熊野神社(くまのじんじゃ)は 『丹後旧事記』に「四道將軍の一人 丹波通主命が 河上の麻須の郎女を娶り五女を授かり 五人の娘たちが皆 垂仁天皇の皇后・妃になったことを喜び祝い 丹波道主命が熊野の神を勧請 河上の麻須によって 兜山の山頂に建立した」と云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)です

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目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
- 3 【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
- 4 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 5 【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
- 6 【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
- 7 【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
- 8 丹後国 式内社 65座(大7座・小58座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
熊野神社(Kumano shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府京丹後市久美浜町大字神野 兜山山頂
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊邪那美命(いざなみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
熊野神社(くまのじんじゃ)
熊野神社は、『延喜式』神名帳に記載され、熊野郡の名称の由来にもなった神社と伝えられています。
平安時代の歴史書『日本三代実録』貞観十年(八六八)九月二十一日条に「丹後国正六位上熊野神」に「従五位下」を授ける記事があり、これは当社のことと思われます。
そもそも鎮座している甲山には祭祀遺跡もあり、「甲山」は「神山」が転じたものという説もあることから、山全体が信仰の対象となっていたのではないかと考えられています。
『丹後旧事記』など江戸時代の地誌類には、丹波道主命の勧請、川上麻須郎の造立と伝えられています。
また『熊野郡誌』には、養蚕農家が境内の小石を借り受け、家に祀るとネズミの害を逃れるという風習があったことが記されています。
現在の社殿の建立年代は不詳ですが、昭和二年(一九二七)の丹後大震災により被害を受け上屋を再建した際の棟札が残されています。
京丹後市教育委員会現地案内板より

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【由 緒 (History)】
『式内社調査報告第十八巻』昭和59年に記される内容
熊野神社(A)・熊野若宮三神社(B)・熊野新宮神社(C) 三社が比定されるので、以下A・B・C社別に述べると記されています
【抜粋】
丹後國 熊野郡
熊野神社
延喜式吉田家本に「クマノ」と訓まれる式内社 熊野神社には、京都府熊野郡久美濱町にある現 熊野神社(A)・熊野若宮三神社(B)・熊野新宮神社(C) 三社が比定されるので、以下A・B・C社別に記述する。
A 熊野神社
【社名】
『丹哥府志』に「熊野神社、今 熊野権現と称す」とあり。現在 熊野神社と称する。
【所在】
京都府熊野郡久美濱町大字神崎、同大字甲山(こうやま)、大字久美濱第三地區境界となつてゐるカブト山(甲山(こうやま)とも兜山(かぶとやま)とも)頂上に鎮座す。甲山はもと神山(こうやま)であつたのを後世 甲山と記したとの説あり。兩部神道の盛んであつたころ熊野権現と唱へてきたので今なほこの山を権現山とも言ってゐる。大字神崎にコクンバラといふ地があるが、大字浦明ではここを古熊野と云ひ この社の元社地であるとの傳承があるが確證はない(『熊野郡誌』)。国鉄宮津線兜山より約三キロメートル。
【祭神】
『熊野郡誌』・『久美濱町誌』ともに祭神を伊弉冊命としてゐるし神官も同意見である。ところが『丹哥府志』・『丹後舊事記』ともに天神七代、地神五代熊野四十八王子とし、後者はほかに大膳職豐字氣持命、同豐宇賀能咋命を祀るとしてゐる。また『特選神名牒』は祭神は素戔嗚尊なりとして曰く「今按 神名式に出雲國意宇郡熊野二坐ス神社二座〔名神大〕又 出雲國造神壽詞に出雲乃青垣山内爾 下津石根爾 宮柱太敷立 高天ノ原爾 千木高知リ坐ス 伊邪那岐乃日 眞名子加夫呂伎 熊野大神 櫛御氣野命云々とみえたる同神にて即 素盞鳴尊にませり此神鎭りますが故に郡名を熊野といふなるべく熊野郡に熊野神社あるは必ず出雲の熊野神を遷し祭れにやあらむ」と述べてゐる。
【由緒】
崇神天皇の御代、四道將軍の一人 丹波通主命は、丹後(たにわ)川上(現 熊野川上)の豪族、河上の麻須の郎女(いらつめ)を娶り五女を挙げ給うたが、子女長じては皆 垂仁天皇の皇妃となりしを祝つてこの神を勧請し、社殿は河上麻須の造立である、と『丹後舊事記』・『熊野郡誌』・『久美濱町誌』ともにこの説を掲げ、『郡誌』はさらに續けて「もとより信を措くに足らない」と附記し、また「維新前郡中の雨乞等をする時は必ず當神社で行ったものである。兜山の頂上に鎮座し、熊野郡の総社であつて熊野の郡名は富富に由来すると傳えられている」とし、『大日本地名辭書』も「熊野の名は出雲の熊野神を此に移し祭れるより起るか」と言つてゐる。三代實錄貞観十二年(八七〇)の條に「授ニ 丹後國正六位上 熊野神 從五位下」とあり。
【祭祀】
例祭日は四月二十三日。久美濱町大字久美濱、同大字神崎、大字甲山の三地區から氏子総代はじめ部落民参集して執行される。例祭だけでなく社殿の改築管理等、一切が三地區の責任において行なはれる。氏子および崇敬者は約六五〇人。現在の神職は熊野郡久美濱町字久美濱 神谷神社 宮司佐治正胤が兼務してゐる。
【境内地・社殿】
境内坪數七五〇坪。境内は久美濱灣に臨む権現山(兜山とも)の頂上にあり、久美濱灣は足下に、小天橋から日本海、そして熊野部の山々を一眺に見渡せる
景勝の地であつて古くより繪に歌に有名である。近時展望臺が設けられ、登山道は舗装もされてをり、冬以外は登山する者が多い。社殿兼上屋は一棟きりで梁行二間、桁行二間、銅板葺の至つて質素な造りである。
【追記】
『熊野郡誌』は當社の記事末に意見を附し、「且つ熊野神社は本宮、新宮、若宮の三社あるを普通とす。熊野郡内の字河梨に在るを新宮といひ、字品田(ほんで)に在るを若宮といひ、當社その本宮たり」と述べてゐるが、紀州の熊野三社も 素佐之男命の亡くなった出雲の熊野の地名をとつて三社とも熊野を冠し熊野々神社と稱してゐる。全國に所在する多くの熊野神社もまた本宮、若宮、新宮の三社が祀られてゐるのが通例のやうになつてゐる。當 熊野郡内の熊野神社も三社あつて何れも延喜式内を稱し、『熊野誌』また三社とも式内社と記してゐる。延喜式に録上されてゐる熊野神社とは本宮だけを指したものか、それとも三社を一括して熊野神社と扱はれたものかについて諸説がある。よつてここにはA B Cを附し三社を一應掲げることにする。
江戸時代より昭和初年に至るまで養蚕隆盛期には、お猫さまと稱し、この社の境内の小石を借り受け持ち歸つて祭ると、鼠の害を免れることができる。そしてその石を返済するときは位數にして持って行くといふ習慣があつたが、現在はすたれてゐる。
前内大臣廣幡公の歌に
甲嶺曳雲
過きしよの雨も志られて朝またき尾上に残る雲の一すじ京都の某公卿による久美濱八景の一節
甲山秋月
さし向ふ月こそかかみかぶと山動かぬよよの秋を見せけりB 熊野若宮三(クマノワカミヤサン)神社
・・・
・・・〈略 詳細は 熊野若宮三神社の記事を参照〉
・・・C 熊野新宮(クマノシングウ)神社
・・・
・・・〈略 詳細は 熊野新宮神社の記事を参照〉
・・・(井上正一)
【原文】

