花長下神社(はなながしもじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』美濃國大野郡に所載の式内社です 御祭神「赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかぶすまいのおおすみひこさわけのみこと)」は『出雲国風土記』に登場する神とされ 同地区には 御祭神が夫婦神同士 祭礼が交互に行われるなど密接な関連の式内社 花長上神社も坐まします
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 ヒメハルゼミ生息地を社叢に同じように持つ 式内社 大和佐美命神社(鳥取市上砂見)
- 5 『出雲國風土記733 AD.』に 登場する 夫婦神の御祭神について ・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)〈夫神〉 ・天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)〈后神〉
- 6 遠く離れた出雲国(島根県)と美濃国(岐阜県)の関連性について
- 7 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 8 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 9 美濃国 式内社 39座(大1座・小38座)について に戻る
- 10 東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
花長下神社(Hananagashimo shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼848番地の1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》赤衾伊農意保須美比古佐和気能命
(あかぶすまいのおおすみひこさわけのみこと)
比古佐和気能命
(ひこさわけのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
【創 建 (Beginning of history)】
由緒由来
創建年月不詳
花長上神社より南十二町余も距る桐之輪の奥の地に鎮座あり
社号は下鼻長大明神と元??皇記に見えたり 又 鳶岩村藩神社調書に下花長大明神社額に鼻長大明神と掲けり(但 享保年間額)故 延喜式神名帳曰 美濃國大野郡三座之内 花長下神社
故れ里傳の因る所を探るに 花長上下両社は御夫婦の神なり 故に舊例祭は隔年に之を行と云う 此傳真に實を得たりと云うべしそは出雲風土記を案するに 天甕津日女命の夫神は 赤衾伊農意保須美比古佐和気能命也 既に天甕津日女命 上の花鹿山の花長神の祭神たれば 必すやこの下の花長は その夫神たらずして何ぞや尓りとも別に確とす可きなし
故れこの本村の旧号たるや正親村なり 正親町天皇の謚号を避けて 名禮村と改号せりと云ふ しかれば正親村は意保幾村にして 意保幾は伊農意保須美比古佐和気能命の意保須美の切なり 且つ轉りたるものか 夫れ須美の切なさ志なり 志の横道幾なれば 意保志を意保幾と通はせるは常ある例なれば 本村名は 實は 祭神 意保須美比古佐和気能命より出たるものなれば
茲に当社は明治六年一月縣命によりて郷社の格に額めて崇奉せり岐阜県神社庁HPより
【由 緒 (History)】
天然記念物 ヒメハルゼミ(谷汲村名礼)
昭和十三年に谷汲村名礼 在住の平井賢吾さんが 当花長神社境内で発見し、国の天然記念物の指定を受けた日本でも一・二ヶ所にのみ生息するという珍しいセミです。体長30mm、細長く小さなセミで、一見アブに似ており一匹では鳴かず 六十匹から百匹で合唱するのが特徴で 別名ツレセミとも言われています。
また、このセミは かしの木の根を伝い 土中2m位のところに幼虫として6年間を過ごし、7年目に地上に成虫として姿を現わし、かしの葉の裏にとまり保護色を利用して外敵から身を守り、一週間の生命を燃やすのです。なぜかこの神社の境内しか生息せずその理由は未だ不明です。
谷汲村商工会現地案内板より
同じく 国の天然記念物 ヒメハルゼミの生息地とされる神社
・白山神社(糸魚川市能生)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美濃国 39座(大1座・小38座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大野郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 花長下神社
[ふ り が な ](はななかのしもの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hananakanoshimo no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
美濃国大野郡の 花長上神社(はなながかみじんじゃ)と花長下神社(はなながしもじんじゃ)について
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社』で美濃国大野郡〈岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧谷汲村)〉に
赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)と天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)の夫婦神を祀る神社があります
古代出雲との深い関連性や繋がりを感じます
花長上神社(はなながかみじんじゃ)
《主》天甕津姫命(あめのみかつひめのみこと)〈后神〉
・花長上神社(揖斐郡揖斐川町)
花長下神社(はなながしもじんじゃ)
《主》赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)〈夫神〉
・花長下神社(揖斐郡揖斐川町)
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ヒメハルゼミ生息地を社叢に同じように持つ 式内社 大和佐美命神社(鳥取市上砂見)
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『出雲國風土記733 AD.』に 登場する 夫婦神の御祭神について
・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)〈夫神〉
・天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)〈后神〉
『出雲國風土記733 AD.』には「(いぬ)の郷」が二ヶ所登場
「秋鹿郡 伊農(いぬ)郷」・「出雲郡 伊努(いぬ)郷」で それぞれに「伊努社(いぬ)のやしろ」が 所載されています
・秋鹿郡 伊農(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」について
