八幡神社〈八幡大神市姫神社〉(舞鶴市市場)〈延喜式内社の論社〉

八幡大神市姫神社(はちまんおおかみ いちひめじんじゃは 古老の口伝には 創立の年代等不詳だが 白糸浜は北海鎮護の要港で 往昔 厳島より市杵姫大神 白糸浜の御碕に鎮座され 海鎮明神と尊称された 中世 市杵姫大神の御神託により 宇佐八幡大神を合殿に奉祀して いつしか諸人 八幡神社と称するようになったと云う

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡神社Hachiman shrine

通称名(Common name)

八幡大神市姫神社(はちまんおおかみ いちひめじんじゃ

【鎮座地 (Location) 

京都府舞鶴市市場字市場126-4

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別尊(ほむたわけのみこと)
   市姫大神(いちひめおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

八幡大神市姫神社 由緒

 当神社の祭神は誉田別尊、市杵姫大神を奉祀し市杵嶋姫大神と称せられたり。古老の口伝に依れば、創立の年代等不詳なれど、白糸浜は北海鎮護の要港なり。往昔厳島より市杵姫大神 白糸浜の東市場宮ノ谷の御碕に鎮座され、専ら海上の守護神として、御神威赫々たり。奇瑞霊験を蒙る者少なからず大神を海鎮明神と尊称されていたが、中世 市杵姫大神の御神託により、宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより御神験益々高まり神徳輝きいつしか諸人 八幡神社と称するようになった。

 爾来 繁栄続きたるも、応仁の乱の頃 戦禍に依り衰微せるため天正年間中 市場城城主 逸見駿河守これを嘆き、神殿を修造さる 慶長年間 田辺城主 細川越中守 特に当神社を敬し海防の神として神田を寄進し、十一月八日の御火焚神事を復古せられたり。

 元文四巳未十一十一 領主牧野家大内御殿より木造鳥居を御寄進あり。天命二十六 領主牧野豊前守 棟梁として神殿を御造営せらる。

 明治三十年正月市場の青年団結し、石鳥居を奉納する。
 明治三十二二十八 八幡神社市杵姫神社の額字を正三位油小路隆薫氏より寄進あり、現在の石鳥居の題字なり。

 大正二十四日神饌幣帛供進及び合計法適用に指定せらる。
 大正十三 敦鶴線工事により境内の一部を買収されたる為、境内の拡張工事を起こし、氏子一同の寄進に依り大正十三月に現在の境内が完成する。

平成五年七月吉日 八幡神社奉賛会

現地案内板より

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【由  (History)】

『丹哥府志(たんかふし)』1763~1841年〉に記された内容

延喜式内社 奈具神社は 今は市姫大明神 と称されている と記されます

【抜粋意訳】

丹哥府志 巻之八 加佐郡 第一

〇市場村

 矢之助村の次 若狭街道

奈具神社 延喜式

奈具神社 今 市姫大明神と称されふ

【原本参照】

丹哥府志の原本 京丹後市指定文化財(京丹後市)
https://jpsearch.go.jp/item/arc_books-mai32_12

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

八幡大神市姫神社 社殿

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八幡大神市姫神社 本殿

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八幡大神市姫神社 拝殿

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・手水舎

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〈三段構成の境内 中段に祀られる境内社群〉

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・稲荷神の祭壇

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〈正面の境内社6社

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・稲荷大神

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・疫神・北野神社・箭取神社・松尾神社・乙女神社

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〈向かって右側の境内3社

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・大川神社

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・天照大神・兵主大神・愛宕大神・大川大神・稲荷大神

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・天照皇大神

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・二の鳥居

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・二の鳥居 前の踏切

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・一の鳥居

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

丹後國風土記 逸文奈具社の条に記される゛和奈佐老父(わなさおきな)和奈佐老女(わなさおみな)と天女゛の伝承

「丹後國風土記曰、丹後國丹波郡。郡家西北隅方 有比治里。此里比治山頂有井 其名云眞名井。今既成沼 此井天女八人 降來浴水干時 有老夫婦 其名曰和奈佐老夫和奈佐老婦…」とあり 和奈佐老夫(わなさおきな)・和奈佐老婦(わなさおつな)という老夫婦が天女を欺いた話が記されています

