伊豆毛神社【旧鎮座地】(長野市豊野町)

伊豆毛神社【旧鎮座地】は 八雲台古墳の上に鎮座しています 里俗の口碑によれば 太古には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する出雲族神社とも考えられます『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の古社で 大永3年(1523上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座しました

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊豆毛神社【旧鎮座地】(Izumo Shrine【Old location】)
いづもじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長野県長野市豊野町豊野伊豆毛

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》素盞嗚尊(Susanowo no mikoto)
   大己貴命(Ohonamuchi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社の旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

〈創建年代不詳〉
大永3年(1523上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座

【由  (History)】

八雲台古墳の上に鎮座しています

市指定史跡 八雲台古墳横穴式石室 やぐもだいこふんよこあなしきせきしつ

長野市指定
平成17年1月1日 指定

 この古墳は、八雲台と呼ばれる伊豆毛神社旧社地にあり、古来より神社の宝物庫と伝えられてきた。円墳であったが、墳丘ほとんど失われ、半壊状態の横穴式石室がほぼ真南に向かって開口露出している。
 玄室は、奥幅1.5m、前幅1.8m、奥行3.5mで、中央部が僅かに張りながら前方がやや広三味線胴部ような形をしている。

 側壁は自然石を3~4段積ん床幅より天井幅が狭まる持ち送り構造で正室の奥壁は一枚の鏡となっている。天井石は、現在は奥側の一枚のみが載っている。
玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)との仕切りは両袖式(りょうそでしき)で、羨道は側壁の基礎石が4個ずつ並ぶのみで完全ではないが、長さ3.0m、幅90cmである。
築造期は古墳時代後期にあたる6世紀末と推定され善光寺平現存する古墳中では最北端位置ている。

 かつて周辺に多数の古墳があったが、いずれも破壊され消滅し、当古墳のみ半壊まま放置されていたが昭和28(1953)に整備された。

平成23年3月31日 長野市教育委員会

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

現在の鎮座地 伊豆毛神社(長野市豊野町伊豆 

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)信濃国 48座(大7座・小41座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)水内郡 9座(大1座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊豆毛神社
[ふ り が な ]いつも かみのやしろ)
[Old Shrine name]Itsumo no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
出雲神社(イツモノカミノヤシロ)に関連する式内社

①出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)
出雲神社(イツモノカミノヤシロ)の論社

・素盞社〈出雲大社の本殿奥〉 

 

・諏訪神社(出雲市別所町) 

・富神社(出雲市斐川町富村) 

 

・長浜神社(出雲市西園町) 

周防國(スオウノクニ)佐波郡(サハノコオリ)
出雲神社(イツモノカミノヤシロ)二座の論社

・出雲神社(山口市徳地堀) 

 

・出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田) 

信濃國(シナノノクニ)水内郡(ミノチノコオリ)
 伊豆毛神社(イツモノミノヤシロ)の論社

・伊豆毛神社(長野市豊野町) 

伊豆毛神社【旧鎮座地】 延喜式の頃はここに鎮座

 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

豊野駅から 県道368号を北東へ約650m 徒歩8分程度の「伊豆毛神社」から北へ道のりにして約1km程 山を登った方向に在八雲台古墳に鎮座します

山を上がっていくと 道の具脇に 
市指定史跡 八雲台古墳横穴式石室あり

案内板にはこの古墳は、八雲台と呼ばれる伊豆毛神社旧社地にあり古来より神社の宝物庫と伝えられてきた。」とあります

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古墳の上部に 石碑があるようにも見えますが 夏ですので 草が生い茂り 藪漕ぎ以外には上がっていけません

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そのまま道なりに上り 裏手に廻ることにしました

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比較的傾斜の緩い所〈それでもかなり勾配はあります〉から古墳へと登ります

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石碑位置はわからないので ひとまず丘の頂上を目指します
すると 頂上の平坦なところに注連縄の掛かる石碑があります

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近づいてみると 刻まれた文字は摩耗して判別不明 外にも幾つか石碑が建っていて「八雲台」と刻まれたものはありますが 伊豆毛神社と銘記された石は周囲にはありません