『式内社調査報告第十八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・熊野神社 本殿

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・熊野神社 拝殿〈本殿覆い屋〉

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈遥拝所〉熊野神社 遥拝所鳥居(雲晴神社 境内)
・雲晴神社(くんばらじんじゃ)〈熊野神社の旧鎮座地とも云う〉
大字神崎にコクンバラといふ地があるが、大字浦明ではここを古熊野と云ひ この社の元社地であるとの傳承があるが確證はない(『熊野郡誌』)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
「熊野神」に 神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷十五貞觀十年(八六八)九月廿一日辛亥
○廿一日辛亥
授くに
丹後國 正六位上 熊野神
出雲國 正六位上 智位神 斐伊神 温沼神 並に從五位下を
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)熊野郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 熊野神社
[ふ り が な ](くまのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kumano no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)の比定社は3社あります
熊野神社(くまのの かみのやしろ)
・熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)
・熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)
・熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)
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延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)の創建について
『丹後史料叢書』第1輯〈『丹後舊事紀』巻之九〉に記される内容
第11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉道主命によって勧請 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)の造立と記されています
【抜粋意訳】
『丹後舊事紀』卷之九
〇熊野郡 十一座 延喜式竝小社
熊野神社 川上庄甲山村
祭神
天神七代地神五代 熊野四十八王子
大膳職豊宇氣持命 同豐宇賀能咋命當社は崇神天皇十年癸巳九月勧請也 當國土形里國府に定り 道主命 下向ましまして當郡 川上麻須郎の女を娶り給ふ 是に四柱の女君有て五十狭茅尊〈垂仁天皇〉の皇后 次妃と成のよろこびのあまり 將軍道主命の勧請にて寶殿は川上麻須郎造立し玉ふ 此時 日間岳野邊を神戸に定め玉ふとなりと風土記に見えたり 今も神戸大明神の社 殘れりと順國記にあり。
【原文参照】