伊努神社(出雲市美野町)の御祭神は 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)を主祭神として祀ります
「出雲国風土記」の国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の御子神・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)の后神です
・出雲郡 伊努(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」について
伊努神社(出雲市西林木町)の御祭神は
「出雲国風土記」の国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の御子神・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)を主祭神として 配祀神にその后神 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)を祀ります
遠く離れた出雲国(島根県)と美濃国(岐阜県)の関連性について
出雲国(島根県)と美濃国(岐阜県)に 同じ御祭神 夫神「赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)と 后神 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)」が祀られています
さらに
花長下神社(揖斐郡揖斐川町)の境内しか生息せずその理由は未だ不明とされる「ヒメハルゼミ」〈日本でも一・二ヶ所にのみ生息するという珍しいセミ〉について 揖斐川町役場公式HPにこのセミについて「現在、岐阜県、島根県の2県に生息しているといわれている」との記述があります
ヒメハルゼミ生息地
現在、岐阜県、島根県の2県に生息しているといわれている。
うす緑色の透明な羽根をもつ小型のせみで、鳴くのは7月中である。
幼虫はウラジロガシの木の根に生育する。揖斐川町役場公式HPより
もしも 美濃国 大野郡に出雲系の人々が 初期開拓者として移住したとしたら その時に一緒に この「ヒメハルゼミ」もこの地にやって来たのだろうかと想いを馳せます
出雲 伊努神社 ⇒ 美濃 花長下神社との位置関係
Google マップで見ると良くわかりますが ほぼ同緯度に位置しています
古代出雲から美濃 大野郡への移動経路の推測
古代の人々は 移動手段には水路を利用するのが一般的とされています
特に水利に長けた古代の出雲の人々が 美濃 大野郡へ移り住んだ経路を水路とするならば 比較的容易な移動であっただろうと思われます
例えば経路として
①日本海沿いに東へ進み「福井県の小浜」
➁「小浜」辺りから「北川」を遡上して 鯖街道と呼ばれている古道を通り「寒風峠」を越えると 「石田川」が流れ 琵琶湖の北西岸 滋賀県「高島市」に着きます
➂琵琶湖の北側沿岸沿いに対岸の滋賀県「長浜」辺りへ
④「長浜」から「関が原」経由で 美濃国「岐阜県」へ入ります
➄揖斐川を遡上すれば到着
御祭神〈信仰〉とともに地勢的にも 移住も可能ですし 交流も可能であったと思われます 出雲との深い関係性をうかがわせます
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
樽見鉄道の谷汲口駅から西へ約6km 車15分程度
谷汲名礼地区の里に入って 花長下神社の鎮守の杜と田と山々が望める 南の山間部への一本道の参道があり とても穏やかな景色ですが 当日は暗雲がたちこめています
山間部への一本道の参道の右手に鳥居と社が建っています
花長下神社(揖斐郡揖斐川町)に参着
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けます 横には「岐阜県天然記念物 ヒメハルゼミ生息地」の表示杭があります
鳥居と社殿の中間地点には 石積みがされていて 石灯篭が立てられています
人々が 参道の正中にあたる場所を通らないようにの配慮でしょうか?
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 覆屋根の下に本殿が鎮座しています
社殿に一礼をして 境内を出ようとします
すると にわかに 境内には 暗雲の隙間から陽射しが差し込み始めました
陽射しの中を鳥居から外へと抜けます
山間部への一本道の参道を進みます
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在は 名礼村〈現 花長下神社(揖斐郡揖斐川町名礼)〉と記しています
【意訳】
花長下神社
花長は 前に同じ 下は志毛と訓ずべし
〇祭神 詳らかならず
〇名禮村に在す 明細帳
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在について 名礼村〈現 花長下神社(揖斐郡揖斐川町名礼)〉と記しています
【意訳】
花長下神社
祭神
祭日
社格 郷社所在 (明細帳に名禮村とあり)(揖斐郡 谷汲村 大字名禮)
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
出雲風土記を案ずるに この社の神は夫神「赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかぶすまいのおおすみひこさわけのみこと)」に坐(まし)ますこと明らかなり と記しています
【意訳】
岐阜縣 美濃國 揖斐郡 谷汲村 大字名禮
郷社 花長下神社(ハナガシモノ カミノヤシロ)
祭神 不詳
創建年代詳らかならず、
祭神は一説に 赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかぶすまいのおおすみひこさわけのみこと)なりと、
当社も亦 式内社たり、神名帳考証に・・・・・
神社覈録には「祭神 詳らかならず 名禮村に在す」とあり、
神祇志料には、「今 名禮村にあり、花長明神と云う」と見えたり、
新撰美濃志に、「名禮村は木曾屋の東南にあり、御料七百三十七石九斗六升六合、七社大明神は村内にありて、猿田彦大神を祭れり、延喜式神名帳に大野郡 花長神社と見え、美濃神名帳に正一位 花長大神としるしたるは此社なり」とあれども、その上社を指せるものか、或いは当社のことを云うたるものか今定かならずとも、神社覈録は上社とせり、尚考えるべし、社伝に花長上下両社のこと、花長上社のそれに同じ、出雲風土記を案ずるに、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)の夫神は 赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)なりとあるを見れば、上の神社は婦神に坐(まし)まして、この社の神は夫神に坐(まし)ますこと明らかなり、
而して その花長上神社と称するは、本社を距ること十二町餘り北にあり、明治六年一月郷社に列せらる。
社殿は本殿、拝殿を備え、境内坪数千五百八十九坪を有す。例祭日 九月七日
【原文参照】
花長下神社(揖斐川町谷汲名礼)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)