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おそらく ここがかつて 大永3年(1523上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座するまでは 社殿が建っていた場所のような気がして 注連縄の掛かる石碑に 賽銭をおさめ お祈りをしました

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うろうろと石碑を探すと 南面の斜面に枯れた松があり その傍らに注連縄の掛かる石碑が見えました

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かなりの急斜面を杖を突きながら下るとありました
伊豆毛神社【旧鎮座地】(Izumo Shrine【Old location】)に参着

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大きな石に「伊豆毛神社」と刻まれた社号標が乗っています

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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この石の下には「八雲台」と刻まれた石が置かれています 『神社名鑑』に記されていたので解明できた御神紋〈人形三線〉が刻まれています

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斜面はきつく 下へと降りる道は草に覆われて見えないので 再び頂上へ上ります ちょうど石碑の真横迄上がった時に 石碑の真横に祀られた日が刻まれていました「御大典記念 大正四年十一月十日」

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再び 丘の裏手から 八雲台古墳横穴式石室前に戻り 振り返り一礼をします

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現在の鎮座地・伊豆毛神社(長野市豊野町下伊豆毛) 

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

大和国の式内社 出雲建雄神と同神であろうと記しています

【意訳】

伊豆毛(イツモノ)神社

倭姫世記 出雲神の子 出雲建子命いづもたけこのみこと一名 伊勢彦神いせつひこのかみ退令 住む信濃の国

信友云う 伊勢都彦付いて考あり別に云う
信地 今 按 出雲国 出雲々にイマス 日御碕神社と同神にや 又 貞観2年授 出速神 従5位下 この神おそらくは脱字あるへし 同15年4月授 出早雄神 従5位上 元慶2年2月授 出速雄神 正5位下
今 按 以上の神名 当社に当れり 
大和国式社 出雲建雄神やと見えたり 同号にて 建速須佐之雄命なるへし

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

御祭神は 出雲建子命と記しています

【意訳】

伊豆毛神社

伊豆毛は 仮字なり
〇祭神 出雲建子命
〇神代村に在す
〇倭姫世紀云う「出雲神の子 出雲建子命いづもたけこのみこと一名 伊勢彦神いせつひこのかみ

伊勢風土記 万葉注釈引用 云う 伊勢彦神 退令 住むに信濃国
頭注に 伊豆毛素戔嗚命なりと云うは粗漏なり

類社 丹波国 桑田郡 出雲神社下見すべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

祭神を社伝に従い「大己貴命」と記しています

【意訳】

伊豆毛神社

祭神 大己貴命

今按〈今考えるに〉
倭姫世紀に 出雲神子 出雲建子命 一名 伊勢津彦命とみえ 伊勢風土記に伊勢津彦神 近令 住む信濃国とある 伊勢津彦神は ここに由ありけなれど その御父神なる出雲神は 大己貴命なるべければ 今 社伝に従う

祭日 3月15日 7月18
社格 郷社
所在 神代村 伊豆毛(上水内郡神郷村大字豊野)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

特筆するのは 里俗の口碑実にこの地は 水内海の沿岸にして 西山東峰は自然の堤防となり 南峯北岳に波打ち寄せしは事実なるべく 現に大湖の遺物 常に散見する所なり」と大きな湖があり 出雲族の活躍の痕が記しています

【意訳】

長野縣 信濃國 上水内郡 神郷村 大字 豊野 字 下伊豆

郷社 伊豆毛(イヅモノ)神社

祭神 素盞嗚命(スサノヲノミコト)大己貴命(オホナムチノミコト)

創立の年代詳らかせずと雖も 延喜式 水内郡 伊豆毛神社とある神社なり
神名帳考証伊豆毛神社 伊勢津彦命 倭姫世紀に 出雲神子 出雲建子命 一名 伊勢津彦命とみえ 伊勢風土記に伊勢津彦神 近令 住む信濃国とある

