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前玉神社(加須市根古屋)
前玉神社(さきたまじんじゃ)は 延喜式内社 前玉神社二座 と古くから云われ 又 延喜式内社 玉敷神社の旧鎮座地ともされます 玉敷神社は正能地区にあったが 上杉謙信の関東出兵の際焼失し その後 一時 根古屋(ねごや)の騎西城大手門付近〈現 前玉神社〉に移り 城内でたびたび出火するため 類焼をおそれ その後 今の地に遷座したと伝わっています
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久が原西部八幡神社(大田区久が原)
久が原西部八幡神社(くがはらにしのはちまんじんじゃ)は 社記には 天平神護元年(765)豊前の宇佐八幡宮より御分霊を勧請 武蔵野の南端 久が原台地一番の高所に奉斎されたと伝えられ 久が原が二分される時 六郷領 久が原村の鎮守とされた 延喜式内社 武蔵国 荏原郡 薭田神社(ひえたの かみのやしろ)の論社でもあります
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久が原東部 八幡神社(大田区久が原)
久が原東部八幡神社(くがはらとうぶ はちまんじんじゃ)は 社記に天平神護元年(765)豊前 宇佐八幡宮より御分霊を勧請し 武蔵野の南端 久が原台地一番の高所に奉斎と伝えられ 江戸時代に 久が原が二分される時 馬込領 久が原村の鎮守とされ崇敬を受けてきました 延喜式内社 武蔵国 荏原郡 薭田神社(ひえたの かみのやしろ)の論社でもあります
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鵜ノ木八幡神社(大田区南久が原)
鵜ノ木八幡神社(うのきはちまんじんじゃ)は 社伝に 延徳元年(1489)天明伊賀守光信の子 五郎右衛門光虎が 下野国〈栃木県〉より当地に移った際に 一族の守護神として八幡大神をおまつりした とあるが 延喜式内社 武蔵国 荏原郡 薭田神社(ひえたの かみのやしろ)の論社ともなっています
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六郷神社(大田区東六郷)
六郷神社(ろくごうじんじゃ)は 源頼朝公・徳川家康公も崇敬した神社で 古くから 延喜式内社 武蔵国 荏原郡 薭田神社(ひえたの かみのやしろ)の論社とする説があります しかし社伝には 天喜五年(1057)源頼義・義家が武運長久を祈願し勝利を収めて創建したとあり 当社も式内社を主張していません
