春日神社(鯖江市鳥井町)〈『延喜式』大山御板神・伊多伎夜神社〉

春日神社(かすがじんじゃ)は 第10代 崇神天皇の御宇 大彦命が北陸道下向に際し当地に着陣 楯板を立て軍神 武甕槌神・経津主神の二神を奉祀し賊を征伐 御板神社の社号を贈ったと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたのかみのやしろ)です 別説に敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)ともされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

春日神社(Kasuga shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県鯖江市鳥井町12-31

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》武甕槌命(たけみかづちのみこと)
   經津主命(ふつぬしのみこと)
   屋根命(あめのこやねのみこと)
   比咩大神(ひめおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

春日神社 由 緒

創立の年月日不詳。

往時は御板部郷15ケ村の総社で、延喜式神名帳に見える丹生郡の「大山御板神社」に比定される論社の一社である。

国内神名帳に大山御板神社は「正五位御板神」と出ている。

崇神天皇の御宇、大彦命の北陸道下向に際し当国の元大山にいる賊を退治しようとして、丹生郡宮崎村舟場より当地に着陣し、楯板を立て軍神武甕槌神・経津主神の二神を奉祀して賊を征伐された。
命はその御神徳の不昧なことに感悦して、御板神社の社号を贈ったといわれる。

延喜式神名帳に「大山御板神社」と記されているのは、大山に賊を打ち給うたことによる。

 社伝によれば治暦4年4月藤原隆家の供奉により天兒屋根命・比咩大神が合祀されてから社号が春日神社と改称された。
以後歴代の国司・領主の崇敬もあつく、神地等の寄進があって社頭は隆盛をきわめたが、中古の頃延元・天正の兵乱によって衰微したといわれる。

 その後慶長18年社殿が再建され、同年地頭荻田主馬助長繁より3石、更に寛永7年9月17日大坂夏の陣において真田幸村を討ち取った西尾宗次より2石7斗の社領の寄進があった。

神社の維持は この社領によるほか御板部庄4ケ村の氏子を始め郷中15ケ村の崇敬者の醵金によってなされたが明治維新に際しての社領廃止後は専ら氏子の崇敬者の負担によって維持されている。

当社には往古より軍神祭と称して出陣の装いをして神慮をお慰めする行事があった。
これを「御板部の花鉾祭」と言い、近郷の人々が群集し賑ったので、広くその名が知れわたっていたが次第に衰えすたれていった。

 維新後明治5年には村社・同12年9月に郷社に列せられた。
大正4年1月16日神饌幣帛料供進神社に指定された。

 現在の本殿は慶長年間の再建といわれ、細部に室町時代の古式な技法が部分的に見られ、この地方の社寺建築の流れを知る上で貴重な遺構である。
このことから昭和53年5月国の重要文化財に指定された。
これを機会に同56年から57年にかけて、国および県・市より補助金を受けて全面的解体修理が行われた。

 当社の境内社として西尾仁左衛門が祀った若宮八幡神社と白山神社があった。
後年応神天皇を祀る若宮八幡神社は当田に遷し祀った。
また菊理比売命を祀る無格社白山神社を下司村6字中出に遷し祀った。

当社に次の伝承がある。

 昔当社には藤原隆家が信濃国諏訪神社へ勅使として下る途中、当大山御坂神社の荒魂御板部岡神の御神託によって造営された桜鬼大明神という末社があった。
この御祭神は荒神にましまして、村民が農耕の穢れ物を持ってここの境内の前を通るたびにお咎めをくだされた。

このため、この境内に接していた志摩村岸村両村のものが、ひそかにご神体を持ち出し川に流してしまった。
しかし、この神罰は直ちに現はれ、康安元年丑6月18日巳ノ刻に起こった大地震大洪水によって日野川の流れが現在のように変わった際、この両村は流れ失せて人家は全滅してしまったと御板部岡神社社記で伝えている。

