別雷神社(わけいかづちじんじゃ)は 社伝によれば 創建を 第15代 応神天皇4年(273年頃)とする古社で 大宝3年(703)に創市の「安倍の市(静岡)」と称する物資交流の中心地の守護神とされていて 祭神は別雷神(ワケイカヅチノカミ)と玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)を祀ります 静岡市葵区の七間町に鎮座する(927年12月編纂)『延喜式神名帳』所載社の論社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
別雷神社(Wakeikazuchi Shrine)
(わけいかづちじんじゃ)
[通称名(Common name)]
いかづっつぁん
【鎮座地 (Location) 】
静岡県静岡市葵区七間町14-6
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》別雷神(Wakeikazuchi no kami)
玉依比売命(Tamayorihime no mikoto)
《配》保食命(Ukemochi no mikoto)
大山咋命(Oyamakui no mikoto)
火之迦具突智命(Honokagutsuchi no mikoto)
大穴貴命(Oanamuchi no mikoto)
少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
猿田彦命(Sarutahiko no mikoto)
《合》彰徳神(Shotoku no kami)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
社伝によれば 応神天皇の御宇4年4月(273年頃)
【由 緒 (history)】
応神天皇の御宇4年4月、勅により創建され、
御祭神は別雷神、玉依比賣命を奉祀し、例大祭は5月14日である。往古 大歳御祖皇大神を祭ったと言う。
大宝3年創市の「安倍の市」と称する物資交流の中心地として 鎮座地附近は繁栄したところで、その守護神として「安倍の市人」らが奉斎したのである。
宝亀3年4月、光仁帝は堤中納言を以て官幣賜い疫病除け、雷除けの勅書を当社に賜い神階を進められた。
足利義政、今川、武田、豊臣秀吉、徳川家康等のの武将の崇敬篤く特に武田信玄は永禄年中、社殿を再建するに当り総瓦葺とし唐草の小口には悉く花菱の紋をつけ、破風の懸魚は欅材に武田菱の紋所を彫刻させるなど尊崇篤かった。
駿河国新風土記に「社中に府内の文庫あり、すべて町々に事ある時此処に集会し、是を議す」とあり、境内に駿府総町の会所があって、年行事(町頭)が交替で定められた期間ここで事務を執り、主として町奉行所の命令の下達を司った。(府中は96ケ町)即ち府中の自治を当社内で運営したのである。
現在の社殿は 昭和46年7月、明治維新百年記念事業として社殿、会館等のご造営を奉行したのであります。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社 (Other deities within the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)駿河国 22座(大1座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安倍郡 7座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大歳御祖神社
[ふ り が な ](おおとしみおやの かみのやしろ)
[Old Shrine name](otoshimioyano kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載の論社について
駿河国(suruganokuni)安倍郡(abenokori)
大歳御祖神社(otoshimioyano kamino yashiro)の論社は2つ
①静岡浅間神社(Shizuokasengen Shrine)内の
大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)の記事をご覧ください
➁当神社です
社伝には 往古は 大歳御祖皇大神を祭ったと云われています
大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)の旧鎮座地とも云われます
又 元は有度郡(ウドノコオリ)に鎮座していて 安倍郡(アベノコオリ)の式内社としては 考えられないとする説もあります
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
静岡駅から西へR1号経由 約1km 徒歩15分程
常盤公園へ続く 青葉通りに面して 鎮座します
社号標には「別雷神社」とあります
別雷神社(Wakeikazuchi Shrine)に参着
一礼をして鳥居をくぐります
階段を上がり
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内を出て 振り返り一礼をします
街中に鎮座していますので ご本殿は境内横の道路から 確認できます
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』延喜元年(901年)成立に記される伝承
文中の「火雷神(ホノイカヅチノカミ)」が 別雷神社(Wakeikazuchi Shrine)に該当するとも伝わります
意訳
(878年)元慶(ガンギョウ)2年4月14日の条
授(サヅケル)に・・・・・・・・・駿河國(スルガノクニ)正六位 岐都宇神(クナドノカミ) 火雷神(ホノイカヅチノカミ) 並(ナラビ)に従五位下(ジュウゴイゲ)
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』文化10年(1813年)に記される伝承
式内社の論社「・神部神社(Kambe Shrine)・大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)」2神社が記されています
大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)は 当神社であるとしています
意訳
神部(カムヘ)神社
[旧事]
素戔嗚尊(スサノヲ ノ ミコト)10世孫の「田々彦命(タタヒコ ノ ミコト)は
瑞籬朝(ミズガキチョウ)〈第10代 崇神天皇(スジン テンノウ)の王朝〉に「神部直(カンベアタイ)」の姓を賜る[和抄]
安倍郡美和
大歳御祖(オオトシミヲヤ)神社
〇府中の西の方にあり 別雷社とも云う〈静岡県静岡市葵区七間町の別雷神社〉
一説に この大歳御祖(オオトシミヲヤ)神社なりと云う
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容
式内社論社「・大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)」について2神社が記されて
静岡浅間神社(Shizuokasengen Shrine)内の大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)が比定されています
当神社 別雷神社(Wakeikazuchi Shrine)については 元は有度郡(ウドノコオリ)に鎮座していて 安倍郡(アベノコオリ)の式内社としては 考えられないと記しています
意訳
大歳御祖神社(オオトシミヲヤノ カミノヤシロ)
祭神 大歳御祖神(オオトシミヲヤノカミ)
今 按(考えるに)
皇太神宮儀式帳(コウタイジングウギシキチョウ)に湯田社(ユタノヤシロ) 一處(一つ所にあって)称す 鳴震雷(ナルミ イカヅチ)
又 大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)とある同神とみえたり されば この神社を奈吾屋本社(ナゴヤノホンシャ)と云うなり
安倍郡(アンベノコオリ)奈吾屋火雷地祇(ナゴヤカライノチギ)とあるも由ありけりなり祭日 3月3日
社格 縣社所在 静岡 賤機山麓(シズキヤマフモト)
今 按(考えるに)
静岡の市中にある「雷宮(イカヅチ ノ ミヤ)」〈静岡県静岡市葵区七間町の別雷神社〉を近世 大歳御祖皇神社(オオトシミオヤコウノカミ ノ ヤシロ)といへど
その神社は 神階帳に従五位上 安倍郡(アンベ ノ コオリ)奈吾屋火雷地祇(ナゴヤ カライ ノ チギ)と見えて
古へに 当社(大歳御祖神社)を移し祭れりしにて 中世までは すなわち 別宮摂社の如くなり
しかば式に載られし社(ヤシロ)は 当社(大歳御祖神社)なる事云も更なりかの「雷宮(イカヅチ ノ ミヤ)」は 有度郡(ウドノコオリ)にて 郡も違へれば かたがた由なし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒(tokusen shimmyo cho)』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂
・大歳御祖神社(Otoshimioya Shrine)B1-2
別雷神社(Wakeikazuchi Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)