流についているが、その両端は春日造と違って大屋根と離れている。尚棟に雀躍(すずめおどり)と称する一本木をおき両端は鬼板より出て反っていて、隠岐にのみに存する独特の神社建築である。寛政5年建立(1793年)


例祭神事 御霊会(ごれえ)県指定無形文化財
6月5日例祭には八頭の神馬が出役する。隠岐國総社である為、地区ごとの産土神を神馬に奉遷して馳せ参ずると云う信仰によるものである。
安永8年(1779年)の神社記に、「往昔は48頭の神馬が馳参せるも今日8地区の8頭に止まる」とある。察するに当初は全島あげて祭礼に参加し、盛況を極めたものと思われる。
この地方に於ける大氏神の大祭に小氏神が馳せ参ずると云う神事は他には見れなく、風流にして貴重な存在である・依って県の無形文化財に指定する(昭和40年)
境内案内板より

【由 緒 (history)】

玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)

【玉若酢命神社】
隠岐の総社(そうじゃ)として創建された神社で、島の開拓にかかわる神と考えられている 玉若酢命を主祭神(しゅさいじん)としています。
現在の本殿(ほんでん)は、寛政5年(1793)の建築で、様式は 隠岐造(おきづくり)です。三間社(さんげんしゃ)の隠岐造では、水若酢神社(すみ゛わかすじんじゃ)、伊勢命神社(いせのみことじんじゃ)とともに最大規模です。

社伝によると景行天皇が皇子を各国に分離した際に隠岐に遣わされた大酢別命(おおすわけのみこと)の御子(みこ) が玉若酢命だと伝えています。宮司を務める億岐家(おきけ)は「隠岐国造(おきのくにみやつこ)」(現在でいう市長)の末裔(まつえい)だと言われており、億岐家に保管されている2つの駅鈴(えきれい)と隠岐倉印(おきそういん)は国の 重要文化財に指定されています。
毎年6月5日に行われる「御霊界風流(ごれえふうりゅう)」 では馬入れ神事(うまいれしんじ)や流鏑馬(やぶさめ)などの行事が行われ馬付き(うまつき)達の勇壮な姿を見ることができます。

隠岐の島町 教育委員会

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

社殿向かって 左の池の中に小さな祠

・池宮(ike no miya)
 《主》淤迦美神(okami no kami)

古墳群の入口に祠

・若宮(waka miya)
 《主》十挨命(toehiko no mikoto)

『国造本紀(先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 意岐国造条)』によると
第15代応神天皇の時代に隠岐国造に十挨彦命(toehiko no mikoto)を定めたとあります

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

・日乃賣神社(hinome shrine)
 《主》日乃賣神(hinome no kami)

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観13年(871年)閏8月29日の条 に記されている古社 杉の大木が神々しい神域です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)周吉郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 玉若酢命神社(貞)
[ふ り が な  ](たまわかすのみことの かみのやしろ)
[How to read ](tamawakasu no mikoto no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

玉若酢命神社(tamawakasu no mikoto shrine)の文化財について

国指定 天然記念物「八百杉(yaosugi)」

樹齢1000年以上と言われている杉の巨木

その昔 若峡の国小浜(福井県小浜市)から人魚の肉を食べて不老不死となった尼「八百比丘尼(yao bikuni)」がこの地に渡って来て 境内にスギ苗を植え「八百年後に再びここに来るだろう」と言って立ち去ったので 通称「八百杉」と呼ばれるようになったと云われ また この八百杉の根元には 周囲が静かで寝ている間に根に包まれてしまった大蛇のいびきが聞こえると古くからの云われています

玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)

【玉若酢命神社】
隠岐の総社(そうじゃ)として創建された神社で、島の開拓にかかわる神と考えられている 玉若酢命を主祭神(しゅさいじん)としています。
現在の本殿(ほんでん)は、寛政5年(1793)の建築で、様式は 隠岐造(おきづくり)です。三間社(さんげんしゃ)の隠岐造では、水若酢神社(すみ゛わかすじんじゃ)、伊勢命神社(いせのみことじんじゃ)とともに最大規模です。 社伝によると景行天皇が皇子を各国に分離した際に隠岐に遣わされた大酢別命(おおすわけのみこと)の御子(みこ) が玉若酢命だと伝えています。宮司を務める億岐家(おきけ)は「隠岐国造(おきのくにみやつこ)」(現在でいう市長)の末裔(まつえい)だと言われており、億岐家に保管されている2つの駅鈴(えきれい)と隠岐倉印(おきそういん)は国の 重要文化財に指定されています。毎年6月5日に行われる「御霊界風流(ごれえふうりゅう)」 では馬入れ神事(うまいれしんじ)や流鏑馬(やぶさめ)などの行事が行われ馬付き(うまつき)達の勇壮な姿を見ることができます。