福井県神社庁HPより
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160812_132715

重要文化財指定記念碑

御本殿一棟 間口四間半 奥行五間 こけら葺 流れ造

 當神社は 武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 比咩大神の四柱を祭る 當社のご創祀は 人皇第十代 崇神天皇の御代 大彦命この丘に軍神 武經二神を祭られ當地方を撫し給うに由来し 延喜式神名帳に大山御板神社とある社である 降りて治暦四年四月藤原隆家の供奉により天兒屋根命 比咩大神を合祀せられて春日神社と改稱され 近郷十五ケ村の總社であった

 現在の本殿ご造の時期は詳かでないが 恐らくは室町時代のものと推定され 昭和五十三年五月三十一日 國の重要文化財に指定された 依つてここにこれを記念しこの碑を建てる

昭和五十四年十月一日 氏子一同

現地石碑文より

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重要文化財 春日神社本殿

昭和五十三年五月三十一日指定

形式 三間社流造 杮葺(こけらぶき)

構造 本殿正面桁行四メートル
   側面梁間一一、五五メートル

 春日神社は延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にみられる大山御板(おおやまみいた)神社に比定され、この付近十五ケ村の総社で、治暦四年(一〇六八)に社号を春日神社に改められたという。

 延元、天正の両度の戦禍によって社殿が被災したが、慶長十八年(一六一三)に再建され、現在の本殿はこの時のものと考えられる。近世初頭における神社本殿の建築形式を知る上で貴重な価値を持つ建造物として、重要文化財に指定された。
 昭和五十六年八月から一年五ケ月間の工期で、解体修理が行われ、江戸初期の優雅な本殿がここに甦ったものである。

平成三年九月三十日 鯖江市教育委員会
現地案内板より

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇福井縣 越前國 丹生郡豊(ミノリ)村大字鳥井

郷社 春日(カスガノ)神社

祭神
 武甕槌(タケミカツチノ)
 經津主(フツヌシノ)
 屋根(アメノコヤネノ)
 比咩(ヒメ)大神

 當社は御板部(みたべ)郷十五ヶ村の總社にて、延喜式神名帳に大山御板神社とあるは當社なりと傳ふ、然るに官社考に祭神 猿田彦大神とあり、神祇志料には「今立郡 船津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にあうて上宮と云ひしを、後今地に移す、蓋大毘古命、孝元天皇を祀る」といひ、國内神名帳には正五位御板神社とあり、人皇十代、崇神天皇の朝、大彦命北陸御征討、當國大山に賊を退治し給ふ時、御船にて丹生郡船場村より當地に御着あり、楯板を立てさせられて軍神健布津神を祭り、賊を退治し玉ひて御板神社と稱へらる、古くは三田郷内御板部庄大山鎭座なり、治暦四年四月十七日藤原隆家を以て天兒屋根命、比咩大神を合祭せしめ、更に社號を春日神社と改稱し、歷世の國司領主、崇敬浅からず、神地を寄附し、社頭盛大なりしに、中古延元、天正の兵亂にて炎上せり、かくて慶長十八年社殿を再建し、領主萩田主馬助長繁より社頭三石を寄附せられ、其後 寛永七年九月十七日 西尾仁左街門尉より二石七斗の社領を以て神饌と爲すと雖も、〔維新以来は社領は廃止となる〕以來氏子を始め郷中十五ヶ村の人民信仰し、有志の金を以て一社を維持す、往古より近年に至る迄、例祭に軍神祭と稱して出陣の裝をなし、神慮を慰め奉り、是を御板部の花鉾祭と稱へ、近郵の諸人群集して頗る盛大なりしが今絶えたり、明治五壬申年舊足羽根縣にて村社に加列、次いで同九年六月元敦賀縣に於て再び村社に列し、同十二年八月郷社に昇格す。

社殿は本殿・拜殿等にして、境内二千七百十二坪 (官有地第一種 )を有し、宏壯たる神域なり。

境内神社 八幡神社

【原文参照】

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【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

第十五巻 越前國 丹生郡

大山御板(オホヤマミタノ)神社
【社名】

 『神社覈録』に「大山は於保夜麻、御は三べし、〔郷名部〕三太、○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔官社考〕」とある。

【所在】

 大山御坂神社に比定する説のある神社は、次の五社である。

A 鯖江市上江第三五號大山三三番地(今立郡河津村上鯖江)舟津神社に合祀。(『舟津神社社記』・『越前國官社考』)。

B 鯖江市烏第一二號板岡三一番地(丹生郡豐村鳥井)春日神社(Aと同じやうな由緒を掲げる)

