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山神社(西伊豆町大沢里禰宜ノ畑)
山神社(やまじんじゃ)は 西伊豆の大浜海岸の辺りから仁科川を溯り 天城連山に分け入る県道59号を進み 仁科の集落を抜けて さらに山道へ〈平家の落人伝説も残る山深い〉祢宜ノ畑の集落に鎮座します 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社とされています
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浮幣神社〈浮鯛神社〉(三原市幸崎能地)
浮幣神社(うっぺいじんじゃ)は 浮鯛神社(うきだいじんじゃ)とも呼ばれます これは『日本書紀』に記される 神功皇后が 三韓征伐に向かわれた時 お召船の周囲に集まった鯛(タイ)に酒を注いだところ 鯛が酔って浮いた「浮ダイ」となった故事に由来します それ以後 能地(のうじ)の海には毎年春になれば鯛(タイ)が浮かぶようになったと云われていました
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豊功神社(下関市長府宮崎町)満珠島・干珠島
豊功神社(とよことじんじゃ)は 神話伝説の島として知られる゛満珠・干珠島゛の2島を展望する絶景の宮崎の地に鎮座します 元々は 忌宮神社の境内にあった゛豊功社〈長府藩初代藩主毛利秀元以下を祀る〉゛をここに遷し 祀られていた串崎若宮〈櫛崎八幡宮〉・宮崎八幡宮・松崎八幡宮を〈大正6年(1917)6月〉合祀して 社号を豊功神社と改称したものです
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忌宮神社(下関市長府宮の内町)長門国二之宮
忌宮神社(いみのみやじんじゃ)は 第14代仲哀天皇が熊襲ご平定の為 穴門(長門)豊浦宮を興し7年間政務をとられた旧趾です 天皇は筑紫国 香椎宮で崩御せられ 神功皇后は喪を秘して武内宿禰に御遺骸を奉じて豊浦宮に帰らしめ 殯斂(仮埋葬)せられた ご懐妊中の神功皇后は 新羅征討ご凱旋の後 天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭されたのが当社の起源と『日本書紀』に記されています
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地御前神社(廿日市市地御前)
地御前神社(じごぜんじんじゃ)は 飛烏時代(593年)佐伯鞍職によって宮島を遥拝する対岸に創建されたと傳 地御前は「本土の地にある神の御前」「ヂノゴゼン」と云い〈神の島として崇められ かつて人があがる事は許されなかった〉厳島を沖の御前「オキノゴゼン」と云った 延喜式内社 安囈国 佐伯郡 伊都伎嶋神社(名神大)(いつきしまの かみのやしろ)の祭祀が行われた処とも傳
