神話の舞台

➂手間山 赤猪岩(あかいいわ)と貝女神(かいのめがみ)

八十神(やそがみ)の恨みを買った 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)は 手間山(てまやま)の赤猪岩(あかいいわ)で殺されてしまいます 母神が 天に昇り神産巣日之命にすがり請うと 貝女神(かいのめがみ)を遣わして 大穴牟遅神は生き返ります

➁稲羽之素菟(いなばのしろうさぎ)と 八上比賣(やがみひめ)

稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)では 助けられた 菟(うさぎ)が予言した その通り 稲羽の八上比売(やがみひめ)を 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)が得ることになっていきます

①〈プロローグ〉 大国主神(おほくにぬしのかみ)の御祖(みおや)

須佐之男命(すさのをのみこと)の系譜が説かれ 大国主神の出生が紐解かれていきます

”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

大歳社〈出雲大社 境外末社〉(出雲市大社町)

大歳社(おおとしのやしろ)は 出雲大社の境外末社です 御祭神の大歳神(おおとしのかみ)は 須佐之男神(すさのをのかみ)の御子神であり 田圃(たんぼ)や畑の守護神で 穀物の豊穣をお護りになる功徳ある神です

大直禰子神社(桜井市三輪)〈大神神社 摂社〉

大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)は 第10代 崇神天皇(すじんてんのう)の御代に疫病が大流行した国難の時 天皇の御夢に大物主大神の神託があり 大神神社の神主となられたのが 大神のご子孫 大直禰子命(若宮様)です 第13代 成務天皇の御代に社が創建されました 大神神社の境外摂社です

久延彦神社(桜井市三輪)〈大神神社 末社〉

久延彦神社(くえひこじんじゃ)は 大神神社の境外末社です 御祭神 久延毘古命は 『古事記』に「世の中の事をことごとく知っている智恵の神様〈山田の案山子〉」と記されています 受験合格・学業向上の霊験あらたか 十二月第一日曜は 入試安全祈願祭があります 

目久美神社(米子市目久美町)

目組神社(めぐみじんじゃ)は 久延毘古命(くえびこのみこと)」が御祭神です 『古事記』神代巻に「この 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)のことを申し上げた 久延毘古(くえびこ)というのは 今 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉といいます この神は 足では歩あるきませんが 天下のことをすっかり知っている神です」と記されます

白兎神社(鳥取市白兎)

白兎神社(はくとじんじゃ)は 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に ”これ 稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ) 今では 兎神(うさぎがみ)と云うなり” と記される 神代からの神話の舞台で 正しい由緒を持つとされ 皇室の紋章である菊花を型どった菊座石が社殿の土台に使われています

天神社〈美保神社 境外社〉(松江市美保関町)

天神社(あまつかみのやしろ)〈美保神社 境外社〉は 『古事記』神話にある 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 海の彼方から天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って寄り帰り来た 我が日本国への上陸の地 出雲の御大御埼(みほのみさき)であるとするならば 神代から鎮座する由緒ある古社となります

赤猪岩神社(西伯郡南部町寺内)

赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)は 『古事記(712)』に 八上比売(やがみひめ)を得た大穴牟遅神(おおなむじのかみ)が 八十神(やそがみ)〈兄弟〉の怒りを買い 伯岐国 手間山上から 猪に似た赤く焼けた大石を落とされ これを麓で捕らえたことにより焼死したと伝えます この赤猪岩が祀られています

沖御前神社(出雲市大社町)〈稲佐の浜 弁天島に鎮座〉

沖御前神社(おきごぜんじんじゃ)は 記紀神話の出雲国譲りの舞台として有名な稲佐の浜にある「弁天島」に鎮座します 『古事記』では「伊那佐之小濱(いなさのこはま)」『日本書紀』では「五十田狭小汀(いさたのおはま)」と記載され 現在も旧暦10月10日にはここで「神迎え神事」が行われ 全国の神様〈八百万神々〉を迎える場所とされます