【八百杉(やおすぎ)】
樹齢1000年以上と言われている杉の巨木で、人魚(にんぎょ)の肉を食べて八百年生きたという 八百比丘尼(やおびくに)が若狭(わかさ)から来て植えたという伝説があります。八百比丘尼の伝説から名前をとって八百杉と呼ばれ親しまれています。杉の名前からも当時の隠岐と若狭の国との交流をうかがい知ることができます。また、八百杉の根元に住み着いた大蛇(だいじゃ)が昼寝している間に八百杉の成長により外に出られなくなったため、自らの不甲斐(ふがい)なさから夜な夜な鳴いているという伝説も残っています。

隠岐の島町 教育委員会

境内案内板より

億岐家住宅・宝物殿

億岐家は 隠岐国造の家系で 古くから隠岐国の総社として「島後 甲野原」に鎮座する「玉若酢命神社」の社家として代々宮司を務めています
神社は 古代から隠岐の中心地「国府」にあって「若酢大明神・総社明神」とも称されて 隠岐国の国府に赴任した国司が参拝する隠岐国の総社にもなっていました

甲野原の地名は「国府の原」から転じた呼び名とされています

第12代景行天皇から続く 隠岐国造の家系

『社伝によると、景行天皇が皇子を各国に分置し、隠岐国に遣わされた大酢別命の御子が玉若酢命であると伝えられています。玉若酢命は、隠岐の島の開拓にかかわる神と考えられ、当社の宮司を代々勤める神主家の億岐家が古代の国造を称し、玉若酢命の末裔とされます。』

つまり 玉若酢命の末裔と称する億岐家(国造家系)が現存しています

「億岐家住宅・宝物殿」

境内に 隣接していて
・国内で唯一現存するといわれる「駅鈴(eki rei)」
・現存する三つの国倉印の一つ「億伎倉印(oki soin)」など国指定重要文化財が展示されています

律令時代 駅使が乗用を許された駅馬の匹数を刻んだ鈴です
646年(大化2年)1月1日
第36代孝徳天皇によって発せられた改新の詔によって 駅馬・伝馬の制度の設置に伴って造られたとされ 現存するのは玉若酢神社(億岐家住宅・宝物殿)のものが唯一

玉若酢命神社 古墳群

玉若酢命神社の北西側の丘陵地には 前方後円墳1基 円墳14基の計15基の古墳が確認されています

県指定史跡 玉若酢命神社古墳群(西郷町下西)

この古墳群は玉若酢命神社の北西側の丘陵上に位置し、ここ頂上にある前方後円墳1基(8号墳)のほか、神社脇からの登り道沿いに円墳14基が確認されている。隠岐島では最も残りが良く、数多くの古墳からなっている。

前方後円墳の8号墳は尾根頂部を造成して造られており、全長33.2m、後円部径19m、高さ2mを測る。墳丘は極めて残りが良好である。その他の古墳はいずれも10~15m前後の円墳と考えられ、3、4基がひとつのまとまりを持ち、4群に分けることが可能である。これらの円墳は墳丘盛土が流失して埋まっているが、本来は墳丘のまわりに半円形の溝をめぐらしていたものと推定される。また、最も下方にある3号墳は牛突き場を造るときに横穴式石室が露出し、内部から太刀や須恵器が発見されている。

古墳群が造られた時期や内部の施設は未調査のため不明であるが、唯一内容のわかる3号墳が古墳時代後期(6世紀後半頃)と考えられることから、この時期を前後する頃と推定される。