C 丹生郡清水町片第六一號字宮垣内四九番地(丹生郡三方村片)八幡神社(『越前『越前神社考』)

D 丹生郡朝日町乙第一二號字神玉二四番地丹生朝日乙坂大洗崎神社(『越前名勝志』)

E 武生市三口字宮の一八番地(南條山村三口)舊 神明神社(『社記『越藩拾遺』・『越前鹿子』等)。

【論社考證】

A
 によれば「大彦命勅命を受けて超の園に来り給ふや角鹿津より御旗を挙げ八田(今丹生郡にあり)を経て舟場より東に渡らんとし航路危かりしかばを棹を投じて神に祈り給ひ(棹谷は丹生郡にありが老翁の教へによりて深江の地に向ひ給ひ和美川にて安伊奴の導を得て遂に深江の地に着し給へりに山あり 命登臨し玉ふ時に 亦鹽垂の老にめぐり逢ひふに山をけて山と云ふ 老翁 命にへて曰く 國の元名は石熊國堅  襲要鬼悉く族を討ちらんと計る 宜しく之がをなし玉ふべしと 命間ひ玉はくは誰ぞや答ひてはく 吾なり汝命の忠誠をみし此處に来り斯くふるなり 命我言を信じ玉ひてを此處に祭り玉ひなばに血らずして元忽ち滅び平らかならんと告げち失せたり 命其ひ三枚のを用ひて逢山の峰に社形を造り向の印璽を神となし猿田彦神を奉り玉ふ 即ち式内大山御坂神社なり(延喜式神名帳 大山御坂神社なり)。」といふ。

尚 舟津神社々記にも同様の記載があり、寛仁二年兵火につて舟津神社に合祀されたといふ。
・・・
・・・〈中略〉
・・・

B
 神社明細帳に「崇神天皇ノ御宇 命北陸御征討御時 當時 元大山(今鯖江ノ岱ヲ大山トモ云フ) ニ退治シ玉時 命御舟ニテ丹生郡宮崎村舟場ヨリ當地ニ御着陣アラセラン板ヲ立テラレテ軍神 武甕槌神 經津主神ノ二神ヲ玉ヒヲ退治ジ玉ヒニ神ノ不昧ナルヲアリテ御板神社ハル大山ノ玉フ延喜式神名大山神ト記載セラル(下略)」とある。

C
 『越前國名蹟考』が「大山御坂神社在片糖村 稱ニ 白山社 蓋依ニ 大山縁云歟〔越前神社考〕」とするも、現在は八幡社とし、別に五社神社ともす。新しく境内も整備され、社殿も造されてるが、燈呂鳥居の破片又舊社殿等に白山社の名をふことが出来る。附近の神社を合祀したものである。

D
 『越前名勝志』に「丹生郡。管郷三大、今三〔式〕云大山神社、今乙坂村。同じく越前國百二十六神社。私考。忍坂・今乙坂村二ヶ所是有は丹生郡川村の。」とある。

E
 『越藩拾遺錄』『南越溫故集』『越前鹿子』等の地誌は『足社記」の「三太今云三口。又延喜式所載大山板神社是ノ處乎。」との記載によつて、社を比定してゐる。
 三口の地名は現在武生市( 南條郡神山村)にあり、同字宮の一八番地に村社神明神社(祭神 天照大神座したが 明治四十一年五月十三日無格伏拜神社に合併され、同年六月二十七日伏拜神社は神明神社と改村社に列した。

以上A・B・C・D・E共に式内社と斷ずることは出来ない。

【祭神】

A 舟津神社。 大彦命孝元天皇・素佐鳴命,

殿〔大山御坂神社〕猿命。神社明細帳に登録してゐる。『神祇志料』に「蓋大古命、孝元天皇を祀る」とある。『神社覈録』に「猿田彦大神〔官社考〕」、『特選神名』に「猿田毘古命、孝元天皇。今按本社傳說(中略)神社覈録にも祭神古命とあり故今 に因て記せり。」とあつて、大山板神社の祭神として猿田古命と孝元天皇を配祀したとしてゐる。

