八所神社(豊山町豊場木戸)〈『延喜式』物部神社・髙牟神社〉

八所社(はっしょしゃ)は 物部氏一族により開拓されたこの地に 物部氏神〔大和の石上神宮より分神を勧請〕を斎き祀った社とされ 社伝に「和銅二年(709)創建 元 物部神社(八所太明神)と稱した」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへのかみのやしろ)であると云う 又 髙牟神社(たかむのかみのやしろ)とも云う

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八所神社(Hassho shrine

通称名(Common name)

八所社(はっしょしゃ)

【鎮座地 (Location) 

愛知県西春日井郡豊山町大字豊場木戸69

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》宇麻志麻治命(うましまぢのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

八所神社

祭神
 宇麻志麻治命
祭儀
 例祭 十月十日
 厄除神事 旧暦二月一日
 輪くぐり祭 旧暦六月三十日

由緒

 古書 延喜神名式約千年前に尾張春日部郡豊場郷に物部神社ありと記されている
この地域は 凡そ千五百年前頃から物部氏一族に依り開拓されたので物部氏の氏神 大和の布留の里にある石上神宮より分神を勧請し ここに斎き祀った。
社名は物部神社八所太明神と呼ばれていたが 明治初年 八所神社と定まった。

沿革

 祠宮 松浦家古文書に十八代孫助 元徳の時 織田信長より社領として田地八町歩の寄進を受ける
十九代惣七郎守範の時 豊臣秀吉同地を没収する
二十代孫右衛門勝信の頃 徳川忠吉が信長の朱印入り神領文を見て 改めて二十石を付ける
二十五代勝大夫守安の時 尾張三代藩主徳川綱誠の側室梅津の方 この宮に男児出生を祈願 心願成就の参詣に太刀一振と葵紋章大挑燈一対を奉献とあり 現在当社の社宝となっている。

現地石碑文より

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【由  (History)】

『西春日井郡誌』大正12年(1923)〉に記される内容

【抜粋意訳】

第十二章  第二節 神社 村社(幣帛供進指定神社)

八所神社

豐山村大字豐場字木戶六十九番地にあり。
宇麻志麻遲命、高御產巢日神、神御產巢日神、豊受姫神、月讀命、天之常立命大物主神八剣神を祀れる村社なり。
和銅二年の創建にして元 物部神社としたりしが、明治維新の際、所神社と改稱せらる。

創立の際、熱田八宮を勧請して祀りしこと記録に見ゆ、永錄三年 國主 織田信長、社領として田八町六段を献じたりしが、天正年間、豊臣秀吉の時 之を沒收せられしを以て 更に清洲城主 松平薩摩守に請ひ、其家老 小笠原忠重より年々高二十石、修繕料として永年寄附せらる。慶長年中 伊奈備前守、檢地の時社領取上げとなりし際石黒善九郎豊島作左衛門の両人より田二反歩を寄附し、永々除地となれり。元和年中、尾張藩主 源敬公 御鷹野の節、當社に立寄り祭文殿に少憩ありし際、當時の神官 松浦太夫 御茶を呈せりといふ。又 享保十八年九月宣揚院、當社へ御心願あり「丸の内奏紋付」提灯と「丸に葵紋付提灯を寄せらる。

慶長九年,清洲城主 松平薩摩守 家老小笠原監物より、銘吉光の白鞘脇差(長一尺七寸五分)を寄附す、尚 社寶の狛犬(高七寸横五寸)二は、明治二十五年一月三十日臨時全國寶物取調委員より登録狀を下附せらる。

境内六百七十四坪、古杉老檜鬱蒼として神殿を極。殿字に神殿、拝殿、祭文殿等あり。

境内神社に神明社(祭神 天照大神)津島社(祭神 須佐之男命)熱田社(祭神 日本武尊)田神社(祭神 菊理姫命)愛宕社祭神 火具土命稲荷社(祭神 倉稲魂命)源太夫社(祭神 平止與命)富士(祭神 木花咲哉姬命)多度(祭神 一目神)熊野社(祭神 伊弉諾尊)八幡社(祭神 譽田別尊)天道社(祭神 大日孁命)諏訪社(祭神 建御名方命祖霊社(祭神不詳)の十四社あり。

例祭は九月二十八日なり。

 闇のうちの郡のも宮の名もやつの所と神やさためし 正忠

【原文参照】

愛知県西春日井郡 編『西春日井郡誌』,愛知県西春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978660

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

 

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

八所神社(はっしょじんじゃ)は 二つの式内社〈物部神社 髙牟神社〉の論社となっています

①延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)

②延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)

①延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Mononohe no kaminoyashiro

②延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙牟神社
[ふ り が な ](たかむの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takamu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

古代豪族 物部氏(もののべうじ)と「式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)」について

物部氏(もののべうじ)は 太古の大和朝廷で 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と用命天皇2年(587)戦い敗れ 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります

『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています

尾張國の式内社には 高牟神社(たかむの かみのやしろ)が 春日部郡と愛智郡の二ヶ所に所載されています

延喜式内社 尾張國 春日部郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について

・高牟神社(名古屋市守山区)

・松原神社(春日井市東山町)

・高田寺白山社(北名古屋市高田寺)

・八所神社(豊山町豊場木戸)

・五社神社(春日井市玉野町)

・勝川天神社(春日井市勝川町)

延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について

・高牟神社(名古屋市千種区今池)

・高針高牟神社(名古屋市名東区高針)

・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄小牧線 春日井駅から県道27号・62号経由で西へ 名古屋空港の南端を廻り込むように約3.8km 車での所要時間は8~10分程度

