醫家神社(三好市池田町マチ)〈式内社 倭大國玉神大國敷神社 二座の論社〉

医家神社いけじんじゃ 兵火により 社伝・記録等を全て焼失の為 創建等不詳です 延喜式神名帳927 AD.所載 阿波國 美馬郡  倭大玉神大敷神社 二座やまとおほくにたまのかみおほくにしきのかみのやしろ ふたくらの論社となっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

家神社Ike shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

徳島県三好市池田町マチ2287

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大国主神(おくにぬしのかみ)
   少彦名神(すくなひこなのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

兵火により 社伝・記録等を全て焼失の為 創建等不詳

徳島藩の蜂須賀氏から崇敬が篤
寛永7年(1630)医家大明神と称するようになった

【由  (History)】

医家神社 いけじんじゃ

祭神は「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と「少彦名神(すくなひこなのかみ)」で、例祭は10月17日で前日も併せて神輿(みこし)の渡御と稚児行列が行われる。毎月1日が「月次祭(つきなみさい)」。元旦祭、夏祭り、大晦日には除夜祭が行われる。境内社が5社あり、南側の階段入口鳥居の左に「手水舎」が、右に「百度石」があって、西側境内地に5角形の「地神塔」がある。

 祭神のうち「少彦名神」は「少名昆古那神(すくなびこなのかみ)」とも言われる。少彦名神は医薬の神様とされ、神話では体の小さい神様で、大国主神と協力して国づくりを行い、のち常世国(とこよのくに=遥か遠くにある不老不死の国)に帰ったとされる。

医家神社はよく「イゲジンジャ」と言われるが、正しくは「イケ」と濁らず言う。

三好市観光協会事務局HP
https://miyoshi-tourism.jp/spot/%E5%8C%BB%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

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・社殿

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・拝殿

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・手水舎・五社〈新田神社和霊神社菅原神社愛宕神社・他一社〉

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈医家神社 旧鎮座地〉

・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波國 50座(大3座・小47座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)美馬郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 倭大玉神大敷神社 二座
[ふ り が な ]やまと おほくにたまのかみ おほくにしきのかみ のやしろ ふたくら
[Old Shrine name](Yamato Ohokunitama nokami Ohokunishiki no kamino yashiro Futakura

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

倭大國玉神やまとおほくにたまのかみ)と同じ社號を持つ式内社について

一般に゛國魂神〈國玉神・國霊神〉(くにたまのかみ)゛とは その地域の゛国土そのものの神霊゛を意味するとも云われます
これらの゛國魂神(くにたまのかみ)゛は 國造(くにのみやつこ)一族が奉斎したものであろうとされています

又 平安期以降に〈国司が任国の主要神社を集めて祭祀させた神社〉゛総社゛を゛國魂神(くにたまのかみ)゛とする場合もあります

そうした國魂神の中でも゛大國魂神(おほくにたまのかみ)゛さらには゛大和〈倭〉國の大國玉神゛と明示している式内社が三ヶ所あります

大和坐大國魂神社 三座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほやまとにます おほくにたまの かみのやしろ)

御祭神の゛倭大国魂神゛は 大地主大神として 第10代崇神天皇6年までは 天照大神とともに天皇と瑞籬宮の大殿に同殿共床で祀られていました

・大和神社(天理市新泉町)

淡路國 三原郡 大和大國魂神社(貞・名神大)(やまとおほくにたまの かみのやしろ)

淡路島の南あわじ市に鎮座する 淡路国二之宮 大和大國魂神社があります

延喜式で 名神大社に列しています

・大和大國魂神社(南あわじ市榎列上幡多)

倭大國玉神大國敷神社二座(やまとおほくにたまのかみ おほくにしきかみの やしろ ふたくら)

・医家神社(三好市池田町)

・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)
〈医家神社 旧鎮座地〉

・倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)

・倭大國敷神社(美馬市脇町拝原)

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR土讃線 徳島線 阿波池田駅から東へ約1km 車4分程度