B 春日神社。 武甕槌神・經津主神・天命・比大神。

C 八幡神社。 譽田別尊。

D 大洗磯崎神社。 大名持命少彦名命。

E  神明神社。 天照大神。

【由緒】

A 前述の通りである。舊社。

B 神社明細帳には、前引の部分にいて、「治暦四年藤原家ヲ供ニテ天屋根・比昨大神ヲ合祀セラレテ 社號ヲ春日神社(中略)往古ヨリ軍神祭卜シテ出陣ノヲナ神盧ヲオ慰メ奉り是ヲ御板部ノ花祭卜云テ近ノ諸人群集里俗ノ知ル處ナリ」とある。
郷社。本殿は室町時代の樣式をもち、國の重要文化財に指定されてゐる

C 神社明細帳に、「人皇五十六代清和天皇 二庚寅年三月 其後六百五十四年ヲ経テ破ニ相成 永正七庚午七月 朝倉貞景本社造アリ。一、境内神社一社。白山神社(祭神 伊邪那美尊・火産靈命・武甕槌命)由緒不祥とあるのを、明治四十一年十二月九日「誤謬ニより削除」として、朱線で抹消してる。村社。

D 由緒不評。舊村社。

E 前述の通り由緒不評。村社。

【祭祀】

A 例祭 九月二十日。境内 二、六七七坪。氏子 六九九戸。宮司 橋本政英氏(本務)。

B 例祭 十月一日。境内 一、四三八坪。氏子一三○戸宮司 高橋好視氏(本務)。

C 例祭 九月十五日。境内 二九〇坪氏子六五戶。宮司 宮田哲彌氏(務)。

D 例祭 九月二十七日。境内二坪。氏子八二戶宮司 高橋正純氏(務)。

E 例祭 五月十五日。境内 六五〇坪氏子三五〇戸。宮司 西尾博英氏(本務)。

(西森清隆)

【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

『訳註大日本史』六 昭和17年(1942)に記される内容

延喜式内社 越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)の旧鎮座地であると記しています

【抜粋意訳】

伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)

○舊 刀禰村 伊多伎夜谷に在り。後 丹生郡鳥井村に移り、春日明神と曰ふ。國內帳に云ふ從五位と。

【原文参照】

徳川光圀 撰 ほか『訳註大日本史』六,建国記念事業協会・彰考舎,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1920578

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・境内社として 末社2社〔・若宮八幡神社・白山神社〕があった

若宮八幡神社と白山神社という末社2社あった
真田幸村を討ちとった西尾宗によって祀られたものだが 後年・若宮八幡神社は当田・白山神社は下司へ遷座した

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

若宮八幡神社(鯖江市当田町)
・白山神社(鯖江市鳥井町)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

春日神社(鯖江市鳥井町)は 二つの式内社の論社となっています

越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)

②越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)

大山御板神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ]大山御板神社
[ふ り が な ](おほやまみたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohoyamamiita no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

②伊多伎夜神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)敦賀郡 43座(大7座・小36座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ]伊多伎夜神社
[ふ り が な ](いたきやのかみのやしろ)
[Old Shrine name]Itakiya no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

春日神社(鯖江市鳥井町)は 二つの式内社の論社となっています

越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)

②越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)

①延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社は7社あります

・舟津神社(鯖江市舟津町)
〈相殿に大山御板神社を祀る〉

・春日神社(鯖江市鳥井町)

・八幡神社〈五社宮〉(福井市片粕町)

・大洗磯崎神社(丹生郡越前町乙坂)

・神明神社(越前市三ツ口町)
〈明治41年 現 神明社(越前市若竹町)に合祀〉

・神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)
〈明治41年 神明神社(越前市三ツ口町)を合祀〉

・越知神社(丹生郡越前町大谷寺)

②越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやの かみのやしろ)の論社

・氣比神社(敦賀市刀根)
〈氣比神社に合祀 式内論社 山神神社(伊多伎夜谷)〉

・春日神社(鯖江市鳥井町)
〈式内社 伊多伎夜神社の後裔とする説あり〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