少し道を間違えて 八所神社(豊山町豊場木戸)の北側を流れる大山川の土手から豊山町立新栄小学校の北隅を抜けて 豊山町役場の方から向かったような気がしました

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社殿 境内 社頭は南を向いています
しかし 社頭を一般道が横切っていて 鳥居はかつての参道 今 一般道の上に立っています

八所神社(豊山町豊場木戸)に参着

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社頭の玉垣の横は 常安寺の参道となっています

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社頭には「八所神社」の社号標と石灯籠が建てられています

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この門柱のようなものは 締柱でしょうか

拝殿の正面には 蕃塀が立てられています

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蕃塀越しに境内を見渡すと

正面に拝殿
向って右奥に覆い屋が二棟
向って左奥に境内社の祠が並んでいます

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向って右奥 覆い屋の内 一つには〈五社相殿の境内社〉秋葉社・熊野社(祭神 伊弉諾尊)天道社(祭神 大日孁命)八幡社(祭神 譽田別尊)諏訪社(祭神 建御名方命が祀られていました

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向って左奥〈境内社の6宇の祠〉向って左手前から

・〈境内社 相殿〉富士(祭神 木花咲哉姬命)白山社(菊理姫命)
・〈境内社〉多度(祭神 一目神)
・〈境内社〉稲荷社(祭神 倉稲魂命)
・〈境内社 相殿〉田神社(祭神 菊理姫命)愛宕社祭神 火具土命
・〈境内社 相殿〉津島社(祭神 須佐之男命)八幡社(祭神 譽田別尊)
・〈境内社 相殿〉源太夫社(祭神 平止與命)神明社(祭神 天照大神)

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥は 玉垣で囲われて 立ち入ることは出来ません

祭文殿が建てられていて その奥に本殿が祀られています

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本殿向かって右側には 御嶽信仰を窺うことが出来きます
登山記念の石碑が建つ 小高く盛土のされた御嶽の山頂部に〈境内社〉御岳神社が祀られています

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社務所の前には「町指定文化財 狛犬」の案内板が立てられていました

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈不明〉と記しています

【抜粋意訳】

物部神社

物部は毛乃倍と訓べし

〇祭神 宇麻志麻治命歟

○在所詳ならず

類社
 伊勢國飯高郡 物部神社の條見合すべし

神位
 國內神名帳云、從三位 物部天神、

式内社 高牟神社について 所在は゛山田庄高田寺村に在す、今白山と称す、゛〈現 高田寺白山社(北名古屋市高田寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

高牟神社

高牟は多加武と讀り

○祭神詳ならず

○山田庄高田寺村に在す、今白山と称す、〔府志〕

 張州府志云、集説以ニ 此祠爲ニ 小高苑神社、按、和名鈔曰、春日部郡高苑、中世稱ニ 高田郷、然則小高園祠 亦當在ニ 此邑、今不可尋、

類社
 當國愛智郡 高牟神社

神位
 國内神名帳云、從三位高牟天神、〔一本作高見〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 物部神社について 所在は゛味鋺神社 東北二町、摂社 天神 即是也゛〈現 味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉〉と記しています

【抜粋意訳】

物部神社

 味鋺神社 東北二町、摂社 天神 即是也、〔尾張式社調、〕

 間見 宇麻志麻を祭る、
〔参取舊事紀、本社 傳説、神体佛銘、〇按 本村 二子山に周一町餘にして、四至 堀あり、土人 宇麻志麻の古陵と云ひ、祭り毎に社人幣を此陵に備ふと云ふ、附て後考を俟つ、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

式内社 高牟神社について 所在は゛安食庄瀬古村にあり、高見島天神と云、゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区)〉と記しています

【抜粋意訳】

高牟(タカムノ)神社

 安食庄瀬古村にあり、高見島天神と云、〔尾張國式社確定〕

高御產靈尊を祭る、〔本社傳説〕

毎年八月廿五日祭を行ふ、〔愛智縣神社調〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は記入されていません

諸説として三つを挙げています
篠木庄松本村諸大明神゛〈現 諸大明神社(春日井市松本町)
一色圧豊場村八所明神゛〈現 八所神社(豊山町豊場木戸)
味鋺村なり゛〈現 味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉

【抜粋意訳】

物部神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 本社 篠木庄松本村 諸大明神ならんと云へど 諸と物部と音の近きよりの考にて定めがたし又 一色圧豊場村八所明神と云も この邊に和名抄山田郡神と云地名廣くのりたれば春日郡にはあらじ 又 味鋺村なりと云説もあれど 確なければ信がたし

姑附て考を俣

式内社 高牟神社について 所在は゛安食村瀬古村〔字高見島〕(東春日井郡坂下村大字瀬古 郷社 高牟神社)゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区)〉と記しています

その他の説として 3説を挙げているが証するものがない と記しています
高田寺村白山社゛〈現 高田寺白山社(北名古屋市高田寺)
勝川村下原村にもあり゛〈現 勝川天神社(春日井市勝川町)
豐場村 八所明神゛〈現 八所神社(豊山町豊場木戸)

【抜粋意訳】

高牟神社

祭神 高皇產靈神

 今按 社傳 高皇產靈尊の外に國常立尊 豐斟渟尊 國狹槌尊をも祭ると云へど信がたし 故今とらず

祭日 八月二十五日
社格 村社(明細帳に郷社)

所在 安食村瀬古村〔字高見島〕(東春日井郡坂下村大字瀬古 郷社 高牟神社)

 今按 尾張國式社考に張州府志に高田寺村白山社を高牟神社とするは據もなく高牟と高田とまかふべき地名にも非れば取がたし
 勝川村下原村にもありと云ひ
 豐場村 八所明神なるべしと云説もあれど 何れも證なしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

八所神社(豊山町豊場木戸) (hai)」(90度のお辞儀)

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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