島根県教育委員会  隠岐島 島後教育委員会

境内案内板より

隠岐の式内社〈16座〉について

隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

西郷港フェリーターミナルから R485号経由 約2.5km 車5分程度
R485号線沿いに鎮座します

玉若酢命神社(tamawakasu no mikoto shrine)に到着

国道沿いに鳥居が建ち 社号標には「玉若酢命神社」とあります

一礼の後 鳥居をくぐり抜けて 白砂の参道を歩みます
隋神門や八尾杉が美しいシルエットで迎え入れています

左手の手水舎には 龍頭から手水が滴り 気持ちよく清めます

一礼して 茅葺屋根の随神門(造営 1852年)をくぐり抜けます

茅葺屋根の本殿・随神門・社家億岐家住宅は 国指定 重要文化財となっています

すぐ目の前に 国指定 天然記念物「八百杉(yaosugi)」があり その神々しく見事な様に暫く圧倒されます

数段の石段を上がると 社殿が建つ境内地になります

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の奥は「茅葺屋根造り」の美しく見ごたえのある本殿が建ちます
「隠岐造り」「鬼板」と「千木」が映え 本州では見れません

こちら側から拝する「本殿」の美しさは格別です

本殿に向かって左側には 池があり 小さな祠があります これが「池宮」の筈です

本殿向かって右側からは 間近から隠岐造りの本殿の様子が良くわかります

旧拝殿は 境内の東側に移されています

参道を戻り 隋神門 鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼します

すぐ隣にある億岐家住宅へ向かいます 表札が掛かり「億岐史人」とあります

宝物殿への入場は有料(殿内 撮影禁止)です 丁寧に「億岐さん」から直々にご説明頂けて良く理解できます ご朱印もこちらで受領出来ます

宝物殿でレプリカの「駅鈴(eki rei)」は良く出来ていて 良い音色です
イメージは入場券の写真をご覧ください

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観13年(871年)閏8月29日の条 に記される伝承

貞観年間(859~877)は 日本全体に地震や噴火が相次いだ時期です

貞観11年5月(869年)には 貞観大地震が起きた時(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らしたとあります
貞観13年(871年)5月には 出羽国の鳥海山が噴火します

災害を予知するとされていた流星に敏感になっていた時期に 8月流星があり
後に『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に掲載される隠岐の神々に神階が陞叙されています

島後「天健金草神社(amatake kanakaya shrine)」・・従五位上の「天健金草神」を従四位下
島前「比奈麻治比売命神社(hinamachihime no mikoto shrine)」・・「比奈麻治比賣神」を正五位下

島後「玉若酢命神社(tamawakasu no mikoto shrine)」が「正六位上 蕤若酢神(zui wakasu no kami)」であるとされていて
境外社の日乃賣神社(hinome shrine)「無位 日乃賣神」とともに 神階を従五位下へ陞叙すると記されています

意訳

8月29日 壬申の夜

流星があり 東南より出でて 羽林に入りき 星の大きさ柚子の如く 青くして光ありき

隠伎国に授ける 従五位上の「天健金草神」を従四位下
従五位上の「比奈麻治比賣神」を正五位下
正六位上の「蕤若酢神」と無位の「日乃賣神」を並びに従五位下
・・・・・・・・・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『先代旧事本紀(sendaikujihongi)』巻第十 国造本紀 意岐国造条 に記される伝承

隠岐国造について 記されています

第5代「孝昭天皇(観松彦香殖稲命mimatsuhikokaeshine no mikoto)」の弟と言われる「観松彦伊呂止命(mimatsuhikoiroto no mikoto)」の5世孫である「十挨彦命(toehiko no mikoto)」を 第15代応神天皇の時代に隠岐国造に定めたとあります
「十挨彦命(toehiko no mikoto)」は 境内社「若宮」の御祭神です

意訳

意岐国造

輕島豊明朝(第15代 応神天皇朝)の御代
観松彦伊呂止命(mimatsuhikoiroto no mikoto)の5世孫である十挨彦命(toehiko no mikoto)を 隠岐国造に定め賜う

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

玉若酢命神社(tamawakasu no mikoto shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

隠岐造り の本殿を持つ
島後の一之宮「水若酢神社」の記事もご覧ください

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観13年(871年)閏8月29日の条で 神階を授かる
島後「天健金草神社(amatake kanakaya shrine)」の記事もご覧ください

隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る

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