二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 1.1 【神社名(shrine name)】
- 1.2 【鎮座地 (location) 】
- 1.3 [地 図 (Google Map)]
- 1.4 【御祭神 (God's name to pray)】
- 1.5 【御神格 (God's great power)】(ご利益)
- 1.6 【格 式 (Rules of dignity) 】
- 1.7 【創 建 (Beginning of history)】
- 1.8 【由 緒 (history)】
- 1.9 創建者とされる 奈良別王(Narawake no kimi)を祀る神社があります ・奈良之神社(Nara Shrine)の記事をご覧ください
- 1.10 その旧蹟や御陵と伝わる古墳も残っています 奈良神社【旧跡】& 横塚山古墳(熊谷市) の記事をご覧ください
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 3.1 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に所載 下野国 河内郡 二荒山神社(Futaarasan no kamino yashiro)(貞・名神大)の論社について
- 3.2 ・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
- 3.3 ・本宮神社(Hongu Shrine)の記事をご覧ください
- 3.4 ・二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi) ・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください
- 3.5 ・宇都宮二荒山神社(Utsunomiya Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
- 3.6 ・二荒山神社 下之宮(Futarasan Shrine Shimonomiya)の記事をご覧ください
- 4 神社にお詣り(Pray at the shrine)
- 5 神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
- 5.1 ・12月「冬渡祭」 ・ 1月「春渡祭」どちらも「おたりやさい」と呼ばれます
- 5.2 創建者とされる 奈良別王(Narawake no kimi)を祀る神社があります ・奈良之神社(Nara Shrine)の記事をご覧ください
- 5.3 その旧蹟や御陵と伝わる古墳も残っています 奈良神社【旧跡】& 横塚山古墳(熊谷市) の記事をご覧ください
- 5.4 ・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
- 5.5 ・本宮神社(Hongu Shrine)の記事をご覧ください
- 5.6 ・二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi) ・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください
- 5.7 ・宇都宮二荒山神社(Utsunomiya Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
- 5.8 ・二荒山神社 下之宮(Futarasan Shrine Shimonomiya)の記事をご覧ください
- 6 「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る
- 7 下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
二荒山神社 下之宮(Futaarayama Shrine Shimonomiya)
(ふたあらやま じんじゃ しものみや)
【鎮座地 (location) 】
栃木県宇都宮市馬場通
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》豊城入彦命(toyokiirihiko no mikoto)
《配》大物主命(omononushi no mikoto)
事代主命(kotoshironushi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社(名神大)の元宮
・ 下野国一之宮(Shimotsuke no kuni ichinomiya)の元宮
【創 建 (Beginning of history)】
下野国一之宮 二荒山神社 攝社 下之宮
当神社は二荒山神社の発祥の地(荒尾崎)に創建された神社で「二荒山神社攝社下之宮」と称し 御祭神は本社(臼ヶ峰)に鎮斎される二荒山神社と同神 「豊城入彦命」をおまつりしております。
ご由緒は大変古く 第16代 仁徳天皇の御代 下毛野の国造であつた奈良別王が 東国治定の功績高い 豊城入彦命を御祭神として 国社をこの地に建立
後世838年に峰続きの臼ヶ峰に本社を造営し 発祥の聖地を下之宮として永く奉斎してきました。
下之宮は長い歴史の中で丘陵は道路で分断され、招魂社は護国神社として移設しおよりの鐘は寺領に納め 更に小高い丘は削減し ビル陰にて奉祀されてまいりました。
相生町再開発事業と共に由緒深き聖地に下之宮のご復興をみたものである。
境内案内板より
【由 緒 (history)】
主祭神、豊城入彦命は、第十代崇神天皇の第一皇子であらせられ、勅命を受けて、東国治定のため、毛野国(栃木県・群馬県)に下られました。