『丹後史料叢書』第1輯,丹後史料叢書刊行会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1175321
『丹後舊事紀』に記される「川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)」について
【抜粋意訳】
丹後舊事紀(たんごきゅうじき)巻一
川上摩須郎(カハカミノマスラ)
當国 熊野郡 川上の庄 須郎の庄に館を造る 開化天皇より崇神 垂仁の朝に至る
古事記に曰く 旦波道主命 川上摩須郎の女を娶て 生ませる御子 比婆須媛(ひばすひめ)渟葉田瓊入媛(ぬはたのにいりひめ)真砥野媛(まとのひめ)薊瓊入媛(あざみのにいりひめ)朝廷別王 以上五柱
川上摩須郎は 将軍道主の命と共に 當国に有て 熊野郡川上の庄に 伊豆志禰神社 丸田神社 矢田神社 三嶋田神社を祭る
【原文参照】

『丹後旧事紀』(国文学研究資料館所蔵)出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200017524
古代 丹波國〈川上摩須郎女と丹波道主命〉について
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京都丹後鉄道宮豊線 久美浜駅からR178号経由で久美浜湾沿いに北東方面に約5km 車での所要時間8~10分程度で かぶと山の太子堂まで 数台分の駐車スペース有 そこから徒歩で1km程の山を上がります 徒歩時間15分~25分程度
R178号を網野方面に向けて進みます
道路の正面に見えている山が かぶと山です

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R178号沿いの久美浜湾内から見える かぶと山です

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かぶと山公園の案内板があります
登山道を楽しみたい方は ここを曲がり かぶと山公園の駐車場近くから 登山道があります

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私は かぶと山公園の案内板から R178号をさらに北へ200m程進んだ所から車で山へと上がりました
但し「道幅狭し」車での進入は御遠慮下さいと書かれた看板がありました

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平日の日中で 幸い対向車もなく 上がって行きました

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太子堂のある所で 先程と同じ看板「道幅狭し」車での進入は御遠慮下さいと書かれた看板があり 今度は 道路が封鎖されています

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数台分の駐車スペースにレンタカーを停めて 車道を歩いて上ります

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地図で見ると 山頂まで残り1km弱の上りです

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木々に囲まれた道で視界は 道路上だけで 疲れ始めた頃でしたが 突然木の無い場所から 久美浜湾を一望できる絶景があり 元気になります

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道路脇に電柱があり「神野」とあります 神社の案内には「字 神野と字 甲山の境界にある」と書かれていたのを想い出しながら さらに上に向います

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すると「かぶと山園地」の案内図があり もうすぐ山頂です

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右手の真下から階段が続いています
「かぶと山園地」の案内図を見ると かぶと山公園のキャンプ場辺りからの登山道がここで合流しています

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道路の左手に建屋があります
熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)に参着

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石段を数段上がって境内に入り
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 来た道を戻ろうとしました

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しかし 反対側に遊歩道があり その先に案内板が見えています

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案内板の場所は 展望台となっていました

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兜(かぶと)山 KABUTOYAMA
久美浜町の兜山は久美浜湾の南東部に位置する、標高191.7mの独立した山です。 この山は硬くて風化しにくい岩石(流紋岩 りゅうもんがん)できているため、周囲の侵食から取り残されたものと考えられます。
山頂部の展望台からは、久美浜湾や小天橋(しょうてんきょう)の姿が一望でき、市内でも有数の景勝地となっています。 久美浜公園から見えるきれいな円錐形の山体は、この地域のランドマークとして親しまれており、 毎年8月9日の千日絵(せんにちえ)には南斜面で大文字焼きが行われています。現地案内板より

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展望台からは 久美浜湾や小天橋(しょうてんきょう)の姿が一望できる絶景です