福井鉄道福武線 西鯖江駅からR417号・県道104号経由で西へ日野川を渡り南下 計1.7km程 車での所要時間は5~6分程度

西鯖江から西へ三床山の方向へ

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神社の南200m程の所に 一の鳥居があります

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一の鳥居をくぐり抜けて 参道を進みます

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水田の中に まるで古墳のような独立丘があり 境内となっています

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玉垣に囲まれた 社殿 境内 社頭は南向きです

春日神社(鯖江市鳥井町)に参着

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 境内へとすすみます

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国重要文化財の本殿 修復記念の石碑があります

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石段を上がり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして振り返ると 境内参道はまっすぐに南を向いています

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鳥居を抜けて振り返り一礼をします

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大山御板神社について 所在は゛往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板神社

大山は於保夜麻、御板は三太と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕三太

○祭神 猿田彦大神〔官社考〕

○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔同上〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

式内社 伊多伎夜神社について 現在は廃絶していると記し 所在は゛舊地は刀禰村伊多伎谷といふ、其 土地なりと云傳ふ、゛と記しています

【抜粋意訳】

伊多伎夜神社

伊多伎夜は假字也

○祭神詳ならず

○今 廃亡す、舊地は刀禰村伊多伎谷といふ、其 土地なりと云傳ふ、〔官社考〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大山御板神社について 所在は゛ 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板(オホヤマミタノ)神社、

 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、〔福井藩神社取調帳、敦賀縣神社調〕

 大毘古命、孝元天皇を祀る、〔本社傳説 ○按 傳説云、昔大毘古命 高志の賊を伐時、猿田彦命の神教を得て 之を平く、依て社を建て之を祭る、諸書 皆此説に從ふ、然れども孝元天皇を祭るを以て之を考るに、猿田彦命 大毘古命と其名 相似るを誤るものなる事著し、故今之を訂す、〕

凡 其祭九月九日之を行ふ、〔明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

式内社 伊多伎夜神社について 所在は゛今丹生郡 鳥井村にあり、〔○按 神社覈録、舊地は刀禰村伊多伎谷にあり、〕春日明神といふ、゛〈現 春日神社(鯖江市鳥井町)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊多伎夜(イタキヤノ)神社、

今丹生郡 鳥井村にあり、〔○按 神社覈録、舊地は刀禰村伊多伎谷にあり、〕春日明神といふ、

凡 其祭六月十七日 九月十八日を用ふ、〔福井縣神社取調帳、神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大山御板神社について 所在は゛上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板神社

祭神 猿田毘古命 孝元天皇

今按 本社傳說に祭神右の如し  大毘古命 高志の國を伐つ時 賊ありて要擊せんとす 然るに田毘古神の神に因て其賊を討平げ 終に社を建て之を祭るとみえ 神社覈録にも祭神 猿毘古命とあり 故今 社傳に因て記せり

祭日 四月二十二日 九月九日至十一日
社格 縣社

所在 上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)

 今按 本社往古は逢山の嶺に鎭座ありしを 至徳四年以來の戰に兵焚に罹りしを以て 應永二十一年 舟津神社に合せ祭る 此社をもと上宮と稱し 舟津社を下宮と稱し 今に神輿二基ありて秋祭に渡御し奉るとみえ 本社に孝元天皇を祭り 舟津社に大毘古命を祭れるは もとより由緣ありての事なれど舊址に神社を再興あらまほしき事なり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 伊多伎夜神社について 現在は廃絶していると記し 所在は゛舊地は刀禰村伊多伎谷といふ、其 土地なりと云傳ふ、゛と記し ゛丹生郡烏居村春日明神なりとあれば信がたし゛〈現 春日神社(鯖江市鳥井町)との説もあるが信じられない〉と記しています

【抜粋意訳】

伊多伎夜神社

祭神
祭日
社格

所在 廃亡

 今按 越前官社考に 今 廃亡 舊地は刀彌村伊多伎夜谷と云 其土地なりと云傳ふと云れば廃亡右せしなるべし 福井藩神社取調帳に今 丹生郡烏居村春日明神なりとあれば信がたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

春日神社(鯖江市鳥井町) (hai)」(90度のお辞儀)

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