霹靂(ヘキレキ)神社は 「青天の霹靂(セイテンノヘキレキ)」で使われる「雷が激しく鳴ること」を意味する「霹靂」を社号にしています 三韓征伐から凱旋した神功皇后と伴に 御祭神の雷大臣命〈中臣烏賊津(ナカトミノイカツ)〉が 帰還し 上陸したと伝わる地「浜久須」に鎮座してます 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「對馬嶋 上縣郡 能理刀神社」の論社です
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 社号゛霹靂(かんとけ)゛の意味について
- 5 延喜式内社の内゛霹靂神社゛を社号としている社とその論社
- 6 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 7 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 8 『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
霹靂神社(Hekireki Shrine)
(へきれきじんじゃ or いかづちじんじや)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県 対馬市 上対馬町 浜久須 字 大石隈1074
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》雷大臣命(Ikatsuchioomi no mikoto)〈中臣烏賊津〉
日本大臣命(Yamatooomi no mikoto)〈中臣烏賊津の子〉
磯武良(Iso no takera)〈安曇磯良〉
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
・不詳
※伝説では 御祭神の雷大臣命〈中臣烏賊津(ナカトミノイカツ)〉が 神功皇后と伴に 新羅から帰還のとき 上陸したと伝わる地「浜久須」に鎮座してます
【由 緒 (History)】
朝日山古墳群(あさひやまこふんぐん)(対馬市指定文化財)指定年月日 平成17年5月1日
時 代 古墳時代(5世紀中葉)
地 番 対馬市上対馬町大増1073番地この岬を朝日山といい、頂上に霹靂神社(へきれきじんじゃ)の本殿(ほんでん)がある。
本殿の周りに古墳時代の石棺墓群が破壊され露出している。昭和23年(1948)東亜考占学会(とうあこうこがくかい)によって調査がおこなわれた。出土品は漢式鏡(かんしききょう)、鉄斧(てつおの)、鉄鎌(てつかま)、鉄鋤(てつすき)、鉄剣(てっけん)、鉄刀、紡錘車(ぼうすいしゃ)、須恵器(すえき)、百済系(くだらけい)、伽耶系(かやけい)、新羅系(しらぎけい)の土器である。
この古墳群の主墳と思われる石棺墓は 昭和48年復元、棺の内壁にはわずかに朱(赤色顔料)が残っており、被葬者の高い身分がうかがえる。
平成21年12月 対馬市教育委員会
霹靂神社(へきれきじんじゃ)の懸仏(かけぼとけ)(対馬市指定文化財)指定年月日 平成17年5月1日
時 代 鎌倉~室町時代
地 番 対馬市上対馬町大増1073番地霹靂神社参道の左側に祠(ほこら)があった。祠には鎌倉・室町時代の懸仏126面が奉納(ほうのう)されており、この内87面は比較的原型をとどめている。
対馬で多数の懸仏が一ヶ所に奉納されているのは 他に例がなく極めて貴重である。古くは御正体鏡(みょうたいきょう)とよばれ、神社の本地仏(ほんじぶつ)を銅鏡(どうきょう)などに、毛彫(けぼり)、浮彫(うきぼり)を施して御霊代(みたましろ)とした。
鎌倉後期から本地仏を銅に貼り付け、獅噛(しかみ)を装着して紐孔(ちゅうこう)とした。
平成21年12月 対馬市教育委員会現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 能理刀神社
[ふ り が な ](のりとの かみの やしろ)
[Old Shrine name](Noritono kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「對馬嶋 上縣郡 能理刀神社」の論社は2つです
① 能理刀神社(対馬 西泊)
② 霹靂神社(対馬 浜久須)
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社号゛霹靂(かんとけ)゛の意味について