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京都府選定文化的景観
文化財の名称 京丹後市久美浜湾カキの養殖景観
選定年月日 平成二十年三月二十一日
所 在 地 京丹後市久美浜町
区 域 京丹後市久美浜町河内、湊宮、久美浜一区の各一部
面 積 約四七〇ヘクタール久美浜湾は日本海の内湾にあたり、湾の周回は約二十八キロメートルに及ぶ。久美浜町を流れる多くの河川を受け入れ、水戸口と呼ばれる部分で日本海に注いでいる。
この湾口は幅三十メートル、深さ三メートル、長さ三百メートルと狭小であることから湾内は日本海の荒波を受けにくく、一年中波は穏やかである。
日本海に面した潟湖は、原始・古代を通じて、大陸からの文物や高度な技術の導入をはかる上で欠かせない天然の良港であったため海上交通の基点となった。隣接している函石浜遺跡から中国「新」の時代に鋳造された「貨泉」が出土していることから当時の交流の様子がうかがえる。その後、こうした潟湖は、河川による土砂堆積により姿を消したものも多いが、久美浜湾は現在まで潟湖が残る数少ない事例であり、現代では新たな生業の場として活用されている。
湾内の波が穏やかなことに注目した地元有志は、昭和十二年に試験養殖に成功し、昭和二十五年頃からカキ棚を作って養殖を開始した。
その後養殖拡大方法の研究がなされ、昭和三十四年には久美浜湾に適した養殖技術が完成した。
現在湾内四箇所でカキ棚が敷設され総数は合計三百基を超える。 特に河内湾は海底までの深さが数メートルと浅いこともあり、海面から杭を打ち込み、それに棚を敷設する昔ながらの方法が残っており、当地の文化的景観を特徴づける大きな構成要素となっている。
波穏やかな久美浜湾内にカキの養殖筏が列をなして浮かぶ風景は、京都府北部を特徴づける良好な文化的景観となっている。京丹後市教育委員会
現地案内板より

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山を下ります

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通行止めの位置まで戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 熊野神社について 所在は゛久美郷久美濱村、川上郷神崎村、甲山村、三ヶ村立合所 權現山に在す、゛〈現 熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〉と記しています
【抜粋意訳】
熊野神社
熊野は郡名に同じ
○祭神詳ならず
〇久美郷久美濱村、川上郷神崎村、甲山村、三ヶ村立合所 權現山に在す、〔式社考〕〔〇舊事記に、甲山村とのみ云るは踈漏也とぞ〕
類社
近江國高島郡 熊野神社の條見合すべし神位
三代實錄、貞觀十年九月廿一日辛亥、授丹後國正六位上熊野神從五位下、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 熊野神社について 所在は゛今 品田(ホンデン)村字大宮にあり、若宮三社といふ、゛〈現 熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〉と記しています
【抜粋意訳】
○熊野郡十一座、並小
熊野(クマヌノ)神社、
今 品田(ホンデン)村字大宮にあり、若宮三社といふ、〔考案記、神社道志流倍、〕
盖 熊野大神 櫛御氣野命を祭る、櫛御氣野命は即 素戔嗚尊也、〔出雲國造神壽詞〕
清和天皇 貞觀十年九月廿一日辛亥、授丹後國正六位上熊野神從五位下を授けく、〔三代実録〕
凡 其祭九月九日を用ふ、〔豊岡縣神社取調帳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 熊野神社について 所在は 三社を挙げています
゛品田村鎭座若宮三社゛〈現 熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〉
゛河梨村の熊野社゛〈現 熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〉
゛久美口久美濱村 川上郷神崎村 甲山村 三ヶ村立合の權現山にあり゛〈現 熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)〉
【抜粋意訳】
熊野(クマヌノ)神社
祭神 素盞鳴尊
今按 神名式に出雲國意宇郡熊野ニ坐ス神社二座〔名神大〕又 出雲國造神壽詞に出雲乃靑垣山内爾 下津石根爾 宮柱太數立テ 高天原爾 千木高知リ坐ス 伊射那伎乃 日眞名子加夫呂伎熊野大神 櫛御氣野命云々とみえたる同神にて即 素盞鳴尊にませり此神鎭りますが故に郡名を熊野といふなるべく熊野郡に熊野神社あるは必ず出雲の熊野神を遷し祭れにやあらむ
神位
清和天皇 貞觀十年九月二十一日辛亥授ニ 丹後國 正六位上 熊野神 従五位上祭日 九月九日
社格所在
今按 丹後道志流倍に品田村鎭座若宮三社と云是也 已れ此神社に若宮三社と云額を揭げたるをもて さきに新たに祭れる證なれば河梨村の熊野社ならんと思ひたれど能考るに品田ノ方證跡多く社地大なり 當村の名寄帳に禰宜屋敷 宮田 鳥居崎 御子谷 西明寺 屋敷地 藏田など皆當社につきたる字なりと云り 又 土人 此社を大宮と云もの據とすべしと云ひ
丹後式社考には熊野村と定め 神社覈録に久美口久美濱村 川上郷神崎村 甲山村 三ヶ村立合の權現山にありとし 豊岡縣注進狀には品田村河梨村甲山村と記して三村とも確證なし唯 品田村には古く地頭へ差出したる守札に式内熊野神社と記し來り社地形勢も宜しければ品田村と決定可然とあれど未だ明證なきを以て決めがたし
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)に「拝 (Thai)」(90度のお辞儀)

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