安志姫神社(姫路市)伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を拒んだ姫神を祀ります

安志姫神社は 『播磨国風土記』に「安師里」の里名の起源と記される 安師比売神(アナシヒメノカミ)を祭る神社です 神話の内容は 伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を 安師姫神(アナシヒメノカミ)が 断ったので 大神が大変怒り 川の上流に石を置いて 3方向の里へと水を分配したので この川〈安志川(林田川)〉は 水量が少なくなってしまいましたと記されています

神住居神社(対馬 豆酘)神功皇后(ジングウコウゴウ)の「行宮(あんぐう/ゆきみや)」と伝わります

神住居神社(かみずまいじんじゃ)は 〈第14代 仲哀天皇の皇后〉神功皇后(じんぐうこうごう)[摂政の御代〈在位201~269年頃〉]が 三韓征伐で渡航されるとき「行宮(あんぐう/ゆきみや)」とされていた処と伝わり 例祭「豆酘の船浮神事〈カンカン祭り〉」は 神功皇后の出船の祭りであり かつては「さかのぼり」神事〈赤船と白船のお供の人が 分かれて子供たちを捕らえる神事〉があり これは神功皇后が 新羅の軍勢を捕虜にした伝承 に因んでいるとも伝わります

玉の井(和多都美神社 境内)

玉の井(タマノイ)は 記紀神話で有名な「海幸(ウミサチ)と山幸(ヤマサチ)」の段で 彦火火出見尊(山幸彦)と豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)は ここで出逢い互いに一目惚れをして結ばれます 海神宮(ワタツミノカミノミヤ)〈和多都美神社〉で3年を過ごした山幸彦は 海神(ワタツミノカミ)から失った釣針と潮満瓊(シオミツタマ)・塩涸瓊(シオフルタマ)を授かり故郷に帰ります この2つの珠を使い 兄の火闌降命(海幸彦)を服従させて世継ぎとなった 山幸彦は 初代 神武天皇の祖父にあたります

洩矢神社(岡谷市)

洩矢神社(もりやじんじゃ)は 洩矢大神とも称します 神代に諏訪に侵入した外来の勢力 諏訪明神=「建御名方神(たけみなかたのかみ)」に 抵抗した 先住の神「洩矢神(もりやのかみ)」が屈服するという「諏訪の国譲り物語」の舞台とされます 御祭神の「洩矢神(Moriya no kami)」は 諏訪大社上社の神長官「守矢氏(もりやうじ)」の始祖とされています

藤島神社(岡谷市)

藤島神社(ふじしまじんじゃ)は 伝説によれば 諏訪入りした外来勢力の諏訪明神「建御名方神(たけみなかたのみこと)」と先住の神「洩矢神(もりやのかみ)」が争った 諏訪明神(藤島明神)の伝承の地とされます 「藤島社」は 中世~近世以降 天竜川のほとり 三沢村の荒神塚〈石室を備えた円墳「荒神塚古墳(Kojinzuka kofun)」の跡に鎮座している〉とされています

三女神社(宇佐市安心院町)

三女神社(さんみょじんじゃ)は 遠く神代に 天照大神(あまてらすおほみかみ)が この三女神を宇佐嶋に天降らせるときに 天安河原の石を手に取り「この石が落ち留まる所に鎮座せよ」といわれて お投げになられた石が 安心院(あじむ)の地に突き刺さった そのあとから三女神も降りてこられて三女神社が祀られた その刺さった石「三柱石」が境内にあります

粟嶋神社(米子市 彦名町)

粟嶋神社(あわしまじんじゃ)は 粟茎に弾かれて常世(tokoyo)へ渡った少彦名命を祀ります 木々に覆われた長い石段を登り抜けた 粟嶋の頂上は 天空の輝きを纏い 尋常ではない神々しさを放ちます ひょっとすると この神域は「常世の国」に通じている空間?なのでしょうか

【御神名(God's name)】 少彦名命 (sukunahikona nomikoto) 

【御神名】 (God's name)    少彦名命 (sukunahikona nomikoto)すくなひこなのみこと 【御神名】の代表的な別名 『古事記』     ⇒ 少名毘古那神 (sukuna ...

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