当日は 天椅立神社(東みよし町)から医家神社三好市池田町マチ向かいました

・天椅立神社(東みよし町昼間)

県道12号を西へ進むと 三好大橋があり 吉野川を渡ります

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橋から吉野川の上流方向には 目指している池田町があります

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境内の西側に駐車スペースがありました

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西側の注連柱に一礼をして境内に進みます

医家神社三好市池田町マチに参着

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社頭は 南側にあり こちらが表参道か
神社の南面には 深い空堀のようなもの〈水の無い池の跡のような〉があり 墜落防止のカラーコーンが置かれています

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鳥居が建ち 一礼をしてくぐり 拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥 本殿

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境内は落ち着いた雰囲気があります

境内の南西の角の覆屋には 境内社の5社が祀られています

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境内に一礼をして 西側の注連柱から出ます

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『阿波志(awashi)』〈文化12年(1815)全12巻〉に記される伝承

式内社 倭大國玉神 大國敷神社について 二柱の内 一柱の大國玉神について゛倭大國玉祠゛として 所在は゛重清村口里 東麓゛〈現 倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)〉として 延喜式内社であるが 兵火に罹り今は小祠である と記しています

【抜粋意訳】

阿波志 巻之五 美馬郡 祠廟 倭大國玉祠

延喜式 亦爲 小祠在 重清村口里 東麓 神代註一書云 又曰 葦原醜男 又曰八千戈神 又曰大國玉神 又曰顕國玉神 其舊祠 大祭料十緡城主 小笠原氏所割罹兵火爲小祠

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『阿波志』著者:佐野憲 文化12年(1815年)全12巻[旧蔵者]教部省 写本 ,明治https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002320&ID=M2018051415051134342&TYPE=&NO=画像利用

式内社 倭大國玉神 大國敷神社について 二柱の内 一柱の大國敷神について゛大國敷祠゛として 所在は゛池田村池神゛〈現 医家神社三好市池田町マチ〉がこれである 延喜式に小社として祀られているがよくわかっていないと記しています

【抜粋意訳】

阿波志 巻之六 三好郡 祠廟 大國敷祠

延喜式 又爲 小祀未詳 或曰 池田村池神 是也

按 延喜式 配食 大國玉神 今別置可疑 其祝曰 髙井和泉藏甲及鞍鐙

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『阿波志』著者:佐野憲 文化12年(1815年)全12巻[旧蔵者]教部省 写本 ,明治https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002320&ID=M2018051415051134342&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 倭大國玉神。大國敷神社について 所在は゛池田村に在す゛〈現 医家神社三好市池田町マチ〉と記しています

【抜粋意訳】

倭大國玉神。大國敷神社

倭大國玉は、夜萬止乃於保久爾多麻、』大國敷は、於保久爾志支と訓べし

祭神 明か也

〇池田村に在す、〔検録書入〕例祭

連胤 按るに、當國は麻殖郡天村雲神云々、天水沼間比古神云々・秘羽目神云々等、皆當社の例にて、神號を重ねたるあり、他國に例なき書さま也、乙は全く國司の注文による事と見えたり、

類社
大和國 山邊郡 大和坐大國魂神 〔並名神大月次相嘗新嘗

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 倭大國玉神。大國敷神社について 社號のみが 記されています

【抜粋意訳】

倭大國玉神大國敷神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 倭大國玉神。大國敷神社について 所在は゛池田町に在り 家大明神と號す゛〈現 医家神社三好市池田町マチ〉とする説があり 恐らくはここであろう

しかし゛ 重清村谷口里とありて一定しがたし゛〈現 倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)〉とする説もあり 一定しない と記しています

【抜粋意訳】

倭大國玉神大國敷神社

祭神 大國魂神
   大國敷神

祭日
社格

所在
 今按 阿府志に二座合殿 池田町に在り 家大明神と號すとみえ 式社略考にも 恐らくはならん款と云り

而るに 阿波志に  重清村谷口里とありて一定しがたし 猶よく考べし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

医家神社三好市池田町マチ (hai)」(90度のお辞儀)

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阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について に戻る

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