中尾神社(笛吹市八代町米倉)〈『延喜式』中尾神社の論社〉

中尾神社(なかおじんじゃ)は 平成十三年2001の失火により社殿は全焼 現在は石と祭壇のみが奉斎されます 『甲斐國志』には「飯田氏の聞書に曰く 昔は大社にて毎年西郡三輪ノ社へ神幸ありしが何れの頃からか廃して小祠となり・・・」とあり 延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)の論社とされます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

中尾神社(Nakao shrine

通称名(Common name)

・中尾さん(なかおさん)

【鎮座地 (Location) 

山梨県笛吹市八代町米倉612

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》少彦名命(すくなひこなのみこと)
   大己貴命(おほなむちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒沿革:

 「飯田氏の聞書に曰く、昔は大社にて毎年西郡三輪ノ社へ神幸ありしが何れの頃からか廃して小祠となり神幸の道筋もみな民家の居宅となると云ふ。
二月、十一月の八日に神事あり。この地の古くは岡村に属せし故に祭日に栗のお供へを奉りしが今は其の事止むと云ふ」と甲斐国志に記されてゐる。
又、延喜式神名帳に記載の中尾神社と伝ふ。

 社殿は平成十三年の失火により全焼。現在は石祠に奉斎されてゐる。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/3081

【由  (History)】

『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容

【抜粋意訳】

第二 延喜式内社 八代郡

中尾明神

東八代郡米倉村中尾組 

祭神
 大己貴命

飯田氏聞書云。
昔は大社にして毎年 西郡 三輪社へ神幸ありと云。

此外 北巨摩郡多麻村小倉組 鎭座 八幡宮社記に中尾神社と有り。

【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 中尾神社
[ふ り が な ]なかをの かみのやしろ
[Old Shrine name]Nakawo no kaminoyashiro

【原文参照】

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)の論社について

・中尾神社(笛吹市一宮町)

・中尾神社(笛吹市八代町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

中央自動車道 笛吹社スマートICから南へ 約3.4km 車で7分程度
浅川に架かる米倉橋を渡り 桃園の中を東へ進みます

山の北側の裾に鎮座していますが
社殿は平成十三年2001の失火により全焼しており 現在は石祠と石の祭壇のみが奉斎されているので 近くまで行かないとわからないかもしれません

社域の道を南へと山を上がると すぐにリニアモーターカーの実験線の高架橋がありますから そこまで行ったら戻ってください

中尾神社(笛吹市八代町米倉に参着

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本殿の石祠にすすみます
石祠の土台に゛中尾神社゛と刻字されています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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祠と境内は 西方向を向いています
西方向の神社の前は 桃園が広がっています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

延喜式内社 中尾神社について 所在は゛中尾村に在す、今 飛永明神と称す゛〈現 中尾神社(笛吹市一宮町)〉と記しています

【抜粋意訳】

中尾神社

中尾は奈加哀と訓べし

○祭神 大己貴命、名勝志

○中尾村に在す、今 飛永明神と称す、名勝志例祭 月 

社領
 當 御朱印高八石余

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

延喜式内社 中尾神社について 所在は゛今 中尾村にあり、飛永明神と云゛〈現 中尾神社(笛吹市一宮町)〉と記しています

【抜粋意訳】

中尾(ナカヲノ)神社

 中尾村にあり、飛永明神と云 盖是也、〔甲斐名勝志、甲斐國志、巡拝舊祠記、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

延喜式内社 中尾神社について 所在は゛中尾村(東八代郡相興村大字中尾)゛〈現 中尾神社(笛吹市一宮町)〉と記しています

【抜粋意訳】

中尾神社

祭神 大己貴命

祭日 正月二十日 九月十九日
社格 村社

所在 中尾村(東八代郡相興村大字中尾)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

中尾神社(笛吹市八代町米倉 (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る

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