【抜粋意訳】

丹後國風土記 逸文 比治真奈井 奈具社

丹後国風土記に云う

丹後国(たにはのみちのしりのくに)丹波郡(たにはのこほり)群家の西北の隅の方に比治里(ひぢのさと)が有る

此の里の比治山(ひぢのやま)の頂に井が有る その名を云うに麻奈井(まなゐ) 今は既に沼と成る

 此の井に 天女が八人 降り来て 水浴びをした この時 老夫婦が有った その名は 和奈佐老夫(わなさおきな)・和奈佐老婦(わなさおつな)と云う
この老等は 井に至っていた

密かに一人の天女の衣裳をかすみ取 隠した それから衣裳の有る天女は皆 天に飛び上った ただし 衣裳が無い天女は一人留まり それから その身を水に隠して 獨(ひとり)恥じて居た

 ここに老夫が天女に言うに「私が請うに 天女娘(あまつをとめ) お前を我が子としたい」 天女は答えた「私は独り 人間(ひとのよ)に留っている どうして従わないでしょうか 請うに衣裳を下さい」 これに老夫は曰く「天女娘よ なぜ欺く心があるのだ」 天女が云う「およそ天人の志は信じることに為っている 何に多く疑って衣裳をくださらないのか」 老夫は答えた「多くを疑い信じ無い これが地上の常だ だから疑心でわたさない」 そこで遂に衣裳をゆるし 一緒に自宅に連れ帰る そのまま十年あまり一緒に住んだ

 ここに天女は善(よい)酒を醸し 一杯飲めば 病は除かれて悉く治った その一杯は 直(あたひ)が財を車に積んで送るほど価値があった この時 その家は土形(つぢから)豊かに富んだ 故に土形里(ひぢかたのさと)と云う ここから中間 今に至るまで 比治里(ひぢのさと)と云う

 この後 老夫婦は 天女に曰く「お前は我が子にあらず しばらく仮住まいさせたが 早々に出て去れ」 天女は天を仰いで慟哭(なげき)地に伏して哀(かなしみ)そして老夫らに言った「私は自分の意志で来たのにあらず 老夫の願いに従って天を去ったのだ なぜ悪心を起こし すぐに出て去れ と言えるのか」 すると 老夫は増々憤慨し 去るように願った

 天女は涙を流した わずかに門の外に出て 郷人(さとびと)に曰く「久しく人間(ひとのよ)に沈んで 天に還れない 親も無く 居る所も知らない 私はどうしたよいのか いかんともしがたい」と涙を拭き嘆き 天を仰いで 歌った

「天の原 振放見れば 霞立ち 家路惑ひて 行方知らずも」

 遂に退去して 荒鹽村(あらしほのむら)に到り 天女は 村人たちに云う「老夫婦の意を思うと 我が心は荒鹽(あらしお)と異なることはない」 よって比治里の荒鹽村と云う また 天女は丹波里の哭木村(なききのむら)に到り 槻木に哭(なげき)故に哭木村と云う

 また 天女は竹野郡(たかぬのこほり)船木里(ふなきのさと)の奈具村(なぐのむら)に到り そこで村人たちに云う「此処で 私の心は奈具志久(なぐしく)〈平穏〉になった」 この村に留り これが いわゆる竹野郡の奈具社(なぐのやしろ)に坐す 豊宇加能賣命(とようかのめのみこと)です

【原文参照】

栗田寛 纂訂『古風土記逸文』上,大日本図書,1898. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993824

栗田寛 纂訂『古風土記逸文』上,大日本図書,1898. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993824

栗田寛 纂訂『古風土記逸文』上,大日本図書,1898. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993824

天女が酒を造ったという伝承が残る 多久神社について

詳しくは別記事を参照ください

延喜式内社 丹後國 丹波郡 多久神社(たくの かみのやしろ)

・多久神社(京丹後市峰山町丹波)

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)加佐郡 11座(大1座・小10座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 奈具神社
[ふ り が な ]なくの かみのやしろ
[Old Shrine name]Naku no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

丹後國の式内社には 加佐郡と竹野郡の二ヶ所に゛奈具神社(なくの かみのやしろ)゛が所載されています

延喜式内社 丹後國 加佐郡 奈具神社(なくの かみのやしろ)の論社について

・奈具神社(宮津市由良)