神社覈録伊豆毛神社 伊豆毛は 仮字なり〇祭神 出雲建子命〇神代村に在す〇倭姫世紀云う「出雲神の子 出雲建子命いづもたけこのみこと一名 伊勢彦神いせつひこのかみ伊勢風土記 万葉注釈引用 云う 伊勢彦神 退令 住むに信濃国 頭注に 伊豆毛素戔嗚命なり

大日本神祇志に伊豆毛神社〇今在 神代村 伊豆毛の地 蓋祀 出雲大神

神祇志料伊豆毛(イヅモ)神社 今 神代村 伊豆毛にあり 出雲宮と云う 蓋 出雲神子 出雲建子命 一名 伊勢津彦命 一名 櫛玉命を祀る 〇按 社説に大己貴命を祭るとあれど 実は相殿に坐るを神功の世に高きより この神の神名のみ伝わりしなるべし 中略 凡3月15日を例祭とす

信濃地名伊豆毛ノ神社 今按 出雲國 出雲郡 出雲郷にいます日御碕神社同神にや 亦 貞観2年授 出速神 従5位下 この神おそらくは脱字あるへし 同15年4月授 出早雄神 従5位上 元慶2年2月授 出速雄神 正5位下 今 按 以上の神名 当社に当れり 大和国式社 出雲建雄神やと見えたり 同号にて 建速須佐之雄命なるへし 云々

里俗の口碑云う 旧村名 神代伊豆耕地なれば 伊豆神社称するは 神代より起りしものや 又 景行帝の朝 水理を治めて社檀を修められしと云うは これ水内海なるや 実にこの地は 水内海の沿岸にして 西山東峰は自然の堤防となり 南峯北岳に波打ち寄せしは事実なるべく 現に大湖の遺物 常に散見する所なり 之を野史に見るに「推古帝15年 大仁鳥臣住 東国に廻り箕野に至り科野 治める水内海 云々」と

而して この地は 又 信越通路の要道たりしなるべし
延喜年中神名帳にも記載せれたれば 神戸神田をも置かれたりしが如し 今 この地に御刀代神社あり 御刀代はミトシロ 又 ミタシロ この社 本年神社整理に合併 地を接して大田石牟體黄倉浅野等いづれも姓より出たる地名あり 昔時は境内も広潤にして 東西1里にわたり 南北2里に餘りて 末社12社あり
地を神代と云うは 或いは神領の義に出でしか 
現社地を隔てる5町余り北方の山腹平坦の地には
旧社地の遺跡と称する所あり 今 小祠を建つ 弘長文永の頃 伊豆毛大明神と改称し 
大永2年(1522)壬牛3月15日 現地に移す
天明6年(1786)10月 伊豆毛大明神を改めて 伊豆毛神社の旧称に復す

例祭は4月15日 即ち大永2年(1522)現地に移りし日を以ってこれを行う

又 特有の祭事 式年祭 除夜式 新嘗祭等の神事あり 
式年祭は 往古より50年毎にこれを行い
除夜式は 即ち 除夜に行うの祭儀にして神饌の調理幣帛の用意等まで 社司自らこれを行い 水は社前を廻る小川の清流を用い 更に人をしてこれを行はしめず
而して 翌日 元旦四方拝を庭前に行い 氏子崇敬者などの朝賀を受く

新嘗祭の事は 伊豆毛神社の年中行事に見えて 式は本社に於いて これを行わず 摂社 伊勢社に於いて行うの例たり 而して の神饌幣帛の如きいづれも皆 本秋の作物のみを用う 神酒の如き 亦 清酒を用いずして 今秋収穫の新米にて醸せる甘酒を供進するものとす 誠に千古の遺風を存する淳朴の神事たり 

社司を大田氏と云う 当社累代の神職にして 昔より今に至る連綿たり
古文書 及び 宝物の所蔵 亦少なからず 明治6年4月郷社に列す

社殿は 本殿 幣殿 祝詞殿 社務所を具備し 境内地567坪あり
樹木森立遠近の観望ありて 又四時の風致を存す

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

伊豆毛神社【旧鎮座地】(Izumo Shrine【Old location】) (hai)」(90度のお辞儀)

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