-
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について
甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
駿河國 式内社 22座(大1座・小21座)について
駿河国(するかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 駿河国には 22座(大1座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
遠江國 式内社 62座(大2座・小60座)について
遠江国(とほとうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 遠江国には 62座(大2座・小60座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
参河國(みかわのくに)の 式内社 26座(並小)について
参河国(みかわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 参河国には 26座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について
尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
志摩國 式内社 3座(大2座・小1座)について
志摩国(しまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 志摩国には 3座(大2座・小1座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
-
伊賀國 式内社 25座(大1座・小24座)について
伊賀国(いがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊賀国には 25座(大1座・小24座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
-
切川神社(安来市切川町)
切川神社(きれかわじんじゃ)は 古は 能美神社と称し 野見宿禰命を祀ると云う 『日本三代実録〈901年成立〉』の貞観13年(871)11月(壬午)の条に記される「能美神(のみのかみ)」か? 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載 出雲国 能義郡 天穂日命神社(あめのほひのみことの かみのやしろ)か?
-
摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)
攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです
-
鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社 名神大社・常陸國一之宮〉
鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています
-
和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について
和泉國(いづみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている官社〈延喜式内社〉の事で 和泉国には 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))の神々が 坐します
-
河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)
河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです
-
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉
酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です
-
⑬大年神(おおとしのかみ)・羽山戸神(はやまとのかみ)の系譜
〈穀物神〉大年神(おほとしのかみ)は 『古事記』には 須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の御子神と記されます 兄弟神には 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)があり これも〈穀物神〉です
さらに 大年神と香用比売(かぐよひめ)の御子神に〈穀物神〉御年神(みとしのかみ)が続きます 羽山戸神(はやまとのかみ)は 山の麓の神で 耕作から収穫までの一年の農耕の模様を意味する神とされます
-
⑫幸魂奇魂・御諸山(みもろやま)に坐(ましま)す神
小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 常世に渡られてしまい 大国主神(おほくにぬしのかみ)は 一人で国造りをすることとなり 憂いていると 海を光(てら)して 依来(よりくる)神があった これが 大和国(やまとのくに)御諸山(みもろやま)に 坐(ましま)す神 とされます
-
⑪小名毘古那神(すくなひこなのかみ)と久延毘古(くえびこ)
大国主神(おほくにぬしのかみ)が 出雲の御大御埼(みほのみさき)にいた時 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 海の彼方から天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って寄り帰り来られた 小名毘古那神は 誰もわからなかったが 久延毘古(くえびこ〈山田の案山子〉が知っていて 神産巣日神(かみむすひのかみ)の手の股またからこぼれて落ちた御子神と知ることになった 神産巣日神の命により 大国主神と小名毘古那神の二柱の神は 並んで〈共に偉大な神として〉 この国〈日本〉を作り堅めました
-
⑩大国主神(おおくにぬしのかみ)系譜〈迦毛大御神(かものおほみかみ)〉
大国主神(おほくにぬしのかみ)の子孫は やがて 大和国の創成期の皇室に 絶大な影響をあたえていきます
-
➈神語り(かむがたり)八千矛神(やちほこのかみ)と須勢理毘賣(すせりびめ)
八千矛神(やちほこのかみ)の御神名は 出雲の勢力を拡大した武神〈いくさがみ〉の神威を表し 併合した各国には 婚姻関係が結ばれ 各々の妻があった この時 嫉妬(しっと)深い お妃(きさき)須勢理毘売(すせりびめ)と交わした歌は〈神語り(かむがたり)〉と伝わり 仲睦まじく 酒盃を交わし 互いに手を掛け合い 今に至るまで出雲に 鎮(しずまり)坐(まします) と記されます