・八幡大神市姫神社(舞鶴市市場)

延喜式内社 丹後國 竹野郡 奈具神社(なくの かみのやしろ)の論社について

奈具社は現在 船木奈具に鎮座します その旧鎮座地は奈具村で 嘉吉三年 (1443)の大洪水によって全村流失した〈遺跡地は未詳と伝えられ 奈具社祭神は 溝谷神社(京丹後市弥栄町溝谷)に移され 谷神社相殿 船木奈具神社が遷座されました
船木村が 天保三年 (1832)式内号 霊石〈靈爾〉の返還を求め 明治六年 (1873)返還命令が出され 奈具神社(京丹後市弥栄町船木 奈具)は 霊石を奉り現在地に再建されたものです

船木奈具神社の御神体は 現在も谷神社相殿に鎮座しています

・奈具神社(京丹後市弥栄町船木 奈具)

・溝谷神社(京丹後市弥栄町溝谷)〈相殿 船木奈具神社〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

舞鶴港は 古代から天然の良港で大陸との交易 江戸時代には 北前船の寄港地でもありました

明治時代には 日本海側唯一の海軍鎮守府舞鶴鎮守府が開府 軍港として発展し 現在も海上自衛隊基地があります

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八幡大神市姫神社へは JR小浜線 東舞鶴駅から線路沿いに北東へ約2.0km 車で5~6分

八幡大神市姫神社舞鶴市市場に参着

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一の鳥居の扁額には゛八幡神社・市姫神社゛と二つの神社名が記されています

一礼をして鳥居をくぐり 参道を進みます

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八幡大神市姫神社の参道には JR小浜線の線路があり 踏切を渡って 二の鳥居へと進む ちょっと珍しい構造になっています

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踏切には 遮断機はありませんから 右左を確認して進みます

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二の鳥居をくぐると 左手には 御神木の大木が左手にあり

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正面に石垣があり 境内は三段構え 中段には 境内社が9社ほど祀られています 上段には社殿が見えています

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中段の右手に 境内社が三社

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続いて 境内社が祀られます

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稲荷神の祭壇があり その先で参道は右に折れて 上段の境内へと石段が続きます

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上段の境内は 苔むして 味わいのある空間です 左手の奥に祀られているのは 井戸のようです

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右手にはさらに 境内の上段があり 社殿が祀られています

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石垣下には由緒書きなどの案内板があります

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手前の古い狛犬は 頭部の劣化が激しい 近隣の神社でも同様の事が見受けられたが 何かあったのか?

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥 さらに一段高い所に 本殿が祀られています

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本殿の脇から見下ろすと 踏切を渡る二の鳥居が下の方に見えています

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社殿に一礼をして 境内を戻ると 拝殿の正面の山へと階段が付けられています 何かあるのだろうか?

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一段低い境内社の祀られる中段の境内を戻ります

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二の鳥居を過ぎて 踏切を渡り 社頭に向かいます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 奈具神社について 所在は゛詳ならず゛不明と記しています

【抜粋意訳】

奈具神社

奈具は 假字也

〇祭神 豊宇氣比女神、今 天避社、又 酒社と稱す、

〇在所 詳ならず

〇當國 竹野郡奈具神社もあり

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 奈具神社について 所在は゛今 由良村にあり、゛〈現 奈具神社宮津市由良宮ノ上〉と記しています

【抜粋意訳】

奈具(ナグノ)神社

今 由良村にあり、〔神社明細帳、神社道志流倍〕

盖 豊宇賀能賣命を祭る、〔参酌丹波風土記、神名秘書〕

凡 其祭九月十四日を用ふ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 奈具神社について 所在は゛由良村字宮本 (加佐郡由良村大字由良)゛〈現 奈具神社宮津市由良宮ノ上〉と記しています

【抜粋意訳】

奈具(ナグノ)神社

祭神 豊宇氣比賣(トヨウケヒメノ)命

祭日 九月十四日
社格 村社

所在 由良村字宮本 (加佐郡由良村大字由良)

 今按 式内神社道志流倍に由良嶽と云 高山に虚空藏を祭る奈具ケ峠と云 今長尾峠と云 とある所在の證とすべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

八幡大神市姫神社舞鶴市市場 (hai)」(90度のお辞儀)

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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