国土を拓き、産業を奨励し、民を慈しんだので、命の徳に服しました。その御子孫も東国にひろく繁栄され、四世の孫奈良別王が、第十六代仁徳天皇の御代に下野の国造となられて、国を治めるに当たり、命の偉業を偲び、御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せて、国土開拓の神、大物主命・事代主命を祀られました。
その後 承和5年(838)に現在地の臼ヶ峰に還座されました。以来、平将門の乱を平げた藤原秀郷公をはじめ源義家公、源頼朝公、下って徳川家康公などの武将の尊崇を受けられました。
古くは、延喜式内社名神大、当国一之宮、明治になって国幣中社に列せされ、「お明神さま」の名でひろく庶民に親しまれ、篤く崇められてきております。宇都宮の町も、お宮を中心に発展してきたので、町の名も社号をそのまま頂いてきており、市民憲章にも「恵まれた自然と古い歴史に支えられ、二荒の杜を中心に栄えてきた」と謳われています。
「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から
創建者とされる 奈良別王(Narawake no kimi)を祀る神社があります
・奈良之神社(Nara Shrine)の記事をご覧ください
その旧蹟や御陵と伝わる古墳も残っています
奈良神社【旧跡】& 横塚山古墳(熊谷市) の記事をご覧ください
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下野国 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河内郡 1座(大)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社名 ] 二荒山神社(貞・名神大)
[ふ り が な ](ふたあらさんの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[How to read ](Futaarasan no kamino yashiro)(myojindai)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に所載
下野国 河内郡 二荒山神社(Futaarasan no kamino yashiro)(貞・名神大)の論社について
現在 論社とされている神社は 全部で6神社あります
日光に4神社と宇都宮に2神社が鎮座します
・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)
・本宮神社(Hongu Shrine)
・二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)
・宇都宮二荒山神社(Utsunomiya Futarasan Shrine)
・二荒山神社 下之宮(Futarasan Shrine Shimonomiya)
それぞれの記事をご覧ください
・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
・本宮神社(Hongu Shrine)の記事をご覧ください
・二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください
・宇都宮二荒山神社(Utsunomiya Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
・二荒山神社 下之宮(Futarasan Shrine Shimonomiya)の記事をご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
宇都宮二荒山神社の大鳥居画面する大通りの反対側に鎮座します
二荒山神社 下之宮(Futaarayama Shrine Shimonomiya)に参着
歩道と一体となった境内地には 鳥居が建ち
コンクリート製の社殿(立派な屋根付きの拝殿か?)
その奥に 石垣の上に玉垣が回り 本殿が建ちます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
・12月「冬渡祭」
・ 1月「春渡祭」どちらも「おたりやさい」と呼ばれます
二荒山神社は 平安時代前半の承和5年(838)に 下之宮から臼ヶ峰(現在地)に還座しました
その時の記憶が 祭りとして現在も継承されています
「春渡祭(おたりやさい)」は、宇都宮市民に正月の終わりを告げる二荒山(ふたあらやま)神社の夜祭として知られ、夕刻より行われる神事では宇都宮市指定文化財の田楽舞が奉納され、神輿の渡御があります。
二荒山神社のご祭神を下(しも)の宮(みや)がある荒尾崎から現在の臼が峰に遷座したことが祭礼の始まりとも伝えられ、
一般に神社の遷座の儀式は夜に行われるものであり、二荒山神社でも夜に行われたことから、これを「渡り夜」と呼ぶようになり、後にこれが訛り、「おたりやさい」と呼ばれるようになったと伝えられています。12月を「冬渡祭」、1月を「春渡祭」と書き、どちらも「おたりやさい」と呼んでいます。
当日は、二荒山神社の社殿東側に設けられた焚き上げ所では「お焚き上げ」が行われ、正月飾りを焚き上げ、市民に正月の終わりを感じさせる祭りになっています。この煙にあたると、家内安全や無病息災、火災防止などのご利益があると伝えられ、多くの人々が参拝に訪れます。
宇都宮市公式HPより
二荒山神社 下之宮(Futaarayama Shrine Shimonomiya)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
創建者とされる 奈良別王(Narawake no kimi)を祀る神社があります
・奈良之神社(Nara Shrine)の記事をご覧ください
その旧蹟や御陵と伝わる古墳も残っています
奈良神社【旧跡】& 横塚山古墳(熊谷市) の記事をご覧ください
二荒山神社それぞれの記事をご覧ください