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川原神社(松江市川原町)
川原神社(かわはらじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「川原社(かはら)のやしろ」とされます 江戸期には 二社大明神とも呼ばれ 伊弉諾命・伊弉冉命の夫婦神を祀ることから「お祓い」「禊」「安産」のご神徳があるとされます
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比加夜神社(松江市坂本町)
比加夜神社(ひかやじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「比加夜社(ひかや)のやしろ」とされます 古は 八岐大蛇神を祀っていたと思われ 今でも 4月18日に俗に「おろっつぁん祭り」があり 悪疫退散の守護神として崇敬されています
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加佐奈子神社(松江市東持田町)
加佐奈子神社(かさなしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「加佐奈子社(かさなし)のやしろ」とされます 境内本殿裏には県指定の笠無古墳(かさなし こふん)があり 「瘡(かさ)」無しに通じるので瘡病を治すとの信仰があります
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虫野神社(松江市福原町)
虫野神社(むしのじんじゃ)は 鎮座地(現 福原町)に田を荒らす悪虫が住みつき 大穴貴命が害虫を滅ぼしたので 虫原と言ったとの説・『古事記』にある「須佐之男大神が 大穴貴命に命じた 大神の頭の虱(しらみ)を取らせた所」との説があり 『出雲國風土記733 AD.』島根郡 不在神祇官社「虫野社(むしぬ)のやしろ」とされます
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持田神社(松江市西持田町)
持田神社(もちだじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「持田社(もちた)のやしろ」とされます 別名「丸山神社」として親しまれ 頭痛平癒の御神徳 顕著なる神様として厚い崇敬を集めています
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質留比神社(美保関町七類)
質留比神社(しちるいじんじゃ)は 隠岐の島へ渡るフェリーの発着場の近く 七類湾の南岸に鎮座します 江戸時代には七類湾の北岸に「美保大明神」南岸に「国吉大明神」と二つの神社が鎮座していました 現在の「質留比神社」は明治期に 北岸の「美保大明神」を 南岸の「国吉大明神」に合祀して改称したとされます
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三社神社(松江市八束町遅江)〈大根島〉
三社神社(さんしゃじんじゃ)は 中海に浮かぶ蜛蝫島(たこしま)〈現 大根島(だいこんしま)〉遅江に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同蜛蝫社(おなじきたこ)のやしろ」の論社でもあります
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三所神社(松江市八束町入江)〈大根島〉
三所神社(さんしょじんじゃ)は 中海に浮かぶ蜛蝫島(たこしま)〈現 大根島(だいこんしま)〉の入江地区に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同蜛蝫社(おなじきたこ)のやしろ」の論社となっています
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地神神社(松江市八束町二子)〈大根島〉
地神神社(ちじんじんじゃ)は 中海に浮かぶ蜛蝫島(たこしま)〈現 大根島〉に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同蜛蝫社(おなじきたこ)のやしろ」の論社です
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多久神社(松江市鹿島町南講武)& 一夜神社(松江市鹿島町名分)
多久神社(たくじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「多久社(たく)のやしろ」とされていた宮廻 鎮座「多久上下明神」が 明治4年(1871)現社地に遷座したものです もともと現社地に鎮座していた「熊崎神社」を改めて合祀して 社名を「多久神社」としました
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三保神社(美保関町福浦)
三保神社(みほじんじゃ)は 事代主命(ことしろぬしのみこと)三穂津姫命(みほつひめのみこと)の二柱の神を 大社造りの二つの本殿が並立する構造様式を持つ「美保造(みほづくり)」の御本殿で祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「三保社(みほ)のやしろ」とされます
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照床神社(松江市黒田町)
照床神社(てるとこじんじゃ)神社は 古くは「寺床神社」と云い 江戸時代には「照床明神」と呼ばれ 明治から現社名となりました 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「阿羅波比社(あらわひ)のやしろ」の論社です
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阿羅波比神社(松江市外中原町)
阿羅波比神社(あらわいじんじゃ)は 少名彦命の神光が 海を照らして寄り来たと云う古事から 江戸期には「照床明神」と称しました 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「阿羅波比社(あらわひ)のやしろ」とされます
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奴奈彌神社(島根町野波小波)
奴奈彌神社(ぬなみじんじゃ)は 小浪浦(こなみうら)の東に鎮座した「国司神社」が明治になって古社名に改称されました 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「努那彌社(ぬなみ)のやしろ」とされます
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多賀神社(松江市朝酌町)
多賀神社(たがじんじゃ)は 神在月 佐太神社に集う八百万の神々が 帰路に当社に立ち寄り「神等去出祭(からさでさい)」として 多賀明神が 神々の御膳に魚を備えよと宣い 恵美酒神が 魚を筌(うけ)で酌(く)み〈川の中にしずめた竹製の道具で魚を捕る〉猿田彦命が舟の梶を取り その魚獲りの様子を神々が 魚見山から見下ろして 直会をして去っていくと伝わります
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大埼川邊神社(松江市島根町大芦)
大埼川邊神社(おおさきかわべじんじゃ)は 国の主とされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀り 通称「国主さん」と呼ばれ 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「大埼川邊社(おはしかわべ)のやしろ」とされます
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大埼神社(松江市島根町大芦)
大埼神社(おおさきじんじゃ)は 大蘆浦(おはしうら)〈現 大芦浜(おわしはま)〉に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「大埼社(おはし)のやしろ」とされています 御祭神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)が諸神の母なので 母坂さん(はんざかさん)とも呼ばれます
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生馬神社(松江市西生馬町)
生馬神社(いくまじんじゃ)は 道返大神(ちがえしのおおかみ)を祀り 御本殿の下に大岩が坐し大岩大明神(おおいわだいみょうじん)とも唱えられます 『出雲國風土記733 AD.』島根郡 不在神祇官社「生馬社(いくま)のやしろ」とされます
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生馬神社(松江市東生馬町)
生馬神社(いくまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に「神魂命の御子 八尋鉾長依日子命(やひろ ほこながよりひこのみこと)詔ふ「わが御子神は 平明〈わかりやすくはっきりしており〉憤(いく)まない」故に生馬(いくま)というとあり 神祇官社「生馬社(いくま)のやしろ」とされます
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多気神社(松江市上宇部尾町)
多気神社(たけじんじや)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「多氣社(たけ)のやしろ」とされ 女嵩の山麓にあって「多気」の字を「竹」にかけて竹宮神社〈式内社 多気神社〉と称していましたが 明治期に津森神社と合併して遷座し現社号に復しています