社号゛霹靂(かんとけ)゛は 一般的には゛霹靂(へきれき)゛と云う
〇一般的な意味としては
1 かみなり いかずち 雷鳴 「青天の—」
2 雷が激しく鳴ること 落雷すること また大きな音が響き渡ること
〇神道的には
「神解け」(かみとけ・かむとけ)とも表記され 読み方について 緒誌では カントケの他カミトケ・ナルカミ・サクイカヅチ・ヒャクラク・ヘキレキなどと訓んで いわゆる雷神のこと
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延喜式内社の内゛霹靂神社゛を社号としている社とその論社
延喜式内社 大和國 宇智郡
宮前霹靂神社(みやさきのかんとけの かみのやしろ)
・宮前霹靂神社(五條市西久留野町)
・火雷神社(五條市御山町)
延喜式内社 石見國 邇摩郡
霹靂神社(ひゃくらくの かみのやしろ)
・霹靂神社(大田市温泉津町湯里)
・国分寺霹靂神社〈神楽岡八幡宮 境内〉(大田市仁摩町仁万)
延喜式内社 石見國 邇摩郡
國分寺霹靂神社(くにわけてらの ひゃくらくの かみのやしろ)
・国分寺霹靂神社〈神楽岡八幡宮 境内〉(大田市仁摩町仁万)
・五十猛神社(大田市五十猛町)
〈五十猛神社に合祀 霹靂神社〉
・國分寺霹靂神社(浜田市国分町)
社号゛霹靂(かんとけ)゛に関わる式内社の論社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「對馬嶋 上縣郡 能理刀神社」の論社 霹靂(ヘキレキ)神社は 「青天の霹靂(セイテンノヘキレキ)」で使われる「雷が激しく鳴ること」を意味する「霹靂」を社号にしています 三韓征伐から凱旋した神功皇后と伴に 御祭神の雷大臣命〈中臣烏賊津(ナカトミノイカツ)〉が 帰還し 上陸したと伝わる地「浜久須」に鎮座してます
對馬嶋 上縣郡 能理刀神社(のりとの かみの やしろ)
・能理刀神社(対馬 西泊)
・霹靂神社(対馬 浜久須)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
比田勝のフェリーターミナルから 県道39号を南下 約5km 車10分程度
現住所は大増 上対馬町の舟志(シュウシ)湾の最深部 浜久須漁港の脇 朝日山古墳群の中に鎮座します
浜久須漁港の奥に 赤い鳥居が建ち「霹靂神社」と記されています
霹靂神社(Hekireki Shrine)に参着
鳥居をくぐると 山の下部を切通した参道があり その先に海に面した鳥居が見えてきて 境内に出ると鳥居のすぐ目の前は 一面が海となっていて なんとも穏やかな気持ちになります
境内に出ると 今歩んできたのは裏参道で 本来の参道は この波一つない舟志(シュウシ)湾の最深部 浜久須の海からお参りする神社なのだと気付きます これから船には乗れませんが 鳥居の先には海へ下りる階段があり そこまで降りて 鳥居をくぐりたくなりました
浦は 実に穏やかな しかし 潮の満ち引きはかなりある様子で流れがわかります
簡単な動画を作成してあります
海際までさがりると岩壁にはカニが沢山います 一礼をして 鳥居をくぐります 鳥居の扁額には「霹靂神社」とあり
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の向かって右手には 何やら判りませんが 石が立てられています
拝殿の後ろに階段が見えます
拝殿の裏手に回ると 階段があり この岬の山が朝日山で 頂上に赤色の本殿が鎮座していました
海に面する鳥居の両脇には 五輪塔が建てられていて 神仏習合の名残りを感じながら 一礼をして 参道を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
吉刀神(キトノカミ)もしくは 告刀神(キトノカミ)と記されます
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下
従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
意訳
能理刀(ノリトノ)神社
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
亀兆傳 (釈記 所 引用)
〈『亀兆伝』 という鎌倉時代以前のものとみられる 亀卜祭文の古書〉亀津比女命(カメツヒメノミコト)〈亀卜祭文の亀の神霊〉
今称す 天津詔戸太詔戸命(アマツノリトノフトノリトノミコト)なり
【原文参照】